第58話 ローデン町
あの人が再登場します!
第一章の【7話】と【8話】と【21話】をご参考ください。
北門を抜けた途端、音が変わった。
城壁に遮られていた爆発音が、今度は空気ごと体にぶつかってくる。怒号と剣戟、魔獣の咆哮が入り交じり、地面には絶えず細かな震動が走っていた。
門の外では、負傷兵を乗せた荷車が列を作っている。その脇を、武器を手にした兵や冒険者たちが北へ急いでいた。
遠くには、帝都外縁部を囲む防衛柵が見える。
何重にも並べられていた木柵は、北西側の一部が大きく崩れていた。折れた木材の向こうから煙が上がり、ときおり魔術の光が弾ける。
「これだけ確認できれば十分です」
王国の騎士が言った。
「帝国が魔獣と交戦していることは確認できました。救援要請も事実でしょう。ここから先は、我々が決めることではありません」
騎士は北西の煙へ目を向けた。
「ユリウス殿下のもとへ戻り、参戦するか否か、判断を仰ぐべきです」
彼らの任務は、帝都で起きていることを確認し、ユリウス殿下へ持ち帰ることだ。
「分かりました」
私は答えた。
「では、殿下も」
「私は残ります」
騎士が口を閉じた。
遠くで爆発が起きた。黒い煙がひとつ増える。
「ここまで来て、戻るつもりはありません。私は戦います」
「しかし――」
「ユリウス殿下には、可能であれば王国軍にも参戦してほしいとお伝えください」
騎士はしばらく私を見ていたが、やがて頭を下げた。
「承知しました」
「お待ちください」
別の声が入った。近衛の装備をした騎士だった。
「我々が確認したのは、交戦の事実までです」
先ほどの騎士が振り返る。
「敵の規模も、戦線がどこまで広がっているかも分かっていません。魔族がいるという話も、まだ目撃情報だけです。このまま戻っても、兵をどれだけ動かすべきか判断する材料が足りません」
「全員で残る必要はないだろう」
「ええ。半数を戻しましょう。私は残ります」
何人かが周囲を見回した。
短いやり取りのあと、隊は二つに分かれた。
5人が北門へ戻り、5人が残る。
残った者のうち、2人は近衛の装備だった。
帝国兵の一人が、北西へ伸びる道を指した。
「ローデン町方面が一番ひどい! 柵を破られて、町の中まで入られている!」
「魔族は?」
「人型を見たって話はあります! 俺は直接見てません!」
兵は負傷者を運ぶ列へと戻っていった。
再び北西へ走り、崩れた防衛柵へ向かう。
途中で、先ほど残留を申し出た近衛騎士が私の横へ並んだ。
「そういえば、名乗っておりませんでした」
走りながら言う。
「ベルコートです。ユリウス殿下の近衛を務めています」
「セレスティアです」
一応、そう返す。
ベルコートが口元を緩めた。
「存じております」
崩れた柵を越えた。
その先に、ローデン町があった。帝都の城壁外に広がる町だ。
木と煉瓦の家が通りに沿って並び、商店の軒先には荷箱や樽が残されている。逃げる途中で落としたのか、衣服や荷物が道の端に散らばっていた。
町の中央から、魔獣の咆哮が響く。
大きな猪に似た魔獣が、通りを横切った。ブレイクボアだ。太い四肢と硬い皮膚を持ち、頭を低く構えて突進してくる。
その後ろから、さらにもう1体。加えて屋根の上を、2本の脚と翼を持つウィングラプターが、長い尾を振りながら旋回していた。
「来るぞ!」
声が飛んだ。
町角に、5人の憲兵がいた。槍と剣を手に、倒した荷車を盾代わりにしている。武器も防具も使い込まれていた。
5人は避難路の前に並び、破られた荷車の隙間を塞いでいる。
「右を塞げ! そっちは避難路だ!」
「分かってる!」
「上だ!」
ウィングラプターが急降下した。
