↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無名の風鈴剣 ~消えかけの少年に、天才魔導技師と皇女が激重感情を向けてくる~  作者: 風紋
第二章 遺された風理の剣と、戻れない皇女

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

41/70

第40話 返して

本話は、セレスティアの内側に深く触れる回です。

第30話「残り火が消える日」の出来事を受けた内容になります。

少し重い回になります。

 カストレイルへ入城した頃には、空は赤く染まり始めていた。


 もとは王国領。

 帝国に占領され、奪還した街だ。


 城壁には、砲撃の跡が残っている。

 崩れた石壁。焼け焦げた見張り台。砕けた門扉(もんぴ)。

 だが、街そのものは思っていたよりも静かだった。


 道端でこちらを見る住民たちの目は、怒りよりも困惑に近かった。

 王国軍の帰還を喜ぶ者もいる。だが、それは歓喜というより、長く息を詰めていた者がようやく吐き出すような、弱々しい安堵(あんど)だった。


(……思っていたより、荒れていない)


 略奪の痕は少ない。

 井戸は使える状態で残されている。

 焼かれていない家も多い。


 帝国は、この街を壊すつもりではなかった。

 奪うためではなく、統治するために残していた。


 その事実だけが、静かに胸の奥へ沈んでいく。


「帝国の犬どもめ」


 背後で、王国兵の一人が吐き捨てた。


「魔族と組む連中に占領されて、よく無事でいられたもんだ」

「停戦を破って攻め込んできたんだ。やはり、まともな連中じゃない」


 住民の一人が、その言葉に肩を震わせる。

 けれど、何も言わない。


 今日この街へ入った王国兵と、占領下で過ごした住民とでは、見えているものが違うのだ。


 何が正しいのか、まだ分からない。

 帝国が侵略したことは事実だ。

 この街を奪ったことも、王国の民を戦火に巻き込んだことも。


 それでも。

 目の前の街は、聞かされていた地獄とは、少し違っていた。


「……風理(ふうり)の剣(けん)」


 小さな声が、耳に届いた。


 振り向くと、物陰から子どもがこちらを見ていた。

 母親らしき女が、慌ててその肩を抱く。


「こら、見るんじゃありません」

「でも……兵士さんが言ってた人でしょ?」


 別の声が重なる。


「左翼を救ったって……」

「帝国兵を、一人で止めたって聞いた」

「風理(ふうり)の剣(けん)のセレスティア様……」


 その名が、街の片隅で囁かれている。


 風理(ふうり)の剣(けん)。

 その響きだけが、胸の奥に小さく灯った。


 この名は、私が決めた。

 でも、まだ誰も知らない。

 この剣が、この名が。

 私だけのものではないということを。


(……届いている)


