第46話 殺す剣
第二章、中盤の山場を迎えます。
斜面を駆け下りる。
足場など選んでいられなかった。
岩を蹴り、土を削り、木の根を踏み折る。
崩れた石と共に狭隘部へと降り立ち、そのまま街の方向へと駆ける。
街前の広場が近づく。
先頭集団は、すでに崩れかけていた。
盾列が割れ、騎士が倒れている。
その中心に、金髪の男がいた。
ギルフォード兄様。
ガレリア帝国第二皇子であり、帝式剣術の体現者。
対魔族戦を前提に鍛えられた、帝国皇族の完成形。
怒りで斬りかかっていい相手ではない。
一歩間違えれば死ぬ。
広場の中央で、アルカディア王国のユリウス第二王子殿下が前に出ていた。
剣を構え、周囲の騎士を下がらせている。
「殿下、危険です!」
側近が叫ぶが、退くことはなかった。
ギルフォード兄様の剣が、ゆっくりと下がる。
隙に見えた。
けれど違う。
あれは、踏み込むための準備だ。
ユリウス殿下も、それを理解しているようで、剣を前に置き、魔力を脚へ回すことで、防御に徹している。
王国の実力者として、間違いなく正しい判断だった。
でも、あれでは足りない……!
私は地面を蹴った。
睨み合いの後、ついにギルフォード兄様が踏み込んだ。
地面が割れ、両者の距離が一瞬にして詰まる。
ユリウス殿下の剣が上がる。
受ける角度も悪くない。
防御魔法も重ねている。
それでも、死ぬ。
あれは受ける剣ではない。
殺される前に軌道を外すしかない。
残響を抜く。
間に合え!
ギルフォード兄様の剣が、ユリウス殿下の喉へ伸びる。
その横から残響を叩き込み、刃の軌道を逸らす。
まともに受けたわけでもないのに、刃と刃が触れた瞬間、腕の芯まで痺れが走った。
手首を持っていかれそうになるが、足の裏で地面を削りながら押し返し、どうにか剣先を外へ逃がした。
軌道の変わった刃がユリウス殿下の首筋をかすめ、細く血が飛んだ。
殿下が息を呑む。
生きている。
「下がってください」
「――」
「今のは、受けられていません」
ユリウス殿下の顔が強張った。
私の言葉ではなく、今の一撃そのものを思い返しているようだった。
やがて数歩下がり、兄様の間合いから外れる。
首筋から流れる血を手の甲で拭いながら、それでも剣は下ろさない。
兄様の構えを見ていた。
何が足りなかったのか。
どうすれば次を凌げるのか。
測り直している。
ギルフォード兄様は剣を引き、私を見る。
銀灰の軍服。
帝国皇族の紋章。
何年も会っていなかった兄が、敵として目の前に立っている。
「生きていたか」
「……はい」
「生きていたか、だと……?」
少し離れたところから、低い声が聞こえた。
ユリウス殿下だった。
「お前たち皇族に――彼女をいたわる資格などない!!」
足元で風が巻いた。
『風よ、我が進路を拓け。重きを払い、背を押せ。一直線に、ただ前へ――風走』
風が軍服を大きく揺らす。
そして、ユリウス殿下が地面を蹴ると同時に、風に押された身体が、一気に兄様との距離を詰める。
私も合わせるべく駆ける、が。
――速い!
兄様が受ける体勢を取るや否や、両者の鋼が激しくぶつかり、重い音が広場に響く。
ユリウス殿下が兄様を半歩押し込む。
近接戦ではあまり使われない風走。そして、この力。
移動に魔法を使い、その分、内燃錬成を力の強化に回しているのだろうか。
兄様が押し込まれるところはあまり記憶にない。
そして殿下の剣を受けたことで、兄様の右肩がわずかに開いている。
そこに残響を滑り込ませる。
刃が軍服を裂き、その下に赤い線を残した。
浅い。
内燃錬成で強化された身体を、刃先が薄く割いたにすぎなかった。
それでも、届いた。
ユリウス殿下の目が一瞬だけ私へ向く。
私が入れた傷を確認したのだと思う。
すぐに兄様へ視線を戻し、もう一度踏み込んだ。
風を纏った加速から、再び重い一撃を叩き込む。
今度の兄様は正面から受けず、剣を斜めに合わせて力を流した。
殿下の身体がわずかに泳ぐ。
私はその続きを取る。
兄様の剣がユリウス殿下へ向いている間に外側へ回り、脇腹を狙った。
また軍服が裂け、血が滲んだ。
深くは入らない。
けれど、届く。
ユリウス殿下が兄様に受けさせ、その直後を私が拾う。
殿下が正面から圧力をかければ、兄様の意識と剣がそちらへ寄る。そのわずかな偏りに、私の剣が入る道ができた。
数合ほど続けると、兄様の足が止まった。
「なかなかの連携だ、が」
剣を合わせながら、兄様が私を見る。
「……ティア。これは本心での行動か?」
声が、静かだった。
ティア。
その呼び方が耳に入った瞬間、剣を握る指がわずかに緩んだ。
「何を――」
ユリウス殿下が前へ出る。
「彼女がどれだけの絶望を味わったか! あなたには想像すらできないだろう!!」
