第53話 アズライトの火種(ひだね)
王国:ユリウス王子視点です
アステラ・ピークに続き、次の街も落とした。
帝国軍は、第二皇子を失っても崩れなかった。城門を閉ざし、街路ごとに防御陣を敷き、王国軍を一歩ずつ削りながら後退した。
その際、レオ殿下を含め、皇族が前線に姿を見せることはなかった。
セレスティア殿下は、後詰めの護衛任務に置いたままだ。
王国軍だけで勝った。だが、負傷兵は多い。魔術師部隊も消耗し、魔導防御具の予備も減っている。
この先には帝都がある。
皇帝がいる。
第一皇子がいる。
レオ殿下がいる。
セレスティア殿下を前線に戻さず、最後まで勝ち切れる保証はどこにもなかった。
街を接収した翌日、私は政庁の会議室に将官と情報担当者を集めた。卓上には、帝都へ続く街道と、北東へ伸びるアズライト方面の地図を広げさせている。
アズライトへ送っていた調査員から、報告が届いていた。
内容の精査がまず必要だ。セレスティア殿下はまだ呼ばないこととした。
「灰の幽霊。現地では、グレイと呼ばれている剣士です」
情報担当官が資料を読み上げる。
「年齢は20歳前後。灰色の髪。内燃錬成の反応は確認されず。それでも剣速と踏み込みは速く、交戦した兵は、風に押し流されたように斬られたと証言しています」
風。
偶然として片づけるには、セレスティア殿下から聞いていた人物像に近すぎる。
「受け太刀はほとんどありません。攻撃を受けるのではなく、接触そのものを避ける剣技と見られます。少数で動き、前へ出た指揮官を優先して狙っています」
「攻撃を当てた者は?」
グランヴィル子爵が尋ねた。
「確認されていません」
室内がざわめいた。
「もう1人。赤の魔女、ルチア。こちらも20歳前後。赤銅色の髪を持つ魔術師です。魔導技師でもある可能性が高いと見られています」
情報担当官は次の資料へ移った。
「火属性と土属性の魔法を使用。火炎による攻撃のほか、土壁で射線を遮り、岩塊を落として進路を妨害。道を塞いで部隊の足を止めた例もあります」
「魔導技師という根拠は?」
「使用している魔導銃です」
情報担当官が紙を1枚めくった。
「確認されているのは1丁ですが、攻撃の性質が一定ではありません。盾を貫かれた例。着弾と同時に爆ぜ、防具を破損させた例。さらに、突撃中の兵が強い風圧のようなもので押し返されたとの証言があります」
「同じ銃で?」
「はい。複数の銃を持ち替えたという証言はありません。内部の術式か機構を切り替えている可能性があります。既製品とは考えにくく、本人が手を加えた可能性もあります」
情報担当官は資料を置いた。
「加えて、アズライトの魔導設備にも深く関わっていると見られます」
公国武官、レナート・ファルコーネ男爵が口を開いた。
「現地からは、街そのものが相当に堅いと報告されています。魔導障壁、防御装置、それに高威力の魔導砲。街の各所に魔導設備が組み込まれており、正面から崩すには時間がかかると」
「その時間を、王国東軍はすでに十分使っています」
王国参謀が言った。声には、隠しきれない棘があった。
「何度攻勢をかけても、防御線を抜き切れない。赤の女が魔導設備と魔法で進路を崩し、前へ出た指揮官は灰色の剣士に狙われる。こちらの主力は帝都へ迫ろうとしているというのに、東軍はいまだアズライトを抜けていません」
参謀の視線が、ファルコーネ男爵へ向く。
「公国の本軍は、まだ集まりませんか」
「現在も集結を進めております」
「それは以前も聞きました」
ファルコーネ男爵は反論しなかった。
「……その点については、申し開きできません」
公国の対外調整局主席調整官、エリオ・サルバートも口を挟まなかった。王国側の不満は、今に始まったことではない。
ファルコーネ男爵は話を戻した。
「ただ、現地で灰色の剣士と赤の魔女への反感が強くなっているのは事実です。王国東軍は攻勢を止められ続けている。公国側の先行部隊も、少なからず足を止められています」
