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無名の風鈴剣 ~消えかけの少年に、天才魔導技師と皇女が激重感情を向けてくる~  作者: 風紋
第一章 忘れられる少年と、忘れない二人

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第27話 切なる忠告と、切なる願い

 て街での魔獣討伐から、一日が経った。


 奈落谷で拠点としている『残り火の家』の薄暗い室内で。

 クロードの身体が、うっすら向こうの壁が見えるくらいわずかに透けている。

 昨日のA級魔獣、氷殻獣(グラシエ・クラスト)が放った魔弾。クロードはそれを身体で受け――正確には素通りしたが――身体が少し透けていた。


 前回の透過でクロードが目覚めた時よりも、実体は良く見える状態だ。そこから半日ほどで完全に元に戻ったと思ったが、今回は一日が経過した今でも、彼の身体は昨日の透過具合とほぼ変わっていない。

 ――むしろ、輪郭りんかくはさらに曖昧あいまいになっている。


 その原因は――。


(リン……)


 私は、クロードの隣で膝を抱える少女を見た。

 リンは、実力を隠したせいでニーナが壊れ、クロードが撃たれたと責任を感じているのだろう。結果的に、あのエネルギー砲を放ち、軍に『自分は生きている』と知らせたに等しいのだから。

 それらの不安が入り混じって、エーテルが非常に不安定になっており、時折、強大な力が漏れ出しかけている。

 それを隠すために。探知機に引っ掛からないレベルまで、クロードが絶え間なく彼女の漏れ出るマナを、その身で吸い出し続けているのだ。


 この状況が続くのは、絶対に良くない。

 クロードが、“無くなって”しまう。

 意を決して、私は口を開いた。


「リン。そろそろ、感情とエーテルの切り離しをやってもらわないと困るの。じゃないと、クロー――」

「ジル。良いんだ」


 強い視線。

 クロードに、言葉を制止された。


「でも、それじゃ――」


「良いんだッ!!」


 それは、怒気をはらんだ一言だった。

 彼がこんな大声を出すのなんて、初めて聞いた。

 クロードの横で膝を抱えていたリンが、ビクリと身体を震わせる。

 私も、動けなかった。


 守りたいと思った。

 消えてほしくないと思った。


 ただ、それだけだったのに。


 行き場を失った想いが、胸の中でぐしゃぐしゃに潰れていく。


(だって、クロードが……消えちゃうじゃない……)


 喉まで出かかったその言葉を、理性でなんとか飲み込んだ。


 ここで言ってしまえば、リンはきっと壊れる。

 クロードは、もっと傷つく。


 分かっている。

 分かっているのに、胸の奥が痛くて、息ができなかった。


(クロード……。なんで、そこまで守ろうとするの……)


 本当の気持ちは、まだ聞けていない。

 これ以上、私の勝手な想いだけで突き進むことはできなかった。

 言えない想いが多すぎて、吐きそうだった。


「ごめん……自分の家に、帰るね」


 それが、つぶやける精一杯だった。


「待って……ジルっ!!」


 背後でリンが何かを叫んでいた気がする。

 でも、振り返れなかった。


 今、振り返ったら。

 きっと私は、言ってはいけないことまで言ってしまう。


 だから私は、逃げるように残り火の家を出た。


♢♢♢♢♢♢♢♢


 ガンッ! ガンッ!!


