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無名の風鈴剣 ~消えかけの少年に、天才魔導技師と皇女が激重感情を向けてくる~  作者: 風紋
第二章 遺された風理の剣と、戻れない皇女

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第49話 紫煙の空


 北の空に紫が見えるなら、すでに終わりは始まっている。

 ――王国軍事教範『対魔王災禍篇(さいかへん)』

 『キュリオン・アルセイフ戦災記録』より引用


◇◇◇◇◇◇◇◇


「見ろよ、紫だ」


 王国兵が、北の空を指した。

 アステラ・ピークの高みからは、帝都の方角がよく見える。

 遠くの空は、工業区の煙で薄く濁っていた。


「5年前も、あれを放っておくなって話だったろ」

「ああ。今度は向こうから攻めてきやがった」

「魔王復活だか何だか知らねえが、あの紫煙ごと帝国を叩き潰せば終わりだ」


 誰かが笑った。

 別の兵が、肩に担いだ槍を握り直す。


「なら早く終わらせようぜ。帝都まで、あと少しなんだろ」


 勝利の翌日だった。

 アステラ・ピークの空気は重く沈んでいる。

 街門の前には、まだ血の匂いが残っていた。

 砕けた石畳。倒れた防柵。焦げた土壁。

 白煙は薄くなっていたが、完全には消えていない。

 王国軍はアステラ・ピークを奪い取った。

 それは揺るぎない事実だ。

 しかし、撤退する帝国軍の陣形に崩れはなかった。


 臨時司令幕舎の中で、ユリウス殿下は地図を見ていた。

 地図には、赤と青の駒が置かれている。

 王国軍と帝国軍。渓谷前の後衛部隊。街前の中央。左右翼。

 そして撤退した帝国軍の推定経路。


 私は幕舎の端に立っていた。

 椅子は用意されていたが、座る気になれず見下ろすことしかできない。

 ギルフォード兄様の手が、まだ目の前に残っている。


『戻ってこい、ティア』


 その声が、耳から離れなかった。


「損耗(そんもう)の確認を」


 ユリウス殿下が言った。

 王国参謀が一歩前へ出る。


「先頭集団は予定以上に損耗しています。特に中央突破時、帝国第二皇子ギルフォードの介入で大きく削られました」


 ギルフォード。

 その名だけで、指が勝手に動きそうになる。

 私は腰の剣、残響の柄に触れた。


「後衛は」

「渓谷前で分断されています。帝国の待ち伏せ部隊と魔獣突撃隊により、後衛約5千のうち2千前後が戦闘不能。残る部隊も混乱と負傷で、当面は渓谷へ入れません」


 幕舎の中が静まり返る。

 勝った。

 だが、歓喜の色はない。

 勝利の事実よりも、これから続く死闘の気配が将校たちの顔に影を落としていた。


「帝国の狙いは、こちらを三分割することだったのでしょう」


 公国の観測武官レナート・ファルコーネ男爵が言った。

 硬い軍服を着た、武骨な男だ。

 表情は崩さず、地図上の駒を見ている。


「先頭を街前で止める。中衛を堕天使の輪で削る。後衛を渓谷前で分断する。予定通りなら、王国軍はここで戦役を継続できないほどの損害を受けていたはずです」

「予定通りなら、です」


 ユリウス殿下が静かに返した。

 ファルコーネ男爵は頷(うなず)く。


「はい。堕天使の輪《フォールン・エンジェル・リング》が壊された。あれが大きい。皇女殿下の働きがなければ、この勝利はなかったでしょう」

「……」


 視線が集まるが、私は何も言わなかった。


 褒められているのは分かる。

 それでも、言葉は頭に入ってこない。

 ギルフォード兄様の血が、まだ目に焼き付いていた。


「帝国皇族の戦力評価を」


 ユリウス殿下が続けた。

 王国軍務庁の戦況観測官、アルベルト・クロイツ少佐が資料を広げた。

 高位戦力解析を専門とする軍務官であり、今回の任務は、前線に現れた帝国皇族の戦力評価だった。


「第三皇子レオについては、王国上位騎士を明確に上回る単独戦力と評価します。帝国左翼高所において、王国右翼の進行を阻止。近衛戦団副長グランヴィル子爵と交戦し、なお高所を維持しました」


