第7話 透過の代償
帝都ガレリア。北東ベルク特別区の運河沿い。
ジルのガレージからほど近い桟橋に、小舟が静かに接岸した。
周囲は深い夜の闇に包まれている。
「……着いた。ねぇ、二人とも、聞こえる?」
ジルは舵から手を離し、船首へと駆け寄った。
薄い月明かりの中、二つの影が倒れ伏している。
一人はクロード。もう一人は名も定かではない13~14歳ほどの少女だ。クロードとほぼ同い年であろうか……。
ジルはまず、ピクリとも動かないクロードの肩に触れた。ひどく冷たく、呼吸は浅い。運河でとんでもない無茶をしたのだ。間違いなく重症だろう。
(暗くて症状がよくわからないけど……とにかく、早くベッドに寝かせないと)
ハンスたちからもらった重い魔導工具キットが目に入ったが、今はクロードが優先だ。
「工具は後で取りにこよう。まずはこの子たちを…」
ジルがクロードの身体を抱き起そうとした時、隣で倒れていた少女が「……んっ」とかすかな呻き声をあげて目を覚ました。
「気が付いた?立てる?」
「あ……あなた、は……」
少女は朦朧としながらも、ジルの顔を見てハッとした。
「船で、私を助けてくれた……」
「そう。もう追手は撒いたから安心して。……お願い、少し手伝ってくれないかな。彼を家まで運びたいの」
ジルが促すと、少女は不思議そうにクロードの顔を覗き込んだ。
「……この男の子は…? いつ乗せたんですか……?」
「え……??」
ジルの動きが固まる。
いつ乗せたも何も、彼女が乗る前からクロードは乗っていた。
(パニックで、混乱してるのかな……)
ジルはそう自分を納得させ「最初から乗ってた。私の大切な相棒よ」とだけ答えた。
すると彼女は驚くような顔で小舟を見まわし始めた。ギリギリ4人乗れる浅い木造の小舟で、誰かが隠れられるような構造は何もない。
頭の上に疑問符ばかりが浮かんでいるようだが、今はまずクロードをガレージまで連れて帰ることが大事だ。
「私が背負うから、ちょっとだけ彼を支えてもらえる?」
ジルが屈み込み、クロードの右腕を抱える。
少女は少年の体を下から支えるため、腰のあたりを抱え上げながら、ふと「……氷、みたい」と呟いた。
確かに今日のクロードは、いつもよりも少し――いや、だいぶ冷たい!
ジルの脈がドクンと上がる。
「早く、連れて帰らなきゃっ……」
船から降り、息をつく間もなくガレージを目指し始める。
「あなたはそこの工具箱をお願い! そんなに距離ないから!」
ぶっきらぼうな言い方になったが、振り返る余裕は全くない。
早く、早く。気絶した同年代の男子を背負っているのだ。すぐに足腰が悲鳴を上げるだろうと、ジルは覚悟して歯を食いしばった。
だが――そこでジルはひどく恐ろしい違和感に気が付いた。
――軽い。
クロードはジルと同じ背丈で筋肉質だ。それなのに、背中にはただ「凍えるような冷たさ」だけが張り付いていて――。
まるで彼の肉体そのものが抜け落ちてしまったかのような、空恐ろしい感覚。
(ダメ、ダメッ! クロード、しっかりして……!!)