 激しいノックの音で、私は跳ね起きた。


 昨夜は自分の家に帰り、どうやってベッドに入ったのかもよく覚えていない。窓の外はうっすらと明るみ始めている。どうやら一晩明けたようだ。


「ジル! いるか!?」


 扉の向こうからルークの声が聞こえる。重たい頭を振り、覚醒を促す。


「いるわよ! ちょっとだけ待って!」


 洗面器の水で顔を洗う。鏡を見ると、ひどい顔をしていた。笑顔を作れる気もしない。ルークには悪いけれどこのままで出るしかない。


 玄関の扉を開けると、そこには私以上にひどく疲れた顔のルークが立っていた。


 だが、彼は私の顔を見るなり、血相を変えた。


「ジル! どうした、その顔!!」


 冗談みたいに、ルークの表情が強張こわばる。


「寝てねぇだろ。顔色も悪い。……泣いたのか?」

「……なわけないでしょ。とりあえず入って」


 軽口のつもりだった。

 でも、声がうまく軽くならなかった。


 ルークは何か言いたげに唇を結んだが、それ以上は追及しなかった。

 ただ、私を見る目だけが、いつもの明るい冒険者のものではなくなっていた。


 魔導具を熱源にして湯を沸かす。

 お湯が沸騰するシューという音を聞くと、少しだけ現実に戻ってこられる気がした。


 私は、大丈夫。

 大丈夫なはずだ。


 ルークから、状況を聞かないと。


 熱いコーヒーをれ、テーブル越しに一口すすったところで、ルークが重い口を開いた。


「ジル、あの後、大丈夫だったのか?」

「ええ。とりあえずね。何事もないわ」

「……そうか。あのフードの奴は?」

「――街の外に出たわ」

「……そういうことにしておく。ここには、いないんだな?」

「何言ってんの。見ての通り、いないってば」


私は静かにコーヒーカップを置いた。

ルークの声が、不意に低くなる。


「昨日からずっと、憲兵の厳しい取り調べを受けてたんだ」

「憲兵の……」

「ああ。『顔は見たか?』『どこから来た?』『どこに行った?』……同じことを五回は聞かれた」


ルークは身を乗り出し、声を潜める。


「……いいか。あのエーテル砲を撃ったのは、フードの奴だろ? ジルが前から言ってた、軍が血眼ちまなこで探してた奴に間違いねぇ」


私が何も返せずにいると、ルークは奥歯を噛み締めた。


「……やっぱりか。くそっ」


彼はテーブルに両手をつき、私を真っ直ぐに見た。


「悪いことは言わねぇ。クロードのことを見ても、今までの行動を考えても、ジルが困ってる奴を放っておけない性格だってのはわかってる。だが、お願いだ。あのフードとはもう関わらないでくれ!」


「私は今、クロードのことが一番なの。それが全てよ」


自分でも、ひどい言い方だと思った。


「だから、この件は、これで終わりにして。……お願い」

「終わりにできるかよッ!」


低い声だった。

顔を上げると、ルークが歯を食いしばっていた。


「クロードを大事に思ってるのは分かる。分かるけどよ……! その結果、お前がなんでそんな顔になってんだよッ!!」

「……」

「誰かを助けたいって思うたびに、お前ばっかり削れていくじゃねぇか!」


言い返せなかった。

ルークの言葉は、たぶん正しい。

でも、正しいからといって、止まれるわけじゃない。


「……それでも、知らないと守れないの」


そう言うと、ルークは悔しそうに顔を歪め、しばらく黙っていた。

それから、大きく息を吐く。


「……分かった。ただし、最後にもう一回だけ言わせろ」

「うん」

「あのフードの奴は、たぶんジルが思ってるよりずっとヤバい」


ルークは深くうつむき、やがてポツリとこぼした。

「……それと、もう一つ気になることがある」

「気になること?」

「クロードなんだがよ。あいつ、氷殻獣(グラシエ・クラスト)の魔弾、直撃したように見えたよな?」

「……外傷は、なかったわ。普通の直撃なら、今ごろ生きてない」

「ああ。だから俺も、当たってなかったんだと思ってたんだが……サーシャが変なこと言うもんでよ」

「変なこと?」

氷殻獣(グラシエ・クラスト)が最初に腕を振り下ろしただろ。その時サーシャはクロードに引っ張られて助かったんじゃなかったか? なのにあいつ、どうも『フードの奴に引っ張られた』はずだって言うんだぜ。そんで、最後の魔弾は最初からニーナとズレたところに着弾した、って言うしよ」


(ッ……!?)


 背筋に、冷たいものが走った。


「ニーナを助けたのはクロードだし、クロードがいなけりゃ戦線も崩壊してたろって言ったら、アイツの中ではどうも『フードの奴が戦線を維持してた』ってなってるみたいでよ」


(まただ……)


ルークの言葉が、ひどく遠く聞こえる。


「周りの奴もそんな調子でよ。フードの奴の戦場での動きがあまりにもバラバラな証言になっちまって、憲兵も相当混乱してたぜ。憲兵の中では、フードの奴は『強大なエーテル持ちで、一撃必殺の剣技を使う奴』なんだとさ」

「それ……」

「ああ。冒険者の証言の多くは『ヒラヒラ舞って、敵を攪乱かくらんする凄腕』だ。それ、どう考えてもクロードの動きなんだけどな」


 息が、詰まった。

 透過。記憶の忘却。

 クロードという存在が、人々の記憶から抜け落ちていく。そして生じた「不自然な空白」を、彼らの中で勝手に『フードの奴(リン)』の仕業だと思い込んで、都合よく塗り替えられたのだ。


 (クロードの、生きた証が……!)