これは、怒りと判断してよいのだろうか……。
剣を鈍らせていない。
むしろ一撃が重くなっている。
踏み込みの多くを風に任せ、その分だけ内燃錬成を剣へ寄せている。兄様が受けるたび、足元の土が削れた。
それでも数合も交えれば、変化が見え始めた。
殿下が風を強めると、兄様は踏み込まれる前に間合いをずらす。
剣へエーテルが集まれば、受ける角度を変える。
右へ抜けようとした時には、その進路を剣先で塞いだ。
風走の速さも、剣の重さも変わっていない。
だが兄様は、それを覚えている。
殿下の持つ手札を一つずつ見て、使える場所を削っている。
それでも、正面から受けさせるだけの力は残っていた。
兄様が殿下の剣を流したところへ、私は入る。
左腕、肩、そして頬。
残響の刃が、次々と兄様の守りを抜けていく。
ユリウス殿下の攻撃を受けた直後なら、風理の剣で取れる隙がある。
ただ、そのどれもが浅かった。
剣先は届いている。
私の身体が、その先へ届かせてくれない。
内燃錬成で強化された兄様の肉体は硬い。風理の剣で死角へ入っても、私自身の力では深く断ち切れなかった。
ユリウス殿下にも、それは見えているはずだ。
殿下の重い一撃は兄様に受けさせることができる。
その直後、私の剣は兄様へ届く。
力と技術。
二人で補えば、兄様にも傷を増やせる。
けれど、兄様も止まったままではいなかった。
ユリウス殿下が風走で間合いを詰める。
兄様が半歩だけ踏み込んだ。
その瞬間、兄様の身体の奥でエーテルが膨れ上がる。
ぞくりとした。
帝式剣術の技だ。
脚から腰、背、さらに肩と腕へ。
必殺の一撃を放つために、全身の力を無駄なく繋げていく。
この距離で放たれれば、ユリウス殿下は死ぬ。
殿下自身も感じ取ったらしい。
表情が強張った。
それでも、何が来るのかまでは分かっていない。
私は兄様の踏み込みに合わせて前へ出た。
残響を構え、兄様が振り抜くはずの軌道へ身体を入れる。
ここから帝式剣術を放てば、私の剣が触れる。
軌道をずらせば、ユリウス殿下の首を断つ一撃にはならない。
兄様の内燃錬成が止まった。
膨れ上がったエーテルが、何事もなかったように散っていく。
剣も振られなかった。
「……今のは」
ユリウス殿下が呟いた。
「……ッ!」
何とか技自体を出させなかったが、答える間もなく兄様が再び距離を詰めてくる。
次の攻防が始まるや否や、兄様が必殺の間合いに入り込む。
内燃錬成が膨らむ。
――速すぎる!
再び剣を邪魔する位置取りにギリギリ割り込むと、兄様は即座に一撃を捨てる。
ユリウス殿下は、何度か繰り返すうちに気づいたようだった。
兄様から異常な圧が立ち上がる。
直後に私が動く。
すると、その一撃は放たれない。
帝式剣術を知らない殿下にも、そこまでなら分かる。
私は兄様の技を知っている。
どこから一撃が始まり、どこへ繋がるのかも知っている。
だから、完成する前に邪魔ができる。
兄様も、私ごと崩せる形が整うまでは決定打を選ばない。
その間にも、ユリウス殿下の攻め方は少しずつ塞がれていった。
風走で斜めへ抜ければ、その先を取られる。
強く踏み込める距離を作ろうとすれば、先に間合いを詰められる。
内燃錬成を集める時間すら、少しずつ短くされていく。
殿下は何とか対応していた。
風の向きを変え、加速の幅を変え、剣へ回すエーテルも細かく調整している。
それでも兄様は、その変化を追ってくる。
そして、兄様から向けられる殺気が強くなっていた。
ユリウス殿下を、ここで殺す。
その意思が、剣を交えるたびにはっきりしていく。
殿下の剣が弾かれた。
兄様が踏み込む。
内燃錬成が膨れ上がり、私は反射的に横へ入った。
必殺の軌道を塞ぐと、兄様は一瞬でそれを捨てた。
しかし、次の刃がそのままユリウス殿下へ返る。
殿下が剣を上げるが、兄様はその外側へ刃を滑らせ、さらに一歩詰めた。
切っ先が胸へ突き立つように向かう。
残響を差し込むには、力が足りない。
私はユリウス殿下の脇へ入り、肩で押した。
殿下の身体が横へ流れる。
兄様の刃が軍服を裂いた。
血が飛ぶ。
あと少し遅ければ、心臓を貫かれていた。
ユリウス殿下の顔が凍りつく。
兄様は止まらない。
押しのけた私ごと視界に入れたまま、すでに次の間合いを取っている。
さっきまでより、近い。
殺気も強い。
次は、身体を押しただけで外せる気がしなかった。
兄様はもう、ユリウス殿下だけを見て戦っていない。
どの攻め方なら私ごと崩せるのか。
確実に測り始めている。あの人は、そういう人だ。
――終わりが、近い。
私は残響を握り直した。
次回更新は 8月14日(金)予定です。




