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無名の風鈴剣 ~消えかけの少年に、天才魔導技師と皇女が激重感情を向けてくる~  作者: 風紋
第二章 遺された風理の剣と、戻れない皇女

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第59話 恐怖の輪郭


「……では、遠慮なく頼らせてもらいます」


 グスタフは煙草を咥(くわ)え直すと、通りの先へ魔導銃を向けた。


 崩れた荷車の向こうから、突砕猪(ブレイクボア)が2体続けて飛び出してくる。そのさらに上では、翼爪獣(ウィングラプター)が屋根すれすれを旋回していた。


「近衛さん、右の横道を見てもらえるか。あそこを抜かれると避難路へ回り込まれる」

「命令される筋合いはないが、こちらの偵察にも必要だ。引き受ける」


 ベルコートが王国兵たちを連れて右の横道へ走った。

 私はグスタフと並んで前へ出る。


 突砕猪(ブレイクボア)が頭を下げて突っ込んできたところへ、グスタフが左手の魔導銃を向けた。乾いた銃声が響き、実弾が片目を射抜く。頭を振った魔獣へ右から踏み込み、剣で急所を斬り裂く。


 その間にも、もう1体の足音が後ろから迫っていた。

 グスタフはちらりと見るや否や、銃口を返す。バシュ、と短い音とともに氷弾が前脚を捉え、踏み込んだ脚を崩された突砕猪(ブレイクボア)が勢いのまま石畳へ転がった。


「姫様、頼む」

「はい」


 一瞬、その呼び方が耳に残った。

 私はまだ名乗っていない。

 やはり、最初から気づいていたのだ。


 気を引き締め直し、私は倒れた魔獣の急所を薙いだ。

 顔を上げた時には、グスタフはもう別の方向を見ていた。屋根から降下してきた翼爪獣(ウィングラプター)へ実弾を撃ち込み、飛び方が乱れたところへ氷弾を重ねて片翼の動きを奪う。

 落ちた魔獣には憲兵が向かう。剣を使っている間にも銃口は別の敵を追い、銃を撃った直後には足元の魔獣へ剣が向く。どちらか一方へ意識が偏る様子がまったくなかった。


 強い。

 5年前、ベッドの下で声だけを聞いた憲兵からは想像していなかった。

 どこまでできる人なのか、まだ分からない。少なくとも、今まで私が見てきた兵士たちとは明らかに違っていた。


 この一角へ入り込んでいた魔獣を片づけると、ようやく通りに余裕ができた。遠くからは砲撃と咆哮(ほうこう)が絶えず聞こえているが、すぐ近くで武器を振るう音はいったん途切れている。

