第6話 絶望の少女と決意の少年
別れ際、ハンスとゲイルは今回の緊急対応用に配給された高級魔導工具セットをジルに持たせた。
良いの?と聞くと『英雄さんが持ってけ。こちとら熱暴走を止めたんだ。崩落に巻き込まれちまいましたーで、お咎めなんかねぇよ』とのこと。
それよりも、この頼もしい人たちは宿命を受け止め、自分は逃げ出してしまったのに……。
大人として、今でもジルを案じる。
「チーフがここに来たことは、墓まで持っていく。だから安心しろ」
「ジル。君は、君のままで。俺たちみたいに、染まらないでくれ」
ゲイルが、泣きはらした顔で笑う。
「君が元気で笑っていてくれるなら、それが俺たちの救いなんだ」
その優しすぎる言葉は、逃げ出しやがって!と罵倒されるよりも圧倒的に重く、ジルの胸を締め付けた。
(弱くてごめん…みんな……)
♢♢♢♢♢♢♢♢
二人は熱暴走の顛末報告には加わらないこととなり。
今は北東ベルク特別区のジルの家へと帰る小舟の上。
夕闇が迫る運河で、ジルは船尾の魔導スクリューの舵を握りながら、ずっと俯いていた。
「……ごめんね、クロード。せっかくプラントを止めたのに、こんな暗い顔しちゃって」
「謝らないで。……ジルの怒りは、間違ってない」
船首に座るクロードが、静かに返す。
その時だった。
「……ん? ジル、あそこ……」
クロ―ドの視線が、運河の岸辺を捉えた。
廃棄された工場の陰で、一人の少女が震えてうずくまっていた。
「……っ、たす、けて……!」
誰ともなく、少女は懇願の声を漏らしていた。
泥に汚れた、仕立ての良いドレス。プラチナブロンドの髪。歳のころは13歳~14歳だろうか。
少女の周囲では、バチバチと青白い火花が散り、空気が陽炎のように激しく歪んでいる。
何かへの恐怖だろうか、彼女は規格外のマナを暴走させかけているようだ。
――ジィィィィィッ!!
鼓膜を直接引っ搔くような、マナの高周波ノイズが周囲の空気を震わせている。それは『凍て街』の地脈を超える、異常な密度のマナが発する「悲鳴」だった。
「クロード!」
「ああ! 助けるっ!!」
ジルの短い叫びに応え、クロードが岸辺に飛び移る。
「どうした?」
「……ッ、……こないで……! もう帰りたくない……!!」
少女はおびえ、自らを抱きしめるように縮こまった。
その瞬間、防衛本能からか、彼女の周囲の青白い火花がさらに激しく弾ける。
普通なら、近づくだけで肌が焼け焦げるほどの異常な熱量とマナの暴風。
だが、クロードはためらわなかった。
「大丈夫、誰も呼ばない」
彼はその炎の壁に手を突っ込むようにして、少女の手を取った。
「っ……!?」
少女が息を呑む。
焼け焦げるはずの手は無傷のまま。それどころか、クロードが触れた瞬間、彼女を内側から焼き尽くそうとしていた熱がすっと引き、頭を掻きむしりたくなるような高周波ノイズが嘘のようにピタリとやんだのだ。
絶対の静寂。そして、熱を奪ってくれる心地よい冷たさ。
「……え……?」
驚愕に見開かれた少女の瞳が、クロードを真っすぐに捉える。
「ジル、追われてるみたいだ」
「やっぱり! 早く乗って!」
小舟の上でジルが叫びながら魔導エンジンを全開にする。
「ほら、行くぞ」
「……あ……」
毒気を抜かれたように呆然とする少女を、クロードは軽々と抱え上げさっと船に乗り込む。
それを合図に、ジルの小舟は再び夜の運河を滑り出した。
「……あなたは……」
言いかけて、クロードの手が振り払われる。そしてかすれた声で叫んだ。
「……お願い。私をこのまま対岸へ置いていって」
それは懇願か。それとも拒絶か。
重い決意を抱えた表情だ。
「置いてく? 誰か待ってるの!?」
「……頼れる人なんて、誰もいない。ただ、私はすぐに追手のマナ探知機で場所がわかるから……。一緒にいたらあなたたちも危ないの! だからお願い。対岸に降ろすだけ!!」
