↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無名の風鈴剣 ~消えかけの少年に、天才魔導技師と皇女が激重感情を向けてくる~  作者: 風紋
第二章 遺された風理の剣と、戻れない皇女

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

32/70

第31話 遺された音

第二章、開幕です。


第一章から5年。

失われた家、遺された音、そして忘れてはいけない名前。


ここから物語は、再び戦場へ向かって動き始めます。

 目を閉じ、全身の力を抜く。

 風の気配を探り、大気の流れに身を委(ゆだ)ねる。

 そうして中庭の真ん中で、ただ風に揺られるだけの時間を、私は毎日欠かさず繰り返している。


(……全然、ダメ)


どれだけ大気と一体になろうとしても、あの人が見せてくれた『静かさ』にはたどり着けない。

 目を開き、木剣を構える。エーテルは一切使わない。彼が遺した『無名の剣』の型だけを、狂ったように反復する。


 5年、ひとりで振り続けた。


 それでも、自分がどこまで行けるのかは、もう嫌というほど見えてしまっている。彼には、まったく届いていない。


 それでも、やめることなど許されなかった。

 無力でもいい。この剣が届くと、証明するために振り続ける。

 私がこの剣を否定してしまったら、あの人が生きた証が、この世界から完全に消え去ってしまう。


 剣帯(けんたい)に結びつけた古い真鍮(しんちゅう)の風鈴が、チリンと鳴った。

 5年前の『白翼(はくよく)の日』。彼が私に託してくれたもの。

 私が彼に渡した手作りの風鈴は、あの光の向こうへ消えてしまったのだろう。せめてその音が、彼が迷わず進めるよう、導いてくれていることを願うしかない。


 ――なのに。


 届かない。


 何度振っても、何百回と繰り返しても。

 あの時、目の前で見せられた剣には、かすりもしない。


 私が、この剣を証明しなければならないのに。

 彼が遺(のこ)したものは――ッ。


「っ……!」


 石畳に、膝をつく。

 胃の中身が、勝手にこみ上げた。

 息が荒れる。視界が滲(にじ)む。


 (……また)


 5年間、毎日続けている。それでも、身体はまだここまでしか持たない。

 限界など、とうに超えているのかもしれない。

 それでも、やめるという選択肢が、私の中には存在しなかった。


 クロードは――彼は、こんなものじゃなかった。


 もっと自然に。もっと、何でもないことのように、剣を振るっていたのに。


「リリア様」


 背後から、侍女の声がした。私は静かに剣を納め、振り返る。

 王国へ逃げ延びてから5年。

 ロラン侯爵家に保護された私は、侯爵家の遠縁(とおえん)――『リリア』という名を与えられた。この鳥籠のような屋敷で、息を潜めて生きるために。


「昨日は領地に現れた魔獣の討伐、本当にありがとうございました。領民たちも、リリア様のご慈悲と素晴らしい魔法剣に、涙して感謝しておりましたわ」

「……私にできることをしただけよ。皆が無事でよかった」


 私は、侯爵の縁者(えんじゃ)として完璧な笑みを浮かべて頷(うなず)いた。

 だが、その裏で胸の奥は冷え切っていた。


 昨日の魔獣討伐。私はまたしても、あの人の剣だけでは敵を倒しきれなかった。

 内燃錬成の力を使わざるを得なかった。


 領民は救えた。

 それでも――


 (違う)


 あの人の剣は、こんなものじゃない。

 私の未熟で、上書きしていいものじゃない。


 クロードは、こんなんじゃなかった。


 そう思っているのに、細部がうまく思い出せない。


 剣の特訓のためにブーツをくれたジルの笑顔や、励ましてくれた言葉は、まるで昨日のことのように完璧に思い出せる。

 それなのに……。


「……失礼するわ」


 それ以上言葉を続けることができず、私はその場を後にした。


 自室に戻り、一人きりになる。

 机の引き出しの奥から、一冊の古いノートを取り出した。


 5年前、王国へ逃げ延びる馬車の中で書き殴った手記。

 あの時すでに「何か大事なことを忘れてしまった気がする」という焦燥(しょうそう)に駆られていた。だから記憶を逃がさないよう、必死に文字として記録した。


 クロードとジル。


 王国に頼み込み、調査を二度、してもらった。

 結果は残酷だった。


『クロードという人物は存在しない』

『ジルはセレスティアを確保した日以来、行方不明』

『ボイラーは無残な残骸(ざんがい)のまま打ち捨てられている』


 王国の見解は、私の「錯乱」だった。


 馬鹿げている。


 彼はいた。

 あの家で、私に笑いかけてくれた。

 この風鈴が、何よりの証拠だ。


 帝国が放ったあの光が、すべてを奪ったのだ。


 ページをめくる。

 指先が、わずかに震える。


『――白翼(はくよく)の日の直前。風邪を引いたクロードのために、お粥(かゆ)を作った』


 その一文を見た瞬間――


「……あれ?」


 思考が、止まった。


 クロードが、風邪を引いた?


