第54話 七日の天秤
引き続き、王国のユリウス王子視点です
会議の終了を告げると、出席者たちが立ち上がった。資料が回収され、1人ずつ部屋を出ていく。
最後に残ったのは、4人だけだった。
私と、クロイツ少佐。公国からは対外調整局主席調整官エリオ・サルバートと、武官のレナート・ファルコーネ男爵。
扉が閉じられた。
先ほど下した命令は、まだ胸に引っ掛かっていた。
「一つ、よろしいですか」
ファルコーネ男爵が、まだ卓上に残る資料へ目を落とした。
「先ほどの、クロードという少年についてです」
「何だ」
「内燃錬成を使わず、相手の剣を正面から受けない。躱し、流し、そのまま急所へ入る。私はセレスティア殿下を見るまで、あのような剣技が存在すること自体知りませんでした」
「私もだ」
帝式剣術とも、王国の剣とも違う。力をぶつけて勝つ剣ではない。あれほどのマナを持つセレスティア殿下が、内燃錬成を使わずに戦う理由を、私も最初は理解できなかった。
「それを編み出したのが、当時14歳の少年だった」
ファルコーネ男爵は、まだ納得しきれないようだった。
「その後、セレスティア殿下は5年も鍛錬を続けているのでしょう」
「ああ」
「ならば今は、殿下の方が上なのではありませんか」
「本人は、そう思っていない」
男爵が顔を上げた。
「……何と?」
「全然追いつけていない。自分の風理の剣は、まだ不完全だと考えているようだ」
「――つまり」
サルバートが口を挟んだ。
「当時14歳の少年が独自の剣を編み出した。冒険者として活動した記録はあるのに、本人を覚えている者は誰もいない。そして、その剣を5年間磨いたセレスティア殿下が、今なお自分は追いついていないと考えている」
サルバートは、卓上の資料へ目を落とした。
「……こうして並べると、5年前に存在そのものを疑われた理由も分かりますね」
「……ますます、分からない男ですな」
ファルコーネ男爵が呟いた。
「だから、5年前は存在そのものを疑われた」
私の言葉に、ファルコーネ男爵は小さく頷いた。
先ほどまでなら、私もそれ以上の答えを持っていなかった。
だが今は違う。
アズライトに、灰色の髪を持つ剣士がいる。風理の剣によく似た戦い方をし、その隣には赤銅色の魔導技師がいる。
「それで」
サルバートが話を戻した。
「セレスティア殿下がアズライトへ向かわれた場合、王国軍は止められますか?」
「止められない」
私は答えた。止めようとすれば、戦うことになる。王国兵がセレスティア殿下へ武器を向ければ、それまで積み上げてきたものが崩れる。
仮に彼女がそのままアズライトへ入り、帝国側に立てば、なお悪い。
皇帝。第一皇子。レオ殿下。
そこへセレスティア殿下まで加わる。
今の王国軍に、その全てを相手取る余力はない。
「だからといって、情報を伏せ続けることもできません」
クロイツ少佐が言った。
「後で知られれば、殿下は王国を信用しない」
「あの2人が、本当にクロードとジルフィーナであった場合は、なおさらです」
サルバートが続けた。
「現地兵の反感は、すでにあそこまで強くなっています。正式に捕虜となれば、殺すなという命令は出せます」
そこで一度、言葉を切る。
「ですが、そこまで生きて捕らえられる保証がありません」
誰も否定しなかった。
私は彼女から、2人が生きている可能性を隠すこととした。
その間に何が起きるか分からないと知った上で。
アズライトが崩れれば、2人はその場で討たれる可能性がある。
「そこで、一つ提案がございます」
サルバートが、卓上の地図へ視線を落とした。
「公国が独自に集めていた増援が、ようやく整ったことにいたします」
「……いたします、か」
私は聞き返した。
「はい」
ファルコーネ男爵が眉を寄せた。
「先ほど、まだ集結していないと答えたばかりですが」
「王国には、遅れていることが十分知られています」
サルバートは平然としていた。
「だからこそ、ようやく集結したという報告に不自然さはありません」
「実際には、まだ集まっていない」
「承知しています」
「現地へ動かすのですか」
「いいえ」
サルバートは首を振った。
「アズライト前線の連合軍は、公国増援の到着を受け、総攻勢を決定した。そのように、公国から正式な軍事報告を送ります」
「現地では、そんな作戦は決まっていません」
「決める必要もありません」
ファルコーネ男爵の表情が険しくなった。
「皇女殿下へ伝えるためだけの虚報ですか」
「そうです」
クロイツ少佐が口を開いた。
「露見すれば、公国だけでは済まない。王国も皇女殿下を欺いたことになる」
「公式には、王国は知りません」
サルバートはこちらを見た。
「虚偽の報告を作るのは公国です。公国から届いた正式報告を、王国が事実として受け取る。この場で話を聞いた方々には、事前には知らなかったことにしていただきます」
「なぜ、そこまでする?」
「公国は、この戦でまだ何の功績も挙げておりません」
サルバートの声に弁解はなかった。
「十分な兵を出せず、アズライトも落とせず、王国軍の進撃にも貢献できていない。先ほどの王国参謀の言葉は、当然のものです」
ファルコーネ男爵も否定はしない。
「このまま戦争が終われば、公国は戦後に発言するための材料を持てません」
「だから、この策を功績にする?」
「成功すれば」
サルバートは答えた。
「公国の判断が皇女殿下の離脱を防ぎ、王国軍を帝都へ向かわせた。その功績を、公国へお認めいただきたい」
失敗した場合は、公国が虚偽の軍事報告を流した責任を負う。成功すれば、公国は戦局を動かしたという実績を得る。
「王国の関与は、公式記録には残さない」
