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無名の風鈴剣 ~消えかけの少年に、天才魔導技師と皇女が激重感情を向けてくる~  作者: 風紋
第二章 遺された風理の剣と、戻れない皇女

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第57話 帝都ガレリア

セレスティア視点に戻ります

 帝都ガレリアが見えたのは、12月16日の朝だった。


 最初に届いたのは、白い城壁の威容ではなかった。

 警報の音だった。

 低く、長い音が、冷たい風に混じって流れてくる。しばらく途切れたかと思えば、また鳴る。近づくほどに、その響きははっきりと耳に届いた。


 私は馬上で、帝都を見た。

 南門は閉ざされている。城壁上には守備兵もいる。だが、王国軍を迎え撃つには薄い。

 門前に並ぶ兵の数も、城壁上に控える弓兵や魔導兵の数も、帝都の正面防衛としては足りていなかった。


 警報がまた鳴った。

 私は、その音を知っていた。帝都の警報は、敵が来たことを知らせるだけではない。音の長さと間隔で、民が取るべき行動まで変わる。

 人間同士の戦争なら、基本は死守だ。市民は屋内に入り、兵は持ち場を固める。

 魔物注意報なら、出歩きは禁止される。魔獣が近づいていても、帝都の防衛で抑え込めると判断された時の音だ。


 今鳴っているものは、そのどちらでもなかった。

 魔族警報。

 防衛しきれない可能性がある時だけ、帝都全域に鳴らされる音だ。胸の内側が冷える。

 帝都が、民に逃げろと告げている。


「防衛が薄いな」


 クロイツ少佐が呟いた。

 王国軍の前列も、すぐには動かなかった。帝国側に余裕がないことは見える。けれど、それが罠ではないとは言い切れない。

 防衛を薄く見せて誘い込む。門の内側で包囲する。皇族や重要物資を逃がす時間を稼ぐ。どれもあり得る。


 その時、南門の上に白い布が掲げられた。

 降伏の白旗には見えなかった。

 形だけは白旗だ。だが、門の上で振っている兵の動きは整っていない。作法に従った交渉ではなく、撃たれないために必死で合図しているように見えた。


 やがて、南門の外へ1人の帝国兵が走り出てきた。

 甲冑は汚れ、肩で息をしている。正式な使者というより、伝令に近い。王国側の弓兵が弦を引いたまま、彼を狙った。

 帝国兵は両手を上げ、白布を握りしめたまま叫んだ。


「王国軍か! 攻撃するな! 今は、そちらと戦っている場合ではない!」


 ざわめきが広がる。


「帝都北側外縁部に魔族が出た! 魔獣もいる! 襲撃は夜明け前から続いている!」


 私は息を呑(の)んだ。やはり、あの警報は間違いではない。


「停戦でも降伏でも、何でも後でいい! 頼む、今は帝都を助けてくれ!」


 王国側の諸将は、すぐには信じなかった。

 南側からは、魔族の姿など見えない。帝都の内側で何が起きているのかも分からない。見えるのは、閉ざされた南門と、落ち着かない帝国兵だけだ。

 ユリウス殿下が、私を見た。


「セレスティア殿下」

「確認します」


 答えは、ほとんど同時に出ていた。

 ここで本軍を動かすことはできない。王子を門の中へ入れることもできない。けれど、何が起きているかを見なければ、王国軍は判断できない。


 私は馬を下りた。


「私が行きます。少数の斥候(せっこう)を付けてください」

「罠の可能性はあります」


 クロイツ少佐が言った。


「分かっています」


 私は南門を見た。

 帝国兵が、白布を握ったままこちらを見ている。敵を見る目だった。けれど、それ以上に、時間がない者の目をしていた。


「それでも、行かなければ分かりません」


 王国側として、10名ほどの斥候が選ばれた。

 伝令の帝国兵が合図を送ると、南門が必要な幅だけ開かれた。そこから私たちは帝都の内側へ入り、西地区を抜けて北区へ向かう経路を取った。

 南から東側には大運河が通っており、いくつか橋はあるものの、軍や避難民が入り乱れる状況では進軍に向かない。地形上、西を経由する方が確実に北へ抜けられるからだ。

 罠を警戒して、斥候たちは常に周囲を見ている。屋根。窓。路地。帝国兵の配置。


 私は歩幅を広げた。内燃錬成を回す。

 体の奥で熱が灯り、脚へ流れる。石畳を蹴る音が短くなった。後ろの斥候たちがついてこられる限界を確かめながら、速度を上げる。


 西地区は、帝都の中でも生活の匂いが濃い場所だった。

 通りには日用品を扱う店が並び、軒先には籠や布、油壺、鍋が残されている。普段なら、朝から荷車と買い物客で混み合うのだろう。

 今は、その道を人々が西へ向かって進んでいた。


 母親が子供の手を引く。若い男たちが荷車を押す。老人を支えながら歩く女もいる。声は多いが、群れが崩れているわけではない。憲兵らしき者が角に立ち、通る道を指示していた。

