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無名の風鈴剣 ~消えかけの少年に、天才魔導技師と皇女が激重感情を向けてくる~  作者: 風紋
第二章 遺された風理の剣と、戻れない皇女

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第48話 届いた刃と、取れない手

「来い」


 ギルフォード兄様が言った。


「風理(ふうり)の剣を、そこで止めるな」


 私は残響を握る。

 クロードの剣を変える。その言葉だけなら、拒(こば)んでいたと思う。

 けれど、ギルフォード兄様はクロードを否定しなかった。ジルを否定しなかった。二人が私に遺したものを、潰そうとしなかった。


 伸ばせと言った。終わらせるなと言った。


 息を吸い、剣を構え、風を探す。

 ギルフォード兄様は動かない。私がどう変えるのかを、ただ待って見ている。


 霧滝斬(きりたきざん)。

 防御させ、その手応えを消す。空を押した相手の力を前へ流し、防御の内側へ刃を落とす。クロードが教えてくれた、風理(ふうり)の剣の攻め。

 踏み込む。攻める意志を見せ、隠さない。来ると分かっているからこそ、相手は防御する。


 ギルフォード兄様の剣が上がる。防御の形。そこへ落とす。

 しかし、防御の力は最低限で押し返す気配もなかった。私の剣が消える場所を、最初から待っている。霧の内側を見られている。


 なら、重くする。内燃錬成を入れる。防御をすり抜けた先で、もっと深く叩き込む。

 そう思って踏み込んだ瞬間、足元から圧が出た。

 ギルフォード兄様の目が私を捉える。


「力を乗せるのが早い」


 剣が弾かれ、腕が外へ流れる。


「防御の内側へ入る前に、剣の場所を教えている。それでは、霧が晴れる」


 呼吸が止まりかける。

 兄様は初見のはずの技の本質を、完全に見抜いていた。


「入るまでは軽く。届く瞬間だけ、芯を通せ」


 風の中に、確かな芯を。

 私はその感覚だけを頼りに、もう一度踏み込む。

 今度は内燃錬成を抑え、風理のまま入る。防御を誘い、その内側へ落とす。

 最後だけ。剣が落ちる瞬間、腕と腰に内燃錬成を入れた。


 重さが乗る。

 ギルフォード兄様の防御が間に合い、受けられた。

 それでも、先ほどより深い。残響の切っ先が、銀灰の袖を裂いた。


「まだ大きい」


 ギルフォード兄様は言った。


「だが、方向はそれでいい」


 わずかに届いた。その事実に、指先が熱くなる。

 だが、ギルフォード兄様は待ってくれない。踏み込みが来る。

 狙いを外し、力を流して逃がす。

 そこに内燃錬成を混ぜようとするたび、動きが濁る。強くなる代わりに風が消え、軽くすれば弾かれ、重くすれば読まれる。


 難しい。想像していたより、ずっと難しい。

 クロードの剣の形を保ちつつ、帝式剣術の芯を通す。ジルの教えてくれた制御で、感情と出力を切り離す。

 それでも私のエーテルは多すぎる。細く絞ったつもりでも光が漏れ、圧が出る。ギルフォード兄様には読まれてしまう。


「遅い」


 残響が払われる。


「大きい」


 肩をかすめる。


「そこで入れれば、相手に教えている」


 足が下がる。でも、その声は私を責めていなかった。

 この人は、本気の剣を向けながら、同時に私の剣を直している。倒すべき敵であり、帝国の皇子である兄が、まるで師のように。


「ティア」


 ギルフォード兄様の声が、低く短く変わった。


「次で試す」


 足元に白い光が漏れ、内燃錬成が高まる。

 空気が重くなり、ギルフォード兄様の剣先が下がった。


「帝式剣術奥義」


 ――来る。

 分かった瞬間、体が冷えた。


「光龍三閃(こうりゅうさんせん)」


