第5話 堕天使の輪(フォールン・エンジェル・リング)
帝都ガレリアの南岸機工街『ヴェンデル・プラント』。
その第3プラントの制御室。
先ほどまでのマナの狂乱が嘘のように静まり返り。
安堵から力が抜けてへたり込むジルに、先輩技術者のハンスが語り掛ける。
「生きてた……本当に、生きてたんだな、ジル……」
その目は優しい。
「お前が天使の輪を設置した第9外郭区の『凍て街』で女の子が殺されたって噂があってな。それが、天使の輪の使い道で憲兵と口論になったのが発端ってんで。憲兵案件なんで、誰も詳細聞けずじまいでよ」
ハンスが、安堵と悔恨の入り混じった顔で吐き出した。
ジルは自嘲気味に笑う。
「殺されてないよ。……ただ、逃げただけ」
床に散らばった書類をぼんやりと眺めながら、ジルは一年半前の記憶を呼び起こしていた。
昨年の初頭。ジルは『魔導インフラ開発室』に所属していた――。
かつて国にすべての技術を奪われ、失意の中で亡くなった父。それでも父が最期まで手放さなかった「魔導技術は、人々の暮らしを豊かにするためにある」という信念。名誉も、帰るべき工房も失った。
それでも父の教えだけは、ジルの中に残っていた。だからこそ、マナ供給管で繋がれていない場所でもマナ利用ができるようにしたい。それも、個人が使うレベルではなく、広い範囲で、だ。
彼女は、広域に穏やかなマナを供給する都市インフラとして『天使の輪』の基礎理論を発表した。
帝都の発展が優先されていたため「どこの田舎で……」と上層部の反応は冷ややかだったが、「どうせ失敗しても痛手のない最貧民区画でのテストなら」という条件で、第9外郭区『凍て街』への試作機設置の許可が下りた。
「あそこは、地下から噴出する特殊なマナが空気中の熱を奪い続けるせいで、夏でも雪が溶けない、呪われた場所だったから……」
ジルの脳裏に、当時の光景が蘇る。
崖下の、陽の光が当たらず、万年雪の中で凍えるしかない『凍て街』の人々。寒さで唇を紫にした子供たちが、ただ身を寄せ合って。今日死なない、を繰り返すだけの暗い街。
――助けたかった。
ジルは狂ったように研究室にこもり、ハンスやゲイルと共に徹夜を繰り返して、試作第一号を組み上げた。
あの年の七月。
凍て街の広場に青白い光の輪が灯り、万年雪が徐々に溶けていく。感じる温かさと共に子供たちの硬い顔が、ほどけるように柔らかくなり。歓声と共に街の人々が涙を流して喜ぶ顔。
それこそが、ジルの魔導技師としての誇りであり、すべてだった。
「……でも、あの後、軍の上層部から異動の命令が出て。『局地制圧・対人魔導兵器開発課だ。期待している』ってね。」
ジルの言葉に、クロードがピクリと反応した。
「……もう一度言うの。『君には期待してる』って。……怖い、目だった。広範囲の敵を一掃する地雷や火器を作れって。……冗談じゃない。私にそんなこと、できるわけないじゃない!!」
「ジル……」
「国から命を狙われるほどの機密データは、全部置いて逃げた。でも、あまりにも怖くて……迷惑かけないように家にも寄らずそのまま。お金も道具もなくて……私ひとりじゃ、スラムで何もできなかった。クロードに拾われるまではね」
ジルは隣に座るクロードをちらりと見て、ふっと柔らかい表情を見せた。
「でも、なんであんな不格好な劣化版を、この炉に組み込んだの?」
ジルの何気ない問いかけに。
「産業開発チームはジルの理論を元に、自力でここを増強するしかなかった。詳しく知ってるチーフの元チームのオレやゲイルは……兵器課だ」
ハンスとゲイルは顔を見合わせ、まるで死刑宣告を受けた罪人のように深くうつむいた。
「お前が研究所を逃げ出した後……あの理論は、軍事流用された。南部戦線に実践投入されたんだよ」
「……堕天使の輪」
ポツリと、ゲイルが言う。聞き取れるかどうか、それほどのか細い声。
