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無名の風鈴剣 ~消えかけの少年に、天才魔導技師と皇女が激重感情を向けてくる~  作者: 風紋
第一章 忘れられる少年と、忘れない二人

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第26話 絶望のA級魔獣――焼き切れた回路と、歓声なき凱歌(がいか)

 絶望は、圧倒的な質量を伴って現れた。


 A級魔獣、氷殻獣(グラシエ・クラスト)

 通路の幅を埋め尽くすほどの巨体。物理的な打撃を吸収する分厚く硬質な外殻がいかくと、それを動かす高密度の筋肉。

 被害を出せないこの市街地において、広域を焼き払うような火属性の上級魔法は使えない。


「――オラァッ!」


 ダグラスの大剣が、剛腕と共に叩きつけられる。

 先ほどまで中型魔獣を紙切れのように吹き飛ばしていた一撃。刃は確かに氷殻獣(グラシエ・クラスト) の外殻を削り、肉に食い込んだ。

 だが――止まった。


 致命傷には程遠い。外殻で勢いをそがれ、分厚すぎる筋肉で止められる。逆に魔獣がその巨体を軽く振っただけで、ダグラスは剣ごと弾き飛ばされた。


 「硬ぇな、クソッ!」


 レイナが滑り込み、関節の隙間を狙って刃を走らせる。血飛沫が舞うが、あいつにとっては掠り傷に等しい。


 そこへ、ジルが追撃を放った。


「《炎槍フレイム・ランス》!」


 今回は単独で火の中級魔法を放つ。紅蓮の槍が顔面に直撃し、硬質な外殻を黒く焦がす。

 だが、爆炎が晴れた後――氷殻獣(グラシエ・クラスト)鬱陶うっとうしそうにギロリとこちらを睨み下ろしてくるだけだった。


 (……嘘でしょ)


 思わず息を呑む。B級冒険者の剣撃も、ジルの魔法も、ダメージはゼロではない。けれど、生命力の底が全く見えない。コップの水で湖を干上がらせようとしているような、圧倒的なスケールの違い。


 ヤバい。誰も、止められない。


「サーシャ、下がれ!」

「無理! 囲まれてる!」


 弓使いのサーシャが、崩れた瓦礫と小型魔獣に退路を塞がれ、氷殻獣(グラシエ・クラスト) の射程に捉えられていた。


「チッ……!」


 ルークが血相を変えて地を蹴るが、遠い。間に合わない。


 巨腕が、無慈悲に振り下ろされた。


 ――その瞬間。死角から、少年が飛び込んだ。

 武器を振るうのではない。サーシャの腕を引き、強引に射線から引き剝がした。


 だが、叩きつけられた腕の『風圧』だけで、少年とサーシャの身体が木の葉のように吹き飛ばされ、地面を転がった。


(やばい……!)


 心臓が、早鐘はやがねのように跳ねた。

 誰も止められない。火は使えない。味方が近すぎる。迷っている時間はない。


 残っているのは、これしかない。


「……渦巻け、巡れ、風の檻」


 焼け焦げるような回路の痛みを無視し、詠唱を開始する。

 空気が歪む。氷殻獣(グラシエ・クラスト) の周囲に、風が集まり、淀み、強固なを作り始める。


「流れを乱し、道を閉ざせ

 内と外とを隔てる壁となり――」


 苦しい。痛い。体内のエーテルが悲鳴を上げている。

 本来、この『旋風牢サイクロン・ケージ』は相手の移動を阻害するための拘束魔法だ。A級魔獣を倒す決定打にはなり得ない。

 だが、私も『天才』と呼ばれた魔術師だ。

 詠唱の黄金律ルールは決して崩さない。その代わり、ただひたすらに、限界を超えて『密度』と『圧力』を引き上げる。


(これしかない……私が、やるしかない……!)


「逃げ場なき環となれ――!」


 本来の詠唱はここまでだ。

 だが、その先の「出力」を強引に引き上げる!