 一撃目。銀灰の軍服が視界から消えた。

 速い。相手の重心を読み、刃筋の外へ抜ける。

 だが、ギルフォード兄様の剣は私を追ってきた。突進しながら刃筋を変え、逃げた先へ剣が届く。肩の布が裂け、血が散った。


 二撃目は下から跳ね上がってきた。

 残響で受けるが、押す力ではなく、私を宙へ浮かせるための軌道だった。足が地面から離れかける。

 このまま足場を失えば、空中で次の刃の的になる。

 内燃錬成で弾き返そうとするが、超速の連撃に対応がわずかに遅れた。中途半端に力で抵抗すれば、姿勢を崩されたまま無防備に浮かされてしまう。


 ならば、逆らわない。

 突き上げる力に身を預け、自ら跳ぶようにして力を逃がす。

 あえて浮かされたように見せながら、体幹の芯だけは残して風を探す。

 残響を押し上げる刃の軌道、腕を抜ける衝撃、足裏から消える地面。そのすべての流れの中へ入り込む。


 ギルフォード兄様の体が時計回りに回った。

 三撃目。

 一撃目の速さ、二撃目の跳ね上げ、そして回転の重さ。すべてが横一線の刃に乗っている。


 これが本命。浮かされた相手なら避けられず、受ければ防御ごと裂かれる。

 ギルフォード兄様の剣が走り、私がいた場所を強烈な光が薙ぐ。


 三撃目の回転に引きずられるように身を捻り、兄様が踏み込んだ右足の傍へ滑り込む。

 空を薙いだ手応えに、ギルフォード兄様の視線が即座に右下へと動いた。

 視界の端で、私の位置を正確に捉えている。

 私は反撃のために、左足を兄様の懐へ深く踏み込む。狙うのは、右の脇腹。

 至近距離から、残響の切っ先を一直線に突き出す。

 それに合わせ、即座にギルフォード兄様の右側面に内燃錬成の光が集まった。


 攻撃から、防御への切り替え。

 こちらの位置を視認し、即座に対応を完了させる判断の速さに息が詰まる。


 それでも、私の刃が迫る。

 霧のまま突き入り、刃が触れる一瞬だけ、内燃錬成の芯を通した。


 ギルフォード兄様の防御が間に合う。最大まで高めた内燃錬成が、銀灰の軍服の下で光った。

 超速の連撃を凌(しの)いだ直後。私の体勢は十分に整い切っておらず、腕へ回すエーテルの流れも不完全だった。


 それでも、押し込んだ。


 刃が入る。浅くない。血が飛んだ。

 ギルフォード兄様の体が大きく下がる。

 近くで戦っていた帝国兵が、息を呑んだ。


 斬った。

 ギルフォード兄様を。


 ギルフォード兄様は傷口を押さえた。血が指の間から落ちる。けれど、膝はつかず、剣も構えてはいる。その目は、私を見ていた。


「粗い」


 最初に出た言葉は、それだった。


「切り替えが遅い。出力が大きすぎる。踏み込みも甘い。今のままなら、二度目はない」


 血が落ちる。


「だが、届いた。私が防いで、なお」


 ギルフォード兄様は傷口から手を離す。その手は血で濡れていた。


「ならば、魔族にも届く」


 魔族。その名で、ようやく分かった。

 兄様は、もっと先の戦場を見ている。


「よくやった、ティア」


 褒められたのだと気づいた時、手が震えた。

 嬉しいのか怖いのか、分からなかった。

 ただ、胸が熱かった。


 でも、目の前の血を見れば、その熱はすぐに冷えた。兄様を傷つけた事実だけが、重かった。


「その剣術を遺(のこ)した者に、礼を言う」


 血を流しながらも、落ち着いた表情だ。


「ティアを、ここまで生かした」


 次に、私の腕へ視線を移す。エーテルの流れを見ている。


「制御を遺した者にも」


 ジル。名前を出さなくても分かった。


「二人がいなければ、お前はここに立っていない」


 ギルフォード兄様は、わずかに目を伏せた。


「そして、詫びる」


 声は小さくなく、戦場の音に負けない声だった。


「帝国は、その二人を奪った」