「……え?」
ジルの手が、腕が震える。
「出力リミッターを外し、集めたマナを目標に叩きつける兵器として、だ。」
ジルは絶句した。自分が作ったのは、凍える子供たちを温めるための光だ。決して悪魔の兵器ではない。
――どうして。どうしていつも、権力は私から奪っていくの。祖父が築き、父が命がけで守った工房まで奪ったくせに。家名を捨て、泥水をすすってでも守り抜こうとした『技術者としての魂』すらも、あいつらは血で汚したのだ。
ギリッと、ジルの奥歯が鳴る。血が滲むほどに唇を噛み締めたが、止めどない悔しさと絶望が胸を内側から引き裂いていく。
「俺たちは止めたんだ!あれはインフラ用だって!こっちの産業開発の方が、使い道は正しいんだって!!!」
ゲイルが、頭を抱えて叫んだ。その目には血走った涙が浮かんでいた。
「でも、王国軍の進軍が早すぎた!あいつら『魔王の予兆を断つ聖戦』だとかデタラメ行って。大義名分を掲げて、帝国の国境の街を次々と焼き払って進んできてる!このままじゃ帝都が……俺たちの妻や子供が。みんな殺されるんだ!!」
「……ゲイル……」
「だから……、作るしかなかった。オレの家族を守るために、君の子供を…悪魔に。大切な天使の輪!!兵器化するしかなかったんだ……ッ!ごめん、ジル。……身勝手で……本当に、ごめん……ッ!!」
大の大人が、顔を覆って嗚咽を漏らした。
ハンスもまた、厳しい顔で……震える唇の端からは血がにじんでいる。
「……すまねぇ、ジル」
ハンスが、絞り出すように低い声で言った。
「お前の爺さんの代から世話になってきた俺が……一番やっちゃならねぇ事をした。あの人たちは、誰にも届かない神業みたいな知識を、常に『持たざる者』のために惜しみなく使ってた。本物の誇りを持った人たちだったのに……」
ハンスは深くうつむき、拳を強く握りしめた。
「俺は、その精神ごと……お前の天使の輪に泥を塗っちまった。許してくれとは言えねぇ……」
彼らもまた、被害者なのだ。
この狂乱の中で、誰よりも長く、誰よりも深く、暴走する炉に向き合い続けた。逃げることもできたはずなのに。その手で、数千人の命を繋ぎ止めた。
――それでも、その同じ手が、血で汚れなければならなかった。
そうさせたのは、誰だ。
ジルの胸の奥で、真っ黒な怒りの炎が燃え上がった。
それは、兵器を作った先輩たちや、帝国へ向かうものでもない。
(……王国。王国のせいだ)
ジルは膝の上で、拳を強く握りしめた。
燃料(青エーテル)の禁輸措置は、確かに帝国が始めたことかもしれない。だが、だからといって、武力で他国を蹂躙し、ささやかな日常を壊して良い理由にはならない。
この一年、ジルはスラムで必死に生きる人々の暮らしを見てきた。泥だらけの手で助け合って、それでも笑っている人たちを。
その人たちの顔が、今、頭から離れない。
――壊させない。
「……先輩たちは、悪くないよ……」
ジルは静かに、けれど明確な怒りをこめて言った。
「――全部、私たちの生活を壊しに来た……王国のせい」
その言葉に、ハンスとゲイルは救われたように泣き崩れた。
クロードは何も言わず、ただジルの横顔を見つめていた。
ジルの怒りは正しい。家族を守ろうとする先輩たちの涙も正しい。
だが、それぞれの「正しさ」は方向が違う。どこかねじれているように感じる。王国も王国で正しいと言いそうだ。
全員が正しい。だから、誰も止まらない。その単純な事実が、クロードの胸の奥に静かに沈んでいった――。
第5話までお読みいただき、ありがとうございました。
ジルの選択と、その代償。
そして、行き場のない慟哭。
物語はここから、静かに、しかし確実に沈んでいきます。
もしこの世界に、心に引っかかるものがあったなら――。
またお会いしましょう。
——次に現れるのは、彼らの日常を揺らす存在です。




