Episode.31
レオンハルトの口元に含み笑いが戻る。シリルは身構えた。やはり、報酬はいらないと言いつつ、無理難題を仕掛けてくるのでは。無料ほど怖いものはない。
「頼みとは何だ?」
「うちになかなか有能な見習いがいるんだが、実践を積ませたいと思っていたんだ。しばらく旦那の元に置いて、経験を積ませてやってくれないか」
想定外の申し出にシリルは長考した。
「‥‥‥‥ん?」
考えたものの、やはり自分の良いようにしか考えられない。
「どういう意味だ?」
「有能な部下を貸すから好きに使ってくれってことだ」
「いや、何故だ?!これも無償か?あやしいな!」
シリルが思わず喚くと、レオンハルトはケラケラ笑った。
「警戒心が強いな旦那は。良いことだ。だが怪しくなんかないよな?なぁ、護衛騎士君」
問われたライナスは素直に頷く。
「はい。未来の公爵閣下に恩を売ろうというだけの事。正当な行為です」
それを正当と言ってしまうのはどうなんだ。
35年も生きていれば、何度か騙されたこともあるし、悪意を持って近付いてくる奴もなんとなく分かる。たが流石に大陸一のギルドマスターの考えは分からない。
「まぁ、そういうことなら。恩は買っておこう」
腑に落ちないところを無理やり落とし、シリルはずっと気になっていた事を聞いた。
「ところで何故俺を旦那と呼ぶんだ。貴方よりだいぶ歳下のはずだが?」
レオンハルトはきょとんとした。
「あー‥‥なんだろう?雰囲気かな」
ライナスが背後から近づき、耳元で言った。
「大丈夫です。主。雰囲気が老けていると言われた訳ではありません。気にしないでください」
お前のせいで気にしちゃうんだが。
ライナスを手でしっしっと追い払い、シリルは立ち上がった。長居しすぎてしまった。そろそろ邸宅へ戻らないと。
「では俺はこれで。貴方の言う部下はどこにいるんだ?」
シリルが立つと、レオンハルトも立ち上がった。そして手を差し出す。
「彼は不在なのでまた後日邸宅に向かわせるよ。それと俺のことはハルトと呼んでくれ」
(ハルト?レオンではなく?)
「わかった。ハルト」
なんとなく懐かしい響きにシリルは頷いた。レオンハルトが差し出した手をにぎり、二人は握手をして別れた。
「ではハルト。またいずれ」
シリルは店から出ると、もう一度【酒場ミレーヌ】の看板を振り返った。
「ギルドマスターとは思えないほど気さくな人だったな」
ライナスが同意する。
「ええ。あの若さも驚きでしたが」
(聖女の烙印とは、また攻めたギルド名だよな)
この大陸では大半の国が女神信仰だ。聖女は女神の化身とされている。どの国にも属さない組織でありながら、各国が崇める女神を愚弄しているかのようなギルド名。
「あの時助けて良かったな」
「彼を邸までおぶったのは私ですが」
「ああ。よくやった」
シリルは待たせていた馬車に乗り邸宅へ戻った。
―――同日、深夜。バレル男爵邸。
「だ、旦那様!旦那様!」
バレル男爵は使用人の取り乱した呼び声に起こされた。
「何だ?」
よろよろとベッドから降りると、寝室の扉が乱暴に開いた。闇夜に慣れていない目を細めると、長身の赤髪の男が立っている。見知らぬ男だが身なりが整っている。野盗には見えない。
「だ、誰だ!」
バレル男爵が叫ぶと、背後から手が伸びて来て口元を塞がれた。
「ボスの前だぞ。静かにしろ」
背後の人物はそう言うと塞いだ手を離した。
手を離されたものの、もう恐怖で叫ぶ気にはなれない。
赤髪の男は口に含み笑いを浮かべて言った。
「駄目じゃないか。帝国でこんな事しちゃあ。‥‥異国からの薬物と魔石の違法販売、それにこれは何だ?異種族の引き渡し書?おいおい‥‥これは駄目だろ。皇室が断固として禁止している事じゃないか。皇帝の逆鱗に触れたいのか?」
赤髪の男がひらりと投げ捨てた書面を見ると、バレル男爵は小刻みに震え始めた。
「こんな杜撰な管理じゃ、明日には皇室が嗅ぎつけて来ていたぞ?」
廊下の奥から使用人達が走ってくる。
「旦那様!大変です!報告が‥‥!」
使用人達は扉の前で止まった。主がただならぬ雰囲気で見知らぬ男と話しているからだ。
赤髪の男は言った。
「どうぞ?報告してくれ」
促された使用人は頭を低くし、おずおずとバレル男爵に近づいた。一大事なのだ。主が拘束されている訳でもないので、とりあえず報告する。
「旦那様、突如5番支店から火の手が上がったようです。さらに間を置かず2番、3番倉庫から爆発が起こったと報告が‥‥」
「何だと‥‥!」
2番、3番倉庫はバレル商会の要の倉庫だ。商会を立ち上げて以来初めての事態にバレル男爵の膝は崩れ落ちた。
赤髪の男がゆっくりと近付いて来て、耳元で囁く。
「証拠は俺が持っておいてやる。全ては奪わない。せっかくここまで育てた商会を、失いたくはないだろう?」
「何が望みだ?私はどうすればいい‥‥」
視線を前に向けたまま、男爵は呟いた。
赤髪の男はまたゆっくりと歩き、バレル男爵の寝室から出ていこうとしていた。振り向きざまに低い声で言った。
「皇都から退け。それだけだ」
赤い髪の男は寝室の扉を閉めて出て行った。扉を閉めた後は足音すら聞こえなかった。いつの間にか後ろにいた男もいない。報告に来た使用人が呆然と口を開く。
「旦那様、あの赤髪の紳士はどなたなのです?」
思い浮かぶ人物はいたが、男爵が名前を口にすることはなかった。
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