 記憶を探る。

 鍋をかき混ぜていた光景は、確かにある。


 けれど――おかしい。


 あの時、寝込んでいたのは……ジルじゃなかった?


 いや、違う。

 ジルは、あの頃ずっと元気だったはずだ。


 なら、私は誰のために、お粥(かゆ)を作った?あの家にはクロードとジルしか居なかったのに……。


 心臓が、強く打つ。


 書かれている記録と、頭の中の記憶。

 どちらも確かで、どちらも噛み合わない。


「私が……間違ってる……?」


 静かな部屋に、自分の声が落ちた。

 一瞬だけ、足元が崩れた気がした。


 けれど――


「違う」


 私は強く首を振る。


 クロードはいる。

 それだけは、絶対に間違っていない。


 なら、間違っているのは――私の記憶の方?


 ぞわり、と背筋を何かが這(は)い上がる。


 私はノートを閉じ、風鈴を強く握りしめた。


「クロード……」


 その名だけは、決して手放さないように。


 チリン。


 指の中で、風鈴がかすかに鳴る。


 その音だけが、確かなものだった。

 記憶が揺らいでも、世界が否定しても、この音だけは変わらない。


 私はゆっくりと息を吐き、手を離した。

 風鈴は小さく揺れ、やがて静止する。


 窓の外では、春先の風が庭木を揺らしていた。

 柔らかな陽射し。よく手入れされた芝。遠くで聞こえる使用人たちの足音。


 何もかもが穏やかで、何もかもが現実味に欠けていた。


(ここは、安全だ)


 そう理解しているのに、胸の奥は少しも安らがない。


 あの日からずっと、私はこの場所にいる。

 守られ、隠されている。


 けれど――


(置いてきた)


 その感覚だけが、消えなかった。


 クロードを。

 ジルを。

 自分の選択で。


 ぎゅ、と無意識に拳を握る。

 爪が食い込み、鈍い痛みが走った。


「……まだ、足りない」


 剣も。

 記憶も。

 覚悟も。


 何一つ、届いていない。


 だから私は、ここにいる。

 ここで、生きている。


 不意に、コンコン、と控えめなノックの音が響いた。


「リリア様。失礼いたします」


 先ほどとは別の、落ち着いた女性の声。

 この屋敷での私の『監視役』に近い存在――筆頭侍女だ。


「どうぞ」


 声を整えて応じると、扉が静かに開く。

 年配の侍女は一礼し、淡々と告げた。


「侯爵様より、お呼び出しがございます。至急、応接間へとのことです」

「……今?」

「はい。急ぎのご用件と伺っております」


 その言い回しに、わずかな違和感があった。

 この屋敷で『急ぎ』という言葉が使われることは、ほとんどない。


「……わかったわ。すぐ行く」


 一息ついて立ち上がり、部屋を出る。


 廊下は長く、静かだった。


 応接間の前で、侍女が扉を開く。


 中にはロラン侯爵と、見慣れない男が一人。

 軍属だと一目でわかる、硬い気配を纏(まと)っていた。


 その場の空気が、わずかに張り詰める。


「リリア、来たか」


 侯爵が短く告げる。


「急な呼び出し、申し訳ない。だが……状況が変わった」


 私は一歩、室内へと足を踏み入れる。


「状況、とは?」


 問いかけると、軍服の男が一歩前に出た。その目は、感情を殺したように冷たい。


「5年前に結ばれた停戦条約を、帝国が正式に破棄しました」


 (停戦の、破棄……)


「現在、王都では緊急会議が開かれております。各地の貴族にも、順次通達が下る見込みです」


 淡々とした報告。

 だがその一言は、5年間止まっていた時間を、容赦なく動かすには十分だった。


 帝国が。


 あの帝国が。


(やっぱり――)


 思考より先に、感情が浮かぶ。

 自然と鼓動が速くなる。


 ――怒りだった。


 抑え込んでいたはずのそれが、静かに、確実に形を取り始める。


 奪った。

 壊した。


 あの日、私のすべてを焼き払った――。


 気付くと、握りしめた手から、血が流れていた。


「……状況は理解しました。王都への出立は、いつになりますか」

「準備が整い次第だ。お前にも、役目がある」


 じっとこちらを見つめる目に対して「承知しました」と短く応じた。


 血に濡れた手を、ゆっくりと開く。

 掌(てのひら)には、爪の跡が深く残っている。

 痛みは、なかった。


 剣帯(けんたい)に結ばれた風鈴が、小さく鳴る。


 チリン。


 その音だけが、やけにはっきりと耳に残った。


 戻る場所などない。

 取り返せるものも、もうない。


 ただ、あの日奪われたものの大きさが、胸を締め付ける。


 そよ風が、大きく空いた心の穴に、久しぶりに滲(し)みるようだった。

次回更新は6/23(火)予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。