第33話 存在しない名前
今回は、普段とは少し視点を変え、王国上層部の会議を俯瞰して描いています。
重い扉が閉じられた。
長卓を囲むのは、王国の中枢に連なる貴族と文官たちだった。
長卓の端で、ある文官が口を開いた。
「帝国は停戦を破棄しました。理由はどうあれ、これで名分が立ちます」
淡々とした声に、数人が頷く。
「ヴァルネシア公国からの報告もあります」
向かいに座る文官が、紙束を開く。
「内海航路にて、公国商船が帝国側から砲撃を受け、航行不能。現在、抗議とともに兵を集める動きがあるとのことです」
室内に、小さなざわめきが広がった。
「やはりな」
「暴発したか、帝国も」
「公国が動くなら、戦の結果は見えたようなものだ」
誰かがそう言い、低い笑いが漏れる。
「……報告の精度は?」
ひとりの貴族が口を開いた。
「砲撃を受けたと断定できる根拠は?」
「詳細は未確認です。ただし複数の商会から同様の証言が上がっているとのこと」
「証言、か。御用商人など、信のおける筋のものはあるか?」
「いえ、具体的にどこの商会かまでは、まだ確認できておりません」
「ふむ」
それきり、貴族は黙った。
他の者たちは、すでに公国参戦後の話へ移っている。
「さて、本題だ」
壮年の貴族が卓上で指を組んだ。
「皇女の件だが――問題はないな」
“皇女”。
その一言で、話題は自然と収束した。
「侯爵家で5年。特に問題行動は報告されていません」
「領民への施しも適切。感情的な逸脱もなし」
「従順、という評価でよろしいかと」
「加えて、帝国への憎悪」
「それは確実だ」
高位武官が短く言い切った。
「停戦破棄の報にも、動揺は見せなかったと聞く。むしろ……」
「静かに受け入れた、と」
それは、都合がよかった。怒り狂うよりも、ずっと。
「無尽蔵のエーテルを持つ皇女。血統も申し分ない」
「象徴としては、これ以上ない」
「公国も動く。ならば尚更だ」
結論は、すでに出ている。
“使える”。
「……ひとつ」
空気を読まずに、声が挟まれた。
「例の件はどうなっている」
「例の?」
「“クロード”だ」
ほんの一瞬だけ、間が空いた。
だがすぐに、事務的な声が返る。
「調査は完了しています。王国軍の記録、住民の証言、周辺調査――すべて照合済みです」
紙がめくられる。
「該当人物の存在は確認できません」
断定だった。
「『水理の剣』の派生とのことですが、そもそも『水理の剣』という流派自体、王国内の記録にはありません。帝国側の文献についても、確認できる範囲では該当なく。正直なところ、内燃錬成を用いない剣術などあるはずもありません」
「つまり?」
「精神的外傷による虚構の可能性もある、との見解です」
誰かが小さく鼻を鳴らした。
「帝国から逃れた際に、錯乱したのだろう」
「脱走時に運河で溺れかけたとも聞く」
「そこで『水』が出てきたのですかな」
「極限状態で、拠り所を作るのは珍しくない。おかわいそうに」
乾いた笑いが起こりかけた。
「……彼女は、壊れてはいない」
低い声が、割り込む。視線が集まる。
――第二王子だった。
「ただ、縋っているだけだ」
静かな言葉だった。
「実在すら定かでないものに、でしょうか?」
誰かが問う。
「実在するかどうかは、問題ではない」
王子はわずかに首を振る。
「彼女にとって、それが“支え”であることが重要だ」
数人が、顔を見合わせた。
「であれば尚更、排すべきでは?」
「戦場に虚構を持ち込むのは危険です」
「……否」
王子は短く否定した。
「いきなり否定すれば、彼女は折れる」
間を置く。
「手放せるよう、そばにいる。それだけでいい」
王子にとっては、それが彼女を救う方法だった。
もう戻らないものに縋る少女を、現実へ引き戻す。
「なるほど」
壮年の貴族が頷いた。
「殿下自らが手綱を握られると」
「婚姻も視野に入れておられるとか」
別の声が続くが、王子は否定しなかった。
「帝国の行く末による」
その返答に、数人が満足げに頷いた。
出席者の多くは、皇女を実際に見たことがない。
彼らが見ているのは、その血筋と力、そして王国にとっての利用価値だった。
「なるほど。殿下も先を見ておられる」
「帝国が残るにせよ、滅びるにせよ、皇女の血は無視できませんからな」
王子は何も答えなかった。
彼の脳裏にあったのは、皇族の血筋でも、無尽蔵のエーテルだけではなかった。
最初に会ったときの、クロードとジルの無事を祈り続けていた姿。
まだ生死すらわからず、わずかな希望に縋ることしかできなかった、あの姿がどうしても忘れられなかった。
「問題は、あの剣だな」
別の貴族が話題を変えた。
「討伐では、まず内燃錬成を使わず、剣舞めいた型に固執するとのことでしたな」
「戦果が不自然だ。C級魔獣に手こずりながら、B級は一撃で倒している――」
「本来ならばどれも、圧倒できるはずだ」
「隠しているのだろう」
「演出だな。旗印としての」
軽い笑いが起こる。
「わざと苦戦してみせ、一撃で劇的に屠る。民心を得るための小芝居といったところか」
「本番では解放する。そういうことだ」
誰も疑わなかった。
「……あれは、執着だ」
王子が、再び言った。
「強さではない。“証明”だ」
その言葉だけが、わずかに空気を歪める。
だが――
「いずれ不要になります」
高位武官が切り捨てた。
「戦場では効率がすべてですので」
王子は何も言わなかった。
そのとき、控えの者が室内へ入り、文官に一枚の紙を手渡した。
「ヴァルネシア公国に関する続報です」
文官が目を通し、そのまま読み上げる。
「地方からも動員を開始し、帝国への非難声明を取りまとめ中とのこと」
「包囲は完成したな」
「時間の問題だ」
「帝国も終わりだ」
「……偶然にしては、出来すぎています。反帝国が整いすぎているのでは――」
小さな呟き。だがすぐに、
「臆病が過ぎる」
と切り捨てられた。
「なお、ロラン侯爵より上申がございました」
文官が淡々と告げる。
「内容は?」
「……時期尚早、との意見具申です。精神状態を鑑みるに、今しばらくの休養をと」
「それは、採用できませんな」
壮年の貴族が、一言で切り捨てた。
「ロラン侯爵には王都外への役目を依頼します。皇女殿下の出陣までは戻れぬように」
それ以上は、誰も触れなかった。
そのとき、扉の外で足音が止まった。控えの者が一礼する。
「報告です」
室内の視線が、一斉に向く。
「皇女セレスティア様、明朝、入城予定」
短い沈黙。
そして――
「これで、戦は決まったな」
室内に高揚感が漂う。
その中で第二王子だけが、わずかに視線を落とす。
(今度こそ)
心の中で、言葉が形になる。
(救う)
もう戻らないものを、いつか手放せるように。
過去に縋らず、生きていけるように。
王子は、それが彼女のためになると信じていた。
次回更新予定は6/30(火)です。




