第68話 滅すべき魔と見えない底
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人型魔族は恐ろしい。だが、それすら赤子に等しい存在がいる。
英雄が束になっても敵わず、ただ過ぎ去るのを待つしかない。
私は、そのような魔族を「災害級」と名付けた。
――キュリオン・アルセイフ『災厄見聞録』第4章「太古の魔族」より
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「……セレスティア?」
10歳の頃を最後に直接聞いていなかった父上の声が、戦場の騒音の中から届いた。
「父上」
父上は一度だけ私を見た。すぐに正面へ戻り、剣を構えたまま一歩進む。
その正面に立つのは、災害級と呼ばれる魔族――絶望の鬼災ブレジオン。
「ガレリア帝国皇帝、ゼスト・アルブレヒト・フォン・ガレリア」
「ゼスト……」
ブレジオンは名を聞くと、口元を歪めた。
「さっきの男はヴァルダーと言ったな。第一皇子で、今の帝国では自分が最も強いとも言っていた」
兄上の名が出た途端、周囲の兵たちが反応した。
北を見る者がいる。歯を食いしばり、剣を握る手に力を込める者もいた。兄上の部隊が崩れた方角には、今も戦いの跡が大きく残っている。
「強かったぞ。今まで、あそこまでの戦士はいなかった。よくぞ強くなってくれたものだ」
ブレジオンの笑みが大きくなる。
「オレに、むざむざ刈り取られるためにな。フハハハハハハハ!」
笑い声とともに黒い瘴気が膨れ上がり、周囲へ押し広がった。
冷気と圧力に包まれ、近くの兵が思わず後ずさる。兄上を倒した魔族が目の前に立っている事実まで重なり、整っていたはずの戦列に動揺が走った。
ブレジオンは兵たちの反応を眺めながら、さらに言葉を重ねる。
「最後のあれもよかったぞ。龍のようなものを撃ち上げてきた。あれを上から叩き潰すのは、なかなか面白かった」
剣を握る手に力が入った。
兄上との間に、温かな思い出はほとんどない。幼い頃から冷徹で、私に家族らしく接した記憶も少なかった。
それでも、あの真っ直ぐな兄を目の前で侮辱されれば、怒りは湧く。
そして、その感情こそがブレジオンの狙いだった。
恐怖も、怒りも、悲しみも、魔族は喰う。溢れさせた瘴気で揺さぶりをかけ、周囲に生まれた感情まで味わおうとしている。
「セレスティア」
父上に呼ばれ、剣を握る手から余計な力を抜いた。
父上の表情は変わらない。ブレジオンが何を求めているのか分かっているのだ。
「奴の言葉に乗るな。戦列を乱すな!」
父上の声が周囲へ通り、兵たちの視線が皇帝旗へ集まった。
「帝国の国是を忘れるな」
父上が剣を掲げる。
「――魔を、滅する」
「魔を滅する!」
真っ先に応じた近衛隊長に続き、中央軍の指揮官たちからも同じ言葉が上がった。
前衛へ伝わり、乱れかけていた兵たちが武器を構え直していく。
ブレジオンは、その様子を笑みを浮かべたまま眺めていた。
「そうこなくてはな」
父上は取り合わず、私へ視線を寄越す。
「戦えるか」
「戦えます」
「来い。隙を見て合わせろ」
5年間のことも、私がここにいる理由も、今は問われなかった。
父上が前へ出る。
同時に、中央軍の陣形が動いた。
前衛が盾を並べて防衛線を組み直し、後方の魔術師たちが左右の街路へ支援魔法を放つ。
溢れようとする魔獣は中央へ近づく前に押し返され、父上の周囲から他の敵が消えていった。
ベルコートは私より後ろで足を止め、中央軍の兵たちとともに左右から来る魔獣へ向き直った。
剣身へ大量の魔力が流れ込み、刃を覆う光が一気に密度を増した。攻撃力の強化へ大きく振った魔導剣だ。そのままブレジオンとの距離を詰める。
