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無名の風鈴剣 ~消えかけの少年に、天才魔導技師と皇女が激重感情を向けてくる~  作者: 風紋
第一章 忘れられる少年と、忘れない二人

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第23話 鉄の壁の、小さな三つの宝石

 朝の『残り火の家』。


 ヒカリゴケとランプの光の中。私たちは、作業台の上に広げられた一枚の古い世界地図を、三人でのぞき込んでいた。


「いつか、行ってみたい場所かぁ」


 ジルが工具を置き、楽しそうに背伸びをする。


 事の発端は、クロードの「『北の勇者と魔導具少女』みたいに、いつか三人で色んな街に行ってみたいなぁ」という何気ない一言だった。

 軍の探知機に怯え、息を潜めるしかない状況にしてしまった元凶の私としては申し訳ない一心。けれど――。


(それでも……この3人なら)


 そう思ってしまうくらい、この時間は優しかった。

 だから、真っ先に提案してみる。


「私はね、ここ。ヴァルネシア公国の南にある、刻港こっこうオロージア」


 地図の南端にある港町を指差した。


「青い海を見下ろす高台があってね、オレンジ色のレンガ屋根がずーっと連なってるらしいの。その向こうには巨大なからくり時計があって、お昼になると街中に綺麗な鐘の音が響く港町。海鳥が飛んで、風が暖かくて……たぶん『今、生きてる!』って感じられると思う」


 お城という名の鳥籠とりかごに閉じ込められていた私にとって、それは本の中でしか知らない、けれどずっと憧れ続けていた景色だった。


 いつか訪れる、その日。

 温かい太陽の下で、クロードと、ジルと。三人でそのからくり時計を見上げる光景を想像するだけで、胸の奥がぽかぽかと温かくなる。


 ――まるで、ここじゃないどこかへ行けば、全部うまくいくみたいに。


「へえ、リンってばロマンチスト! 確かにせかせかした帝国とは違って公国はのんびりしてそうだし、海鮮も美味しそうだし、いいわねそこ!」


 ジルが目を輝かせながら笑う。


「海まで行くのかぁ。どうやって行くの?歩いて?船で??」


 クロードも、興味津々といった様子で身を乗り出してきた。


「旅をしながらなら……歩き、ですかね?」


 そう言いながらも、私は少しだけ迷う。長距離の移動とはどういうものなのか、私もよくわかっていない。


「船を使えるところは船でいいじゃない。歩いて行くところは、他にもいっぱいあるんだから」


 ジルが軽く肩をすくめて言った。

 ――その言い方が、妙に頼もしくて。

 私は小さく、笑ってしまう。


 ジルはそのまま地図の北側、死の回廊かいろうと大森林の間に広がる空白地帯をトントンと叩いた。


「私はね、ロゴス遺跡。白翼の時代にあったっていう、マナ制御の研究施設跡よ」

「遺跡……? ジルらしいけど、死の回廊の向こうなんて、危なくないの?」

「危ないわよ。あの天才だった私のじいちゃんでさえ『あそこはワシでも踏み込めなかった。帰ってきた連中は、みんな何かを見落としていた』って言って。結局、何かありそうで何も得られなかったんだから」


