第52話 姉ちゃんなんだろ?
捕虜への追加尋問を申し出ると、立会人をつけることを条件に許可が下りた。個別に話を聞けるだけでも十分だった。
ギルフォード兄様の死。人型魔族。帝国軍の撤退。レオの所在。
聞くべきことは、まだ残っている。
ユリウス殿下は前線の再配置で席を外しており、クロイツ少佐も斥候報告の整理に回っている。私に付き添うことになったのは、王国下位貴族の若い士官だった。
名は、ラザール・フォルク。男爵家の三男で、年は20代前半。礼儀は正しく、声も荒くない。私を一人で行かせるわけにもいかず、彼が立ち会うことになった。
「セレスティア殿下。尋問は、必要事項に限らせていただきます」
「分かっています」
「捕虜の発言が過度に挑発的になった場合、こちらの判断で打ち切ります」
「構いません」
ブリッツ・ベイルは、捕虜用の天幕の奥にいた。両手には手枷がつけられ、足にも拘束具がある。武器はなく、周囲には王国兵が4人。天幕の外にも2人いた。
彼は床に敷かれた粗い布の上に座っていた。首元の傷には包帯が巻かれている。以前、私が刃を止めた場所だ。
昨日の戦闘で増えた傷もあり、顔色は悪い。それでも、背筋はまっすぐに伸びていた。私が入ると、ブリッツは膝を立てて姿勢を改めた。
「帝国軍所属、ブリッツ・ベイル。先の戦で、殿下と剣を交えた者です」
昨日と同じ名乗りだった。
「いくつか、確認したいことがあります」
「答えられる範囲であれば」
ブリッツは、私を見ていなかった。視線を少し下に落とし、捕虜としての立場をわきまえているようだった。
「人型魔族の姿を見ましたか」
「遠目に」
「特徴は」
「人の形をしていました。だが、人ではない。魔素の濁りが違う。近くの兵が吐いていました。訓練された兵でも、あれは長く見ていられない」
「魔術は」
「黒紫の瘴気を放ったと聞いています。近くにいた兵にも、かなり強い影響が出たと」
ラザール士官が小さく顔をしかめた。
「ギルフォード兄様は、その魔族を討ったのですね」
「はい」
ブリッツは即答した。
「第二皇子殿下は、魔族を討たれました」
その言い方には、迷いがなかった。兄様は、魔族を討った。死ぬ前に。崖へ落ちる前に。
私は膝の上で手を握った。
「その時、レオは」
ブリッツの視線が、わずかに上がった。
「レオ殿下ですか」
「はい。帝国軍の中にいたのですか」
「後方に。直接戦闘には出ておりません」
少しだけ、息が抜けた。でも、すぐに次の不安が来る。
「ギルフォード兄様の死を、知っていますか」
「知っています」
ブリッツは答えた。
「全軍に公表されたわけではありません。ただ、皇族旗を半旗にする以上、いずれ広がる。上層の者、旗を扱う者、後方の指揮に関わる者は、知らざるを得ません。レオ殿下ももちろん御存じです」
私は何も言えなかった。ブリッツは、そこで初めて少しだけ眉を寄せた。
「レオ殿下は、兵を励まされました」
「……励ました?」
「はい。ギルフォード殿下の死を無駄にするなと。帝国軍はまだ折れていないと。魔族を討った皇子の名を汚すなと」
レオの声を思い出そうとした。最後に聞いたのは、いつだっただろう。
逃げる時。あの暗い通路。震える声。それでも私を逃がそうとしたてくれた弟。その弟が、今は皇子として兵を励ましている。
「立派、だったのですね」
そう言うと、ブリッツの口元が少し歪んだ。そこに笑みはなかった。
「言葉は、立派でした」
私は顔を上げた。
「言葉は?」
「声も通っていました。周りの兵は背筋を伸ばした。撤退列に必要なだけの力はありました」
「なら」
「ですが、平気な顔ではありませんでした」
ブリッツは言った。
「目が、追いついていなかった」
天幕の外で、馬が鼻を鳴らした。
「ギルフォード殿下の名を出す前に、ほんの少し遅れる。兵へ向ける言葉は整っている。だが、言葉を出すたびに、ご自分を削っているように見えました」
私は唇を噛んだ。
「……そう、ですか」
「皇女殿下」
先ほどまでの報告口調が消えた。ラザール士官が、わずかに姿勢を正した。ブリッツは私を見た。
「あんた、姉ちゃんなんだろ?」
ラザール士官がすぐに言った。
「ベイル士官。言葉を慎みなさい」
ブリッツはラザール士官を見なかった。私から目をそらさない。
「ギルフォード殿下が死んだ。レオ殿下はそれを知って、兵の前に立った。震えちゃいない。泣いちゃいない。けど、あれは一人で立たせていい顔じゃなかった」
「やめなさい」
「こういう時、家族ってのは寄り添うもんじゃねえのか?」