 王国近衛戦団副長、エドマンド・グランヴィル子爵が黙って聞いていた。

 35歳前後の軍人だった。

 右肩には包帯が巻かれている。

 昨日、帝国左翼の高所でレオと斬り結んだ男だ。


「率直に言えば、押されていた」


 グランヴィル子爵が言った。

 恥じる声ではない。

 戦場で見たものを、そのまま伝える感じだった。


「第三皇子レオは若い。だが、あの若さであの圧だ。並の騎士では足止めにもならない」


 レオ。

 その名で、また胸が痛む。

 遠くに見えた金髪の少年。軍人ではないはずの弟。

 私を皇宮から逃してくれた弟。


「そして、第二皇子ギルフォードについてです」


 クロイツ少佐が言った。


「中央において、王国中央軍の進行を単独で足止め。通常戦力での拘束は困難。皇女殿下の介入がなければ、中央は突破ではなく逆撃を受けていた可能性があります」


 グランヴィル子爵が、低く息を吐いた。


「王国中央軍を真っ向から一人で止めた男だ。レオ殿下も十分に怪物だった。だが、ギルフォード殿下はその上だ」


 誰も笑わなかった。

 敵であっても、軽く扱える相手ではない。

 そのことを、ここにいる全員が分かっていた。

 そしてほんの一瞬だけ、ギルフォード兄様と刃を交えた私に視線を送ったものがいたが、声をかける者はいなかった。


「帝国は、なぜ引いた」


 ユリウス殿下が言った。

 誰もすぐには答えない。


「中央はギルフォードが止めていた。帝国左翼の高所には第三皇子レオがいた。あのまま粘れば、王国右翼は削られたはずだ」

「しかし逆側は、王国左翼が浸透し、街へ取りつき始めていました」


 参謀が言う。


「それでも、即時撤退を選ぶほどではない」


 ユリウス殿下は地図を見下ろしたまま言った。


「勝った。だが、勝たされた可能性がある」


 その言葉に、幕舎の空気が重くなった。

 公国のサルバート主席調整官が、薄く笑う。

 整った衣服の文官だった。

 公国対外調整局の主席調整官。宰相家サルバート家の傍系にあたる男だと聞いている。

 物腰は柔らかい。

 けれど、その目は戦果ではなく、損耗表を見ていた。


「いずれにせよ、アステラ・ピークは王国軍が得ました。帝国の防衛線は一つ崩れた。これは大きな前進でしょう」

「大きな前進であることは否定しません」


 ユリウス殿下は言った。


「だからこそ、次を誤れない」


 その時、幕舎の外から足音が近づいた。

 伝令が入ってくる。


「アズライト方面より報告です」


 アズライト。

 その地名に、顔が上がった。


 王国参謀が、無言で卓上の地図へ指揮杖を伸ばす。

 彼が示したのは、帝国南東部。王国と公国の国境の、すぐ北側にある街だ。


 帝国の皇女である私には、今さら教えられるまでもない場所だった。

 ここアステラ・ピークから見れば、真東にある。


 けれど、参謀の指揮杖はアズライトへ向かってまっすぐには伸びなかった。

 間にそびえる険しい山脈を避けるように、一度アルヴェール方面へ戻し、そこから東へ大きく迂回する進軍経路をなぞる。


 伝令は息を整え、書面を広げた。


「アズライト攻略部隊、街の制圧に失敗。現地住民が武装し、領主軍と結託して防衛線を構築しているとのことです」


 将校たちがざわつく。


「住民が?」

「帝国軍ではなく、民衆が武装しているのか」

「はい。街区ごとの防衛線があり、魔導具による障害も多数確認。攻略部隊は一時後退を余儀なくされています」

「民衆と領主軍が噛み合っているのは厄介だな」


