第36話 名を背負う覚悟
※本話は、第20話『白翼の日と温かな残り火の家』の出来事に触れています。
「御前出陣の儀は、10月4日となります」
宰相から日程が告げられる。
(その、日は……)
10月4日。
それは、白翼の日。
「……一つ、お願いがございます」
できる限り静かに、感情を乗せないように話す。
「式典の日程を、変更していただけますか」
小さなどよめきが起こる。
「理由を伺っても?」
文官の一人が問う。
答えようと口を開く。
——が、そのまま閉じる。
言えない。
「……私情、ですかな?」
別の貴族が、わずかに眉を動かす。
否定できない。沈黙が答えになってしまう。
「……お願いします」
それでも、頭を下げ続けるしかない。
場の空気がさらに重くなるのを感じた。
(これで、三度目の嘆願だ……)
5年前。王国に連れてこられた直後。
震える手で、二人の捜索を願い出た。
一年後。もう一度、頼み込んだ。
どちらも、何も戻らなかった。
それでも——あの日だけは。
新しい靴をジルからもらった日。
ずっと嫌われていると思っていたけれど、違った。ジルは、最後の最後まで優しかった。
クロードからは、この風鈴を託された。
クロードとジルと私。家族のように過ごした3人。
10月4日をみんなの誕生日にしようと、私が提案した。
人生で、これ以上ないほど幸福な日だった。
白翼の日は。
血で上塗りをするわけには、いかない。
——あの日だけは、私のものだ。
王は、しばし逡巡する。
「統合戦術官」
「はっ」
「先行部隊は、九月中旬に発つのだな」
「はっ。帝国の動きが想定より早く、逐次集結次第、投入いたします」
「現状のまま、白翼の日に本隊出立で——持つか」
「……率直に申し上げます。持たない可能性がございます」
間を置いて、別の声が重なる。
「補足を」
内政卿が一歩進み出る。
「各地の動員は順調ですが、補給線の確立は未だ途上。現行案では初動三日で消耗率が跳ね上がる見込みです。一刻も早く、瓦解しないレベルの増援は必要です」
「加えて」
若い文官が紙を掲げる。
「帝国側の圧力増大により、辺境領での離反リスクも無視できません。時間を置くほど、不利です」
「よって、皇女殿の提案には、一考の余地がございます」
王が静かに言った。
「祝日に合わせての王国民の戦意高揚が優先か。それとも、王国民の命が優先か。よく考えよ」
「はっ!」
声が重なる。
日程は前倒しに変更される。私の嘆願が理由として通ったわけではないが、日程自体は変わった。結果は掴んだ。
視界の端で、第二王子が黙って私を見つめているのが見えた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
謁見を終えると、私は一人で修練場の場所を聞き、訪れた。
広く開けた中庭には、心地よい風が流れている。
立てかけられた木剣を一本手に取った。
軽く息を吐き、ざわついた心を鎮めるように、ゆっくりと『型』の確認を始める。
少しして、微かな気配がした。
視線を上げると、回廊の二階部分に第二王子が姿を見せていた。足を止め、静かにこちらを見下ろしている。偶然通りかかったのか、様子を見に来たのかはわからない。
その直後だった。
「――おや、先客がいらっしゃるとは」
入口から声が響いた。
貴族が騎士を二人従えて中庭へ入ってくる。体躯と気配で分かる。騎士は、かなりの手練れのようだ。
彼らは日常の訓練にここを訪れた、というような自然な足取りだった。だが、騎士はともかく、貴族がわざわざこのタイミングで修練場へ足を運ぶのは、いささか不自然だ。
(……なるほど)
偶然を装っているが、明らかに私を『試し』に来ている。
王子の差し金か。それとも。
「セレスティア様。せっかくの機会です。手合わせなど、いかがでしょう」
貴族が丁寧な声で提案してくる。その意図は隠していない。
『確認』であり『証明』だ。内燃錬成を使わない剣が、本当に通用するのかどうかの。
私は黙って、手にした木剣を構え直した。
騎士がエーテルを練り込み、内燃錬成を起動する。そして——空気が爆ぜるような音と共に踏み込んでくる。
速く、重い。
一般的な剣ならば、触れた瞬間にへし折られるほどの剛剣。
私は目を細め、圧を探した。
クロードが教えてくれた剣。彼が『水理の剣』を自身の特異な体質に合わせて編み出し、風の動きへと昇華させた我流の太刀筋。
正面からは受け止めない。ただ、流れに逆らわないこと。
騎士の巨体がドンッと弾け飛ぶように肉薄し、上段からの唐竹割りを放ってくる。
だが、刃が届くよりも先に『風』が来る。力任せの踏み込みと殺気が生み出す、荒々しい空気のうねり。それに、逆らわない。
踏み込むのではなく、剣圧が生み出した風の通り道へと、水のように身体を滑り込ませた。
ブンッ! と、凄まじい風切り音が耳元を掠める。
力の乗った一撃を、当たる寸前で躱す。
(……遅い)
空を斬り、目標を見失った騎士が、少しバランスを崩す。
その瞬間、私は流れる風に乗って、彼の死角——完全に無防備な背後へと回り込んでいた。
トス、と。
私の木剣が、首筋の急所を正確に叩く。
騎士が崩れ落ちた。
「もう一度」
騎士は立ち上がり、再び構えた。
二度目も、三度目も結果は同じであった。
単なる剛の剣など、空回るだけだ。
だが——
(……まだ、足りない)
かわせている。
だが、相手からは私の動きが『見えている』。消えてはいない。
クロードの、死角から放たれる不可避の一閃には程遠い。
「見事です。一対一であれば、ほぼ極致に近い」
貴族が口を開く。
「だが、戦場では意味を持たない。あなた一人で、何人を相手にするおつもりか」
別の騎士が続ける。
「内燃錬成を併用すれば、千の兵を薙ぐことも可能でしょう」
「しかしその剣では——百を越えずに、詰む」
それが現実。
否定はできない。回避と必殺に特化したクロードの剣技は、集団戦を想定していない。
貴族が一歩前に出る。
「あなたのエーテルで帝国兵を一気に打ち払う。それが、王国の損耗を最小に抑える最善です。今の剣では数を相手にできない。お分かりのはずです」
分かっている。
ゆえに、頷くことも反論することもできず、私はただ口を閉ざした。
「……」
無言を貫く私に、追加の言葉は降ってこなかった。
代わりに、石畳を歩く静かな足音が近づいてくる。
二階の回廊から降りて来た王子だった。
「無理に答えなくていい」
穏やかな声。
「ただ——式典は、多くの目がある。あなたの力を、正しく見せる場だ」
(正しく……)
クロードは、自らの剣を誇らなかった。
それでも——
私は、違う。
(譲れない)
これは。
私の、憧れだ。
風が流れる。
腰に下げた風鈴が、かすかに揺れる。
(私が、証明する)
静かに、息を吐く。
(式典で、クロードの剣を――)
それだけは、決めている。
次回更新予定は7/10(金)です。
セレスティアにとって、大きな節目の回となります。




