第1話 奈落の少年
ご覧いただきありがとうございます。
誰の記憶からも消えゆく少年と、彼に執着する少女たちの、感情重めのファンタジーです。
まずは数話、彼らの出会いにお付き合いいただけますと幸いです。
ブゥゥゥン、キィィィィィン……。
壊れかけたラジオみたいな、耳の奥をかき回す不快な振動音。
それが、帝都ガレリア第13廃棄区画――『奈落谷』に満ちるマナの唸りだった。
「……う、っぷ……!」
ジルは鉄屑の山の中腹で膝をつき、その場に胃液を吐き出した。
頭が痛い。目の奥が熱い。吐き気で足元が揺れる。
背負った大きな革製のリュックが、ずしりと重く肩に食い込む。中に入っている工具や簡易医療キットが、歩くたびにカチャカチャと音を立てた。
(まだだ……まだ、見つかってない……)
ジルは口元を拭い、震える足で立ち上がった。
16歳の彼女がここに来た理由は一つ。魔導技師として受けた依頼だ。
『井戸のポンプを、なんとか直しておくれ』
スラムの老婆に泣きつかれた仕事。金にはならない。
だが、今の帝都は「青のエーテル」が不足し、街のあちこちで設備が死に始めている。直すには、燃料を使わない旧式の『充填式魔導バルブ』が必要だった。
それを手に入れるには、古いガラクタが眠るこの奈落谷を漁るしかない。
「……どこかな……、もう……」
一歩進むたびに足場のスクラップがガラガラと崩れ、壊れた魔導具からは不快なノイズと共に、紫色のマナの残滓が蜃気楼となって揺らめく。
めまいと共につい鉄屑に手をついてしまい、指を切った。
痛い。帰りたい。
でも、もし逃げ出しちゃったら、私はもう二度とここに来る勇気はない。今日、あの部品を見つけられなければ、おばあさんたちは水を飲めない。
(逃げちゃだめだ……。人のために、これくらいできなきゃ……私には価値がないんだ)
その焦りが判断を鈍らせた。
鉄くずの隙間で、ふと目にした金属の光沢。細い配管の隙間に、古い部品らしきものが半ば埋もれている。
「……これ、かも……!」
ジルは足場の悪い鉄屑の斜面に身を乗り出し、錆びたパイプへ手を伸ばした。
指先が届く。掴む。その先についてないかと引き抜いた瞬間――足元の鉄屑が、まとめて崩れた。
「あ」
グラリ、と世界が傾いた。
パイプの根本には何もなく、右手を先頭に、後方へ……。
「きゃあッ!?」
斜面を転がり落ちる。鋭利な金属片が頬をかすめ、腕を切り裂く。熱い痛みが走る。
鉄屑山の下は、さらに一段低い谷底だったはず。このまま落ちれば、ただでは済まない。死ぬ!
そう覚悟して目を瞑った瞬間だった。
ドンッ!
強い衝撃と共に、落下が止まった。鉄屑とは明らかに違う、弾力と……少しひんやりとした感触。
誰かが、ジルの体を受け止めたのだ。
「……っと」
少年の声だ。それと同時に、あれほどジルを苦しめていた「ノイズ」が、すうっと波を引くように静まり返った。
頭の芯をかき回していた不快な唸りも、吐き気も、目眩も、嘘みたいに消えている。
「だ、大丈夫……?」
見上げると、退色した灰金色の髪の少年が心配そうに眉を下げていた。
顔も服も油汚れとススで薄汚れている。よく見ると彼はボロボロのマントと使い込まれた直剣を腰に差しており、その柄には風鈴が結ばれている。
歳は自分より少し下……13~14歳くらいだろうか。
だが、少年はジルが大丈夫な状況とわかるや否や、火に触れたかのようにパッと手を離し、あとずさった。
「……ごめん」
まるで、自分こそが汚いもの、忌むべきものであるかのように。
「ここに人が来たってのはわかってたんだ。……みんなここに来ると気分が悪くなっちゃうから、気にはかけてたんだけど……もっと早く声をかければよかった。ごめんな」
少年は、ジルの頬や腕から流れる血を見て、強く唇を噛んだ。
何度も出てくる謝罪。その言葉の端々から、彼の誠実さがにじみ出ていた。
だが、ジルが驚いたのはそこではない。彼に触れていたあの一瞬、あの耐え難い吐き気が、音が、完全に消えていたのだ。
「……ねえ、キミ」
ジルは思わず、少年のほうへ一歩踏み出す。
「キミ、何者? すごいよ……キミのそばだけ、音が静かなんだ」
「オレはクロード。……ただの、なり損ないだよ」
クロードは自嘲気味に笑う。
「ケガ、治せるものなんて何もなくて……悪い。オレが近くにいたら……もっと寒くなるだろ」
「んもう、命の恩人が何言ってんの! このくらい平気だって!」
本当はまだ腕がジンジン痛んでいた。でもそんな顔は見せない。