 ほんの少しだけ。

 本当に、少しだけ。

 口元が緩んだ。


 クロード。

 あなたの剣が、人々に届いた。


 あなたが、何も残せないまま消えたのだとしても。

 私は、あなたを知っている。

 あなたの剣を知っている。

 それを、誰かが呼んでくれた。


 ただそれだけのことが、どうしようもなく嬉しかった。


 ユリウス第二王子殿下が、こちらを見ていた。


「……笑うのだな」


 低い声だった。

 私は、わずかに目を伏せる。


「不快でしたか」


「いや」


 ユリウス殿下は短く答えた。


「初めて見た」


 その視線は、いつものような、いずれ国を統べる立場から向けられるものではなかった。

 ただ、一人の人間を見たというような、柔らかな目だった。


 私は視線を外した。


 そんなものを向けられる資格が、自分にあるとは思えなかった。


 その後、私は街の中心部にある旧領主館へ案内された。


 今夜はここで休むことになるという。戦場に近い都市とはいえ、帝国の皇女である私を雑に扱うことはできないのだろう。

 用意されたのは、領主館の地下にある安全区画だった。


「砲撃にも強く、侵入経路も限られます。暗殺対策としても最適です」


 案内役の騎士がそう説明した。


 石造りの階段を下りる。

 空気が少しずつ変わっていく。地上の声が遠ざかり、代わりに湿った石の匂いと、こもった熱が肌に触れた。


 扉が開かれる。

 部屋は広かった。床には厚い敷物が敷かれ、寝台も上等なものが用意されている。机には水差しと食器。壁際にはランプ。

 汚くはない。むしろ、丁寧に整えられていた。


 だが、窓はなかった。


 壁は分厚い石で、天井は緩やかな半円のアーチを描いている。声を出せば、きっと少しだけ反響する。

 閉じた空間。逃げ道の少ない場所。


 なのに。


(……落ち着く)


