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無名の風鈴剣 ~消えかけの少年に、天才魔導技師と皇女が激重感情を向けてくる~  作者: 風紋
第二章 遺された風理の剣と、戻れない皇女

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第60話 呼ばれた偽名

5年前の人物が追加で出てきます!


◇◇◇◇◇◇◇◇


人型魔族は、ただ殺すために人前へ現れるのではない。

名を告げ、姿を見せ、恐怖が広がるのを待つ。

彼らにとって恐怖は、糧(かて)であり、力である。


――王国軍事教範『対魔王災禍篇(さいかへん)』

 『キュリオン・アルセイフ戦災記録』より引用


◇◇◇◇◇◇◇◇


 ラディスの拳が石畳を砕いた。

 振り下ろされる直前に軌道を外すと、砕けた石片が背後へ散った。ラディスは追撃より先に私の位置を確かめ、その隙へグスタフの銃弾が飛ぶ。

 乾いた銃声に反応してラディスが首を傾けたところへ、グスタフが右から踏み込んだ。剣が脇腹を薙(な)ぎ、まとっていた瘴気を削る。


「鬱陶(うっとう)しいな」


 ラディスが腕を振るう。

 グスタフは追われる前に離れ、今度は私が前へ出た。ラディスの視線がこちらへ向けばグスタフが狙い、グスタフを追えば私が急所を狙う。

 ヌエドを倒してから、ラディスは明らかに私の剣を警戒していた。それでも、2人を相手にしながら決定的な隙は見せず、強烈な拳を返してくる。


「姫様」


 ラディスと距離が開いたところで、グスタフが聞いてきた。


「さっきの下級魔族ヌエドは、簡単に斬れたか?」

「斬ること自体は簡単でした」


 グスタフの眉が少し上がった。


「……簡単?」

「はい」


 一瞬だけ私を見てから、煙草を咥(くわ)え直す。


「そいつは、ずいぶん頼もしいな」


 ラディスが再び踏み込んできたため、会話はそこで途切れた。

 瘴気を集めた右腕が大きく膨らみ、拳が正面から迫る。まともに受ければ、内燃錬成を使っても支えきれない。

 私は体をずらして拳の外へ出たが、ラディスは深追いせず、私の剣が届く前に体勢を戻した。


 先ほどまでのような力任せの攻め方ではない。ヌエドを一撃で倒したことで、こちらの攻撃を警戒している。

 その時、別の通りから怒鳴り声が聞こえた。


「負傷者を先に行かせろ!」

「後ろ、来るぞ!」


 複数の足音がこちらへ近づいてくる。ラディスも気づいたらしく、攻撃の手を緩めないまま視線だけを向けた。

 通りの奥から現れたのは、10人ほどの冒険者だった。


 何人かが負傷者を支え、その周囲を残った者たちが固めている。武器にも衣服にも血がつき、息を切らしている者が多い。

 それでも隊列は崩さず、後方から迫る魔獣を牽制しながら下がっていた。

 最後尾にいた男が、追いついてきた突砕猪(ブレイクボア)の突進を横へ外し、勢いのまま剣を叩き込んだ。魔獣の頭が大きく振れたところへ、別の冒険者が槍を突き立てる。


「止まるな! あいつらが来る!」


 男が振り返り、こちらを見た。

 5年前、凍て街にいた冒険者だった。顔までははっきり覚えていなかったが、ジルと以前から知り合いだった男。確か、ルークという名前だった。

 向こうも私に気づいたらしく、驚いたように目を見開く。


「……リン?」


 その名を自分へ向けられ、反射的にルークを見返した。

 私をそう呼んだことがあるのは、クロードとジルだけだった。ルークとは5年前に言葉を交わしたことすらない。

 ただ、あの2人が私をリンと呼ぶところを聞いていたのだろう。それでも、クロードとジル以外の口から直接その名を呼ばれるのは、妙な感覚だった。


 ルークの目が私の服へ移り、続いて近くにいるベルコートたちを見る。

 王国軍の装備をした者が何人もいる。この場にいる私の装いも、帝国軍のものではない。

 ルークの表情がみるみる険しくなった。


「お前、王国人だったのかよ……!」

「違う!」


 反射的に否定したが、ルークは周囲を見回して声を荒らげる。


「どこが違うってんだ! 嘘も大概にしろよ!?」

「私は――」

「5年前、お前が消れたあと、軍も憲兵も俺のところに何度来たと思ってる! あのエーテル砲を撃った奴を知ってるか、どんな顔だった、どこへ行ったって……何度もだ!」


 知らなかった。

 あの時の私は、身元を探られる前に凍て街を離れることしか考えていなかった。


「何者なのかは誰も言わなかった。ただ、とんでもなく重要な奴を探してるってことだけは分かった。なのに5年ぶりに出てきたと思ったら、王国の連中と一緒にいるじゃねえか!」