指先が冷えた。家族。その言葉は、昨夜からずっと胸の中で転がっている。
ギルフォード兄様。レオ。私は、何も返せなかった。
ブリッツは息を吸った。
「俺には分からんのです」
今度は、少しだけ軍人の口調に戻った。
「なぜ帝国の皇女が、王国側にいるのか。なぜ帝国兵を斬るのか。なぜ兄弟がいる場所へ戻らないのか」
「……事情があります」
ようやく、それだけ言えた。ブリッツは頷いた。
「でしょうな。俺はそれを知らない。殿下の出自がどう隠されていたかも、皇族との間に何があったかも、俺には分からない。王国でどう扱われたのかも、帝国で何を背負わされたのかも知らない」
知らない、と彼は認めた。それでも、目は引かなかった。
「だが、俺は殿下と剣を交えた」
首元の包帯が少し動いた。
「俺には、帝国への恨みをぶつけているように見えた。怒りも、やりきれないものも、全部剣に乗っていた」
「違います」
反射的に言った。
「では、何です」
すぐに返された。答えが出ない。
クロードが生きた証を、証明したかった。
彼が編み出したのは、澄んだ剣だ。気配も含め『あるのに無い』、静かなものだった。
それを、恨みや怒りをぶつけるための濁った剣になっていたと言われるのが、何よりも辛かった。
そんな剣にしたかったわけではない。けれど、彼らを奪った帝国への憎しみで戦場に立った私が、怒りを乗せずに剣を振れていたと言い切れるのか。
ブリッツは続けた。
「それでも、ギルフォード殿下やレオ殿下が、そんな剣を向けられるような人とは思えない」
責めるような口調ではなかった。それだけに、言い返せなかった。
「ギルフォード殿下は、最後に魔族を討たれた。レオ殿下は、兄を失っても兵の前に立った。あんたの事情が何であれ、あの2人まで敵に見えるのか」
「敵ではありません」
「なら、あんたにとって帝国の何が敵なんだ?」
ラザール士官が一歩前に出た。
「ベイル士官、そこまでです」
ブリッツの声が少し大きくなった。
「王国の進軍は侵略だ。少なくとも、帝国兵の俺にはそう見える」
ラザール士官の表情が硬くなる。
「帝国はどうなのです。王国への侵攻は侵略ではないと?」
「帝国の戦は、対魔族のための人類統一です」
ブリッツは即答した。
「それが正しいと言い切る気はない。俺は平民士官です。皇帝陛下や将軍の考えをすべて知っているわけじゃない。だが、俺たちはそう教えられ、そう信じて戦ってきた」
「それで他国を攻めるのですか」
「魔族が来れば、国境線など意味を持たない」
ブリッツの声が、さらに熱を帯びた。
「王国は帝国を潰して、何をするつもりだ。帝国軍を壊し、皇族を殺し、北に向かう盾を砕いて、その後に何を置く。王国の騎士が北へ行くのか。公国の貴族が魔族の前に立つのか」
「発言を慎みなさい」
「人型魔族だぞ!」
天幕の外の兵が反応した。ブリッツは、もうラザール士官の制止を聞いていなかった。
「人型魔族が出た。ギルフォード殿下が死んだ。北の空が紫になってきてんだろ。王国も見ているはずだ。紫光が強くなっている。あれを見て、まだ王国だ帝国だとやるのか!」
「ベイル士官!」
ラザール士官が強く言った。
「尋問を打ち切ります」
ブリッツは口を閉じなかった。
「皇女様」
彼は私を見た。
「あんたにとって、帝国の何が敵なんだ」
「帝国軍か。皇帝か。皇族か。ギルフォード殿下か。レオ殿下か。それとも、あんたをそうさせた何かか」
「連れ出せ」
ラザール士官が命じた。
王国兵が動き、ブリッツの肩に手をかけて立たせる。ブリッツは抵抗しなかった。ただ、最後にもう一度だけ言った。
「姉ちゃんなら、せめて弟の顔を見てやれ」
布が揺れ、彼は天幕の奥へ連れ戻された。
私は立っていた。ラザール士官が、こちらに向き直る。
「セレスティア殿下。本尋問はここで終了いたします。今の発言は、上へ報告します」
「……はい」
「ご気分は」
「問題ありません」
平静でいられるはずがなかった。けれど、他に言葉がなかった。
天幕を出ると、外の光が眩しかった。夜ではない。昼だった。兵が歩き、荷車が動き、遠くで馬が水を飲んでいる。戦争は続いている。
あんたにとって、帝国の何が敵なんだ。
その問いだけが、頭から離れなかった。
その日のうちに、ブリッツ・ベイルとの面会は禁止された。決定は早かった。
ラザール士官の報告は、すぐに上へ回った。捕虜がセレスティア殿下の精神を揺さぶる発言をした。帝国側の大義を語り、王国の進軍を侵略と呼び、人型魔族と紫光を結びつけ、レオ殿下への情を刺激した。
