第24話 凍て街の警報と、“冷たい赤ん坊”
その日の午後。私は買い出しのついでに、大図書館の受付へと立ち寄っていた。
「ジルちゃん、この前頼まれていた『記憶から消える人』の文献だけど……」
司書のメリアさんが、分厚く古い童話集のような本をカウンターにコトンと置いた。
「歴史書や禁書にはなかったんだけど、この古いおとぎ話に少し似た記述があったの。『冷たい赤ん坊』のお話よ」
「冷たい、赤ん坊……?」
「ええ。生まれつき体温が低くて、病弱みたいなの。それと……誰もその子に近寄りたがらなくなるみたい。確かに生きていたのに、やがてお母さんだけがかろうじてその子のことを覚えていて――。周囲の人はみんな『妊娠していたのは知ってるけど、あの冷たい赤ちゃんは、生まれてすぐ死んじゃったはずだ』って言い張るの。……こわいおとぎ話でしょ?」
背筋に、冷たいものが走る。
――「覚えているのは、お母さんだけ」。
――キミの体、最近いつも冷たいでしょ。
白翼の日に私がクロードへかけた言葉が、不吉な符合となって脳裏に蘇る。あの時に感じた小さな違和感が、今さらになって明確な『恐怖』の形を持った気がした。
「……そっか。ありがとう、メリアさん。ちょっと読んでみるね」
私は動悸を抑えながらその本を鞄にしまい、次の目的地である冒険者ギルドへと向かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「いやぁー! やっぱりジルのチューニングは最高だな! エーテルの同調ズレが完全に直ってる!」
ギルドの片隅の作業スペース。私が調整を終えた大剣を素振りし、ルークが満面の笑みを浮かべた。
「C級の微弱な風属性でも、刃の軌道に合わせてきっちり空気抵抗を減らしてくれる。本当、ジルも俺たちのパーティにいてくれればなぁ! 毎日この最高の手入れをしてもらえるのに!」
「はいはい。おだててもメンテナンス代はまけないからね」
私が苦笑しながら工具を片付けていると、ふいに、ルークの後ろから突き刺さるような視線を感じた。
彼のパーティメンバーである魔術師の少女、ニーナだ。彼女は青白い顔で杖を強く握りしめ、ギリッと唇を噛んで私を睨みつけていた。
「……ふんっ。たかがC級魔核の小細工じゃない。そんなので“整う”くらいなら……私の魔法は、何だったのよ……」
「ニーナ……。今日はもう回復に専念しよう」
大きな盾を背負った兄のガレスが、そっと妹の肩に手を置いた。
「でも、兄様……! 私、まだ戦える! 今のうちにもっと稼がないとっ……!」
「今日はもう三回も回路が焼けかけてる。わかってるだろ」
「……まだ撃てるの。私はまだ“魔術師”なの……!」
虚空を見つめ、杖を握る手が、かすかに、規則性なく震えている。
杖の先端が、わずかに床を擦ったが、……それに気づいている様子は、なかった。
(……違う。怒ってるんじゃない。――壊れてる)
才能を失い、少しの無理すら止められている彼女の痛切なフラストレーション。その矛先が、ルークに頼られている私に向いているのは明らかだった。
「ルークが鼻の下伸ばしてる間に、私たちは先に帰らせてもらうね。ごめんねジル、また今度!」
弓使いのサーシャがウインクを投げ、沈痛な表情のニーナの手を握りながら、ガレスと共にギルドを出て行った。
三人が見えなくなると、ルークはふっと表情を引き締め、私の隣に腰を下ろした。
「……巻き込んじまって、悪い。ちょっといつものノリで、二人を傷つけちまった」
「私は良いけど。ニーナにはちゃんと『頼りにしてる』って言ってあげなさいよ」
「わかっちゃいるんだけどな……。あいつの体内の回路、もうボロボロなんだ。撃てば撃つほど壊れていくのに、撃たないと排熱できなくて苦しむ。何より……『魔法が撃てない自分』を、あいつ自身が一番許せてないんだよな」
ルークは自分の大きな手を見つめ、深く息を吐いた。
「ガレスもサーシャも、あいつが生きてりゃそれでいいって思ってる。でもただ生きてるだけなんて、本人のプライドが限界まできてるんだ。……逆に無理してもっと頑張られたら後戻りきかないし、リーダーとしてどうしてやるのが正解なのか、ホント難しいんだ……」
不器用だが、彼なりに仲間のことを深く思いやっているのが伝わってくる。
「ところで、ジル。最近、軍からギルドに出てる依頼がマジで異常なんだ」
「異常?」
「ああ。指定された魔獣を『生け捕り』にする依頼なんだけど……討伐難易度が高い奴が欲しいわけじゃないらしい。例えば、厄介な炎のブレスを吐くAランク魔獣なんかより、『大きいけど”魔核がスカスカの魔獣”』に、高値がついてるんだよ」
(スカスカの魔核の魔獣……? そんな素材にもならないものを……?)
