第17話 すり替えられる記憶と、世界の辻褄 ――「俺を頼れ」
私は、ボイラー室から続く隠し扉を抜け、地上のガレージへと戻ってきた。
クロードの『透明化』と『存在の忘却』。その対策をどうしても見つけ出さなければならない。
それに、あの奈落谷の過酷な環境でなら、軍の魔力探知機に引っ掛かる可能性が低いと分かった今、私自身も「日常」を装う必要があった。
ずっとガレージを閉め切っていれば、逆に不審を買うだけだ。
『しばらく不在がちになります』
表の扉にそんな木札を掛けつつ、ガレージの看板を「OPEN」に切り替える。
今現在、溜まっている依頼はない。だが、こんな辺鄙な場所にある工房でも、私の腕を頼りにしてくれる常連客というものはいるものだ。
カラン、とドアベルが鳴った。
「よう!」
明るく豪快な声が、ガレージに響き渡る。
振り返ると、背に大剣を背負った青年――新進気鋭のC級冒険者ルークが、人懐っこい笑みを浮かべて立っていた。
「ルーク……生きてたのね」
「おいおい、縁起でもないこと言うなよ! だけど……」
ルークはわざとらしい笑顔を少し引っ込め、私の顔を覗き込むようにして眉を下げた。
「開いててよかったぜ。四日前に討伐任務から帰ってきてから、毎日通ってたんだぞ? ずっと閉まりっぱなしだし、顔も見せないから、倒れてんじゃねぇかってすげぇ心配してたんだからな」
その言葉には、隠しきれない安堵が滲んでいた。
「ごめんね。ちょっと色々あって大掛かりな仕事をしてたから」
「そっか。まぁ、無事ならいいんだ。……あぁ、悪い。いつもの整備を頼みたくてさ」
彼が背中から下ろしたのは、使い込まれたC級の魔導剣だ。
刃こぼれと、回路の煤け具合から、彼が外でどれだけ激しい戦闘をこなしてきたかが伺える。
「……随分と手荒く使ったわね。預かっておくわ」
私は剣を受け取り、作業台に向かいながら、背を向けたまま何気ない風を装って口を開いた。
「そういえば……最近、クロード見た?」
「ん? クロード?」
ルークの声が、ふっと間抜けな響きになった。
私は、心臓が嫌な音を立てるのを感じながら、手を止めた。
「彼のこと”弟分”みたいに可愛がってたじゃない。最近会ったかなって思って」
「あー……」
ルークは腕を組み、天井を見上げて首をひねっている。
「クロード、な。……うん。名前は、ちゃんと覚えてるんだけどよ。なんか、顔がぼやけてて、パッと思い出せねぇんだよな。最近会ってないからか?」
「それに――」
ルークは首を傾げた。
「あいつ、どこに住んでたっけ?」
(やっぱり……)
私の背筋に、冷たい汗が流れる。
クロードが恐れていた「記憶の風化」は、あれほど彼をかわいがっていたはずのルークにまで確実に及んでいた。
「ルークが初めてクロードと会った日のこと、覚えてる?」
「覚えてるぜ! そりゃ、この店に初めて来た日のことだもんな!」
ルークはポンと手を打って笑った。
「あん時、クロードが素振りしててさ、お近づきの印にと思って一緒に素振りしたんだよな。あいつの流れるような剣の型を見て『マナもないのにすげぇ剣技だ!』って度肝抜かれたなぁ!」
「……え?」
私は、ピタリと手を止めて振り返った。
「何言ってんの。……え? ルークが初めて来た日は庭で『一人で』素振りしただけじゃない。それで私が『暑苦しい』って文句言ったんでしょ?」
私の言葉に、今度はルークが目を丸くした。
「はぁ!? 初めて修理を頼みに来た客が、いきなり一人で鍛錬始めねぇよ。クロードが素振りしてたから、俺も混ざったんだってば!」
「……ッ!」
私の鼓動が、ドクン、と痛いほどに跳ね上がった。
ルークの言う通りだ。
初めて来た客が、いきなり庭で一人で鍛錬を始めるなど、冷静に考えれば不自然すぎる。
――私の記憶から、あの時のクロードがすっぽりと抜け落ちて……。
(……また。あの夜と同じ……!)
背筋に、氷を押し当てられたような悪寒が走る。
数日前、彼が半透明に透け、リンが「船にはいなかった」と言ったあの夜。
自分の中から彼との記憶が砂のように零れ落ちていく感覚を、私はすでに味わっていた。
剣士であるルークにとって、クロードはインパクトがあった。
だから覚えられているの?
いや――違う。
覚えているのは「クロードの剣技へのインパクト」だけで、顔付きは曖昧になっている。
逆に当時の私はクロードの剣を見ても、大して気にも止めていなかった。
だから――
『私の中でインパクトの薄いクロードの記憶』だけが綺麗に消えて……。
その結果「ルークが一人で素振りしていた」という、歪んだ記憶にすり替わったの?
