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無名の風鈴剣 ~消えかけの少年に、天才魔導技師と皇女が激重感情を向けてくる~  作者: 風紋
第一章 忘れられる少年と、忘れない二人

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第9話 地獄の果ての、安堵の鐘

 深い夜の闇の中、前を行く台車の車輪が、石畳を軋ませる音だけが響いていた。


 ジルは、意識を失った少年――身体が半透明に透けかけた彼――を台車に乗せ、黙々と歩いている。

 私は、その数メートル後ろを、ただついていくだけだった。

 王宮の絨毯と滑らかな石しか知らなかった私の靴は、荒れた石畳を踏むたびに、容赦なく足裏に痛みを伝えてくる。


 それでも。


 痛い、なんて言えるはずがなかった。

 唇を噛みしめる。


(私が……何も、覚えていないって言ったから……?)


 あの時の、ジルの顔が頭から離れない。


 怒鳴られもしなかった。

 責められもしなかった。

 ただ――絶望したように、目を見開かれただけだった。


 船で私を助けてくれた人。

 憲兵から彼を守ろうとした人。

 そんな優しいはずの彼女の背中からは、今、何も感じ取れない。


 温度が、ない。


 あの時、確かにあったはずのものが、全部、消えてしまっている。

 助けられたときの、誰かに抱きしめられたような感触だけが、ぼんやりと残っているのに。

 肝心の――彼の記憶だけが、抜け落ちている。

 ぽっかりと。そこだけ、綺麗に。


(……どうして)


 分からない。

 けれど。


 それがどれだけ取り返しのつかないことなのかだけは、分かってしまう。


 ジルは、台車を引く。


 慣れた道なのだろう。暗い夜道にランプもつけず、迷いなく進んでいく。

 時折、台車の様子を見るために振り返る横顔。

 怒ってはいない。けれど――

 昏い、悲しみと絶望だけが滲んでいた。


 言葉にはされない。

 けれど、はっきりと分かる。


『――どうして。よりによって、彼の覚悟を忘れてしまったの――』


 彼女の沈黙が、何よりも鋭く、私を刺した。


(……私、ここにいていいの?)


 足が止まりそうになる。

 でも。帰る場所なんて、どこにもない。

 王宮に戻れば、終わりだ。私はまた、繋がれる。

 部品として。マナの供給源として。


 自由もなく、ただ消費されるだけの存在に。

 だから私は。

 この決定的な距離を保ったままでも、ただ縋るしかない。

 見ず知らずの――彼女に。


 そして。

 台車の上の、あの少年に。


 ――やがて。街の空気が変わった。


 坂を下り、「奈落谷」と呼ばれる廃棄区画へ差し掛かったとき。

 ジルの足が、ぴたりと止まる。


「……嘘でしょ。よりによって、凍て街から……っ!」


 呪詛のような声。

 視線の先。すり鉢状の谷底は、月光すら飲み込む闇に沈んでいた。

 冷気が、肌を刺す。鉄錆とヘドロが混ざったような臭いが、喉の奥に絡みつく。


 煙は、空へ昇るものだと思っていた。


 けれど、違う。

 目の前にあるのは――冷たく、泥のように地を這い回る「黒煙の海」だった。


「……行かなきゃ。できるだけ息を止めて!」


 ジルがランプを灯し、その中へ踏み込む。


(これが……奈落谷……)


 地獄の、行き着く果て。


(私が、逃げたせいで)


 胸が、締め付けられる。


(民を守るべき皇族が……彼らの人生を壊して、こんな場所にまで……)


 私が。

 私が、連れてきた。この地獄に。

 それでも、足を止めることはできない。

 置いていかれたら、終わる。


 私は、小走りでその後を追おうとした。


 ――次の瞬間。


 キィィィィィィン……。


「……っ、あ……!」


 頭の芯に響く不快な共鳴。

 思わず、膝が崩れた。

 冷たい地面に、体が沈む。


「どうしたの!?」


 ジルが振り返る。


「これくらい、彼の近くなら平気なはず――」


 言いかけて、止まる。

 私にも、分かった。彼の放っていた“静寂”。


 あの不思議な守りが、届いていない。


「そんな……これくらいの距離なのに……!」


 台車が、手から滑り落ちる音。


「……嘘、でしょ……?」


(……私の、せいだ)


 確信だった。

 私を助けた、その代償。

 半透明になった。彼の何かが、削られた。

 きっと、命そのものが、小さくなってしまったのだ。


 私のせいで。


 ジルは崩れ落ちそうになるのを堪え、叫ぶ。


「――近づいて……! もっと、彼のそばに……!」


 震える声。

 怒りじゃない。ただ、壊れそうなほどの絶望。


 私は、這うようにして近づく。

 台車へ。

 彼へ。


(……あ)


 楽に、なる。

 頭痛が、苦しさが、薄れる。


 それだけで。

 離れたくないと、思ってしまった。


♢♢♢♢♢♢♢♢


 黒煙を進む。

 奈落谷の奥深くにあったのは、ひしゃげた巨大な鉄の残骸――廃棄ボイラーだった。


 ジルが扉をこじ開け中へ滑り込む。

 そして、重い音を立てながら、閉じる。


 その瞬間。


 チリン――


 風鈴が鳴った。


 澄んだ音が、閉ざされた空間に広がる。


(……あぁ)


 張り詰めていた何かが、ほどけた。


 ジルがランプに火を灯す。淡い光が、鉄の内部を満たしていく。


(ここは……安全なんだ)


 涙が、零れる。

 王宮よりも。どんな豪華な部屋よりも。

 ここは、温かかった。


 やがて、湯が沸く音。

 差し出される温かいカップ。


「……ありがとう」


 返事はない。ジルはただ、彼を見ている。

 私は、彼のすぐそばに座る。

 自然と。離れないように。


 半径二メートル。見えない円の内側。


(……おかしい)


 こんなに苦しいのに。こんな状況なのに。

 ここにいると、少しだけ安心する。

 彼の近くにいると、怖く、ない。


 ――やがて。


 毛布が、かすかに動いた。

 ジルが弾かれたように身を乗り出す。

 私も、息を止める。


 灯りの中で。


 彼の瞼が――


 ゆっくりと、開いた。


様々な想いを抱え。

3人が、ようやく揃います。


連続投稿は4/15まで、以降は週3本ペースを予定しています。

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