「帰ったらポーション一気飲みして寝れば治るから! それより、あそこから落ちてたら即死だったよ。ホント、ありがとね!」
ジルの快活な様子に、クロードの緊張も少しほどけたようで、顔に驚きが浮かぶ。
「探し物があるんだろ? オレも手伝うよ。……ケガのお詫びにもならないけど」
「え、いいの!? ……あー、いやいや」
ジルはそこで、わざとらしく腕組みをして、片眉を上げた。
「『タダより高いものはない』ってね。あとで高額請求されても困るんだけど?」
「えっ? い、いや、金なんて取らないよ!?」
本気で焦るクロードを見て、ジルは「ぷっ」と吹き出した。
「冗談だってば。……ったく、キミってば真面目すぎない? そんなんじゃ、この街では損しちゃうよ?」
ジルは少しだけお姉さんぶって、諭すように言った。
けれど、クロードは困ったように眉を下げたまま、静かに首を横に振った。
「良いんだ、オレは」
クロードは少しだけ視線を落とした。
「……誰かの役に立って、記憶に残れば。それでいいんだ」
その言葉は儚く、けれど切実な響きを持っていた。
ジルはあははっと笑い飛ばす。
さっきまでのマナの濁流はホントにどこへやら。いまは静まり返った世界に、彼女の笑い声が心地よく響く。
「もう、変な子! 命の恩人のことなんて、忘れるわけないじゃん!」
なんだかこのやり取りが、涙が出るほど嬉しいとジルは感じる。
ここは今や荒んだ帝都の端。冷たい鉄屑と魔導具の墓場。
そんな場所での、人と人との交流は思った以上に温かい。
「じゃあお言葉に甘えて! 私、ジルっていうの。よろしくね、クロード君!」
そこからの作業は劇的だった。
一人では地獄だった作業が、クロードが隣にいるだけで嘘のようにスムーズに進む。彼のそばにいると、あの頭を割るようなノイズが不思議と遠ざかるのだ。
「これ?」
「……ッ! それ! それだよ!」
十分も経たないうちに、彼が瓦礫の下から引っ張り出したのは、間違いなく探していた旧式のバルブだった。
ジルは震える手でそれを受け取った。
見つかった。これで、あのおばあさんとの約束が守れる。
「ありがとう、クロード……! ほんとに、キミのおかげだよ!」
「……ううん。オレは、見つけただけだから」
薄汚れて、ボロボロの少年。
けれど、夕日を背負って汗を拭うその姿が、今のジルにはどんな高潔な騎士よりも頼もしく見えた。
(キミがいれば……二度と来られないと思っていたこの場所も、歩ける。キミがいれば、私――)
絶望の淵にいたジルに見えた、たった一つの、強烈な光明。
彼女はギュッと部品を握りしめ、クロードに向かって最高の笑顔を向けようとした。
――その瞬間だった。
「あっ……」
グラッ、と。
今度は足元が崩れたわけではない。ジルの視界そのものが、唐突に明滅した。
部品を見つけた安堵で、張り詰めていた緊張の糸がプツリと切れたのだ。斜面を転がり落ちたダメージと、先ほどまで浴び続けていたマナ酔いの強烈な反動が、一気に全身にのしかかってきた。
「ジル!?」
膝から崩れ落ちそうになった彼女を、クロードが慌てて支える。
ドクン、ドクンと心臓が早鐘のように鳴り、泥のような疲労感が手足の感覚を奪っていく。
「ごめ……ちょっと、無理しすぎたみたい……」
息が荒い。肩で呼吸をしながら、ジルはどうにか立ち上がろうとするが、足に力が入らない。
クロードのそばにいてノイズは消えているのに、自分の身体の方がもう限界を訴えていた。
「……ねえ、クロード」
「喋らないほうがいい。ひどい顔色だ」
「崖を登る前に……ちょっとだけ、休ませて……」
ジルはぜえぜえと息を吐きながら、周囲の鉄屑の山を見回した。
部品は手に入った。依頼は果たせる。
限界を迎えた彼女の身体を、クロードの細い腕がしっかりと支えてくれていた。
そのおかげで、奈落の不快なマナの唸りは遠ざかり、代わりに優しい静寂が降りてくる。
チリン……。
冷たい風が吹き抜け、少年の腰に結ばれた風鈴が、澄んだ音色を響かせた。
それは、絶望の谷底で見つけた、小さな希望の音だった。
第1話を最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!
マナ汚染の谷底で出会った、天才技師のジルと「空っぽ」の少年クロード。
次回は、少年が身を寄せる『廃棄ボイラー』での、少し歪で温かい繋がりが描かれます。
「少し気になる」と感じていただけましたら、続きを覗いていただけると嬉しいです。
初日5話投稿していますので、このまま第2話もお楽しみください。




