第29話 温もりの代償
今回は初めてのクロード(主人公)視点です。
朝、目が覚めたとき、部屋の音が遠かった。
手をかざす。向こうの景色が、うっすらと透けて見える。
魔獣の一撃を受け、二日経っても、元に戻らない。
俺の近くにいると、人は寒がる。親にも捨てられた。
俺は疫病神だった。
温もりが欲しかった。
ジルだけが、俺を拾ってくれた。世界で一番、温かかった。
だからこそ、絶対に彼女を壊すわけにはいかなかった。
ある日。リンに、隣で寝てもいいかと聞いた。
規格外のエーテルを持つ彼女にしか、耐えられないからだ。
リンはうなずいた。
近い。温かかった。
満たされる感覚と、自分が「なくなっていく」感覚。
次の朝は、決まって身体が恐ろしく冷えた。風邪もひいた。
週に一度の温もりでさえ、俺の身体には重すぎた。
それでも、その一度を待ってしまう自分がいた。
魔獣と戦った。
師匠に教わり、風を参考にした剣術。敵を引きつけられる。それで十分だった。俺が作った空白に、みんなが決定打を叩きこむ。英雄の側に立っているみたいだった。
そして――リンの光の一撃。
間違いなく、彼女は英雄の中の英雄になる。
――それだけで、十分だった。
後日。
ふと、リンが呟いた。
「ねえ。凍て街に行く時って……ジルが先頭で走って、私はその後ろを追いかけて……」
そこで、リンの言葉が止まった。
「……あれ? その間に、誰かいなかった?」
俺は息を止めた。
いた。
そこにいたのは、俺だ。
俺はジルのすぐ後ろを走り、リンが逸れないように、何度も振り返りながら凍て街へ向かった。
リンは、深刻な表情で首を傾げている。
「冒険者の人……? とは一緒に走ってないよね。クロードはそのとき――」
「――街を守るって思いに、順番なんて関係ないわ。みんな必死だったんだから」
ジルは不自然なほど明るく、早口で会話を断ち切った。
「さ、ご飯の準備しよっか!」
深くは聞けなかった。
ただ、透けかけた自分の手を、強く握りしめた。
また、リンの魔力が漏れ出していた。
俺が吸わなければ、軍に見つかる。夢が終わる。
限界まで吸い続ける俺を見て、ジルが口を開いた。
「リン。そろそろ、感情とエーテルの切り離しをやってもらわないと困るの。じゃないと、クロー――」
「ジル。良いんだ」
「でも、それじゃ――」
「良いんだッ!!」
自分の声だとは思えなかった。
ジルが、泣きそうな顔で「ごめん」と言った。
声が出なかった。
視線は、合わなかった。
ごめん、ジル。
俺にはもう、どうなるか、わからないんだ。
守らなきゃ。
託さなきゃ。
託した人まで失ったら、本当に何も遺らない。
でも。
そう思うたびに、ジルを傷つけている気がした。
ごめん……。
家から出て行くジルの小さな背中を、ただ見ていることしかできなかった。
バタン。
重いドアが閉まる音が、薄暗い部屋に響く。
残された静寂の中で、風鈴だけが。
チリン……と、ひどく透明な音を鳴らした。
次回、第30話「残り火が消える日」。
第一章の最終話となります。
最後まで見守っていただければ嬉しいです。




