第39話 風理の剣、初陣
風理の剣の名は、まだ空気に残っていた。
広場の熱は遠くなり、今は地を蹴る馬蹄の音だけが続いている。王都の澄んだ空気が、少しずつ硝煙と血の匂いに濁っていくのを感じる。
利用したのだ。王国の、大切な出陣式を。
そして、利用される。
風理の剣を背負う、私という存在を。
——それでいい。
♢♢♢♢♢♢♢
戦場に着いたのは、午前だった。
ユリウス第二王子殿下の傍らで、本陣に飛び込んでくる報告を静かに聞いていた。
「左翼、後退しています!」
「面制圧砲、止まりません!」
「直上砲が死角を——防御範囲が追いつかない!」
次々と入る悲報に、周囲の空気が揺れ始める。
「分散しているはずだ。なぜ——」
「各部隊が孤立しながらも、連携が切れていない。想定と違う……!」
将達の間に動揺が、広がっていく。
(……やっぱり)
私は、静かに前を見ていた。
帝国は『学ぶ』。そして『改善する』。停戦から5年間もあったのだ。
無鉄砲に宣戦布告するだけのはずがない。分散しているのに強いのは——分散しても戦えるだけの異常な練度を、この5年間で作ってきたからだ。
「左翼、崩れています——!」
決定的な報が届く。
私はユリウス殿下を見た。
「——行きます」
それだけ言って、地を蹴ろうとした。
「行け」
背後から、ユリウス殿下の静かな声がした。
命令ではない。容認だった。
「……見せてもらおう。あなたの『支え』が、どこまで通じるのか」
私は振り返らなかった。
彼の言う「支え」という言葉が、過去への執着という哀れみを含んでいることはわかっていた。
それでも構わない。私はただ、前だけを見た。
陣を飛び出す。
戦場へ向かって駆ける最中、頭上から無数の砲撃が降り注いできた。
素早く防御を展開する。
淡い白光が滲み、私の周囲に複数の環状構造が浮かび上がる。
『白環防核』
わずかに歪んだ円を描きながら、唸るように回転を速める光の盾。
砲撃が触れ、激しい衝撃に盾が波打つ。防核の光を散らしながら、すべてを弾き飛ばす。
背後で、ユリウス殿下の部隊が立ち止まる気配がした。砲撃が止まない以上、魔術師の魔法防御の後ろにいなければならず、私のように突出できないのだ。
構わない。
私は強大な光の核に護られたまま、単騎で砲火の中を突き進む。やがて、王国の本隊を視界の向こうへ置き去りにした。
熱が散り、衝撃が流れる。
帝国の砲火は激しい。ただの数頼みではない。明確な殺意と練度を伴った、本物の脅威だ。彼らがこの五年間で研ぎ澄ませてきたものを、肌で理解する。
(……やはり、強い)
だからこそ。
もう、ただ息を潜めるだけの「空」ではない。
怒りでも、憎悪でもない。ただ、確固たる意志としての重い熱が、胸の奥に満ちていた。
(私が、止める)
厚い火線の奥へ。
光の環が衝撃で欠ける端から、莫大なエーテルを注ぎ込み、瞬時に修復していく。効率など度外視した、力任せの防壁。息一つ乱さず、前へ。
やがて、砲撃の雨を抜けた。
王国の左翼は、崩れかけていた。だが——崩れきってはいない。
帝国兵が、分散したまま前進してくる。密集していない。王国側の大規模魔法を警戒しているのだ。
(——好都合)
4年前、ロラン侯爵から贈られた腰の真剣『残響』を、静かに抜く。
風を、探す。
流れがある。向こうから来る流れに、逆らわない。
最初の一人が来た。
受けずに流す。相手の刃が空気を裂く。
すれ違いざま、首の急所に入れる。
崩れる。
次。また次。
踏み込んだ足が大地を滑り、一人、また一人と沈めていく。
(……通じる)
完全ではない。それでも——通じる。
私の介入によって、王国の左翼に少しずつ統制が戻り始めていた。
その直後だった。
一瞬、戦場の音が遠のいたような、肌を刺す異常な殺気が膨れ上がった。
鋭い気配。
一瞬で他とは違うとわかる。
(——来い)
剣を持つ手を静かに下ろす。
構えに型はない。流れのままに、どこが起点か読まれないように。
速い!
しかし、するりとかわして、流す。
すれ違いざま、急所へ——触れた。
だが、男はギリギリで首筋の剣から逃れた。致命傷にならない位置へ、紙一重で身体を捻ったのだ。
(……!)