 グランヴィル子爵が低く言った。


「正規軍だけなら押せる。だが街区防衛に住民が加わると、攻略速度は落ちる。家一つ、通り一つが防御線になる」

「中核となる人物がいるのでしょう」


 公国のファルコーネ男爵が言った。


「街の抵抗が早く崩れない時は、たいてい心理的な支えがあります。退役軍人か、冒険者あたりですかな」


 伝令が書面をめくった。


「王国・公国連合軍の間では、中心人物として2名が確認されています」


 紙をめくる音がした。


「一名は、灰の幽霊と呼ばれる剣士。一名は、赤の魔女と呼ばれる魔術師」


 灰色の剣士。

 赤色の魔術師。


 心臓が、強く跳ねた。

 その組み合わせは……。


 ――いや、ない。


 彼らでは、ない。


 クロードとジルは死んだ。

 奈落谷で。

 帝国軍に焼かれて、死んだはずだ。

 なのに……。


「本名は」


 気づくと、声が出ていた。


 幕舎の中が静まり返り、将校たちの視線が一斉に私へ突き刺さる。

 伝令が戸惑ったようにこちらを見た。


「不明です。現地では二つ名で呼ばれているとの報告のみです」

「容姿は」

「現段階では不確かです」

「年齢は」

「確認できておりません」


 残響(ざんきょう)の柄(つか)を握る指が、湿っていた。


 汗。


 そう気づいた瞬間、余計に指先が冷たくなる。

 手袋の内側が、薄く濡れている。

 私は柄を離せなかった。


「追加で確認をお願いします」


 声を乱さないようにした。

 でも、うまくいったか分からない。


「灰の幽霊と赤の魔女。その2名について、名前、容姿、年齢、滞在時期、関係性、使用する技術、剣筋、内燃錬成の有無を」

「多すぎます」


 ユリウス殿下が遮(さえぎ)った。

 ひどく静かな、現実だけを切り取るような声だった。


「アズライトは攻略中の街です。多くを求めれば、報告は遅れます」

「ですが」

「緊急ならば、項目を絞るべきです」


 ユリウス殿下の目は、私から逸れない。


「知りたい核心は何ですか」


 言葉が詰まった。


 核心。


 そんなものは、決まっている。

 でも、言えるはずがない。


 クロードなのか、ジルなのか。

 死んだはずの二人なのか。


 それを、この場で。


「――名前、そして剣筋」


 ユリウス殿下が静かに言った。


「その二つで足りますか」


 その言葉に、心臓が激しく拍動するのがわかった。


 足りる。

 足りてしまう。


 名前が違っても、剣筋が合えば。

 風に舞うような剣なら。

 内燃錬成を使わない剣なら。

 きっと分かってしまう。


「外れていることを祈ります」


 ユリウス殿下の声は小さかった。


「ですが、確認するならこの二つです。名前と、剣筋」


 私は頷(うなず)いた。


「お願いします」


 ユリウス殿下が伝令へ目を向ける。


「王国から調査者を出します。灰の幽霊と赤の魔女、その2名の本名、通称、呼び名を最優先で調べろ。加えて、灰の幽霊と呼ばれる剣士については、剣筋の目撃証言を集める」

「剣筋、ですか」

「風に舞うような剣か。内燃錬成による強化を用いているか。用いていないなら、なお詳しく」

「はっ」

「公国からも、別に調査者を出しましょう」


 公国のサルバート主席調整官が続けた。

 柔らかな声だった。

 昨日から何度も見ている穏やかな顔。

 その目はこちらを見ている。


「情報経路は複数あった方がよろしい。アズライトは王国・公国双方の作戦に関わる地です。まして公国から見れば、国境の北側にある要衝。無関心ではいられません」