「アイツはホントすごかった」


 ルークはどこか遠くを見るような目をした。


「初めて敵と戦ってるとこ見たけど、内燃錬成すら無しでC級魔物を簡単にいなし、A級魔獣と戦っても、外傷無しなんだろ? あの身のこなし、俺の目に焼き付いて離れねぇわ」

「ルーク……」

「ともかく、憲兵も変に混乱してるんだが、どっちにしろフードの奴にまつわることだ。いいか、あいつには金輪際こんりんざい、近づくなよ」


 (――発端ほったんは、リン……)


 ルークは念を押すと、最後に一つ息を吐いた。


「あと最後、ニーナのことだけどよ」

「……うん」

「あの後、ニーナを高度治療院に運び込んだ。焼き切れてボロボロになったエーテル回路が、かなり重症でよ。A級魔核が応急処置に使えるってんで、ダグラスさんやレイナさん、ジルたちとの分け前を決める前に、一も二もなく使っちまった」

「当然よ。それで……ニーナは?」


ルークは、ひどく苦しそうな顔をした。


「――それでも、治療師によると『焼き切れた回路をいくらか戻せたが、回路はひどい状況に変わりはない』らしい……。まだ目ぇ覚ましてなくてよ、ホントのところどこまで回復してるのかは、本人に聞いてみんとわからんが……少し厳しそうだな。せめて魔法がまだ撃てれば良いんだが」


 言葉が出なかった。

 無理を押し通しての圧縮。もし市街地戦でなければ、火魔法特級の広範囲魔法を使え、無茶をし過ぎる必要はなかったかもしれない。

 でも、彼女は街に被害が出ないよう、守る選択をしたのだ。


「ニーナの魔法は……すごかった。あんなに高密度にまで圧縮できるなんて。普通は発動できずに、エーテル回路が暴発するわ。暴発せずにちゃんと発動させることができたんだから……彼女は本物の『天才』よ」

「……目ぇ覚ましたら、あいつに言っとくよ。ジルが『天才』って言ってたってな」

「ええ、ぜひ。……絶対に、治ることを祈ってる」


 冷たい視線を向けられていた相手だ。

 けれど、それでも本心だった。


 ニーナは、逃げなかった。

 壊れると分かっていても、街を守るために、最後まで魔術師であろうとした。


 その選択が、どうか少しでも報われてほしい。

 そう願うことしか、今の私にはできなかった。


「ということで、すまん」


 ルークは重い息を吐いた。


「相応の分け前は、またギルドからの討伐報酬が出てから渡す。必ず渡すから、ここにいろよ」


 ここにいろ。


 その言葉が、妙に遠く聞こえた。


 ルークは、私を心配してくれている。

 ここから動くな、と言ってくれている。

 もう危ないことに首を突っ込むな、と。


 それは分かっていた。


 分かっているのに。


 私の心の中には、重く冷たい鉛のような塊が、ずっと居座っていた。


 クロードを生かしたい。

 クロードが生きた意味も、消したくない。


 けれど、その二つが、同じ場所に並んでくれない。


 助けたはずの人たちの記憶から、クロードの姿が抜け落ちていく。

 命を削って前に出た証が、別の誰かのものに塗り替えられていく。


 ニーナは壊れた。

 リンは不安定なまま。

 憲兵も、もう気づきかけている。


 クロードの身体も。

 クロードの願いも。

 リンの安全も。

 三人で過ごす、残り火の家での日々も。


 全部が、私の手の中からこぼれ落ちていく。


 どれから掴めばいいのか分からない。

 どれを離せばいいのかも分からない。


 ただ、足元だけが、ぐらぐらと崩れていく。


 このままでは、いつか必ず落ちる。

 そう分かっているのに。


 私はまだ、何一つ選べずにいた。



次回更新予定は5/29(金)です。

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