「しかも、俺たち冒険者は現地で足を止めて、麻痺させるだけでいい。あとは信号弾を上げれば、軍部から信じられないくらい強い、異質な気配の連中がすっ飛んでくる。生きたまま拘束して、そのまま運んでいくんだ。……一体、何を企んでるんだか」
「…………」
私はルークの話に、嫌な汗が滲むのを感じた。
(……もし。魔核が『空っぽ』なら、そこに無理やり『何か』を注ぎ込むことができる……?)
胸の奥で、恐ろしい推論が噛み合いかけていた。
けれど――その正体を掴む前に。
――ウゥゥゥゥォォォォォォンッ!!
その時。帝都の空を切り裂くように、魔獣襲撃を知らせるけたたましい警報が鳴り響いた。
『緊急警報!緊急警報!』
『 帝都北部【凍て街】エリアに、魔獣の群れが侵攻! 付近の市民は直ちに避難を——』
「凍て街……ッ!?」
――その名前だけで、胸の奥がざわついた。
それに、北部の凍て街と、北東部にある【奈落谷】は、地理的にそのまま地続きになっている。もし魔獣の群れが凍て街で散り散りになり、谷の方へ流れ込んでくれば……!
「ごめんルーク、戻る!」
「おいジル! そっちの方向は危ねぇぞ!」
ルークの制止を振り切り、私は工具箱を抱えて全力で駆け出した。あの『残り火の家』に、魔獣を近づけさせるわけにはいかない。
◇◇◇◇◇◇◇◇
息を切らして奈落谷の廃棄ボイラーへ飛び込むと、そこにはすでに、戦闘用ジャケットをまとい、武器を手に持ったクロードの姿があった。リンも、鉄パイプを手に持ち、準備万端であった。
「ジル! 外の警報、聞こえたよ。凍て街に魔獣が出たんでしょ?」
「……うん。ここから地続きだから、万が一こっちに逸れてきたら大変だと思って」
「なら、俺たちも行くよ」
クロードが、剣の鞘に結んだリンの風鈴をチリンと鳴らし、静かに、けれど確かな意志で言った。
「俺は、俺にできる力で誰かを助けたい。この剣は、そのためにあるんだ」
「私も行きます」
リンが一歩前に出た。
「帝都を。守ります」
二人の真っ直ぐな瞳を見て、私は小さく息を吐いた。
止めても無駄だ。それに……私自身も、自分の手の届く範囲の人間を助けるのが『使命』だと思っているのだから。
「……わかった。一緒に行こっか」
私は工具箱から、予備の分厚い防塵マントとフードを取り出し、リンに被せた。
「でもリン、あなたの顔は絶対に隠して。軍部の連中もウロウロしてるかもしれない。見つかったら、魔獣より厄介なことになるからね」
「はいっ!」
フードを深く被ったリンと、静かな闘志を燃やすクロード。
そして、鉄の扉を開く直前。
「……ちょっと、いい?」
私はたまらず、存在を確かめるように、クロードの手首を掴んだ。
「……っ」
一瞬、呼吸が止まった。
――冷たい。
それは、出会った頃から知っているはずの温度だった。
何度も触れてきた、そのはずの感触。
けれど――違う。
以前よりも、わずかに深い。
表面だけじゃない、内側まで静まり返っているような冷たさ。
まるで、少しでもとどめようとする熱を、どこかへ流し続けているみたいに。
血が通っていない、という冷たさだけじゃない。
もっと根本的な――“そこに在るはずのものが、欠けている”ような感触。
(……違う。これは、最近……)
リンと過ごすようになってから。
無意識に強大な魔力に触れ続けているせいで――。
最初に出会った頃は、“冷たい体質”だと思っていた。
けれど、知れば知るほど違和感が強くなる。
もし、本当にクロードが、少しずつ世界から零れ落ちているのだとしたら。
この冷たさの先が、“失われる結末”だとしたら。
(……嫌だ)
胸の奥が、ぐしゃりと潰れる。
私は、ようやく見つけた。
不器用で、優しくて。
誰かのために、自分が傷つくことをためらわない人を。
でも、彼は――
人並みの幸せすら、掴めないのだ。
(私が……幸せにしてあげるって、決めたのに……!)
知らず、掴んだ手に力が入っていた。
「……ジル?」
クロードの声に、ハッとする。
――違う。
今、立ち止まってる場合じゃない。
人の役に立ちたい。
それは、クロードの願いだ。
だったら私は――。
(絶対に、この人を失わない)
「……ううん。行こっか」
私は無理やり笑って、手を離した。
そして、寒さの象徴である『凍て街』へと続く重い扉を、押し開けた――。
次回、ついに戦闘シーンへ突入します。
『魔法』と『剣』、そして彼ら自身の在り方が試される戦いです。
本作ならではの戦闘を描けるよう頑張ります。
次回更新は5/19(火)となります。