男爵は少し間を置いた。
「報告書に残すような話ではありませんが、街が落ちたら灰色と赤は血祭りに上げる――そう口にする兵までいるそうです」
「軍の方針ではないのでしょうね」
王国参謀が確認する。
「もちろんです。前線兵の間で出ている言葉です」
それでも、軽い話ではなかった。
何度進んでも止められる。指揮官を狙われる。砲撃を防がれ、進路を塞がれる。あの2人はアズライトの防衛に貢献するほど、攻める側から深い恨みを買っている。
「その2人が、皇女殿下の捜していた人物だというのですか?」
王国参謀が尋ねた。
「結局、その重要人物と皇女殿下は、どのような関係なのです?」
情報担当官が、手元の資料を替えた。
「2人は、帝国から逃れようとしていた皇女殿下を匿い、3か月弱を共に過ごした者たちです。殿下にとっては、家族同然の存在と聞いています」
「2人とも?」
「はい。クロードという少年は、殿下に風理の剣を教えた師でもあります」
「少年?」
ファルコーネ男爵が聞き返した。
「当時14歳です。皇女殿下より1歳上になります」
「14歳で、師を?」
「殿下の証言では、風理の剣はクロード自身が編み出した剣技です」
ファルコーネ男爵の眉が寄った。彼は武人だ。内燃錬成を使わずに戦うセレスティア殿下の剣を実際に見るまで、あのような戦い方そのものを知らなかった。
「しかし、そのような人物は存在しないという話ではありませんでしたか?」
男爵が続けた。
「王国が、存在しないと確定したわけではありません」
情報担当官が答えた。
「ただ、皇女殿下には、クロードという人物は実在しないと思われると報告しました」
「なぜ、そのような結論に?」
「冒険者ギルドには、クロードという名のE級冒険者の活動記録が残っています。光龍歴990年まで、依頼を受けた履歴も確認されています」
「なら、実在したのでは?」
「その人物を覚えている者が、1人も確認できませんでした」
室内が静かになった。
「1人も?」
「はい。受付職員も、依頼主も、同時期に活動していた冒険者もです。顔も、人柄も、声も知らない。共に仕事をした記憶を持つ者すらいない」
「だが記録だけが残っている?」
「はい。そして、皇女殿下が帝国を脱した後、クロードの名は記録にも現れなくなりました」
ファルコーネ男爵は、しばらく何も言わなかった。
「……14歳の少年が、独自の剣技を編み出した。それを皇女殿下へ教えた。冒険者として活動した記録はある。だが、本人を覚えている者は誰もいない」
「そのとおりです」
「なるほど」
ファルコーネ男爵は短く息を吐いた。
「それで、存在そのものを疑ったのですか」
「その見方が優勢でした」
情報担当官は淡々と答えた。
「記録上は存在する。ですが、本人を知る者は1人もいない。皇女殿下が語るクロードと、その記録上の人物が同一であると証明するものもありませんでした」
「殿下は、その報告を受け入れたのですか?」
「いいえ」
情報担当官は答えた。
「当時の殿下は、すでにもぬけの殻に近い状態でした。ですが、クロードは実在しないと思われると伝えると、その存在を証明するかのように、風理の剣の鍛錬へ打ち込まれるようになりました」
「生きる理由になった?」
「少なくとも、立ち上がる理由、そして部屋から出る理由にはなりました」
王国は、あえてその否定を訂正しなかった。私自身も、その方が彼女にとって益になると判断した。
クロードの生死を確かめる材料も、その後新たには見つからなかった。
「もう1人の……ジルという娘は?」
「ジル。本名ジルフィーナ・アークライト。こちらは実在が確認されています」
情報担当官が、別の資料を開いた。
「アークライト?」
サルバートが、わずかに身を乗り出した。
「青エーテルを開発した、あのアークライト家の縁者でしょうか?」
「直系です。ヴィクトル・アークライトの孫にあたります」
室内の空気が変わった。アークライト家は、代々技術者を輩出してきた家系だ。