「――密度を上げよ、さらに巡れ!!」


 風が、異常な速度で逆流し始める。圧縮されすぎて、音が、鈍く潰れる。


 ミシッ――


 身体の内側で、嫌な音が鳴る。


「圧を増し、崩れるな……!」


 喉が焼ける。口の中に、鉄の味が広がる。


 視界が揺れる。

 だが、この魔法だけは……!


 杖を握る手から、異常な光が漏れ出す。淡い翠緑ではない。


 それは――沈んだ色だった。


 深く、濁り、光を飲み込むような輝き。


 翠でもない。黒でもない。

 極限まで圧縮され、逃げ場を失った風が、自らの色を潰し合い――


 淀んだ『黒緑こくりょく』へと沈む。


 渦の中心。そこだけ、空間が歪む。

 黒緑の粒子が擦れ合い、火花のような閃きを散らす。


(ああ……)


 全身の回路が、焼き切れていく。

 痛みは、もはや形を失い、ただの“白”になっていた。


 それでも、止めない。


「外界を断て……完全に、閉じよォォォッ!!」


これで、絶対に倒す!


「《旋風牢サイクロン・ケージ》ッ!!」


――暴風。


 それはもはや「おり」ではなかった。極限まで圧縮された流体の刃が、氷殻獣(グラシエ・クラスト) を中心に荒れ狂う。

 分厚い外殻が、削り取られていく。

 呼吸を阻害され、巨大な関節に異常な横圧がかかり、巨体が「ギチギチ」と悲鳴を上げる。風圧のムラが内部の三半規管を狂わせ、氷殻獣(グラシエ・クラスト) はたまらず体勢を崩し、その巨体を低く沈めた。


(効いてる……! 外殻が、削れてる……!)


 確信した。

 相性最悪の防御特化魔獣の歩みを完全に押し留めた。


 だが――同時に。何かが決定的に壊れた。


 ――プツン。


「……あ……」


 膝から、力が抜けた。

 魔法はまだ続いているのに、体内の回路の制御がまったく効かない。

 杖が乾いた音を立てて地面に落ちる。シュー……ッという音と共に、体内の回路から濃密なマナが漏れ出していく。


(やばい……止まらない……)


 薄れゆく視界。泥のように重くなる身体。

 だが、地面に倒れ伏す寸前、霞みゆく目で「信じられない光景」を捉えていた。


 瀕死の氷殻獣(グラシエ・クラスト) が、怒りと共に死に物狂いで口元に魔力を収束させていた。


 禍々(まがまが)しい目がぎょろりと、私をにらむ。


 即座に放たれたのは、高密度の魔法弾。


 (あ……死ぬ……!)


 叫びは、声にならなかった。


 その時――。


 視界の端で、誰かが動いた。


 一瞬だけ、あの少年の顔が見えた。


 エーテルもない。

 魔法も使えない。

 あの魔法弾を止める力なんて、あるはずもない。


 それなのに。


 あの少年は、退くどころか、こちらへ踏み込んでいた。


 そう思った直後――。


 ドンッ!


 強烈な衝撃が、私を横へと突き飛ばした。


 私を突き飛ばしたのは、あの少年――クロードだった。


 彼は私を射線から弾き出し、結果として、その無慈悲な凶弾の軌道上に残された。


 高密度の魔法弾が、少年の胴体を完全に捉え、飲み込んだ。


 ――はずだった。


「……え……?」


 目を疑った。

 直撃した瞬間。少年の身体が、フッと『陽炎かげろうのように半透明に透けた』ように見えたのだ。

 魔法弾は彼の身体をすり抜けるように透過し、少年の背後――つい先ほどまで私がいた空間の瓦礫がれきを、木端微塵こっぱみじんに吹き飛ばした。


 少年は、膝を突いたが――生きている。絶対に死ぬはずの直撃を受けて、確かにそこに存在している。


(どう、なって……)


