第47話 良い剣だ
「セレスティア殿」
ユリウス殿下が短く呼んだ。
「はい」
胸元の傷から血を流しながら、殿下はギルフォード兄様を見ている。
「俺が狙われているせいで、君は守りに回されているな」
その通りだった。兄様は殿下を殺すために剣を振るい、私はその決定打を潰すために動き続けている。
「……はい」
「俺が離れれば、今より戦えるか」
「兄様が私を狙うなら、風理の剣は今より使えます」
「勝てるか」
残響を握り直した。
「分かりません。ですが、今よりは」
ユリウス殿下が黙る。
広場の向こうでは、狭隘部を抜けた王国兵が増え始め、崩れていた先頭集団にも、少しずつ人が戻っている。
今なら立て直せる。
殿下も同じものを見ていた。
「もう一つ、確認する」
声が低くなった。
「帝国は、君の恩人を殺した。それだけは忘れないようにしてくれ」
「私がいつ、忘れたというのですか!」
私はユリウス殿下を睨んだ。
クロードとジルを忘れるはずがない。
2人が殺された日のことも、その後の5年間も、ずっと私の中にある。
ユリウス殿下は一瞬言葉を止め、少しばつが悪そうに視線を逸らした。
「……すまない。責任者として、確認せねばならなかった。だが、無用だったな」
殿下はもう一度、ギルフォード兄様を見る。
「頼む。何とか食い止めてくれ。こちらは街に食らいつく」
「はい」
ユリウス殿下が下がり、側近たちの方へ向かう。ギルフォード兄様は追わなかった。
さっきまであれほど強く殿下へ向けられていた視線が、私へ戻る。
「強くなったな、ティア」
また、その名で呼ばれた。
5歳を過ぎてから、ほとんど呼ばれなくなった名。
皇女。天環。セレスティア。
そう呼ばれることには慣れている。
だがその愛称には、いまでも胸の奥をギュッと締め付けられる。
「……なぜ、そう呼ぶのですか」
「昔からそう呼んでいた」
「昔だけです」
「そうだな」
ギルフォード兄様は剣を下げず、私だけを見ていた。
「レオが逃がした後、お前はどう生きた」
レオ。私より2つ下の弟。帝国第三皇子。
あの日、私を逃がしてくれた弟。
「知っていたのですか」
「知っていた」
頭の中が冷える。
レオが私を逃がしたことを知っていた。
なら、あの子は――。
「罰は受けていない。安心しろ」
足から力が抜けそうになった。
良かった。
私を助けてくれたあの子が罰を受けていたらと思うだけで、怖かった。
「レオはお前を待っている」
胸が痛む。
会いたい。今すぐ会いたい。
けれど、そんな甘い感情を切り捨てるように、目の前には冷酷な帝国の刃が立っている。
敵であり、兄でもある人が。
「誰がお前を生かした」
問いと同時に剣が来た。残響で流しながら答える。
「運河で助けられました」
「誰に」
「ジルと、クロードに」
2人の名を口にすると、声が震えそうになった。
「2人は私を匿いました。食事をくれて、眠る場所をくれて、剣を教えてくれました」
「その剣か」
「はい」
「5年、教わったのか」
「違います。3か月弱です」
ギルフォード兄様の剣が、一瞬だけ止まった。
「3か月か」
「はい」
「その後は」
「1人で」
それから数合、言葉が途切れたまま剣だけが続いた。
私は少しずつ押されていく。
兄様は測っている。
3か月で受け取った技を、私が5年間かけてどう磨いたのか。
内燃錬成を使わず、帝式剣術にどこまで食らいつけるのか。
「良い師だったのだろう」
短い言葉だった。
それだけで、残響を握る手に力が入った。
ギルフォード兄様は、クロードもジルも知らない。
それでも私の剣を見て、クロードが残したものを認めてくれた。
「良い家族だったのだろう」
「……はい」
嬉しかった。
クロードとジルが、ようやく誰かに認められた気がした。
「ティアの身分は」
「隠していました。皇女だとは、最後まで言っていません」
「なら、利用目的ではないか」
「違います」
「……そうだろうな」
兄様の剣が私の横を抜ける。
「剣は、そのクロードという者か」
「はい」
「では、エーテルの制御は」
息を呑んだ。
ギルフォード兄様の目が追っているのは剣だけではなかった。
私の呼吸も、腕へ集まるエーテルも、感情が揺れた直後でも、エーテルを切り離して操作していることも見ている。
「王国で学んだのか」
「違います」
「誰だ」
「ジルです」
ギルフォード兄様の目が少し変わった。
「感情と出力を分ける訓練か」
「……はい」
「あれを、奈落谷で」
「はい」
兄様が短く息を吐く。
クロードが残した剣と、ジルが教えてくれたエーテル制御。その両方があったから、私は5年間、なんとか人間のまま生きることができた。
「ティア」
優しい声だった。
「良い2人だったのだな」
返事をすれば、泣いてしまいそうだった。
兄様の剣が来る。
受け流したものの、力を逃がしきれずに足が下がった。
「その2人以外に、奈落谷でお前を匿った者はいたか」
その問いで胸の奥が冷えた。何を確かめようとしているのかは分かる。
