第66話 潰された光
魔獣の群れが左右へ割れていく。
先ほどまで帝国軍へ殺到していた個体まで進路を変え、中央に1本の道を空けていた。
その奥から、2本の角を持つ大柄な人型魔族がゆっくりと歩いてくるのが遠目に見えた。
前方では兄上の部隊がすでに動き始めていた。上級魔族との戦いで崩れた隊列を組み直し、前衛が横へ広がる。
その後方では魔術師たちが新たな詠唱に入り、兄上も部隊の中央に残っている。
ついさっきまで上級魔族と正面から戦い、周囲の兵も明らかに減っている。それでも部隊は退かず、新たに現れた魔族へ向き直った。
「急ぎます!」
私はベルコートと大通りを走った。
その間にも帝国軍の攻撃が始まる。
後方から放たれた炎が人影へ向かい、続いて巨大な土塊が飛んだ。少し前まで魔獣の群れをまとめて吹き飛ばしていた魔法が、今度は1体へ集中する。
黒い瘴気がその周囲から膨れ上がった。
炎は触れたところから形を崩し、土塊も瘴気へ入った途端に砕け散る。さらに別の魔法が続いたが、黒い中心まで届くものはなかった。
左右へ逸れた炎だけが後方の魔獣へ落ち、何体もの影を巻き込んでいく。
「1つも……届かない?」
思わず声が出た。
あれだけの魔獣を削り、上級魔族の瘴気にも食い込んでいた魔法が、目の前の1体には届いていない。
帝国軍は攻撃を重ねた。
内燃錬成を使った兵たちが左右へ分かれ、黒い影を囲むように動く。複数の方向から一斉に踏み込んだところで、中心から瘴気が膨れ上がった。
集まった兵たちがまとめて弾き飛ばされる。
空いた場所へ後続が入り、その頭上を新たな魔法が越えていく。炎が正面へ落ち、左右には土の壁がせり上がった。
黒い瘴気がその両方を押し潰し、そのまま前衛まで呑み込んだ。内燃錬成を使っていた兵たちまで押し戻され、中央を割り続けていた部隊の進撃が止まる。
それでも帝国兵は退かなかった。
押し返された者の前へ別の兵が入り、もう一度左右から踏み込む。後方からも魔法が途切れず飛び続ける。
何度攻撃を重ねても、大型魔族はほとんど位置を変えていない。
魔獣すら距離を取っていた。帝国兵へ向かっていた群れが黒い瘴気を避け、左右の戦線へ流れていく。
敵味方が入り乱れる戦場の中で、その魔族の周囲だけが大きく空いていた。
その中央へ、ひときわ大きな魔力をまとった人影が進んでいく。兄上だ。
黒い人影が腕を振った。
瘴気が前方へ叩きつけられ、石畳が大きく砕ける。近くにいた兵たちが土煙に呑まれ、それまで密集していた帝国側の戦列が一気に押し戻された。
それでも兄上は前に残っている。
左右から兵が加わり、後方からも魔法が飛ぶ。黒い瘴気が広がるたびに何人もの兵が押し戻され、その空いた場所へまた別の兵が入っていった。
攻撃を重ねるほど、兄上の周囲に残る人数が減っていく。
それでも兄上の大きな魔力だけは、黒い瘴気の正面から退いていなかった。
私はさらに速度を上げる。
中央まではまだ距離がある。そこへ、押し出された魔獣が脇道から流れ込み、私たちの進路を塞いだ。
牙狼が正面から跳びかかる。
私はその下へ潜り込むように踏み込み、すれ違いざまに首を斬った。
左から来た魔獣にはベルコートが入り、振り下ろされた前脚をかわして脇腹を斬りつける。
「セレスティア様、先へ!」
「ベルコートさんも来てください」
倒れた魔獣の間を抜け、2人で中央へ走る。
「第一皇子殿下の部隊、かなり削られています」
ベルコートの言う通りだった。黒い瘴気が広がるたびに前の兵が押し戻され、その穴を後ろの兵が埋めている。最初に見た時より、前に残る人数は明らかに減っていた。
「それでも、兄上はまだ前にいる」
「ええ。殿下のいる位置だけは、ほとんど変わっていません」
後方からまた炎が飛び、黒い瘴気へぶつかった。間を置かず別の魔法も続き、前衛がそれに合わせて踏み込む。
「……異常です」