 今度は、少年の斜め後方から、鼓膜をつんざくような一直線の『純白の光』が放たれた。


 私の意識は、その圧倒的な光の奔流ほんりゅうの中で、完全に暗闇へと沈んでいった。


◇◇◇◇◇◇◇◇


(……嘘でしょ)


 私――ジルは、あまりの光景に息を呑み、立ち尽くしていた。


 クロードが被弾した直後。彼を庇うのが間に合わなかったリンが、悲痛な叫びと共に、軍の探知機にバレることも辞さずに放った一撃。


 それは、エーテルそのものの奔流ほんりゅうだった。

 純白の光線が氷殻獣(グラシエ・クラスト) の分厚い胴体を貫通し、その巨体に風穴を穿うがったのだ。


 グラリ、と。


 暴走した旋風牢サイクロン・ケージで外殻を削られ、リンのエーテル砲で胴体に穴を空けられたA級魔獣が、ついに致命的な隙をさらす。


「今だァッ!!」


 B級剣士、ダグラスが吠えた。叩きつけられた大剣が、脆くなっていた外殻を完全に粉砕する。レイナが滑り込み、関節の隙間へ刃を突き立てて完全に体勢を崩す。


 そして、ルークが続いた。

 魔導剣の出力を、限界の最大値まで引き上げる。刀身が悲鳴を上げてきしむ。


「おおおおおッ!!」


 狙うのは、リンが穿った真円の穴からひび割れ、無防備にさらされた首の付け根。

 ルークの渾身の一撃が、柔らかい肉を貫き、一直線に脳幹へと到達する。


 パツン、と。

 限界を迎えたルークの魔導剣が砕け散るのと同時に、A級魔獣・氷殻獣(グラシエ・クラスト) の巨体が、ついにドスーンと崩れ落ちた。


――勝利。


 巨獣の討伐に、戦場は静まり返った。

 だが、歓声を上げる者は、誰一人としていなかった。


「ニーナ! ニーナッ!!」


 兄のガレスが血相を変えて駆け寄り、気絶した妹の身体を抱き起す。


「……なんでだよ」


 絞り出すような、ガレスの震える声が響いた。

 呼吸はある。だが、高熱を発し、シュー……という不吉な音と共に、彼女の魔導回路が致命的な異常をきたしていることは明らかだった。


 そして。

 私はクロードに駆け寄るリンの肩を掴み、フードを深く被り直させた。


(まずい。絶対に、まずい……!)


 リンの放ったエーテルの奔流ほんりゅう。あれは、魔法なんかじゃない。軍に見られれば、確実に『彼女』だと特定される。


「ルーク! ごめん、私たちは今日、ここに居なかった。お願い! ……それと、マント貸して!!」


 ルークは一瞬だけ目を見開いた。


 視線が、フードを深く被ったリンへ向かう。

 それから、氷殻獣(グラシエ・クラスト)を貫いた純白の焼痕へ。


 何かに気づいた顔だった。

 だが、彼は何も聞かなかった。


「……任せろ。お前たちは、ここには来てない」


 そう言って、ルークは自分のマントを外した。


「事情はあとで……いや、聞かねぇ方がいいな」

「助かる!」


 私はマントをほとんど奪い取るように受け取り、フードをかぶったリンの上からさらに被せた。

 そしてその場を立ち去る。


 (せめて、足跡だけでも、反対へ……)


 クロードとリンを連れ、急いでて街を後にする。足跡を偽装し、迂回うかいして奈落谷へ向かう。


 勝利の味はどこまでも苦く。

 そして、やけに大きく感じる心臓の鼓動が、破滅への足音に思えて仕方がなかった。


ここまで読んでいただきありがとうございます。


引き続き第一章終盤、3人の時間を最後まで見守っていただけると嬉しいです。


次回更新は5/26(火)予定です。

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