 憲兵たちは住民を南へ流し、壊れた荷車を道の端へ寄せ始めた。

 グスタフは魔導銃の弾倉を確かめながら、ふいに口を開いた。


「そういえばひとつ、お尋ねしてもよろしいですか。5年前、殿下が失踪された頃の話ですが」

「何でしょう」

「ジルという女性をご存じではありませんか。技師をしていた女です」


 思わず、彼へ視線を向けた。

 5年前、ジルの家へ来た憲兵。あの夜、消えかけたクロードを連れていかず、ジルに自分の名前と住所を残した人。


 今になって、彼の口からジルの名が出た。どこまで知っているのだろう。

 アズライトにいるルチアが本当にジルなのか確証はない。帝国憲兵に情報を渡すべきかという迷いもあった。


「……いいえ。ジルという女性は、知り合いにはいません」

「そうですか」


 グスタフはそれ以上追及せず、弾倉を戻した。

 それで話題は終わったのかと思った。


 しかし――


「生きてはいるのですか?」


 言葉が喉の奥に張り付いた。

 5年間、一度も確かめられなかった事実だ。それでも、彼女が死んだなどと思いたくはない。


「……そう願っています」


 答えてから、矛盾に気づいた。知らないと言った相手の生死を、私は願っている。

 グスタフはそこを指摘しなかった。煙草を吸い、目を細める。


「一緒ではないんですね」


 返す言葉がなく、私は口をつぐんだ。

 それだけで十分だったのか、グスタフは次の問いへ進む。


「帝国内ですか。それとも王国に?」


 どこまでなら言えるのだろう。

 目の前の男は、5年前にジルを見逃した。今も彼女の安否を気にしている。けれど、私はこの人をまだ信用しきれていない。


「――5年間、一度も消息は掴めませんでした。私も、死んだと思っていました」

「では、今は?」

「帝国内に、ジルではないかと思える女性の情報があります。ただ、本人だという確証はありません」

「どこですか?」


 それには答えられない。


「……言えません。ただ、すぐにでも行かなければならない状況です」


 グスタフの表情が変わった。

 舌打ちとともに煙草を地面へ落とし、靴底で踏み潰す。


「なら、なぜ王国軍として帝都へ来たんですか!」


 その言葉は、私自身が何度も心の中で繰り返していたものだった。

 本当なら、直接そこへ向かい、一刻も早く確かめたかった。


「……私だって、そうしたかった」


 グスタフが何かを言いかけたところで、北側から大きな破砕音が響いた。

 続くはずの怒号が聞こえてこない。それが妙だった。周囲では今も戦闘が続いているのに、その方向だけ音が薄い。

 私は剣を握り、グスタフとともに通りを進んだ。角を曲がった先で、血の匂いが一気に濃くなる。


 石畳には帝国兵や憲兵が倒れ、壁際や崩れた荷車のそばにも人が横たわっていた。起き上がる者はほとんどいない。

 そして、その奥から2つの人影が歩いてくる。

 距離が縮まるほど、背筋を這い上がるようなおぞましさが強くなった。


 冷たい風が吹いているわけではない。人間のマナとも、魔獣から感じるものとも違う。濁ったヘドロのようなものが空気へ溶け出しているような、触れることさえ避けたくなる気配。

 話に聞いていた瘴気(しょうき)だ。


 これが、魔族。


 先頭の男は大柄だった。肩と胸が異様なほど厚く、腕も人間のものとは思えないほど太い。それでも顔や骨格は人の形にまとまっている。人型でこの瘴気(しょうき)の強さ――中級レベルの魔族だろう。

 その後ろを歩くもう1体は、異形だった。

 背丈は2メートルに届かない程度だが、胴体が不自然に太く、短い首に頭が埋まって見える。長い腕の先には黒い爪が伸び、前腕だけが極端に発達していた。潰れた鼻と横に広い口、不揃いな太い歯を持ちながら、その目には獣とは違う知性がある。人の形が崩れかけている。瘴気の圧から、下級だろうか。


 近くにいた帝国兵10人ほどが、2体の前に隊列を作っていた。

 剣も槍も構えている。それでも、空気が重い。槍先が揺れ、前列の兵士たちの肩が異常な速さで上下しているのが遠目にも分かった。

 大柄な魔族が、その様子を楽しむように笑う。


「我が名はラディス。せいぜい絶望して死ね」


 後ろの異形も口を開く。


「ヌエドだ」


 ラディスが一歩踏み出した。それだけで兵士たちの隊列がじりじりと後退した。

 次の瞬間、巨体が一気に距離を詰める。瘴気をまとった腕が横薙ぎに振るわれ、先頭の兵士2人が鎧ごと吹き飛ばされた。石畳へ落ちた2人は、そのまま動かない。

 残った兵士が槍を突き出すが、ラディスは穂先を腕で弾き飛ばし、返す拳で3人目を胸から打ち抜いた。男の体が後列まで飛び、受け止めようとした兵士までまとめて地面を転がる。


