第2話 冷えた心と温かなスープ
光龍歴989年11月。
帝都ガレリアの空は、例年よりも重たく薄暗くなっている。
5月に王国が帝国へ宣戦布告をしてからというもの、立ち上る紫煙が顕著に増えた。
「魔王の予兆だ」
そんな噂が広がっても、国は増産計画対応するため「青のエーテル」を燃やし続ける。
その悪循環が他国をより顕著に刺激しているとも知らずに……。
チリン……。
世界から音が消え失せたその場所で、風鈴の音色だけが、ジルの鼓膜に焼き付いていた。
これほどまでの静寂を、ジルは知らない。
このガラクタ山は、騒がしいでは済まないほど、ぐちゃぐちゃになった周波数が襲ってきていた。そうでなくとも…普通に生活するだけでも、耳鳴りのような音がしているものだが、彼のそばではノイズが消える。
――まるで世界が息を止めたみたいに。
それは、彼女が初めて知った本当の静寂だった。
「……なんでかな?」
思っていたことがふと声に出るも、ふと我に返った瞬間に、疲れがどっと出てきた。
ずしりと重い背中のリュックも、存在感を大きく増している。かなり無理をしたので、ひと休憩してからでないと、崖上に戻るのは大変だ……が。
「座るとこ、あんまりなさそうね」
ここは帝都の第13廃棄区画――『奈落谷』。
崖の上から鉄屑や壊れた魔導具が投げ捨てられる、帝都のゴミ捨て場だ。
地面は廃材だらけで、とても腰を掛けられそうにない。
すると、少年――クロードは頼りなさそうに「座るだけでいいなら……一応あるけど」と言ってくれた。これまでを見ても、善意の少年だ。悪いことにはならないだろうと、ジルは乗っかることにする。
ほどなくして、直径3m、長さ10mはあろうかという廃棄された大きなボイラーが横たわっていた。
「この中……なんだけど……。 ――ホントに座るだけしかできないよ」
本来ある穴には、残骸が敷き詰められて人が通れるスキマが作られていた。ドアなどはない。勧められて中に入ると、底には板が敷かれているようであった。
クロードは明かり用のオイルランプに火をつけるが、これも廃棄品なのか、光源としてはかなり弱い。
「私も手持ちのあかり、つけるね」
魔導ランプを起動させるが……、まるで息を止めたように消えてしまう。
こんなことは初めてだった。
「あれ……?壊れちゃったかな?」と言いつつ、改めて中を見てみると、本当に座るだけの空間といっても差支えなかった。
ぼろ布が少し、食べかけの固パンが少し、あとは樽とランプと器が少々。たったこれだけのモノしかないが、逆にこれだけのものがある。
――嫌な予感がよぎった。
「えっと……」
言い淀んでしまうが、聞かざるを得ない。
「えっとね、……ここで暮らしちゃったりは、してないよね?」
すると少年はビクンと肩を揺らし、何か言いたげにするも、結局しょんぼりと下を向くのみにとどまった。
それだけで、答えは十分だった。
ジルは言葉を失う。
ここは奈落だ。
帝都ガレリア、第13廃棄区画。
まともな人間が長く居られる場所じゃない。廃棄された魔導具のノイズと煤煙が渦巻く、都市の底の底だ。
そこに、この少年はいる。
「な、なんで? えっと……孤児院とかは行ってないの?」
家出したか、それとも親と死別したのかどうかだが。その事情は少年の心の傷をえぐる可能性があるとみて、一足飛びに先を聞いてみる。
「……3年くらい前まで孤児院にいたけど……追い出されちゃって……」
消え入りそうな声に、本当に消えちゃうんじゃないかという錯覚に陥ったジルは、思わず少年の両肩をつかみ、力が入るが……。
思いのほか、バッと強い力で振り払われた。
――それは拒絶の意志だった。
「なんで!?キミって、すっごく優しいよねッッ!」
廃棄され、冷えきったボイラー内で声が反響するも……すぐに静寂が訪れる。
(なんで……こんなに良い子が、こんなに傷つくなんておかしいよ!)
