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無名の風鈴剣 ~消えかけの少年に、天才魔導技師と皇女が激重感情を向けてくる~  作者: 風紋
第二章 遺された風理の剣と、戻れない皇女

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第44話 花の袋(フラワーポケット)

 アステラ・ピークへの道は、山に挟まれていた。


 平原から続く街道は、最初こそ広い。

 けれど進むほど左右の山肌が迫り、道幅はじわじわと狭くなる。


 やがて、軍列は細く絞られた。

 ひょうたんのくびれのような地形だった。


 前が詰まれば後ろが詰まる。

 後ろが押せば前が潰れる。

 谷底の左右は崖と岩棚。逃げ場はない。


 そして、その狭い道を抜けた先に、アステラ・ピークの街がある。

 5年前、王国軍が越えられなかった山間の要衝。

 ユリウス殿下は、馬上からその地形を見ていた。


「5年前と同じ轍(てつ)は踏まん。――斥候(せっこう)」

「はっ」

「崖上を確認しろ。魔力反応、伏兵、落石準備。見えるものは全て拾え」


 騎兵と軽装兵が左右へ散る。

 魔術師が短い詠唱を重ね、風と土の感知魔法を斜面へ流した。


 しばらくして、斥候が戻る。


「露骨な伏兵は確認できません。崖上に古い陣地跡、岩棚、崩落跡あり。魔力反応は微弱。ただし遮蔽物が多く、奥までは見通せません」

「見えぬ、という報告だな」


 ユリウス殿下はそう言った。

 そもそもが安全ではない。それは分かっている。


 けれど、ここを越えなければ帝都へは届かない。


「魔術師隊は狭隘(きょうあい)部に残れ。上方防御を薄く張り続けろ。落石、矢、魔法を受けた瞬間だけ厚くする。無駄に厚く張るな。魔力が持たなくなる」

「はっ」

「先頭は止まるな」


 ユリウス殿下の視線が、私へ向く。


「セレスティア殿、君は先頭集団につけ。精鋭騎士と突破部隊を連れて、まず先頭が無事に狭隘(きょうあい)部から抜けることが重要だ」

「はい」

「戻るな」


 ユリウス殿下の目を見つめて、問う。


「後方が襲われても、ですか」

「戻れば全軍が止まる」


 ユリウス殿下は、苦い声で言った。


「もし伏兵がいれば被害を受ける。だが、受ける前提で進む。先頭が止まれば、詰む」


 分かっている。

 それでも、胸の奥が冷えた。


 後ろで誰かが死んでも、私は前へ行かなければならない。


 私が進めば、助かる者がいる。

 戻れば救える命もあるかもしれないが、結果として軍全体ではより多くの血が流れる。

 どちらを選んでも、誰も死なせないという選択肢はない。

 それが、先頭に立つ者の責任だった。


 ふとユリウス殿下の後方へ視線をやると、公国のエリオ・サルバート主席調整官がこちらを見つめていた。

 将官たちが険しい顔で崖上や街を睨(にら)み、戦局を協議している。そのすぐ傍(かたわ)らで、彼だけは戦場ではなく、私を見ていた。

 戦場の地形も、罠の気配も見ていない。

 ただ静かに、私だけを観察していた。


 私はその不気味な視線を振り払うように前を向き、愛刀・残響を抜く。


「行きます」



 王国軍が、狭隘(きょうあい)部へ入った。


 最初は静かだった。


 山肌に囲まれた道は、思ったより暗い。

 空は見えているのに、左右の崖が光を削っている。


 足音が反響する。

 馬の息が響く。

 鎧の擦れる音が、岩肌に跳ね返る。


 上には、薄い防御膜が張られていた。


 魔術師たちが狭隘部の各所に残り、頭上へ淡い光を広げている。

 落石や矢を完全に止めるほど厚くはない。

 けれど、何かが落ちてくればすぐに厚くできる。


 無策ではなかった。

 5年前の悪夢を、知っている。


 だから、全てを守ろうとはしていない。

 少しでも多くを、少しでも早く、通す。

 そのための防御だった。


 前方に帝国兵が見えた。


 少数。


 盾を構えているが、数は多くない。

 街道を塞(ふさ)ぐように立っている。


「突破!」


 精鋭騎士が叫んだ。


 私は馬を走らせる。

 帝国兵の魔法が飛ぶ。

 土壁が立ち、炎が走る。


 けれど、私の前では薄い。


 白環防核(ルクスシェル)を展開するまでもなかった。


 残響を振るい、真正面から打ち合うのではなく、敵の剣を流して槍の軌道をずらす。

 盾を押し返そうとする力を空回りさせる。


 敵の力は、私の前で行き場を失った。

 体勢を崩した帝国兵の隙間へ王国騎士の槍が突き込まる。


 帝国兵は抗戦もそこそこに、私たちを街の方へ引き込むように奥へ奥へと退いていく。