ジルは絶望的な寒気を振り払うように、必死に足を動かし続けた。
♢♢♢♢♢♢♢♢
ガチャン、と重い音を立ててガレージの扉を閉め、厳重に鍵をかける。
ジルはフラフラになりながらも、奥の部屋にあるベッドへとクロードの身体を滑り落とした。
「……はぁっ、はぁっ……!」
疲労困憊でその場にへたり込みそうになるのを必死に堪え、ジルは乱れた息を整える。
工具箱を両手で抱えてついてきた少女も、不安げな顔で部屋の入り口に立っていた。
窓から差し込むわずかな月明かりだけでは、ベッドに横たわるクロードの顔色すら分からない。
「……明かり、つけるね」
ジルは祈るような気持ちで、壁の魔導ランプのスイッチに手を伸ばした。
そして、オレンジ色の光が室内を照らし出した、その瞬間だった。
「え……?」
「嘘……」
二人の口から、同時に息を呑む声が漏れた。
ランプの光に照らし出されたクロードの身体は、火傷の跡ができていたが――それだけではなかった。
――透けていた。
まるで、最初から“なかったこと”にされていくように。
シーツの上に投げ出された彼の腕は、向こう側の布地が見えるほどに半透明化し、今にも空気に溶けて消えてしまいそうだった。
「何、これ……身体が、消えかかって……」
「クロード! クロードッ!!」
ジルは半透明の肩を必死に揺さぶった。触感は、確かに今までどおりあるが、視覚は今にも消えそうだ。
「どうして……! さっき運河で、この子の暴走するマナを無理して吸い取ったからッ…!?」
「え……?」
少女は目を丸くして、ジルを見た。
「私のマナを吸い取った……? 何を言ってるの? 私は岸辺から、あなたが一人で乗ってる船に乗せてもらって。……ううん、違う。そもそも私、どうやってあの岸辺まで逃げたんだっけ……? 頭の中が、ぐちゃぐちゃで……」
少女は混乱したように頭を搔きむしる。
無理もない。彼女は膨大なマナによる熱暴走で、脳まで焼き切れてしまいそうな状態に見えた。自己防衛のために、直近の記憶が飛んでいてもおかしくはない。
――だが、それにしては。
「……でも、この男の子は、絶対に船にはいなかった……」
断定する。
「なっ……」
ジルの背筋に、氷を当てられたような悪寒が走った。
記憶がない。この子がパニックで忘れているだけじゃない。もっと決定的な、世界の法則が書き換えられているような違和感。
「でも、私……そういえばどうやってマナを川に……?? なんで追手を撒けたと思ったの?」
ふと、ジルの脳裏に嫌なノイズが走った。
ジリッ。
(……あれ?クロードが船にいたのは覚えてる。……でも先輩と話してた時にいたっけ?? 第3プラントの制御室には、……いた。そう、助けてもらった。けど、いつ入ってきたんだっけ??)
ジリリッ。
(……そもそもクロードは、今日なんで私と一緒に第3プラントに行ったの? 切羽詰まってたのに、私が奈落谷に呼びに行ったんだっけ? ……違う違う、いた。ここで背比べしたんだ。私がキミを育てたんだよって……!)
目の前が、真っ暗になる。
(……じゃあ、彼がいつも着けているあの腕輪は……私が作ってあげたんじゃなかったっけ? 違う、作った。絶対に作った。でも、なんで作ってあげたんだっけ……?)
自分の中から、彼と過ごした1年の記憶が、指の間から砂が零れ落ち、サラサラと消えていく。彼が初めて自分のスープを飲んでくれた日のこと。一緒にガラクタを漁った日のこと。その輪郭が、まるで古い写真が色褪せるように白く飛んでいく。
『クロード』という大切な相棒の名前と、彼に対する家族のような愛情だけは確固として残っている。なのに、ぽっかりと抜け落ちている部分がある気がしてならないのだ。
(限界を超えた代償? このままクロードがいたことすら思い出せなくなる?)
「いや……いやだっ、クロード! お願い、消えないで……ッ!」
ジルが半透明の少年の胸に縋り付き、ポロポロと涙をこぼした時だった。
――ガンッ、ガンッ!!
深夜の静寂を切り裂く、無機質で重いノックの音が、ガレージの分厚い扉を叩いた。
悲痛な涙を流すジルと、何が起きているかわからず顔面を蒼白にする少女の息が止まる。
「憲兵だ。開けろ。
この付近で異常なマナが観測されている」
扉の向こうから、無機質で、威圧的な声が響いた。
それだけではない。
『カチャリ』
重厚な魔導銃の撃鉄が起こされる冷たい金属音が、扉越しにハッキリと聞こえた。
逃げ道はない。
戦えるクロードは消えかかっている。
そして何より、彼らが探している「異常なマナ」は、今まさにこの部屋の中にいるのだ――。
水曜日まで、毎日更新を予定しています。
次回は、本作屈指の緊迫回です。
ぜひご覧頂きたいので、また明日も覗いて頂ければ。