 さらに前へ出ようとしたラディスの前で、1人の兵士が剣を上げた。

 足が小刻みに震えている。逃げたいのだろう。それでも、後ろには仲間がいる。


 ラディスの拳が引かれた。

 乾いた銃声が響き、実弾がその前腕を横から叩く。拳の軌道がわずかに逸れ、兵士のすぐ横を抜けた一撃が背後の壁を砕いた。


「下がれ。こいつは俺がやる」


 グスタフが兵士たちの前へ出た。ラディスが彼へ向き直る。


「ほう」


 ラディスがニヤリとするが、グスタフは答えず剣と魔導銃を構えた。


 その横で、ヌエドが私へ向かってきた。

 歩いてきているだけなのに、体がどうしても距離を取りたがってしまう。勝てるはずの相手。それでも、魔獣とはまるで違う危険度に感じる。

 ヌエドの黒い爪へ瘴気が集まり、その腕が振り上げられる。軌道は見えていたし、風理の剣なら半歩も動けば外せるはずだった。


 爪が迫った瞬間、私は想定より大きく横へ逃れていた。黒い瘴気が空を裂き、遅れて頬へ風が当たる。

 距離を取りすぎた。頭では理解しているのに、体が従わない。

 ヌエドは口を横に広げた。


「怖いか」


 低い姿勢から踏み込んでくる。今度は下から跳ね上げる爪だった。

 私は肩と腰の動きから軌道を読み、半身を外した。それで足りる。分かっていたのに、瘴気が近づいたところでもう半歩が勝手に出る。

 爪は遠い位置を抜けていった。命を刈り取られる。攻撃の威力とは別に、そんな圧だけがねっとりとまとわりついてくる。


 ヌエドはさらに踏み込んだ。左右から挟み込むように長い腕が迫り、私は一撃目を外して体を沈め、続く爪の下を抜ける。黒い瘴気が髪の上を通っただけで、背筋に鋭い悪寒が走った。


「魔族は初めてか?」


 グスタフの声が飛んできた。ラディスの拳を剣で逸らしながら、こちらへ一瞬だけ視線を向けている。


「はい」

「そいつはギルフォード殿下よりもだいぶ格下だ。焦るな。隙を狙えば勝てる」


 それだけ言うと、再びラディスへ向き直った。


 ヌエドが追ってくる。さっきまでより、その動きを落ち着いて見ることができた。

 肩が入り、重心が前へ移る。そこから伸びてくる腕の軌道に合わせ、今度は必要な分だけ体を外した。

 爪がすぐ横を抜ける。嫌な寒気は消えない。体も、もう少し離れたがっている。それでも足を余計には動かさなかった。


 振り抜いた腕に引かれて、ヌエドの体勢が前へ流れる。

 その隙へ踏み込む瞬間、内燃錬成を使った。全身へ一気に力が満ちる。

 ヌエドの目が見開かれた時には、もう剣を振り抜いていた。首が胴から離れ、巨体が勢いを失って石畳へ崩れ落ちる。


「……ヌエド?」


 ラディスの声が聞こえた。グスタフと交戦していたため、こちらの一撃は見ていなかったのだろう。

 倒れたヌエドと、その傍らに立つ私を見て、ラディスの笑みが消えた。今度は、はっきりと私を見ている。


 グスタフの銃口から青白い閃光が弾けた。ラディスがこちらへ注意を向けた隙に、氷弾が脇腹を捉える。瘴気で覆われた皮膚に氷が広がり、ラディスが苛立(いらだ)ったように腕で砕いた。


「よそ見してる場合か?」


 グスタフが笑う。


 ラディスは返事をせず、私とグスタフの間へ視線を走らせた。さっきまでの余裕が薄れている。

 私はグスタフの横へ入った。

 ラディスが腕を引くと、瘴気が肩から拳へ集まり、輪郭(りんかく)が一回り大きくなる。近づくだけで嫌な寒気が増した。それでも、今度は必要以上に下がらない。


 拳が振り抜かれる直前に軌道から外れると、ラディスの目がすぐに私を追った。

 その瞬間、横から実弾が飛び、肩を叩く。

 ラディスがグスタフへ向いたところへ私が踏み込み、剣を振るう。瘴気をまとった腕で受けられ、重い衝撃が返ってきたため、押し合わずに刃を滑らせて間合いを外した。


 ラディスが追おうとすると、今度はグスタフの剣が入る。

 私が動くたびにラディスの注意がこちらへ寄り、そのたび別の方向からグスタフの攻撃が差し込まれていた。偶然には見えない。グスタフは、ラディスが私を警戒していることまで利用している。

 それでもラディスは崩れなかった。巨体に似合わない速さで2人の攻撃を捌(さば)き、瘴気をまとった拳を振るうたび、石畳や壁が砕けていく。


 ヌエドとは、明らかに違う。これが中級魔族の強さなのだろう。

 そして、その相手と正面から渡り合うグスタフもやはり、どこまで強いのか分からなかった。


次回更新は 9/29(火)予定です。

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