第38話 風の名と、鎖の言葉
歓声は、まだ外縁の円形場で続いていた。
城門から王都の内側へ、五分ほど。
外縁防衛のために置かれた軍務区画には、兵舎、馬場、倉庫、訓練場が連なっている。
その奥に、普段は閉ざされたままの石造りの棟があった。
王都が攻められた時、城門方面の指揮を執るための場所。
王族や将軍が前線の状況を受け、命令を下すための作戦室。
謁見の間ほど華やかではない。
だが、厚い石壁と高い天井、磨かれた長卓、壁に掛けられた王都外縁の地図が、そこがただの詰所ではないことを示していた。
アルフォンス王は、円形場には姿を見せなかった。
けれど、遠くにいたわけではない。
扉一枚。
石壁一枚。
歓声の熱がまだ届く場所で、次の戦の話が始まろうとしていた。
王の前に、立つ。
先ほどまでの喧騒が嘘のように、長卓を囲む者たちは言葉を慎み、氷のような静寂が空間を支配していた。
「報告を」
王の低く短い一言で、空気が動く。
「はっ」
進み出たのは宰相だった。
「公国に関する情報ですが――先の“帝国からの砲撃”の報は、誤報の可能性が高いと判明いたしました」
諸侯の間に、わずかなざわめきが走る。
宰相は意に介さず、淡々と続けた。
「現在確認されている事実は二点。公国は兵を集めていること。そして――すでに出陣に向けた動きを見せていることです」
「ただし」
宰相の声は、感情を排した冷静なものだった。
「兵の集結速度、内海航路の状況、いずれを見ても――実際の公国軍の出発は大幅に遅れる見込みです」
つまり。
「当面、我が国単独での戦線維持が前提となります」
帝国という巨大な敵に対し、王国だけで初動を支えきらなければならない。
重い現実だけが、長卓の中心に静かに置かれた。
「……なるほどな」
低く、王が応じる。
その時だった。
「失礼ながら」
武官の一人が、一歩前に出た。
あの場にいなかった顔だ。歴戦を思わせる、空気を切るような鋭い視線が私へ向けられる。
「本日の一件、確かに見事ではありました」
言葉は丁寧だった。だが、そこに称賛の温度はない。
「しかし、少数相手の立ち回りならばいざ知らず、数千の敵が押し寄せる戦場では意味を持ちません。敵は圧倒的な数で来る。乱戦に持ち込まれれば、いかなる個の技も濁流に埋もれます」
室内の空気が、わずかに張り詰める。
「ましてや――エーテルを用いぬ剣。効率の面で見れば、戦術的価値は限定的かと」
否定ではない。純粋な軍事視点からの切り捨てだった。
(……わかっている)
私は、その言葉を静かに受け止めた。
あの剣が集団戦に向いていないことなど、私が一番よく理解している。そして、言い返すつもりはない。
私が無言を貫いていると、ふと、別の視線を感じた。
ユリウス第二王子殿下だ。あの修練場の時と同じく、何も言わず、ただ黙ってこちらの様子を観察している。
やがて。
「合理としては、正しい」
ユリウス殿下が静かに口を開く。
「戦は効率で決まる。個の技は、その一部に過ぎない」
武官が、同意するように頷く。
だが、ユリウス殿下の視線は武官ではなく、私へ向けられていた。
「――なぜ、捨てない」
その言葉が、冷たい石室に響く。
彼は、私が過去に縛られていることを知っている。
その上で、自明の理を説いているのだ。
戦場では、より多くを救える手段を選ぶべきだ。
強さに結びつかない執着なら、手放すべきだと。
(……言っても、無駄だ)
私がどれだけ、あの温かい日々のことを語っても。
クロードがどんな顔で笑っていたかを。
あの剣が、私にとって何なのかを。
どれだけ言葉にしても、きっと届かない。
言葉を尽くせば尽くすほど、私の中のクロードが、彼らの正しい理屈によって踏みつけられるだけだ。
だから、何も言わない。
分かち合えなくていい。
理解されなくていい。
「……できません」
声の震えを殺し、はっきりと前を見据える。
「風理の剣は、捨てるものではありません」
ただそれだけを、静かに言い切った。
その時だった。
「よい」
王の低く重い声が、空気をすべて断ち切った。
「戦とは、常に不確定の上に成り立つ。効率もまた、一つの正しさに過ぎぬ」
ゆっくりと紡がれる言葉に、武官も、ユリウス殿下も、深く頭を下げて沈黙する。
王の鋭い視線が、真っ直ぐに私へ向けられた。
「だが。それでもなお、己の剣を貫くというのなら――その結果で、語れ」
逃げ場のない、絶対者の命令だった。
「歴史は、勝者によって語られる。王国が敗れれば――」
王の目が、私を射抜く。
「その剣もまた、『無謀な敗北の象徴』として歴史に刻まれる」
敗北。
それだけは、絶対に許されない。
彼を消した帝国に負けて、クロードの剣が地に落ちるなど。
絶対に、あってはならない。
結果を出せずに負ければどうなるか。
王はただ、その当然の代償を突きつけたに過ぎない。
勝つしかない。
そもそも私には最初から――勝つしか、道は残されていないのだ。
「――だが」
最後に。
ほんの僅かだけ、王の声音が変わった。
「その名をどう遺すかは――汝自身が決めよ」
重く、静かな沈黙が落ちた。
縛られた。
だが、同時に委ねられた。
あの大衆の前で、誰の許可もなく名乗ったのは私だ。
ならば、その名をどう刻むのかも、私が決めなければならない。
「……はい」
深く一礼し、短く応じる。
「下がれ」
王の一言で、場が解かれる。
私は背を向け、歩き出した。
作戦室の扉へ向かう、その途中。
背中に視線を感じた。
ユリウス殿下だ。
振り返らなくてもわかる。
その目は、まだ私を測っている。
(……構わない)
歩みは止めない。
重い扉を抜け、外へ出る。
軍務区画の風が、ふわりと流れ込んできた。
遠く、まだ円形場の熱狂は続いている。
『風理の剣の――!』
私の中で、静かな炎が燃える。
(……まだだ)
完成ではない。まだ、彼には届いていない。
それでも。
(私が、証明する)
自ら選んだ名の重さを噛み締めながら、私は戦場へと続く道を歩き出した。
次回更新は7/17(金)の予定です。