憲兵の一人が内燃錬成を回し、地面を蹴って体ごと横へ飛ぶ。鉤爪が石畳を鋭く削り取った。別の憲兵が槍を突き上げ、穂先が翼を掠める。ウィングラプターは高度を上げ、屋根の向こうへ回り込んだ。
その隙に、ブレイクボアが盾代わりの荷車へ突っ込んだ。
木材が弾け飛ぶ。
「散れ!」
憲兵たちが左右へ跳んだ。
ブレイクボアが首を振り、避難路へ向きを変える。
私は内燃錬成で地面を蹴った。
一息で距離を詰め、抜き放った剣を真横から首の隙間へ叩き込む。硬い皮膚を抜け、刃が深く沈んだ。
ブレイクボアの巨体が傾き、勢いのまま数歩進んで道の端へ倒れ伏す。
「皇女……?」
憲兵の一人が私を見た。
「前を!」
ベルコートの声が飛ぶ。
もう1体が迫っていた。ベルコートが踏み込み、振り上げられた牙の軌道から半身を逸らすと、剣を前脚の内側へ滑らせた。
血が走る。
ブレイクボアが姿勢を崩したところへ、ベルコートは横へ回り込んで進路を塞いだ。
「今です!」
憲兵2人が左右から槍を突き込む。
一人は脇腹へ。もう一人は首の下へ。だが魔獣が暴れ、槍ごと男を振り飛ばした。
「ぐっ!」
壁へ叩きつけられる。
別の憲兵がすぐに前へ出た。その背後を、怯えた住民たちが南へ走っていく。
「通すな!」
誰かが叫んだ。
私は次の魔獣へ向かう。頭上で翼が鳴った。ウィングラプターが再び降下してくる。
剣を向けた、その時だった。
乾いた銃声が響いた。
ウィングラプターの頭が跳ねる。続けて青白い光が走り、片翼を氷が覆い尽くした。体勢を失った魔獣が屋根へ突っ込み、無数の瓦が崩れ落ちる。
通りの向こうから、一人の男が歩いてきた。
右手に剣。左手には魔導銃。口には煙草を咥え、憲兵の制服を着ている。
「避難路の真ん中で固まるな。まとめて食われるぞ」
煙を吐きながら、男が歩いてくる。
「グスタフさん!」
壁際の憲兵が声を上げた。
「立てるなら持ち場へ戻れ。無理なら南へ行け」
「いけます!」
「なら働け」
男の視線がこちらへ向いた。
私を見て、その横にいる王国兵へと移る。
煙草を咥えたまま、男は全員――近衛の徽章を含む王国軍の装備――を一通り見た。
ベルコートが剣を握り直す。
「……これはまた、随分と妙な顔ぶれだな」
男が煙を吐いた。
「加勢と判断して良いか?」
近衛の一人が答える。
「加勢するかの判断のため、状況を確認しているところだ」
「魔族もいるんでね。そんなぬるい判断力じゃ死ぬぞ。帰れ」
「私は加勢します」
ベルコートが一歩前へ出た。
「それに、王国の力も必要では」
「借りたネコの手が実はブタだったら、エサになるだけなんでね」
「貴様、王国を何だと……!」
ベルコートが男を睨みつける。
男が魔導銃を腰のホルスターへ戻した直後、内燃錬成を発動した。
ベルコートも反応した。剣を動かしかける。
だが、その時にはすでに、男の左手がベルコートの肩に置かれていた。
「その気概だ」
男が笑う。
「近衛さんよ。死ぬなよ?」
手が離れる。ベルコートは男を睨んだまま、剣を下ろした。
「……忠告として受け取っておこう」
「そうしてくれ」
男は腰から魔導銃を抜き、今度はこちらへ向き直った。
「憲兵のグスタフだ。住人を逃がすために、魔獣を食い止めてもらえると助かる」
グスタフ。
5年前、ジルの家で聞いた名前だった。
私はベッドの下に隠れていたから、顔は知らない。
けれど、その声には覚えがあった。
消えかけたクロードを前に、ジルの願いを聞き入れ、最後に自分の名前と住所を残していった憲兵。
あの時の男だ。
「私は加勢します」
グスタフはすぐには答えなかった。
煙草を指で挟み、探るように私の目をじっと見つめてくる。
私は、その視線をまっすぐ受け止めた。
「……では、遠慮なく頼らせてもらいます」
次回更新は 9/25(金)予定です