「はい」
「成功した場合、公国が帝都攻略への道を作ったことは認める」
サルバートが頭を下げた。
「それで十分です」
「ただし、公国軍が戦ったことにはしない」
「もちろんです。存在しない戦果まで求めるつもりはございません」
私はクロイツ少佐を見た。彼は反対しなかった。
「分かった。その条件で使う」
「感謝いたします」
サルバートが頭を下げた。
「それと、アズライト方面にも別の指示を出す」
私はクロイツ少佐を見た。
「街を正面から落とすことに固執する必要はない。守りが堅いことは、もう十分に分かった」
「東軍を止めますか」
「攻略を止めるとは言わない。アズライトを封じ込めたまま、主力を先へ進ませられるか至急検討させろ。可能なら、その案に切り替える」
ファルコーネ男爵が地図へ目を落とした。
「街を残して、先へ?」
「ああ。アズライトの強さは、防御設備を使えることが大きい。こちらが先へ進んでも籠もり続けるなら、それでいい。追ってくるなら、今度は街の外で戦うことになる」
魔導障壁も、防御装置も、街に据えられた魔導砲も使えない。
平地へ出れば、これまでと同じようにはいかない。
「封じ込めに必要な兵は残す。街道を押さえ、帝都方面への合流だけは許すな。その上で、先へ抜けられる兵をどこまで作れるか検討させろ」
「承知しました」
クロイツ少佐が頷いた。
軍事的にも、悪い策ではない。
何度攻めても抜けない街に兵を消耗させ続けるより、動きを封じて先へ進めるなら、その方がいい。
そして、私にはもう一つ理由があった。
アズライトに籠もっている限り、防衛側には分がある。こちらも無理に踏み込まなければ、あの2人を討たずに済む。
問題は、こちらが先へ進んだ時だ。
追ってくれば、戦わなければならない。
どうか、アズライトに籠もっていてくれ。
「問題は、いつ報告を入れるかだ」
私は別の報告書を開いた。
「アステラ・ピーク方面からの追加部隊は?」
「2日後に合流します」
クロイツ少佐が答えた。
「南部方面から回された部隊が主力です。中央からは少数ですが、王都近郊の精鋭と、高位依頼を受ける冒険者も含まれています」
帝都攻略に必要な増援だ。同時に、レオ殿下を討ち得る戦力でもある。
セレスティア殿下がアズライトへ向かった後、レオ殿下が前線に出れば、彼女はもう間に入れない。
投降は求める。だが、抵抗すれば討つ。
追加部隊を実際に見れば、セレスティア殿下にも分かるはずだ。自分がアズライトへ向かう場合のレオ殿下の運命を。
「2日待つ」
私は言った。
「追加部隊を合流させる。その後、帝都へ向けて1日進む」
地図の上で指を動かした。
「その時点で、帝都まで2日」
帝都攻略には、最短でも3日。帝都を落とした後、大河から船を出せば、アズライトまで2日。
合計7日。
一方、その地点からアズライトへ街道沿いに向かっても、およそ7日。
「公国からの報告は、その日に届かせる」
私はサルバートを見た。
「アズライト総攻勢の開始まで、残り7日。その内容で送れ」
「承知しました」
「帝都へ向かえば、レオ殿下の戦場に間に合う」
クロイツ少佐が地図を見た。
「帝都を落とせば、そのままアズライトへ向かうこともできる。終戦を届けられる可能性もあります」
「ああ」
「反対に、アズライトへ直接向かえば」
「レオ殿下の戦場には戻れない」
レオ殿下と、アズライトの2人。
帝都へ向かう道なら、まだ両方を救える可能性が残る。
それでも、セレスティア殿下がアズライトを選ばない保証はなかった。クロードとジルが本当に生きていると知れば、王国との約束を破ってでも向かうかもしれない。
その時、この軍に彼女を止める方法はない。
行かないように拘束すれば、王国を敵と見る。情報を隠し続ければ、後で信頼を失う。命令だけで押さえ込める相手でもない。
ならば、帝都へ向かう理由をこちらで用意するしかない。
「皇女殿下へ報告する会議には、王国側の者も集めますか?」
ファルコーネ男爵が尋ねた。
「集める」
私は答えた。
「王国も、その場で初めて報告を受けたことにする」
この話を知る王国側は、私とクロイツ少佐だけだ。ほかの武官や参謀は、本当に初めて聞くことになる。
遅れていた公国の増援が、ようやく整った。アズライトへの総攻勢が決まった。
その報告が読み上げられれば、驚く者もいるだろう。その中に、私も混じる。
「王国の手で、あの2人を死なせることだけは避けたい」
言葉にしてから、自分の中に混じるものに気づいた。
彼女を救った2人には、生きていてほしい。
それは本心だ。
だが、クロードが彼女の前へ戻ることを考えると、胸の奥に別の感情が混じる。
5年間、彼女が追い続けた剣の師。死んだと思いながら、それでも存在を証明しようとした相手。
その男が戻れば、彼女はどんな顔をするのだろう。自分には見せたことのない顔で笑うのかもしれない。
――そんな考えが浮かんだことを、私は恥じた。
私情を理由に、2人を死なせるなど許されない。
アズライト攻略を急がせない。可能なら封じ込めたまま東軍を先へ進ませる。その間に帝都を落とす。
クロードとジルを生かし、レオ殿下も、できる限り救う。
今は、そのために動くしかない。
「2日、ここで待つ」
私は改めて告げた。
「追加部隊の合流後、1日進む。その日の会議で、公国からの正式報告を受ける」
サルバートが頭を下げた。
「承知いたしました」
「公国が全責任を負う。忘れるな」
「承知しております」
3日後。
公国から、アズライト総攻勢決定の報告が届く。
どうか、向かわないでくれ。
次回更新は 9/11(金)です