その中でも随一の功績が、ヴィクトル・アークライトによる青エーテルの開発だった。現在の帝国文明を根底から支える主要エネルギー資源。その開発者の名を、この場にいる者が知らないはずはない。
「その事実を、皇女殿下は?」
サルバートが尋ねた。
「お伝えしていません」
「なぜです?」
「ただでさえ殿下は、2人を死なせたと自責していました。そこへ、ジルフィーナがアークライトの直系であったとまで知らせれば、帝国にとって重要な技術家系の娘まで自分が巻き込んだと考えます」
「心理的な負担を避けた、と」
「はい」
情報担当官は資料へ視線を落とした。
「ジルフィーナも、皇女殿下が王国に確保された日を境に消息を絶っています。その後一切の足取りが途絶えたことから、クロードとともに死亡した可能性が高いと見られていました」
「では、クロードについて実在そのものを疑う報告をしたのも、殿下を守るためですか?」
「調査結果として、実在を裏づけるものが見つからなかったのは事実です。そのうえで、2人の死を同時に突きつければ、殿下が完全に折れる危険があるとも判断されました」
情報担当官は資料を閉じかけ、もう一冊、薄い調査書をその上に重ねた。
「しかし今回、皇女殿下がグレイとルチアという名に強く反応したことを受け、秘密裏に王都へ再照会を出しました」
「何が分かったのです?」
「アークライト一族の出身地です」
情報担当官は、地図上の帝国南東部へ指を置いた。
「アズライトです」
今度こそ、誰もすぐには言葉を返さなかった。
「ヴィクトル・アークライトはアズライトで生まれ、技術者として大成した後、帝都へ移り住んでいます」
「つまり」
サルバートが、地図上の一点を見た。
「赤の魔女ルチアが、ジルフィーナ・アークライトである可能性があると?」
「現時点では、可能性です」
情報担当官は答えた。
「ですが、5年前に消息を絶った赤銅色の髪の女。魔術師であり、魔導技術にも長けている。灰色の髪を持つ男と行動し、アークライト一族の出身地に現れた」
指先が、アズライトの上で止まる。
「その灰色の男は、内燃錬成を使わず、風のような剣を振るう」
誰も口を挟まなかった。
14歳で独自の剣を編み出したという、誰の記憶にも残っていない少年。
5年後、その特徴に酷似した灰色の剣士が現れた。
そして隣には、赤銅色の髪を持つ魔術師兼魔導技師がいる。
アークライト家の故郷、アズライトに。
「偶然として片づけるには、重なりすぎています」
情報担当官が言った。
私は、地図上のアズライトを見下ろした。
クロードとジル。王国幹部には空想のようにしか聞こえなかった2人が、急に輪郭を持ち始めていた。
少なくとも私はもう、セレスティア殿下が語っていた2人の存在を疑えなかった。
そして今、その2人と思われる者たちは、アズライトで王国と公国の連合軍を阻んでいる。前線では、街が落ちれば血祭りに上げるとまで言われながら。
「この情報は、皇女殿下にはまだ伝えない」
私が言うと、数人が顔を上げた。
「殿下」
王国参謀が口を開く。
「これほど可能性が高いのであれば、本人に確認すべきでは?」
「今伝えれば、殿下はアズライトへ向かう」
反論は出なかった。
セレスティア殿下には、レオ殿下を守るためこちらの戦線を離れないと約束させている。だが、その約束が、クロードとジルフィーナが生きている可能性を前にしても守られる保証はない。
すぐには、会議を閉じる気になれなかった。
2人を放置すれば、戦場で命を落とすかもしれない。
だが、今知らせれば、セレスティア殿下はアズライトへ向かう可能性が高い。
そして、もし3人が再び揃えば。
そこから先は、考えたくなかった。
「……本日の会議はここまでとする。報告書は当面、封印指定にせよ。皇女殿下にはもちろん、軍内にも一切広めるな」
言葉にしても、決断したという感覚はなかった。
ただ、今はそうするしかなかった。
次回更新は 9/8(火)予定です。