振り払われた手が、その衝撃が。
心に響く。
クロードは廃棄ボイラー内での静寂が、捨てられた者同士という感じがして親しみを感じていたが……、今この場は逃げ出したい思いでいっぱいだった。
「だって……人を助けても……。寒くなるって。体調悪くなるんだって。さっきみたいに、暖房もランプも……全部消えて。前に親切にしてくれたおばあさんも、オレのせいで……」
一度感情が漏れ始めると、止まらない。
「困るんだって!みんなが困るから、出てってくれって!……オレは、みんなの役に立ちたかったのに……疫病神って……」
少年は膝を抱え、自分の体を守るように強く縮こまった。
その姿は、この冷え切ったボイラーそのものだった。
かつては誰かを温めていたはずの、空っぽの鉄の塊。
今は、ただ冷たく沈んでいるだけだ。
ジルの胸の奥が、ぎゅっと軋んだ。
(キミは疫病神なんかじゃない。この殺伐としてきた帝都にあって、私に温もりを)
ジルはリュックから、別のランプを取り出した。さっきの魔導ランプではない。古臭い、真鍮製のアルコールランプだ。
力を込めて、マッチをこする。
『シュボッ』
赤い火が灯る。魔力を使わない、純粋な化学燃焼の炎だ。
それはクロードのそばでも消えることなく、ゆらゆらと優しい光でボイラー内を照らした。
「……ほら、点いたよ」
ジルは静かに言った。
顔を上げたクロードが、消えない火を見て呆然としている。
「キミは疫病神なんかじゃない。……キミがいなかったら、私もいなかったんだよ」
ジルはシェラカップと干し肉、水ボトル、それにジルお手製の調味料を取り出す。
「ありがとう。……キミにはお礼がしたいんだ」
シェラカップにコポコポとボトルの水を入れ、干し肉をポトリと入れると、ゆるりと波紋が起きる。
そのまま火にかけ、調味料を適量入れる。
再び静寂に包まれるが、いずれポコポコと水が泡立ちはじめ。ランプの火とお湯の温もりが弱いながらも伝わってくる。さっきの静寂とは、違う。
クロードは気づいていた。
ジルは、この静寂を怖がっていない。今までの誰とも、違う。
「今の帝都じゃ、この「真水」一杯だって高くなっちゃって。おばあさんの井戸も枯れかけてるしね。……でも、今の君にはこれが必要」
干し肉が柔らかくなるように、ぐるぐると回してみる。
(沁みて……お願い――!)
ゆらゆらと、ランプの灯が揺れる。クロードの拒絶は、感じない。
特製調味料の味が沁み込んだ頃合いで、ランプの炎からシェラカップを外す。
少しだけ、冷ます必要がある。
「見てみて。美味しそうでしょ?」
スープを見せるが、まだ、渡さない。
「熱いからね」
クロードをちらりと見ると、ゴクリと喉が鳴る。スープに目を奪われているようだ。
(……もうッ)
小さな子供じゃないんだから、と思いながらも、より強い想いが届くように。
キミは必要な人間なんだよと、思いながらスープをふーふーする。
(せっかくのお姉さんお手製スープで、ヤケドしちゃいけないからね)
ジルは少し余裕が出たからか、ついつい変なことを考え、笑ってしまう。
それが、クロードに衝撃を与える。
人の笑顔なんて……いつぶりだろうか。
そしてそっと手渡される、できたてのスープ。
昇っていく湯気に、なんだか力強さが感じられる。
一口飲む。
塩気と肉の旨味が、喉の奥にじんわり広がる。
「……あったかい……」
物理的な熱が、冷え切った体に染みわたる。熱い涙が頬を伝う。
「ジル……あったかいよ……」
クロードはシェラカップを傾け、最後の一滴まで喉に流し込んだ。空っぽになったカップの底には、ランプの光が鈍く反射しているだけだ。
けれど、不思議だった。カップは空っぽになったけど、身体の奥底に、何かが…熱さがいきわたった。
それが「満たされる」という感覚なのだと、クロードは初めて知った。
「……ふぅ」
白い吐息が、冷たいボイラーの空気に溶けていく。
張りつめていた肩の力が抜け、凍えていた心臓がドクン、と力強く脈打つのがわかった。
その余韻が、まだ胸の奥に残っている。
次の瞬間――
ガバッ!