 ジルはニシシと笑い、髪の毛を指でくるくる回す。


「だから、私が見つけるの。じいちゃんが届かなかった、魔導工学の真髄しんずいをね」


 その横顔は、少しだけ誇らしげで。

 少しだけ、寂しそうにも見えた。


「でも、魔獣と戦える強さが必要。ロゴス遺跡に行くためには、みんなでもっと本格的に鍛錬しないとね」


 そう言ってから、ふっと悪戯っぽく笑って――


「ま、足引っ張ったら置いてくけど?」


 くるりとウインクを向けてくる。

 その軽やかな仕草に、胸が一瞬だけ跳ねた。


 ――ずるい。そういうところ、本当に。

 けれど次の瞬間には、もういつもの調子に戻っている。


「二人とも、すごいね。ちゃんと目標があるんだ」


 感心したように呟いたクロード。


「クロードは? どこか行ってみたい場所、ないの?」


 と尋ねると。


「俺? 俺は……」


 クロードは少しだけ迷うように地図に視線を彷徨わせ――


「俺、場所がわからないけど『熱砂ねっさの都市シャムス』に行ってみたいんだ」

「シャムス?」

「うん。砂漠のど真ん中にある街なんだろ? そこなら年中、凄く暑いんだよな。だから……」


 クロードは自分の冷たい手をギュッと握り、少しだけ照れくさそうに笑った。


「俺の体がどれだけ冷たくても、そこなら誰も気にしないし、ちょうどいいかなって思ってさ」


 その言葉に、私は息を呑んだ。

 彼の底知れぬ孤独が、その何気ない笑顔から透けて見えた気がしたからだ。


 “どこでもいい”じゃない。

 “居てもいい場所”を探している。


「……クロード」


 ジルが、戸惑ったような、ひどく痛みをこらえるような声を出した。


「シャムスは……小説の中だけの街。現実の世界地図には、ないの」

「えっ……?」


 クロードの目が丸くなる。


 残り火の家に、一瞬だけ静寂が落ちた。

 ジルが、何かを言いかけようと口を開くが――言葉は出てこなかった。


 クロードは孤児院で育った。文字や算術を多少習った程度と言っていた。

 だから――。


「あっ……そ、そうなのか。なんだ、俺、ずっと本当にある街だと思ってた」


 クロードは慌てて手を引っ込め、恥ずかしそうに、けれどひどく寂しそうに頭をいた。


「孤児院にいた頃、俺だけ『気味が悪い』っていつも部屋の隅っこだったから……ちゃんと勉強、教えてもらえなかったんだ。ずっと本物の街だと勘違いしてた。……馬鹿だな、俺」


 自嘲するようなその横顔を見て、私の胸は、張り裂けそうなほどの痛みに襲われた。


 彼が行きたいと願った、たった一つの場所。

 それすらも、世界には存在しないなんて。


「馬鹿じゃないよ!!」


 私はたまらず、大きな声を出していた。


「字なら私が教える! 本だって、これから一緒にたくさん読めばいい! ……シャムスがなくても、オロージアがあるよ!」

「リン……?」

「オロージアの太陽と海風は、砂漠に負けないくらいすっごく暖かいんだから! クロードの体が冷たくたって、誰も気にしない。絶対に、私たちが連れて行ってあげる!」


 それは約束だった。

 未来に手を伸ばすための、必死な言葉。


 ――失わせないための。


 必死に叫ぶ私を見て、クロードは少しだけ驚いたように目を瞬かせ、やがて、今までで一番優しく、柔らかく微笑んだ。


「……うん。ありがとう、リン」

「よし、決まりね!」


 ジルがわざとらしく明るい声を出し、作業台の引き出しから紙切れとペンを取り出した。


「忘れないように、ちゃんと書いて貼っときましょ。私たちの、これからの目標!」


 私たちはそれぞれ、不揃いな紙切れに夢を書いた。


 『いつか、オロージアのからくり時計を見る(リン)』

 『ロゴス遺跡で、じいちゃんを超える!(ジル)』

 『冷たいのが気持ちいいくらい、暖かいところ(クロード)』


 ジルが接着剤を塗り、無骨な鉄の壁に、3枚の紙切れが並んで貼り付けられる。


 火に触れれば、簡単に消えてしまうような薄い紙。


 だがすすけた残り火の家で、そこだけが宝石のようにキラキラと輝いて見えた。


(いつか……絶対に)


 鉄の壁に貼られたその夢の欠片を、愛おしく見上げた。


 崩してしまったかもしれない彼らの日常を……。


 それでも私は、幸せなものにしたかった。


 ――そして、この温かい日常が、ずっと続きますように。


 そう願わずには、いられなかった。


ささやかな、3人の願い。


次回更新は5/15(金)予定です

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