「違います。私は王国人では――」

「だったらジルはどこだ!」


 言葉を遮(さえぎ)られた。ルークの声から、さっきまでとは違うものが滲んでいた。


「ジルは、お前を匿うために必死だったぞ! 軍に見つかるかもしれねえのに、お前たちのことを黙ってろって俺にまで頼みに来た。あいつは今どこにいる!?」


 答えられなかった。

 アズライトにいる赤の魔女が、ジルである可能性は高い。でも、まだ会っていない。本当にジルなのか、今も無事なのか、自分の目では確かめられていない。

 それに、この場でルークへ何をどこまで話していいのかも判断できなかった。


 私が黙ったままでいると、ルークの顔から怒りが消え、代わりにみるみる血の気が引いていった。


「……おい」


 さっきまでの勢いが嘘のように、声が掠れる。


「まさか……」


 その先を、ルークは口にしなかった。けれど、彼が最悪の想像に行き着いたことだけは伝わってきた。

 5年前、ジルは私を匿(かくま)った。その後、ジルもクロードも姿を消し、5年経った今、私だけがここにいる。

 ルークの目に再び怒りが宿った。先ほどよりも重く、鋭いものが混じっている。


 私は、それを否定する言葉を持っていない。

 その間にも、残った冒険者たちは負傷者を連れて私たちの後方へ抜けていく。追手はまだ通りの奥にいたが、地面を叩く重い足音は確実に近づいていた。


「ルーク! 来るぞ!」


 仲間の声に、ルークが歯を食いしばって振り返る。


「……くそっ。今はこいつらが先だ!」


 彼らが撤退してきた通りの奥から、魔獣が数体姿を現した。その間を歩いてくる影が2つある。

 1体は獣じみた姿を残していた。前傾した胴体に長い腕、肩や背にはまばらな毛が生え、獣に似た顔から太い牙が覗いている。黒い爪の周囲には瘴気がまとわりつき、その目には魔獣とは違う知性があった。

 下級魔族だろう。


 その後ろから来るもう1体は、ラディスと同じように人の形を保っていた。

 こちらの方がさらに大きい。2メートルを大きく超える体に、分厚い肩と太い首。灰黒い皮膚の額から2本の角が伸びている。

 人型魔族。この瘴気の圧なら、中級以上だろう。


 冒険者の1人が息を切らしながら叫んだ。


「下級は1体やった! だが、あの2体が出てきて2人持っていかれた! このままじゃ無理だ!」


 冒険者たちで下級魔族1体を倒し、そこへさらに人型と下級が現れた。だから撤退していたのか。

 角を持つ魔族が足を止め、こちらを見回した。


 ラディスと戦う私たち。撤退してきた冒険者。ベルコートたち王国兵。そして、私へ向けた感情を抑えきれていないルーク。

 魔族の口元がゆっくりと歪む。


「面白いな」


 何が面白いのか、尋ねるまでもなかった。

 私たちの事情を知っているはずはない。それでも、ルークから私へ向けられている感情が、ただの苛立ちではなくなったことを感じ取っているのだろう。


「名乗っておこう。ゼルガンだ」


 ゼルガンは2本の角を見せつけるように顔を上げた。


「生き残れたなら、俺の名を広めろ」


 隣にいた獣じみた下級魔族も、低く喉を鳴らす。


「ディグロだ」


 ゼルガンが1歩踏み出すと、冒険者たちの空気が張り詰めた。

 ルークも私への感情をいったん押し込み、剣を構える。

 その時、ラディスの拳をかわしたグスタフが、ルークへ目を向けた。


「……あの時の冒険者か。今、何級だ?」


 思わずグスタフを見た。あの時の冒険者。この2人は、以前に会っている。

 5年前、ジルの家へ来た憲兵と、私たちが凍て街にいたことを知っていた冒険者。その後、帝国軍は奈落谷まで来た。

 どうして、この2人が知り合っている。


「A級だ」


 ルークはグスタフの言葉に驚いた様子もなく答えた。

 その反応が、さらに引っかかった。


「十分だ」


 グスタフはそれ以上何も説明せず、ゼルガンへ視線を向ける。


「狙いはあの人型。彼女を死に物狂いで援護しろ」

「は?」


 ルークが顔をしかめた。


「何言ってんだ。リンを人型にぶつける気か?」

「そう言った」

「リン、下がれ」


 今度は私へ向けて言う。


「私は戦えます」

「人型だ! 最低でも中級魔族だぞ! あの時の魔獣とは違う!」


 5年前の私が戦えることを、ルークは知っている。クロードの剣を真似していたことも、最後にはエーテル砲でA級魔獣を倒したことも見ている。

 その上で、それでも無理だと言っている。


「先ほど下級魔族を一撃で葬りました。中級も、倒します」

「……一撃?」


 ルークが言葉を失う。

 グスタフがラディスから目を離さずに言った。


「本当だ。一太刀で首を落とした」

「……お前、5年前から何があったんだよ」


 ルークが私を見る。

 答える暇はなかった。ゼルガンがこちらへ歩き始め、その横ではディグロと魔獣たちも冒険者へ向かって動き出している。

 ベルコートたちが前へ出た。


「こちらで下級と魔獣を抑えます!」


 グスタフが短く頷く。


「頼む。人型を2体まとめて相手する方が面倒だ」


 ルークがラディスを見る。

 ヌエドを失ってなお、グスタフと私を相手に崩れていない人型魔族。


「1人で人型魔族を相手する気か?」

「そっちが終わるまでならな」


 私はグスタフを見る。


「こちらが終わるまで、持ちますか?」


 グスタフは煙草を咥えたまま、少しだけ笑った。


「30分もかからんでしょう?」


 その言葉に、ルークが呆れたような顔をした。


「お前ら、人型魔族を何だと思ってんだ……」

「危険な相手です」


 私はゼルガンから目を離さず答える。


「だから、早く倒します」


 ルークは何か言いたそうに私を見た。

 怒りは残っている。さっき浮かんだ最悪の想像も、消えてはいないはずだった。

 私も、グスタフとルークがどうして知り合っていたのか分からないままだ。その事実は、無視できるほど軽くない。

 それでも今は、目の前に人型魔族がいる。


「……本当にやれるんだな」

「はい」


 ルークは少しだけ黙ったあと、ゼルガンへ剣を向けた。


「なら、やるぞ」

「はい」


 ゼルガンは私たちを見ながら、楽しそうに笑っている。

 ゼルガンが石畳を蹴った。私とルークも、同時に前へ出た。



次回更新予定は 10/1(金)予定です


ルークは17話、19話、24〜27話あたりに出てきます。

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