ベルコートが前方を見たまま言った。
「この数の上級魔法を、あれだけ続けて撃ち込んでいるんですよ。王国軍との戦いで同じだけの火力を集中されたら、前線を維持するだけでも相当厳しい」
「そうですね」
王国軍にも上級魔術師はいる。けれど、これだけの数から途切れず撃ち込まれれば、防御へ回る魔術師を増やすしかない。その分だけこちらの攻撃は減り、前衛も魔法を警戒しながら戦うことになる。
王国軍が相手なら、これだけで戦線を押し込める火力だった。
その魔法が今は、たった1体へ集まっている。
さらに炎が落ちた。続いて地面が隆起し、大型魔族の周囲へ土塊が押し寄せる。
黒い瘴気が広がる。
炎が崩れ、土塊が砕けた。その中から大型魔族の影が変わらず前へ出てくる。
「それを1体で受け続けて、まだ前に出てくる……」
前方では再び数人の兵が踏み込んでいた。黒い瘴気が広がると、そのうち何人かが押し戻される。残った兵が前に出て、兄上の周囲を固めた。
「上級魔族……なのでしょうか」
「分かりません。ですが、先ほど第一皇子殿下が倒した個体とは、強さが違いすぎます」
上級魔族との戦いでも、兄上の部隊は何度も押し返された。それでも魔法は瘴気を削り、兵たちの攻撃も届いていた。戦いが続くほど少しずつ前へ進み、最後には兄上が討ち取った。
今度は、帝国軍の方だけが削られている。
兄上の周囲にいた兵がまた減った。
「このまま続けば……」
「先に部隊が持たなくなります」
ベルコートの言葉とほぼ同時に、前方で黒い瘴気が大きく広がった。
何人もの兵が後ろへ押し戻される。その中でも兄上の大きな魔力だけは前に残り、すぐにまた黒い影へ近づいていく。
「兄上……」
近づくほど瘴気の圧が強くなった。
息を吸うたび、喉の奥まで冷える。前方では兵たちがまだ戦い続け、押し返されるたびに別の兵が前へ入っていた。
後方からは魔法が絶えず飛んでいる。それでも黒い瘴気の中心は崩れない。
少し前まで上級魔族を討ち取り、魔獣の大群を中央から押し割っていた最精鋭部隊が、今はその場を維持するだけで精一杯だった。
その正面で、兄上だけが退かずに立っている。
兄上の周囲に集まる魔力が、急激に膨れ上がった。
周囲にいた兵たちが距離を取り始める。
私たちも中央の戦列まで近づいていたが、兄上のいる場所はさらに先だった。
兄上を中心に、さらに魔力が集まっていく。
次の瞬間、膨大な光が一気に上へ噴き上がった。
黒い瘴気へ食い込みながら、巨大な光が空へ駆け上がる。
大きくうねりながら昇った光が、巨大な龍の輪郭を作った。
帝式剣術の奥義。
幼い頃から、兄上が振るうあの剣を何度も見てきた。光の龍が放たれれば、相手は立っていられない。
私にとって、それほど強い兄上の剣だった。
そのまま黒い瘴気を押し退け、大型魔族へ迫る。
今までほとんど動かなかった黒い瘴気が、初めて大きく押し込まれた。
光の龍がさらに上へ伸びる。その勢いのまま届くと思った。
大型魔族が腕を振り下ろす。
頭上に集まった瘴気が厚い黒となって落ち、昇っていた光を正面から押さえ込む。
兄上の魔力がさらに膨れた。光が押し上げ、黒い瘴気が上から押し潰す。
拮抗したのは一瞬だった。
黒い圧力が沈み始める。
龍の頭が押し潰され、長く伸びていた光の輪郭も上から順に崩れていく。
「そんな……」
兄上の魔力がもう一度膨れた。
それでも黒は止まらない。
龍の形を保っていた光が押し縮められ、耐えきれなくなった魔力が四方へ弾けた。
黒い圧力はそのまま地面まで落ちる。
轟音とともに大通り全体が揺れ、砕けた石と土煙が高く噴き上がった。兄上のいた一帯が、その中へ消える。
「兄上!」
土煙が流れ始める。
兄上がいた場所へ目を凝らすが、姿は見えない。
心臓が大きく跳ねた。その奥から、黒い瘴気が再び膨れ上がる。
私は中央へ向かって走った。
次回更新は 10/23(金)予定です