それは、自分を助けてくれた赤の他人を巻き込むまいとする、少女の精一杯の抵抗だった。
だが、クロードはその言葉を聞いて、今度は両手を握る。
「……っ、そんなの、できるわけない!」
船尾で舵を握るジルも、前方を睨めつけながら凛とした声で叫んだ。
「私たち、困ってる人を放り出すような生き方はしてないの!」
ジルのやりたいこと。そしてハンス達との約束。
相棒も、きっと同じだ。
「クロード、探知機を誤魔化せる!?」
「……やってみる!!」
クロードは少女の体を抱えなおしながら、改めて感じてみると、彼女にとどまっているマナはまだまだ底知れぬほど膨大で。それは底が見えない、深い井戸に手を突っ込んでいるような感覚だった。
マナ探知機は詳しく知らないが、きっと……逃れるためには、中途半端ではなく、残らずすべてを放出する必要があるはずだ。
クロードはただ、下へ、と念じた。全部。残らず。この子の中にあるものを、全部。
「うわぁぁぁあぁあぁッッッ!!!」
とめどなく、マナの奔流が流れ込んでくる。
クロードは全身が中から焼き切れるような激痛に耐え、魂が削れるかのような、深く深く、えぐられる錯覚に陥る。
しかしそれでも――
「……守るんだッッ!!」
少女の熱を、根こそぎ持っていく。
ジュワアアアアッ!!
船底は黒く焦げ、川との接点からは凄まじい熱量の蒸気が上がる。
運河の水が美しくも恐ろしい青白い光を放ち……だんだんと流されながら発光が収まっていく。
それから、数十秒ほど経っただろうか。先ほどまで少女がいた土手の上に、無数の黒コートを着た男たちが殺到する気配がした。
『精密探知機の反応がロストした!! 座標はこの水面だ!!』
『まだ、川にマナの残滓がある! 川に落ちたか!?』
ピィィィィィィッ!!
鼓膜をつんざくような、鋭い警笛の音が夜の静寂を切り裂いた。
それを合図に、あちこちからおびただしい数の軍靴の音と、怒号が沸き上がる。
『大至急、本隊へ応援を呼べ!! 数と、魔導士だ!!! 残滓の地点を中心に、両岸と下流を徹底的に探せ!!』
『絶対に逃がすな!!』
50m、いや100m近くは離れたか。船尾で息を殺すジルは、その尋常でない大騒ぎに背筋を凍らせた。
(……嘘でしょ。たった一人の女の子よ。軍隊の、こんな規模……!)
ただの家出少女の捜索なんかじゃない。見つかれば、逃走の手助けをした自分たちは、確実に殺される。事の重大さに冷や汗を流しながら、ジルは震える手で舵を握りしめた。
幸い小舟は暗闇で完全に紛れており、彼らの捜査網となる下流とは逆の方向。上流の北方面へと静かに遠ざかっている。
(バレてない。大丈夫。きっと撒けた……はず)
追手の気配が遠ざかったことを確信し、ジルは小さく息を吐き出す。
そして、船首で少女を必死に抱きとめている相棒の背中を見つめる。自分の身を削ってでも、出会ったばかりの弱者を守り抜こうとするその姿。
(クロード……キミって、怖いくらい真っ直ぐだね)
かつて自分が拾った痩せっぽちの少年が、今はこんなに大きく、たくましく見える。その成長がジルはうれしかった。
一方、少女も追手の気配が消えた安堵が見える。朦朧とする意識の中、自分を包み込む少年の顔を見上げる。
月明かりに照らされた、冷たくも優しい瞳であった。
「……ありがとう……」
かすかな声でつぶやくと、震える手をゆっくりと伸ばし、クロードの冷たい頬にそっと添えた。それは彼女がこの少年に『絶対の信頼』を置いた証だった。
だが直後。
頬に触れていたその小さな手から、ふっと完全に力が抜けた。
「……っ、は、ぁ……」
限界を超えたクロードもまた、糸が切れたように甲板に崩れ落ちる。
月明かりの下。
倒れ伏した彼の体は、船の船底の木目が透けて見えるほどに半透明化していたが、その場で気づいた者はいなかった――。
運命の出会い、お読みいただきありがとうございました。
次回は明日の夜に更新予定です。ぜひお楽しみに!