 私は、その流れと逆に走る。

 すれ違う民が、私を見る。王国軍の者として見たのか。皇女として見たのか。それを確かめる余裕はなかった。


 西地区の途中に、小高い場所があった。北へ向かう最短の道は、そこを通っている。

 石段と坂道が続き、上がるにつれて視界が開けた。

 遠くに、大運河の水面が見えた。足が、わずかに鈍る。


 かつて、私はあの向こうへ行きたいと願った。対岸へ。追手の届かない場所へ。

 夕暮れの水路。小舟。ジルの声。そこまでは覚えている。

 でも、クロードのことだけが抜けている。


 あの夜、クロードはそこにいた。私を助けてくれたのは、ジルだけではなかった。

 状況を知れば、分かる。それなのに、私は思い出せない。

 クロードの前で、覚えていると言った。助けてくれたのはあなたなのだと、覚えているふりをした。

 忘れてしまったとは、言えなかった。


 警報が鳴った。

 私は奥歯を噛み、視線を北へ戻す。今は、止まれない。

 坂を下り、北区へ入ると、人の流れはさらに濃くなった。


 北区から西地区の門へ向かう民と、真正面からぶつかる形になる。憲兵たちが街角に立ち、荷車と徒歩の列を分けていた。

 1人の憲兵が、私たちに気づく。小隊長章を付けていた。


「そちらは危険です! 北門方面への通行は規制中です!」

「確認に向かいます。道を空けてください」


 私が言うと、小隊長は一瞬だけ息を詰まらせた。すぐに膝を折りかける。


「皇女殿下……!」

「礼は不要です。民を西へ」

「はっ!」


 小隊長が立ち上がり、声を張った。


「道を空けろ! 負傷者は右へ! 荷車は止めるな!」


 人の流れが、少しだけ割れる。私はその間を進んだ。

 石畳には血の跡があった。荷車の車輪がそれを薄く伸ばしている。北から運ばれてきた負傷兵だろう。

 建物の壁際では、包帯を巻いた冒険者が、仲間に肩を借りて立ち上がろうとしていた。

 遠くで爆音が鳴った。


 今度は警報ではない。低い震動が足元へ届く。

 王国側の斥候の1人が、息を呑んだ。


「本当に、戦っているのか……」


 私は答えなかった。

 北門が近づくにつれて、煤と血、焦げた革、それに魔獣の臭気が混じり始めた。

 北門の内側には、帝国兵が集まっていた。逃げる民を通し、負傷者を奥へ運び、外へ出ようとする兵を押し出している。


 門は開いていた。外から戻る者と、外へ向かう者で、門前は絶えず動いている。

 私はその流れの中へ踏み込んだ。

 軍の中隊長らしき男が、こちらを見て目を見開く。王国側の斥候に視線を向け、私に戻す。


 止めるべきか、通すべきか。その迷いが、顔に出ていた。


「皇女殿下」


 中隊長は剣の柄から手を離し、背筋を伸ばした。


「どうされるおつもりか」

「北側外縁部(がいえんぶ)へ出ます」

「外は戦場です」

「知っています」

「王国兵を伴っておいでですが」

「確認のためです」


 中隊長の目が、わずかに険しくなった。それでも、声は抑えていた。


「では、殿下は何をなさるおつもりですか」


 私は門の外を見た。血と煙の匂いが、冷たい風に混じって流れ込んでくる。


「魔を滅します」


 中隊長の表情が止まった。


 『魔を滅する』。


 帝国の国是。幼い頃から、何度も聞かされてきた言葉だった。


「帝国のためにですか」


 問われて、私は少しだけ黙った。

 帝国のため。その言葉は、今の私には重すぎた。

 けれど、門の外には魔族がいる。民が逃げている。兵が死んでいる。

 帝国か、王国か。その前に、守らなければならないものがある。


「……民のために」


 中隊長は、私を見ていた。それから、深く頭を下げた。


「道を空けろ!」


 彼の声が、北門に響いた。


「皇女殿下、ご出陣!!」


 帝国兵たちが左右へ下がる。

 私は一度だけ息を吸い、北門の外へ踏み出した。

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