ブレジオンの拳と父上の剣が正面からぶつかり、衝撃で石畳が砕けた。
父上は力を受け止め続けず、剣の角度を変えて拳を外へ流す。そのまま踏み込み、胴を斬りつけた。
ブレジオンが腕を戻して受ける。瘴気と刃が激突し、父上の剣が弾かれた。
間髪を入れずに拳が返ってくる。
父上は半歩だけ位置を変え、肩すれすれでかわした。そこから再び斬りつけるが、今度はブレジオンが体を捻って外す。
速い。
巨体から繰り出される攻撃の1つ1つが重いだけでなく、次へ移るまでが短い。
父上も魔導剣を維持したまま何度も斬撃を重ねているが、ブレジオンは正面から受け、逸らし、時には避けながら拳を返してくる。
父上が一度、大きく踏み込んだ。
「帝式剣術――双牙」
一撃目がブレジオンの腕へ叩き込まれる。守りを外へ押し開き、二撃目がほとんど間を残さず首へ向かった。
だが、ブレジオンの腕が戻った。急所へ届く直前で剣を受け止め、そのまま力任せに押し返す。
父上は体勢を崩さず距離を取り、すぐに構え直した。
双牙は、一撃目で守りを崩し、二撃目で急所を断つ。その二撃の間を限界まで消した帝式剣術の連撃だ。それでも、ブレジオンの守りは二撃目まで残っていた。
父上は再び接近し、拳を剣で逸らす。
その勢いを利用して間合いを広げると、まだ足が止まりきる前から詠唱へ入っていた。
「燃え盛る炎よ、形を成せ。
我が意志を貫く槍となり――
圧せ。熱を重ねよ。
一点に集いて撃ち穿て――
《炎槍》」
火が一点へと収束していく。炎槍は中級魔法だ。私も術式そのものは知っている。
けれど、目の前で形を成したものは、私の知る炎槍とは密度が違っていた。
本来の術式へさらに収束を重ね、その上から魔力を注ぎ足している。
完成した炎は通常より細く絞られ、周囲へ漏れる熱さえ少ない。既に完成された術式へ、詠唱の途中から別の処理を割り込ませている。
こんな真似を戦闘中にできる魔術師など、そうはいない。
炎槍が一直線に放たれる。ブレジオンは避けず、瘴気をまとわせた腕を前へ出した。
圧縮された炎が正面からぶつかり、激しく弾ける。
凄まじい熱波と衝撃が戦場を吹き抜けた。私は思わず腕で顔を覆い、風圧に耐える。
砕けた石畳の破片が幾つも横を通り過ぎ、後方の防壁に突き刺さった。ただの一撃で、周囲の地形が変わる。
巻き上がった熱風の中で、父上は着弾を待っていなかった。炎の向こうへそのまま踏み込む。
「帝式剣術――双牙」
一撃目が、炎槍を受けた腕へ叩き込まれた。守りを外へ押し開き、二撃目が首へ走る。
届くかと思った。
だが、ブレジオンの腕が戻る。二撃目が急所へ届く直前で受け止められ、剣が外へ弾かれた。
続けて放たれた拳を父上が受け流し、再び距離を取る。
炎槍は、目くらましと体勢を崩すための布石だった。
中級魔法の極大火力を至近距離で受けさせ、腕が上がったほんの一瞬の死角へ、帝式剣術の連撃を叩き込む。
並の戦士なら炎を受けた時点で終わっている。仮に防げたとしても、続く連撃までは対応できないはずだった。
炎が消えた。
ブレジオンの腕には浅い傷が1つ。極限まで圧縮し、さらに出力まで重ねた炎槍を正面から防がせても、双牙を通すだけの隙は作れなかったのだ。
父上はすぐに剣を構え直す。
帝式剣術も、魔導剣も、魔法も、そのすべてが人族では最上位クラスにあるはずだ。
それほどの父上を相手にしても、ブレジオンは余裕を崩さず笑っていた。兄上を倒したあとも、剣と魔法を受け続けながら。
人族が『絶望の鬼災』と畏怖したブレジオンの底は――まだ、まるで見えなかった。
次回更新は 10/30(金)予定です。