 ユリウス殿下の目つきが、すっと鋭さを増す。


「公国も関心があると」

「当然です。アズライトの抵抗が長引けば、帝都攻勢にも影響します」


 サルバート主席調整官は微笑を崩さない。


「王国側は、皇女殿下の求める核心を調べる。公国側は、街の抵抗構造と、その2名が持つ影響力を調べる。役割を分けた方が早いかと」

「確認する意義は分かりました」


 公国のファルコーネ男爵が言った。


「ですが、戦場の話をするなら、その2名を詳細に調べるより、そもそもアズライト攻略を急ぐべきではありませんか」


 幕舎の中が、水を打ったように静まり返る。


「灰の幽霊と赤の魔女が防衛の中核であるなら、なおさらです。中核を叩けば、街は落ちる。正体が誰であれ、攻略対象であることに変わりはない」


 正しい。

 戦場だけを見れば、きっとその通りなのだろう。


 だが、誰も頷(うなず)かなかった。


 ユリウス殿下も。

 クロイツ少佐も。

 グランヴィル子爵も。

 公国のサルバート主席調整官も。


 沈黙が落ちる。

 ファルコーネ男爵の眉が、わずかに動いた。


「……攻略、するのでしょう?」


 しばらく誰も答えなかった。

 その沈黙を破ったのは、公国のサルバート主席調整官だった。


「軍事的には正しいですね」


 サルバート主席調整官の視線が、ユリウス殿下へ向く。


「こちらより遅く帝都へ向かっても意味がない。アズライト攻略は急がせるべきです」


 それから、私を見た。

 ちらりと、ではなかった。

 まっすぐに。


 灰の幽霊。

 赤の魔女。

 その2つの名が、頭の中で耳鳴りのように反響している。


 指先が冷たい。

 手袋の内側に、汗が滲(にじ)んでいた。


「ですが、かなり強固なのでしょう」


 サルバート主席調整官は、私を見たまま続けた。


「いたずらに攻めて損耗を増やすのも得策ではありません」


 そこで、ようやく視線がユリウス殿下へ戻る。


「ユリウス殿下。いかがなさいますか」


 ユリウス殿下は、すぐには答えなかった。

 私の顔、剣を握る手を見て、それから地図へ視線を落とした。


「アズライト攻略は継続する」


 声は静かだった。


「ただし、無理攻めは禁じる。街区ごとの防衛線に正面から突っ込めば、損耗が増えるだけだ」


 グランヴィル子爵が頷く。


「妥当です」

「王国から調査者を出す。灰の幽霊と赤の魔女。その2名について、名前と剣筋を最優先で確認しろ」


 ユリウス殿下は続けた。


「攻略のためではなく、判断を誤らないためだ」


 サルバート主席調整官が、目を細めた。


「承知しました」


 伝令が下がった。

 私は残響の柄を握っていた。

 力が入りすぎている。

 指が痛い。

 痛いのに、離せなかった。


「ひとつ、提案がございます」


 サルバート主席調整官が、あらためて言った。

 ユリウス殿下が目を向ける。


「何か」

「次の正面攻勢において、皇女殿下を先鋒に置くべきではないと考えます」


 幕舎の空気が、張りつめた。


「理由を」

「昨日、皇女殿下は堕天使の輪(だてんしのわ)を破壊し、帝国第二皇子ギルフォード殿下と交戦されました。その戦果は疑いようもありません」


 サルバート主席調整官は、丁寧に言葉を選んでいる。


「しかし、消耗は肉体だけに出るものではありません。加えて、アズライト方面の報告もございます。皇女殿下ほどの戦力であればこそ、投入する場は慎重に選ぶべきかと存じます」