 言葉が刺さる。

 怒り、悲しみ。

 そして言葉にもできない、重たいものがのしかかってくる。


 この人は分かっている。クロードとジルが私に何を遺し、帝国が何を奪ったのか。その上で、背負うと言っている。


 ギルフォード兄様が一歩こちらへ進み、剣を収める。

 血に濡れていない反対の手を、私へ差し出した。


「戻ってこい、ティア」


 差し出された兄様の手を見る。五歳を過ぎてから、ずっと遠くなっていた手だった。

 取れば、戻れるのだろうか。帝国へ、レオのところへ、皇族のいる場所へ。


 けれど、私の手は剣を握ったままだった。

 クロードが遺した剣術。ジルが守ってくれた私。焼けた家と、戻らない日々。

 そのすべてを握ったまま、兄様の手へ伸ばすことができなかった。


 ギルフォード兄様は、硬く握ったまま動かない私の手を見た。


「……そうか」


 それ以上は言わなかった。怒らず、責めず、ただ理解した顔だった。

 手を取ることを阻(はば)む理由を。

 それを奪ったのが誰なのかを。


 戦場の向こうで、王国軍の声が大きくなっていた。

 中衛が広がり、ユリウス殿下が立て直した部隊が街前へ押し出してくる。

 帝国兵はまだ強いが、後続を削り切れなかった。堕天使の輪はもうなく、王国軍の数が少しずつ街を包み始めている。


 ギルフォード兄様は戦場を見た。

 中央はまだ崩れていない。ギルフォード兄様がいる限り、王国中央は前へ出られない。

 だが、逆側が伸びていた。王国左翼が帝国右翼へ食らいつき始め、狭隘(きょうあい)部を抜けた中衛がそこへ流れ込み、街壁の手前まで押し寄せていた。それでも、帝国左翼は崩れていない。


 ギルフォード兄様からそう遠くない、百五十メートルほど先の高所。そこに、金髪の少年がいた。

 レオ。皇族の外套をまとい、近衛と帝室随員に囲まれながら前線に立っている。

 軍人ではないはずだった。王国側の資料では、帝室府付の特命皇族補佐官と記されていた。それが、なぜ戦場で剣を抜いている。


 王国右翼は、レオのいる高所を抜かなければならない。あそこで王国右翼が崩れれば、レオは弧を描くように王国中央の側面へ回り込める。そうなれば、先頭集団と中衛が裂かれる。

 ユリウス殿下がそこへ向かった理由が、ようやく分かった。王国右翼を押し返されるわけにはいかない。

 それでも、レオのいる場所は崩れていなかった。ユリウス殿下が加わってなお、押し切れていない。あの子は、守られているだけの皇子ではなかった。


 でも。

 知りたかったのは、強さではない。

 罰を受けなかったのか。あの日の優しい目を、まだ持っているのか。今も私を、姉と呼んでくれるのか。確かめたかった。名前を呼びたかった。


 ギルフォード兄様が、血のついた手を上げた。

 レオがそれを見る。遠すぎて表情までは分からないが、レオはすぐに反応して近衛へ指示を出す。


 その直後、街の奥から号砲が鳴った。

 一発。間を置いて、もう一発。

 撤退の合図。


 帝国軍が動き出す。隊列を保ち、整然と下がっていく。

 勝ったのか、勝たされたのか。分からなかった。

 ギルフォード兄様はまだ立っている。レオのいる高所も崩れていない。それでも帝国は引いた。

 レオもまた、遠くで兵に囲まれながら後退を始めた。

 レオに、会えなかった。


 ギルフォード兄様は最後に私を見た。


「次に会う時は、答えを持て」


 そう言って、背を向けた。

 ギルフォード兄様の背中が遠ざかっていく。

 幼い頃、あの背中に憧れていたことを、今さら思い出した。



強大な兄。

そして、これが大きな分かれ道となります。


次回更新は 8/21(金)予定です。

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