 妙だった。

 城壁を守る要所であれば、魔導砲やあの血の弾丸(ブラッディバレット)が惜しみなく使われると思っていたのに、先頭への攻撃が不自然なほどに薄い。

 前へ進むにつれて抵抗はあるものの、まるで私たち先頭集団を本気で止める気がないかのようだ。


 その不気味な手応えのなさに相反し、背後から響く音が重苦しさを増していく。


 不意に頭上で何かが弾け、左右の岩肌の上から、凄まじい勢いで矢と火球が降り注いだ。


「上方(じょうほう)防御!」


 後ろで魔術師の詠唱が重なる。


 薄かった防御膜が一瞬だけ厚みを増す。

 火球が弾け、矢が光に絡め取られ、砕けた石が膜の表面を滑り落ちていく。


 凌(しの)いだ。だが、休む間もない。

 雨あられと降る頭上からの殺意を、光の膜がその都度弾き返す。

 背後から聞こえる魔術師たちの声が、じわじわと荒れ、掠(かす)ていった。


 それでも、私たちは前へ進むしかなかった。


 やがて左右の崖が開け、狭隘部の出口の向こうに広い空間が見え始める。その先には、山肌へ張り付くように築かれた城塞都市、アステラ・ピークがそびえていた。

 街壁の上に翻る帝国旗へ食らいつくこと。それが、私たち先頭集団の役目だった。


 その時、後方で轟音が響いた。


 思わず振り返りかけた私を、「振り返るな!」というユリウス殿下の声が引き留める。

 彼も先頭集団に位置し、抜刀したまま前を見据えていた。けれど、その横顔は岩のように強張っている。


「後衛が襲われた。だが先頭は止まるな!」


 歯を食いしばる。後ろからは、すでに悲鳴が上がり始めていた。

 見なくても分かる。あの音は、赤エーテルで膨れ上がった魔獣――血の弾丸(ブラッディバレット)が隊列に突っ込んだ音だ。


 私が前にいるから、後ろには届かない。守れない。

 けれど、戻ればここで全軍の足が止まってしまう。

 前へ。前へ。

 前を開ける。それしかない。


 上空からは、さらに攻撃が降り注いでいた。

 魔術師隊が防ぎ、防御膜が厚くなるたび、全体の光は確実に薄れ、彼らの声も少しずつ掠(かす)れていく。

 命懸けで守っている。それでも、確実に削られていた。

 この狭い道そのものが、兵をすり潰す巨大な罠だった。


 前衛は進む。

 中衛が詰まる。

 後衛が乱れ途切れる。


 軍列が伸びていく。


 花の茎(くき)のように、細く、長く。


 そして、そこを折るための攻撃が降ってくる。


 狭隘部の中ほどで、崖上に何かが運び出された。


 最初、それが何かわからなかった。


 三つに分かれた部品を、内燃錬成で強化した帝国兵が組み上げている。


 台座。

 青い燃料槽(そう)。

 短い砲身。


 砲身は長くない。

 一メートルほどだろう。


 けれど、ただの魔導砲ではなかった。


 後部の燃料槽(そう)が脈打ち始める。

 砲身に刻まれた細い線が、白く光り始める。


 そして。


 砲口の先、何もない空中に白い線が走った。


 口径の倍ほどの円が、一瞬で組み上がる。

 輪の内側を、細い回路光が枝分かれしながら満たしていく。


 白い輪。

 砲身から浮かび上がる、冷たい光の輪。

 誰かが叫んだ。


「堕天使の輪《フォールン・エンジェル・リング》だ!」


 戦場の音が、遠くなった。


 上方防御の詠唱も。

 馬の嘶(いなな)きも。

 兵の悲鳴も。

 全部。


 見ないようにしていた記憶が、勝手にこじ開けられていく。


 ジルの笑顔。

 クロードとの鍛錬。

 風鈴の音。


 大切な、残り火の家。


 私のすべてを吞み込んだ、あの兵器が……。


 崖上の砲口が、こちらではなく、中衛へ向けられる。

 王国の魔術師隊が、上方防御を張ったまま、そちらへ多く魔力を回す。


 だが、それでは足りない。


 白い輪が、さらに何重にも折り重なる。

 圧が高まり、輝きがどんどん増していく。


 声にならない絶叫が、ひきつった喉の奥で凍りついていた。


♢♢♢♢♢♢♢♢


 先頭は街へ食らいつき。

 中衛は狭隘部に残され。

 後衛は血に乱れ。


 王国軍は、罠を警戒していた。


 警戒していたはずだった。


 それでも、軍列は伸びきっていた。

 守るべき場所は増え、守れる力は削られていた。


 花を誘引し、圧倒的火力で茎を折る。

 すべては、帝国の想定通りに進んでいた。


 ただ一つ。


 その輪が、彼女にとって何を焼いたのかを。


 帝国は、まだ知らない。


次回更新は 8/7(金)予定です。

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