「えっ、わ!?」
「あはは、捕まえた!!」
いつの間にか近づいていたジルが、クロードを横から抱きすくめていた。
ジルの柔らかく温かい身体。静寂の中、ドクドクと脈を感じるが、これはジルの脈か自分の脈か……。
「聞いて……」
やけにひんやりとする服の感触。
でも――恐れずにちゃんと触れていれば、温かいのだ。
「キミは疫病神なんかじゃない。……ほら、こうしてれば全然寒くない。」
「……うん……、うん……ッ」
クロードは、ジルの腕の中で子供のようにしゃくり上げた。
温かい。スープの熱が身体の中から広がり、外からはジルの体温が染み込んでくる。
ずっと、……ずっと寒かった。
自分は世界に空いた「穴」で、熱を奪うだけの存在だと思っていた。
けれど、この人は違う。
「……ジル」
クロードは涙を拭い、震える声で尋ねた。
「オレがそばにいても、本当に……寒くない?」
「寒くないよ。むしろ、キミのおかげで『静か』だから、すごく心地良い」
ジルは体を離し、クロードの肩をポンと叩いた。
そして、二カッっと笑う。
「だからさ、契約しようよ」
「……けいやく?」
「そう。んと、約束を決めて、守ろうってこと。私の相棒になって!」
ジルは真剣な眼差しで、クロードを見つめた。
「私は魔導技師。でもね、ちょっといろいろあって、お金もなくて、材料が全然集められないの……」
ジルは頭をかきながら、少しだけ目をそらした。
ほんの一瞬、困ったような表情が浮かぶ。
「だからね、この奈落で……いらないと言われたものを、もう一度輝かせて、困ってる人に届けたいんだ。……私がみんなを助ける。そのために――」
ジルはクロードの顔をじっと見た。
「キミが私を助けて!」
勢いよく宣言してから、ジルは「あっ」という顔をした。
変なこと言っちゃったかなと、照れたようにニヤリ笑う。
でも、その笑顔はどこか誇らしげだった。
「この頭がおかしくなるような奈落でも、キミの近くでは大丈夫だから。だから一緒にいて。その代わり私は……キミの今後を一生懸命考えるから!!」
勢いにまかせて、バッとクロードの前に手を差し出す。
(本当は温もりをあげるって言いたかったのに……なんかまだ何も考えてないみたいになっちゃった)
顔が真っ赤になり、あわわと口が開く。
クロードはコロコロと顔色が変わるジルを見つめながら、まだ身体の中の温かさが消えていない、それどころかより暖かくなるような、不思議な感覚だった。
オレが必要とされる。誰かの役に立てる。
「出ていけ」ではなく「いてくれ」と言われる…。
そんなことは生まれて初めてだった。
「……うん」
クロードは、恐る恐るその手を握り返した。
冷たい手と、温かい手。今日はどうやら、温かさの方が勝っている。
「オレでいいなら……相棒になるよ」
「よし!交渉成立ッ!」
ジルは嬉しそうに手を振った。
そのはずみで、クロードの剣に結び付けられている風鈴が、チリン、と鳴った。
ボイラーの外では、相変わらず世界が不快なノイズを上げている。
――けれど、二人の間には、風鈴の澄んだ音色だけが、優しく響いていた。
スープを分け合う二人の静かな時間が、少しでも皆さんの心に温かく届いていれば嬉しいです。
孤独だった少年と、居場所を失った少女。
奈落の底で結ばれたこの「相棒」という名の契約が、これから二人をどう運んでいくのか。
【次回】
時間は、一年後へ――