 言葉も声も穏やかだった。

 けれど、幕舎の中の何人かは、その意味をすぐに理解したようだった。


 私を休ませる。

 そういう言い方ではあるが、私を前線から外すということだ。


「戦力価値の観点からも、理はあります」


 クロイツ少佐が言った。


「皇女殿下は、すでに通常魔術師一個中隊とは比較できない戦力です。疲弊状態での投入は、得るものより失うものが大きい」

「現場側から見ても同じです」


 グランヴィル子爵が続けた。


「あのギルフォード殿下と刃を交えた直後です。身体が動いても、判断まで戻っているとは限りません」


 純粋に私の疲弊を気遣う言葉のようではあった。

 かけられる言葉の分だけ、奥歯に力が入る。

 私は俯(うつむ)き、反論の言葉を呑み込んで、ただ柄を握り続けた。


「ただし、後方に下げすぎるべきでもありません」


 サルバート主席調整官が言った。


「帝国軍が秩序を保って撤退した以上、補給線への襲撃は十分に考えられます。後詰めの補給部隊に同行いただくのがよろしいかと」

「補給部隊の護衛か」


 ユリウス殿下が言った。


「はい。前線投入を見送りつつ、本隊から離しすぎない。補給を守り、必要があれば投入できる距離を保てます」


 公国の提案を受け、王国軍の判断として私の行き先が決まっていく。


「セレスティア殿」


 ユリウス殿下が言った。


「次の攻勢では、あなたを先鋒には出しません。後詰めの補給部隊に同行してください」

「……」

「前線投入を見送るだけです。本隊から離すわけではありません」


 ユリウス殿下は地図へ視線を戻した。


「あなたが抜ける穴は、兵数と陣形で埋めます。グランヴィル子爵」

「可能です。ただし損耗は増えます」

「許容する」


 ユリウス殿下の声は、揺れなかった。


「次の攻勢は、それで行く」


 アズライトには行けない。

 前線にも出ない。


 でも、帝都方面へは進軍する。

 ユリウス殿下や幕僚たちの声が、遠い水底からの響きのように徐々に輪郭を失っていく。


 進軍予定。

 補給計画。

 アズライト方面の再確認。

 帝国軍の次防衛線。

 言葉だけが、幕舎の中を行き来しているが、頭に入ってこなかった。



 灰の幽霊。

 赤の魔女。

 ただの二つ名だ。

 本名も、顔も、年齢も分からない。

 それなのに、胸のざわつきが止まらなかった。


 いるの?


 そんなはずはない。クロードとジルは死んだ。

 奈落谷で、堕天使の輪に焼かれて。私が、そう信じてきたのだから。

 なのに。もしかして……。


 違う、死んだはずだ。

 ――でも、生きていてほしい。


 その願いが浮かんだ瞬間、視界が歪んだ。


 だめ!

 希望なんて持てば、また失う時に壊れてしまう。


 必死に自分に言い聞かせる。

 無意識に息を吸い込もうとして喉がひゅっと鳴った。

 奥歯を噛み締めても、顔の筋肉の震えが止められない。


 ふいに、幕舎の中から一切の話し声が消えた。


 腰の残響にすがりつくように指を絡める。

 革巻きに爪が食い込み、手の甲の骨が白く浮き上がるほど握りしめても、乱れた呼吸は元に戻らない。


 灰の幽霊と、赤の魔女。


 誰なの。

 ねぇ、誰なの――。


♢♢♢♢♢♢♢♢


「セレスティア殿。少し、風に当たってくるように」


 ユリウス殿下の静かな声で、私は幕舎の外へ出された。

 冷たい空気を吸い込んで、ようやく少しだけ震えが収まった。


 北の空が見える。


 アステラ・ピークの標高からは、帝都まで見通せた。

 遠く、工業区の煙が空を紫に濁らせている。


 懐かしい色だった。

 帝都の紫煙。

 幼い頃から見ていた、帝国の色。


 けれど、その右奥。

 北東の果てに、別の紫があった。

 5年前より、濃く見える。


「帝都上空の人為的な紫煙と、北方未踏地(みとうち)の紫光を混同してはならない」


 記憶から、勝手に声が出た。


「紫煙は人為。紫光こそが災厄(さいやく)……」


 そこで、言葉が途切れた。


 風が吹く。


 紫煙は、帝都の上空へと流れている。

 紫光は、動かない。


 遠い北東の果てで、ただ静かに、濃くなっていた。


次回更新は 8/25(火)予定です。

揺れます。

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