 不思議と、そう思った。


 王宮の広間や、野営地の豪奢な天幕より。兵士たちの歓声が届く地上よりも、ここは、ずっと静かだった。


 私は息を吐く。

 ここなら、誰にも見られない。何の立場もない。ただ、目を閉じていられる。

 その安堵が、胸の奥に触れた瞬間。


 押し込めていたものが、少しだけ緩んだ。


 しばらくして、食事が運ばれてきた。

 白い陶器の器。湯気の立つポタージュ。


 スプーンを手に取る。

 その白い湯気が、揺れた。


 ――揺れた湯気の向こうに、ふと、あの日の光景が重なった。


 指先が止まった。


 ――ジル。


 奈落谷の底にある、残り火の家。廃棄ボイラーの丸い壁を照らすヒカリゴケの淡い光。鉄の匂いと、温かい湯気。

 ジルが鍋をかき混ぜながら、振り返る。


『今日はちょっと塩多いかも』

『いや、うまい』

『クロード、味覚(みかく)壊れてない?』

『リンは?』

『……おいしいです』

『ほら見ろ!』

『いや絶対リン、気を遣ってるでしょ!?』


 くだらない会話だった。

 でも。たまらなく温かかった。


 クロードが笑っていた。

 ジルが呆れていた。

 私は、その隣に座っていた。


 たったそれだけのことが、どうしてあんなにも幸せだったのだろう。


 スプーンが震える。

 違う。これはただの記憶だ。

 何度も思い出しては、何度も押し込めてきた。


 けれど今日は、違った。


 部屋の形、こもった熱、閉じた空気。そして白い湯気。

 それらが、忘れたふりをしていたものを、記憶の奥底から引きずり出してくる。


『週に一回くらいなら、添い寝してもいいんじゃない?』


 ジルの声が、鮮明に蘇った。

 少しぶっきらぼうで、お姉さんぶっていて。冗談みたいに笑って。


 でも。

 今なら、分かる。

 あの笑顔は、少しだけ無理をしていた。


 ジルだって、孤独だった。

 父を亡くし、母とも長く連絡を取っていないと言っていた。

 クロードの隣が一番似合う場所だった。

 家族のように。


 私より、ずっと前から。


 それなのに、私は。


 何も知らない顔で、迷子みたいにあの家へ入り込んだ。温めてもらい、食べさせてもらい、守られて。

 そして。

 クロードの隣に、座った。


 ジルが街へ行っている間、クロードと二人で食事をした日もあった。

 剣を教えてもらって、笑って、褒められて。嬉しくて。


 私は、そこが自分の場所なのだと思った。


 でも。

 そこは、最初から私の場所ではなかったのではないか。


 ジルの場所だった。ジルが守ってきた場所だったのだ。クロードの隣も、あの家の温もりも、あの食卓も。

 私は、無邪気に。

 当たり前みたいに。


 奪っていた。


「……違う」


 声が漏れた。


 違う。そんなつもりじゃなかった。

 私はただ、嬉しかっただけだ。あの場所が好きだっただけだ。三人で笑っていたかっただけだ。


 でも。

 ジルは、どうだったの。


 そうだ。

 最後の日に、突然始まったわけじゃない。


『リン。そろそろ、感情とエーテルの切り離しをやってもらわないと困るの。じゃないと、クロー――』

『ジル。良いんだ』


 クロードの声。


『でも、それじゃ――』

『良いんだッ!!』


 あの人が、怒った。

 あとにも先にも、たった一度だけ。いつもまっすぐで、優しくて、誰かを責めることなんてなかったクロードが。

 ジルに、怒った。


 ジルの顔が、ぐしゃぐしゃに歪(ゆが)んだ。

 泣きそうで、悔しそうで。それでも言葉を飲み込んだ顔。


 ――クロードが、消えちゃうじゃない。

 きっと、そう言いたかったのに。


 ジルは、私を責めなかった。

 ただ、その時の状況を良くしようとしてくれただけだった。


 感情とエーテルを切り離し、力を制御すること。クロードが消えてしまわないようにすること。


 いつもそうだった。

 分からないことを教え、できないことをできるようにしようとしてくれて。いつも力になろうとしてくれた。


 そのジルが。

 クロードに、怒鳴られた。

 私を庇(かば)うために。


 私は、その時。何を思った?

 クロードが、私を庇(かば)ってくれた。私に、ここにいていいと言ってくれた。

 そう思った。

 救われたと思った。


 でも。

 違う。

 私は、あの瞬間も。

 ジルを踏みにじらせていた。



『ピーッ、ピーッ、ピーッ』


 耳の奥で、マナ探知機の警報が鳴った。


 最後の日、警報は止まらなかった。

 不安定になった私のエーテルは、もう探知機の閾値(しきいち)の内側に収まらなくなっていた。


 必死に押さえ込もうとするたびに、音は一瞬だけ弱まった。

 けれど、すぐにまた鳴り始めた。


 そのたびに、ジルの肩が跳ねた。


 やがてジルは、両手で耳を塞(ふさ)いで、膝に顔を埋めてしまった。

 見ていられなかった。


 だから私は、マナ探知機に手を伸ばした。

 耳を刺すような警報音が、ぷつりと途切れた。


 ジルが苦しそうだったから。あの警報音を、これ以上聞かせたくなかったから。

 そう思った。


 でも。

 本当にそうだったの?


 私は、もう自分では止められないと、認めてしまっただけではなかったのか。

 エーテルを抑えるために、ジルが教えようとしてくれた『切り離し』の技術を。最後の最後で、諦めたのではなかったのか。


 警報が止まった後。ジルは、しばらく耳を塞(ふさ)いだまま動かなかった。

 そして、顔を上げた。


 あの時の顔を、今でも覚えている。

 泣き腫(は)らした目、青ざめた頬、こけた輪郭(りんかく)。

 今にも壊れそうなのに。

 それでも、何かを決めてしまった顔だった。


 決めさせたのは、誰?