読まれてはいないはずだ。勘、だろうか。
男は警戒心を高め、もう一度仕掛けてくる。
風のようにかわし、すれ違いざまに攻撃を繰り出す。
またしても触れるものの、ギリギリでかわされる。当たっているが、決まらない。
(面白い——)
彼にも型がない。読もうとすると、すでにそこにいない。
それでも、風理の剣は通じている。押せている。
だが、男の目は静かだった。焦っていない。ただ見ている。私の剣の中から、何かを探している。
(——何を)
その瞬間、男の動きが変わった。攻めるのをやめたのだ。
圧をかけてくる。じわじわと、追い込むように。私に防御させようとしている。
わかっていた。
わかっていたのに——来た。
体が、本能で反応してしまった。
受けた。内燃錬成の乗った重い一撃が、腕を伝わる。
(っ——!)
足がわずかによろめく。男の目が変わった。
——捕まえた!
目で語ってくる。
また来る。また防御してしまう。
(違う)
防御するたびに、私の『実体』が見えてしまう。気配が生まれ、読まれていく。
(風理の剣は、こんなはずじゃない——!)
そう思いながらも、鬼気迫る男の連撃は一向に止まらない。
『ここで決める』という強い信念を感じる。
絶対に負けられない。あの作戦室で誓ったのだ。
奥歯を強く噛み締める。
だが、力が入れば入るほど実体が見え、相手の術中にはまる悪循環だった。
——その時。気づいた。
彼は私に『防御』させようとしている。
ならば——今度は私が、彼に『防御』させる番だ。
攻める意志を、全部乗せる。隠さない。叩きつけるように、前へ出る。
男が読む。私の攻撃が来るとわかっている。——だから、彼は防御の姿勢をとる。
互いの力がぶつかる、その瞬間。
フッと——。
私の剣から、一切の力が消えた。
剣の押し込みを完全に抜く。手応えが消える。
男は、備えたはずの衝撃は来ず、防御に込めた力が行き場を失う。
そして、太い首筋が完全に露わになった。
その一瞬の隙間へ。霧が、滑り込むように。
重力だけを乗せた、完全な無音の落下。
——霧滝斬。
鎧の隙間へ、叩き込んだ。
——そして、止めた。
致命傷になる寸前のところで、刃を止めた。
なぜかは、わからない。
ただ、その男の剣に滲む、命を削って積み上げたであろう練度を無造作に奪うことを、私の剣が拒んだ気がした。
男は、首元から流れる血を押さえ、よろめいた。
その目が、驚愕に見開かれている。
なぜ自分が生きているのか。なぜ完璧なタイミングで防御したはずなのに、首を獲られかけたのか。
——防御しなければ死んでいた。だが、防御したからこそ『すり抜けられて』技が成立した。
私の放った一撃の理に気づき、男が戦慄しているのがわかった。
次の瞬間——男の部下と思われる者たちが、雪崩れ込むように間に入った。装備がまばらだ。民兵かもしれない。
無言だった。声もなく、指示もなく。ただ盾になるように、私の前に立ちふさがる。
剣を構える者。体を張る者。
誰一人、退こうとはしない。
私は、剣を下ろした。この場は、終わったのだ。
部下の一人が男の腕を肩に担ぐ。もう一人が反対側を支える。男はそれを拒まなかった。
「——何者だ」
男が問いかけてくる。低い声だった。
男の目を見ると、憎しみや怒りはない。ただ『未知の剣』を振るう私を、じっと窺う目 であった。
「帝国第二皇女——風理の剣のセレスティア。……あなたの、名は」
その瞬間、男の目がわずかに見開かれた。
傷ついた身体を部下に預けながらも、姿勢を正す。
「平民に、名などありません。」
声は低いままだったが、その口調は明確に丁寧なものへと変わっていた。
男はそれだけ言って、背を向けた。
部下たちが支え、囲むように撤退していく。白煙の向こうへ、彼らは消えた。
帝国右翼が、崩れた。
彼らの撤退の報が広がると同時に、統制が乱れ始める。見事だった分散陣形が、指揮官を失ったことで逆に仇となった。
各部隊が孤立したまま、連携が切れていく。
王国左翼が、押し返す。
歓声が、遠くで上がった。
私は、静かに剣を収めた。
(……まだ、遠い)
霧滝斬は決まった。
でも、風理の剣は完璧ではなかった。踏み込みが足りなかった場面がいくつもある。相手の圧に負けて防御してしまった瞬間が、悔しい。
クロードなら——
いや。
(届いた)
ほんの一瞬でも。あの領域に。
腰の風鈴が、かすかに揺れた。
チリン——
澄んだ音だった。
クロードの技を、確かにこの戦場に刻んだ。
私の髪を撫でるように、風が通り抜けた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
風理の剣、初陣でした。
名だけではなく、ようやく戦場にも刻めた回です。
次回更新は、7/21(火)予定です。