あの夜の絶望が、再び私の首を真綿で絞め上げる。
(私すら、気づかないうちに……クロードのことを忘れ続けてる……?)
理屈は分からない。だが、間違いない気がする。
他人はもちろん、私でさえ、日常の記憶から少しずつ彼が欠落し、世界の辻褄合わせに飲み込まれていく。
今も確実に、クロードはこの世界から『消えかかって』――。
その恐ろしい事実に、手が震えた。
「おい、ジル?......顔色悪いぞ」
「……ううん、なんでもないわ。ちょっと寝不足なだけ」
私は誤魔化すように強く首を振り、震える手を隠しながら、強引に話題を変えた。
「それより、あなた四日前に帰ってきたって言ってたわね。帝都の外は、今どうなってるの?」
その問いに、ルークの表情から冒険者特有の軽口がスッと消えた。
「あぁ……それがよ。やけにキナ臭いんだ」
ルークは声を潜め、周囲を警戒するようにガレージの奥へと一歩踏み込んだ。
「帝都に入るときの関所が異常だった。荷物の徹底的なチェックはもちろん、ギルドに問い合わせて『帝都から冒険に出た日付』と『依頼の受領日』の整合性が取れるまで、中に入れさせてもらえなかったんだ。俺も半日足止め食らったぜ」
「そこまで……」
「それだけじゃねぇ。一定以上のエーテル持ちは『紛らわしい』って理由で、地区ごとの施設に事実上の軟禁状態にされてるらしい。俺みたいな戦士はマシだが、特に上位の魔術師はな」
ルークは苦々しそうに舌打ちをした。
「ジルは大丈夫なのか?」
「えぇ。憲兵は来たけど、問題なかったわ」
「はぁ!? お前、それで無事なのかよ……!」
ルークは目を見開き、思わず一歩踏み出した。
「この状況で見逃されるなんて、普通ありえねぇぞ。実は、ここ数日いなかったのって……」
「……連行じゃないってば。まぁ、その場でうちは違うってわかってくれたから、良いのよ」
私は肩をすくめてみせたが……、ルークに肩をガシっと掴まれた。
「頼む。憲兵なんかに連れてかれないでくれよ」
あの飄々と頼れるルークですら、この調子なので。
(危機一髪の状況は、ちょっと話せそうにないかな)
「……そんなに心配しなくても、私が憲兵に連行される姿なんて、一生拝ませてあげないわよ。そもそも、そんな薄暗いところに閉じ込められたら、仕事が溜まってそれこそ死んじゃうわ」
私がいつもの調子で少し鼻で笑ってみせると、ルークは「相変わらず可愛げねぇな」と苦笑いして、ようやく肩から手を離した。
だが、その直後。彼は一瞬だけ真顔に戻り、私の手首――連行される際に枷を嵌められるはずの場所を、確認するように鋭く見つめた。
痣や傷がないかを確かめるような、短くも、どこか心配を隠せない視線。
それに気づかないふりをして私がヤスリを手に取ると、彼はまたすぐに「冒険者ルーク」の表情に戻って、身を乗り出した。
「極めつけは運河だ。周辺は完全立ち入り禁止でよ。聞いた話じゃ、水死体だか何だかを探すため、運河を堰き止める案まで出てるらしいぜ。まぁ、流石にそれは尾ひれがついた噂だと思うが……」
私は息を呑んだ。
軍は本気だ。本気で、あの少女――『特異点』を炙り出そうとしている。
そして、それだけの異常事態を引き起こす理由が、彼女の持つ力にはあるということだ。
「……ねぇ」
私はヤスリを置き、真剣な瞳で彼を見上げた。
「お願いがあるの」
「――どんなだ?」
「軍が……帝都で『何』を探しているのか。そこまでして探し出そうとしているモノの正体を、あなたの顔の広さで調べてみてほしいの」
それを知らなければ、対策の打ちようがない。
だが、これは単なる情報収集ではない。軍の暗部に首を突っ込む、危険極まりない行為だ。
巻き込むべきではないと分かっていても、今の私には頼れる手駒が少なすぎた。
私の緊迫した顔と、その言葉の裏にある危険な気配。
それを感じ取ったルークは、ふっといつもの軽薄な笑みを消した。
そして、私の頭にポンと大きな手を乗せると、低く、力強い声で言った。
「……細かい事情は聞かねぇよ」
ルークは小さく肩をすくめた。
「お前がそんな顔して頼むってことは、相当ヤバいんだろ?」
真っ直ぐな、男気にあふれた瞳が私を射抜く。
「一人で抱え込もうとしてるなら、俺を使え。……任せとけ、ジル。俺を頼れ」
その言葉の、有無を言わさぬ頼もしさに。
(ルーク……)
私は、小さく、だが力強く頷いた。
「……ええ。恩に着るわ」
帝都を覆い尽くそうとする巨大な影の正体。
それを探るため、一人の頼れる冒険者が静かに動き出そうとしていた。
少しずつ広がっていきます。
次回更新は5/1(金)予定です。