 私だ。

 私が止められなかったから。

 私が諦めたから。


『……クロードと、静かに暮らさせて』


 記憶の底から蘇ったその震える声に、ヒュッと喉の奥で息が引きつった。


『クロードが、消えちゃうよ……っ!』


 悲鳴のような声。ジルの青ざめた頬と、震える唇。


 分かっていた。

 あの時の私は、分かっていた。


 ジルは、私を憎んで追い出したのではない。クロードを守るために、私を切ったのだ。

 だから私は、受け取った。

 ジルの決断を。ジルが心を千切(ちぎ)って選んだ、その答えを。


 そうすれば、二人の幸せを守れると思った。

 私が出ていけばいい。私さえ消えればいい。そうすれば、クロードとジルは、また静かに暮らせるのだと。

 思っていた。


 でも。

 違った。

 選んだのは、私じゃない。


 私が、ジルに選ばせた。

 私を切り、捨てることを。クロードを守るために、泣きながら私を失うことを。

 ジルに、選ばせてしまった。


『リン……っ、うあぁぁ……っ!』


 あの声。

 あの泣き声。


 いつからだったのだろう。ジルが笑顔の裏で我慢を重ね、クロードの隣で泣かないように苦しんでいたのは。


 私は、何も知らなかった。

 あの家に居座り、クロードの隣でジルの作ったスープを飲んで笑っていた。


 そのうえ。

 私は、判断を間違えた。


 氷殻獣(グラシエクラスト)を倒すのが遅れた。彼らを救うためだと言い訳して、天の白閃(セレスティアル・レイ)を放った。

 軍に見つかるのは、時間の問題になった。

 結局、居場所が発見された。


 そして。

 二人だけが、死んだ。


 ジルは苦悩と苦痛を抱えたまま、泣きながら私を切り捨て、見送ったのだ。

 大切な二人の一生が、その瞬間に閉じた……。


 私の判断が、全部悪かった。


 どうせ去るなら。どうせ二人の前から消えるなら。

 あの戦闘の直後、氷殻獣《グラシエクラスト》を倒したその足で私が一人で消えてさえいれば。


 二人は、生きていた。

 クロードとジル。二人だけなら、生きていた。


 私は、居場所のない子羊だった。

 帰る場所がなく、誰にも見つけてほしくなくて。誰かに、ここにいていいと言ってほしくて。

 その優しさに、すがった。

 あの二人が、私を放っておけない人たちだと知りながら。


 クロードのまっすぐさに。ジルの、少しぶっきらぼうな優しさに。

 私は、甘えた。

 人生で初めて掴んだ幸せだと思っていた。


 でも違う。

 あれは、二人が差し出してくれた善意だった。人助けをしたいという、ただそれだけの温かさだった。


 私は、それを。

 自分の居場所だと、思い込んだ。


 違う。

 違うのに。


 私は、あの場所が欲しかった。

 クロードの隣が欲しかった。

 ジルが作ってくれる温かい食事が欲しかった。


 欲しくて。欲しくて。

 手放せなかった。


「……わたしが」


 喉の奥から、声が漏れる。


「わたしが、こわし――!」


 言い切る前に、息が詰まった。


 喉の奥が焼ける。胸の内側から、何かがせり上がってくる。


 そんなつもりじゃなかった。

 私は、あなたから奪いたかったわけじゃない。

 クロードを、あの家を、あなたの幸せを。


 でも。

 奪った。


 スプーンが手から落ちた。

 甲高い音が、石の床に跳ねる。音はアーチの天井に反響し、いつまでも耳に残った。


「あ……」


 喉が震える。


「ジル……」


 声が掠れる。


 ジルの顔が浮かぶ。ぐしゃぐしゃに歪んだ顔。泣きそうなのに、怒りも、悲しみも、全部飲み込んだ顔。


 どうして。

 どうして、あんな顔をしてまで。


 私なら、耐えられない。大切な人に怒鳴られ、善意をはねつけられて。それでも言葉を飲み込むなんて。

 できるはずがない。


 なのに、ジルは飲み込んだ。

 私を責めず、追い出せとも叫ばなかった。クロードを守りたくて、私も壊さないようにして。


 ずっと。

 ずっと、ひとりで。


「ジル……っ」


「ジル、ごめんなさい……!」


「わたし、っ……わたしが……!」


 吐いた。

 胃液が石床に散る。


 喉が焼ける。涙がこぼれる。

 それでも、止まらない。


「ジル……っ」


 床に手をつく。身体が震える。


「ごめんなさい……ごめんなさい……!」


 違う。違わない。

 私は犠牲になったつもりだった。二人を守るために離れたつもりだった。


 でも、本当に犠牲にしたのは。

 ジルだった。


 ジルの時間、場所、願い。クロードと静かに暮らしたいという、たった一つの祈り。