「いません」
「お前と、その2人だけか」
「はい」
「そうか」
ギルフォード兄様の剣先が、わずかに下がってから戻る。
「奈落谷に逃げ込んだ皇女と、身元不明者2名。報告はそうだった。名も素性も掴めず、あの場所に潜む者なら、犯罪者か逃亡者、あるいは廃棄区画に流れ着いた浮浪者と見るのが自然だ」
「私が利用されていたと?」
「そう判断する余地はあった」
「違います」
「今は分かる」
短い返答だった。
「後の捜索では、二人の遺体は見つからなかった。直撃で消失したものと報告されている」
「……知って、います」
「帝国軍が殺した。責任はある」
「責任?」
自分でも分かるほど声が冷たくなった。
「責任で、済むのですか」
「済まない」
即答だった。
「済まないが、消えもしない。だから背負う」
「背負って、どうするのですか」
「お前を戻す」
身勝手に思える言葉に、怒りが湧いた。
「戻る場所なんてありません」
「ある」
「ありません!」
残響を振るう。
怒りが乗った一撃を、兄様は横へ逸らした。
「戻る場所がないなら作れ」
ギルフォード兄様の剣が迫る。
動きかけた身体を無理やり立て直し、剣で流した。
「壊れたなら直せ。奪われたなら取り戻せ」
「2人は戻らないッ!!」
叫ぶと同時に、兄様が踏み込んだ。
クロードも、ジルも。
どれだけ願っても、もう戻ってこない。
兄様の剣が迫る。
私も合わせた。
刃が触れる瞬間、力を抜く。
兄様の踏み込みを受け入れ、その勢いごと身体を回す。
「――渦風!」
兄様の身体が円の軌道へ巻き込まれ、足が地面を離れた。
そのまま踏み直し、残響を突き出す。
狙うは、胸。
兄様は宙で身体をひねり、切っ先をぎりぎりで外した。
軍服だけが裂ける。
着地した兄様が、私を見る。
「残ったものを終わらせるな」
「……終わらせる?」
言っている意味が分からなかった。
クロードが教えてくれた剣と、ジルが教えてくれたエーテルの扱い。
5年間、私はそれを守り、磨いてきた。
風理の剣は、その結晶だ。
「良い剣だ」
ギルフォード兄様が言った。
「理がある。お前に合っている。内燃錬成すら使わず、私の急所まで刃を入れられるなら、技術としては異常だ」
胸が熱くなる。
「だが、足りない」
ギルフォード兄様が踏み込んだ。
上段から落ちてきた刃を半歩ずらして流す。流したはずの剣が返り、その柄が顔へ迫った。首をひねると、頬をかすめて抜ける。
続けて足払い、膝蹴り、返しの刃。
すべての動きが相手を仕留めるために繋がっている。
私は風のように外側へ抜け、兄様の背後へ回った。急所へ残響を走らせる。
届く。
そう思った瞬間、兄様の身体が鋭く回り、私の一撃は剣の腹で受け止められた。
弾かれた衝撃で身体が浮く。
着地して踏みとどまったものの、剣を握る手が震えていた。
「今のも、当てるところまでは良い」
ギルフォード兄様は構えを崩さない。
「人間なら、急所を裂けば倒せる。だが魔獣や魔族を相手にすれば、その先が要る」
兄様自身の身体が、それを示していた。
これまで何度も急所へ刃を入れたが、傷は浅く、致命傷には届いていない。
「今のお前では、私の急所を捉えても仕留めきれん」
奥歯を噛んだ。
「クロードの剣を否定するのですか」
「違う」
初めて、兄様の声が強くなった。
「お前が止めている」
言葉が刺さる。
「その剣を、墓標にするな」
息が止まった。
「守るだけでは消える。変えなければ残らない」
「変えたら、クロードの剣ではなくなります」
「違う」
兄様が踏み込む。受け流す。重い。足が下がった。
「受け取ったものを、そのままにしておくことが継ぐことではない」
残響が弾かれる。
「お前には帝式剣術もある。内燃錬成もある」
私は目を見開いた。
「それを……風理の剣に?」
「使え」
兄様の剣が来る。
「でも、それでは――」
「使えるものを捨てて、何が最強だ」
また一撃。残響を合わせ、どうにか流す。
「生かせ」
次の剣が来る。
「伸ばせ」
肩まで痺れる。
「終わらせるな」
ギルフォード兄様の剣が、喉元で止まった。あと少し進めば終わっていた。
「ティア。その剣を、最強にしろ」
「……!?」
帝式剣術。
内燃錬成。
ずっと遠ざけてきた、帝国皇族としての技。
それをクロードの剣へ入れる。
考えただけで胸の奥が冷える。
墓標に手を加え、別の形へ変えてしまうように感じた。
けれど、兄様が言っているのは逆だった。
変えることで、生かす。
受け取ったものに、自分が持つものを重ねて先へ進める。
この人は敵だ。
帝国の皇子で、クロードとジルを殺した側にいる。
それでも、2人が私に遺したものを潰そうとはしていなかった。
むしろその価値を見て、先へ進めと言っている。
(――なぜ、この人が敵なの)
ギルフォード兄様が剣を引く。
「来い」
再び、切っ先が私へ向く。
「風理の剣を、そこで止めるな」
次回更新は 8月18日(火)予定です。