軍が彼を危険と判断する理由は分かった。それでも、私には彼の言葉を単なる敵の扇動として片づけることができなかった。
私にそれが伝えられたのは、夕刻だった。
「以後、ブリッツ・ベイルとの直接面会は認められません」
告げたのは、クロイツ少佐だった。淡々とした声だった。だが、目は私の反応を見ている。
「……なぜですか」
「捕虜として危険だからです」
「武器はありません」
「言葉が、です。彼はあなたの立場を揺さぶる。王国の正当性を疑わせる。帝国側の主張を、あなたに直接流し込む。しかも、ただの虚言ではありません。彼自身は、帝国兵として本気でそう信じている」
クロイツ少佐は一拍置いた。
「そういう捕虜を、今のあなたに会わせ続けることはできません」
「彼は……殺されますか」
クロイツ少佐の眉が、ほんの少し動いた。
「いいえ」
「本当に?」
「本当です」
それでも不安は消えなかった。
グランヴィル子爵は、我々が欲しかったのは首ではなく口だと言っていた。ブリッツ自身も、負傷兵を見て剣を下ろした。ならば、都合の悪いことを言ったからと殺すのか。
それでは、私は何を信じればいい。
その夜、ユリウス殿下に呼ばれた。
陣幕の中に入ると、彼は地図を畳んでいた。卓上には、補給線の書き込みが入った板が置かれている。彼の顔には疲れがあった。昨日よりも深い疲れだ。
「ベイル士官の件ですね」
私が言う前に、ユリウス殿下が口を開いた。
「はい」
「殺しません」
短い言葉だった。
私は顔を上げた。
「王国は、降伏して捕らえた兵を、都合が悪くなったからと処刑しません。少なくとも、私がその命令を出すことはありません」
「ですが、彼は危険だと」
「危険です」
ユリウス殿下は否定しなかった。
「小さな爆弾を抱えた気分ですよ」
苦い声だった。
「彼は剣を持っていない。逃げ出す力も今はない。ですが、あなたに言葉を届かせる力がある。帝国の大義を語り、王国を侵略者と呼び、レオ殿下の名を出す。嘘だけなら、まだ扱いやすい。彼は、自分の見てきたものを根拠に、本気でそう言っている」
私は何も言えなかった。
「だから、会わせません」
「……殺さないのですね」
「殺しません」
もう一度、ユリウス殿下は言った。
「王国があなたに見せるべきものは、勝利だけではない」
その言葉に、私は少しだけ目を見開いた。
「降伏した捕虜を処刑しないこと。都合の悪い言葉を吐いた者を、黙らせるために処分しないこと。そういうものも、見せなければならない」
「私に、ですか」
「あなたにも。兵にも。敵にも」
ユリウス殿下は、卓の上に手を置いた。
「王国は完全な国ではありません。清いことだけで戦争をしているわけでもない。ですが、守ると決めた線を越えれば、我々は自分たちの言葉を失う」
彼の声は、優しくはなかった。
「ベイル士官は生かします。尋問は続けます。ただし、あなたとの面会は禁止する。これは変えられません」
「……分かりました」
私は頷いた。納得したからではなく、ただ、これ以上聞いても答えは変わらないと分かっただけだ。
ユリウス殿下は、私を見た。
「彼に何を言われましたか」
私は答えようとして、止まった。
あんたにとって、帝国の何が敵なんだ。
帝国軍か。皇帝か。皇族か。ギルフォード殿下か。レオ殿下か。それとも、あんたをそうした何かか。
「……分かりません」
ようやく口から出たのは、その一言だけだった。
「何が、ですか」
「私が、何を敵だと思っているのか」
言ってから、背筋が冷えた。それを王国の第二王子に言っていいのか。王国軍にいる私が、言っていいことなのか。
ユリウス殿下は、怒らなかった。
「今すぐ答えを出せとは言いません。ですが、戦場は答えを待ってくれない」
「はい」
「だから、約束は守ってください」
レオ殿下以外では前に出ない。単独で戦線を離れない。アズライトへ向かわない。後詰めの護衛任務を守る。
私は頷いた。
「守ります」
陣幕を出ると、空は曇っていた。北の方角は見えない。山の稜線が黒く重なり、その向こうに何があるのか分からない。
紫光。
『北の空が紫になってきてんだろ!』というブリッツの声が耳に残っている。
王国の侵略。帝国の人類統一。魔族。ギルフォード兄様。レオ。そして、灰の幽霊と赤の魔女。
帝国の何が敵なのか。私は何に剣を向けているのか。ブリッツの問いに、まだ答えは出なかった。
それでも、レオが前線に出れば私は行く。昨夜交わした約束だけは変わらない。
私は、後詰め部隊の灯りへと戻った。
次回更新は 9/4(金)予定です