 全部。


 私が、壊した。


 そう思った瞬間、また喉が引きつった。


 呼吸が浅くなる。

 気づけば、両手で頭を抱えていた。


「あぁ……ああああああっ……!」


 扉の外で、見張りが慌てる気配がした。


「セレスティア様!?」


「誰か、医師を——!」


 声がする。でも、届かない。

 私はもう、ここにはいなかった。


 残り火の家にいた。

 あの丸い壁の中で、ジルが泣いていて、クロードが手を伸ばしていて。

 私は、背を向けている。


 何度でも。何度でも。

 同じ場所へ戻ってくる。


「帰りたい……」


 声が漏れた。


「帰りたい……!」


 帰れるはずがない。


 あの場所は、もうない。

 あの時間は、もうない。

 あの二人は、もういない。


 分かっているのに。


「帰して……」


 涙が止まらない。


「帰してよぉ……!」


 返して。

 あの食卓を、あの湯気を、あの笑い声を。ジルの無理をした笑顔を。


「返して……!」


 叫びが漏れる。


「返してよぉぉぉぉっ!!」


 扉が開く音がした。

 誰かが部屋へ駆け込んでくる。

 けれど、私は頭を抱えたまま、ただ床に向けて叫び続けた。


「あの人たちの幸せを……!」


 喉が裂ける。


「全部、返してよッッッ!!!!」


 叫びは、地下の石壁にぶつかって返ってくる。

 何度も。何度も。

 返して。返して。返して。


 私は震えながら、床に爪を立てる。


「ジル……ごめんなさい……!」


「私……知らなかった……」


「違うの……違うの……!」


「そんなつもりじゃ……!」


 言葉はもう、形になっていなかった。

 ただ、ジルの名だけがこぼれる。


「ジル……っ」


「ジル……ごめんなさい……」


「ジル……」


 そこから先は、声だけだった。


♢♢♢♢♢♢♢♢


 ユリウスが地下室へ駆け込んだ時、セレスティアは床に崩れていた。


 白いポタージュの器が倒れている。石床には胃液が散り、落ちたスプーンが鈍く光っていた。

 彼女は頭を抱え、肩を震わせている。


「ジル……」


「ごめんなさい……」


「返して……」


 その声は、もう言葉というより、壊れた呼吸に近かった。


 ユリウスは、息を呑んだ。


 彼の目に映っているのは、戦場を切り裂いた剣士ではない。

 帝国第二皇女でも、王国の旗印でもない。

 床に崩れ、胃液と涙にまみれ、たった一人の少女の名を呼び続ける、壊れた少女だった。


 彼は、理解した。

 いや、理解したと思った。


 帝国は、この少女を人として扱わなかった。

 兵器、あるいは魔力供給装置。ただ取り戻すべき戦力として。

 そのために、庶民の少女がいた小さな幸福すら砲撃で焼き払った。


 クロードという、記録に存在しない少年。

 ジルという、消息の消えた少女。


 セレスティアが今、半狂乱で呼び続けている名。

 それが、彼女の失った世界だったのだと。彼女をここまで壊した帝国の罪の深さなのだと。


 ユリウスは、ゆっくり近づいた。


「セレスティア殿」


 声をかける。反応はない。


「セレスティア」


 それでも、届かない。


「あぁぁ……ああああああっ……!」


 彼女は頭を抱えたまま、壊れたように叫び続けている。

 放っておけば、自分で自分を壊してしまう。


 そう判断した。

 ユリウスは膝をつき、震える身体を抱き寄せた。


 セレスティアの身体は、ひどく冷たかった。

 戦場で見た恐るべき力は、どこにもない。

 細い肩に、震える背中。浅い呼吸。


 ただの、泣いている少女だった。


「大丈夫だ」


 彼は低く言った。


「もう、ここには帝国はいない」


 セレスティアは聞いていない。


「ジル……」


「ごめんなさい……」


「返して……」


 それだけを繰り返す。


 ユリウスは、強く抱きしめることしかできなかった。

 その腕の中で、セレスティアはずっと震えていた。


 目は開いている。だが、どこも見ていない。

 彼女はまだ、残り火の家にいる。

 5年前の、燃え尽きた幸福の中に。


 ユリウスは、静かに目を伏せた。


 帝国を。

 この少女から全てを奪った国を。


 心の底から、憎いと思った。



ここまでお読みいただきありがとうございます。


第30話の出来事が、セレスティアの中でようやく形を変えて噴き出す回でした。

かなり重い回になりましたが、次話へ続きます。


次回更新は 7/24(金)予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。