第18話 欠落の足跡と、暗がりで流す言い訳
帝都の区画の中心近くに位置する大図書館。
普段なら、軍の目や面倒な人間関係を避けて絶対に近づかない場所だが、背に腹は代えられなかった。「記憶から消える」という不可解な現象について、少しでも文献の情報が欲しかったのだ。
「あらあら〜。珍しいわね、ジルちゃんがこっちまで足を伸ばすなんて」
受付のカウンターでふんわりと微笑んだのは、司書のメリアだ。おっとりとした性格で面倒見が良いのだが、最近は「三十路」という単語に異常なまでの防衛反応を示す、少しばかり結婚に焦り始めているお姉さんである。
「こんにちは、メリアさん。ちょっと調べ物をしたくて」
「ええ、いいわよ。……それにしても、ジルちゃん。見ないうちに随分と大人っぽくなったんじゃない? 若くてピチピチの17歳……はぁ、羨ましいわぁ。私なんて最近、お見合いの釣書すら――」
どんよりと暗いオーラを放ち始めたメリアをスルーしつつ、私はふと自分の胸元に視線を落とした。
「あー、たしかに。最近、作業着の胸のあたりがピチピチになってきて――って、ああっ!?」
図書館の中だというのに、思わず大きな声を上げてしまった。
「ど、どうしたの?」
「服っ! 忘れてた、……クロードも最近背が伸びて、服が寸足らずのピチピチになってきてたんだわ! 買ってあげなきゃって思ってたのに!」
私は頭を抱え、そしてハッと息を吐いた。
(……あっ、でも今『思い出した』ってことは、記憶が無くなるギリギリ手前だったってことよね!?
セーフ! 危なっ、超セーフ!!)
ルークの一件で極度に張り詰めていた緊張が、あまりにも日常的でアホらしい理由で少しだけほぐれる。
「もう、びっくりさせないでよ。で、今日は何を探しに来たの?」
「ええと、マナを吸収する特異体質の話と、それから……存在が消えるような現象とか、そういう魔法や文献、ありますか?」
私の問いに、メリアはぽわんとした表情で小首を傾げた。
「マナを吸収するお話は、いくつか禁書や歴史書にあるわね。でも『存在が消える』……? うーん、おとぎ話か古い魔導書で似たような記述を見た気がするけれど……。ごめんなさい、すぐには出てこないわ」
「……そう。ありがとう、メリアさん」
「書庫の奥を探しておくから、また後日来てちょうだい。それと――普段からもう少し可愛い服を着なさい。想いは、ちゃんと形にしないと伝わらないわよ?」
「……そんな相手、いませんってば」
背中越しに飛んできたお節介なエールに苦笑しながら、私は図書館を後にした。
そのまま市場へ寄り、いつもの数日分の食料を買い込む。荷物はずっしりと重かったけれど、あの二人が待っていると思うと、自然と足取りは軽くなった。
(次は、クロードの服もちゃんと見ておかないとね……)
そんなことを考えながら、私は帝都の喧騒を抜け、ひっそりとした奈落谷へと続く道を急いだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
冷たい風が吹き抜ける奈落谷の底。
隠れ家にしている廃棄ボイラーが近づいてきた、その時。
――カンッ! カンッ……!
木剣の打ち合う音が響いていた。
私は思わず足を止めた。
通路を抜けた先の開けた広場で、クロードとリンが剣の特訓をしている。
「リン、もっと肩の力を抜いて。風みたいに、あるいは水みたいに」
「こ、こう……? うう、力を入れないのって難しいです……」
リンの動きはまだ帝式剣術特有の力みがみられる。
クロードは後ろに回り込み、腕や腰の位置をそっと直しながら教えている。
二人とも真剣で、私には全く気づいていない。
(……邪魔しない方がいいかな)
私は通路の陰に立ったまま、少しだけ様子を見ていた。
汗を流しながら何度も剣を振る二人。言葉以上の部分で、確実に絆を深めているのが分かった。
(……なんか、羨ましいな)
やがて休憩に入ったらしく、二人は地面に腰を下ろした。
そのとき、クロードが少し言いよどむように口を開いた。
「あのさ、リン」
「……はい?」
「その……夜、寝る時なんだけど。もしリンが嫌じゃなかったら……俺と、添い寝してくれないかな」
ビクッ、と。
思わず私の肩が跳ねた。
「あ、いや! 変な意味じゃなくて!」
クロードは慌てて両手を振る。
「俺、5歳の頃からずっと一人だったから。誰かの体温というか……安心できる、優しいお母さんみたいな記憶が、すごく恋しくなる時があって。……リンとなら、それができる気がして」
それは、彼が抱え続けてきた、切実で純粋な「孤独」の吐露だった。
胸の奥が、ギリッと痛んだ。
私とクロードは、この一年間、家族みたいに一緒に過ごしてきた。
(……私には、言ってくれなかったのに)
一言「一緒に寝てほしい」と言ってくれれば、添い寝ならしてあげたのに。本当は、私だって一緒に……。
でも、彼は私には言わなかった。
(私が普通だから……? ずっと一緒にいるとどうしても寒くなっちゃうから?)
一つだけ明らかなことは。
彼は――私ではなく、リンを選んだ、ということだ。
(先にいたのは……私なのに)
――沈黙。
「……いいよ」
(……え?)
「私……家族にはずっと『異質』扱いされて、冷たくされてたから。私も五歳の頃から、誰かと一緒に寝た記憶なんて、ないんです。……だから、私も、誰かの体温を感じてみたい」
「リン……」
クロードの声が、少し震えていた。
――沈黙。
二人は、しばらく何も言わなかった。
――ああ、そっか。
……私、お邪魔虫だ。
(……いない方が、よかったのかな)
――ダメだ。
ここで、壊すわけにはいかない……。
一歩、踏み出す。
「……やっほー。あー……ちょっとだけ聞こえちゃったんだけど。まぁ 、二人がいいならいいんじゃない? 週に一回くらいならさ!」
私は無理やり明るい声を作って、通路の陰から飛び出した。
「ほら、食料ここに置いていくね! 私、まだ仕事の依頼が溜まっちゃってて、色々あるからもう帰るね!」
焦って、添い寝への忠告がごちゃ混ぜになってしまったが、もう二人の顔なんて真っ直ぐ見れない。
「えっ、ジル!?」
リンが咄嗟に声をかけてくれるが、すぐに打ち切る。
「じゃあ、特訓頑張ってね!」
食料をその場に置き、私は逃げるように背を向けて走り出した。
絶対に気づかれてはいけない。私のこの、みっともない嫉妬や、胸の奥のぐちゃぐちゃした感情を。
クロードとリン。不遇な二人。
この世界でようやく見つけた二人の純粋な想いと安らぎを、私のちっぽけな感情で潰すのだけは、絶対に嫌だ。
ずっと我慢していたものが、ポロポロと頬を伝って零れ落ちた。
思い浮かんだのは、優しかったお父さんの顔。もう二度と触れることのできない、大きな手のひらの記憶。
でも――。
胸の痛みは、それだけじゃない気がした。
「……っ、うう……」
声が漏れないように、両手で口を強く塞ぐ。
「……今日の奈落谷のマナは、きついな……」
二人からは見えない暗い通路で。
私は、止まらない涙と頭痛の理由を、ひどく濃いマナのせいにして、ただ静かに泣き続けた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
それぞれが選んだものと、選ばれなかったもの。
ジルの想いが少しでも伝わっていたら嬉しいです。
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次回更新は5/3(日)となります。
引き続きのジル視点です。




