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無名の風鈴剣 ~消えかけの少年に、天才魔導技師と皇女が激重感情を向けてくる~  作者: 風紋
第一章 忘れられる少年と、忘れない二人

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第16話 秘密の風鈴と、未完成な恋の音

 ガリ……ガリッ……。


 クロードを起こさないよう、手頃な硬い石を握りしめ、極力音を殺しながら筒の縁をこすっている。

 だが、当然ながらほとんど削れない。


「うう……」


 私は音にならない声で唸った。石で金属なんて削れるわけがない。それでも、手は止められなかった。



 ジルに師事して、もう1週間。


 ジルの鬼特訓の効果もあり、私のエーテル操作――その前段階の「感情とエーテルの切り離し」は驚くほどうまくいき、今では感情が昂ってもほぼ影響を与えないレベルにまで上達していた。


 奈落谷の朝は早いが、谷底へ太陽が差し込むまではまだ時間がある。

 壁際のヒカリゴケが放つ淡い緑色の光だけが頼りの、静寂に包まれた朝の数時間。


 私はボイラー室の隅――クロードが静かな寝息を立てている場所から数メートル離れた、小さな鉄の箱の上に腰を下ろしていた。

 彼の不思議な体質で私の頭痛が消える、半径五メートルの『安全圏』の、ギリギリ端っこ。彼に見つからずに作業をするには、毎朝、彼がまだ寝ているタイミングしかなかった。


 手元には、廃材の山から拾ってきた真鍮しんちゅうの筒がある。

 風鈴は、薄くなければあの綺麗な音が出ない。


 『白翼の日』まで、あと20日ほど。

 彼に渡したい。無音の剣を振るう彼のそばで、あの澄んだ音が鳴るように。ただ、それだけだった。


 私は筒を持ち上げ、そっと目を閉じた。


 ジルの特訓を思い出す。クラッチを切り、感情と切り離した純粋なエーテルだけを、細く、細く流し込んでみる。

 ――微細制御。私はこれが決定的に苦手だった。どうしても筒の中でエーテルが乱気流を起こしてしまう。


 それでも諦めず、何度も、何度も、エーテルの波を、真鍮の筒に通し続けた。

 すると、手のひらの中の真鍮が、熱を帯びたようにカッとわずかに温度を上げた気がした。


 チン……。


 不意に、かすかで、けれどとても澄んだ音が鳴った。

 私はハッと目を開き、筒を見つめた。


「ねえ……こんな朝早くから、何やってるの?」


 ビクッと肩が跳ねた。

 振り返ると、寝起きのジルが目をこすりながら、音を立てずにこちらへ歩いてくるところだった。


「あ、ジル……おはよう、ございます」


 私は慌てて真鍮の筒を背中に隠し、ひそひそ声で答えた。


「な、なんでもありません! ちょっと、目が覚めちゃって……」

「怪しいなぁ……」


 ジルは私の隣にしゃがみ込むと、イタズラっぽく目を細めた。


「ねえ、後ろに隠してるそれ。私に見せてくれる?」

「えっ、でも……」

「ほら、見せて?」


 観念して筒を差し出す。石で傷だらけになった、不格好な真鍮。

 ジルは筒をヒカリゴケの光に当てながら、指先で軽く弾いた。


 チン……!


 先ほど私が聞いたのと同じ、澄んだ音。


「……不思議な音ね」


 ジルはまじまじと風鈴を見つめている。


「リン……あなた、これに自分のエーテルを何度も何度も流し込んだの?」


 小声で頷く。


「もう、呆れるくらい一途なんだから……」


 ジルは筒を撫で、柔らかく微笑んだ。


「毛細管みたいに細く流したのね。金属の組織が変わって、硬く澄んだ音になってる」


 私は胸がドクンと跳ねるのを感じた。

 私が流したエーテルが、彼に届く音を消さずに残せる。


 ジルはそんな私の顔を、少し眩しそうな、不思議な瞳でじっと見つめていた。

 まるで、私じゃなくて――私の奥にある、クロードへのひたむきな想いそのものを見透かしているみたいだった。


 その視線の奥に、ほんの一瞬だけ、言葉にできない複雑な色が揺れた気がした。



「……ジル?」

「ううん、なんでもない」


 ジルは小さくかぶりを振ると、いつものカラッとした表情に戻る。


「――白翼の日、かな?」

「……そうです」


 少しだけ間を置いてから、ジルは腰のツールポーチに手を入れた。


「ほら、これ使いなさい。ヤスリよ」


 渡された金属の棒を、私は慌てて受け取る。


「石でガリガリやるよりは、ずっとマシでしょ? それに、ちゃんと仕上げたらとんでもなく綺麗に鳴るよ」


 ジルは片目をつぶってみせた。


「最高のやつ作ってあげてね」


「あ、ありがとうございます……!」


 私が深く頭を下げると、ジルはふいっと少しだけ視線をそらし、照れ隠しのように自分の鼻先を指で掻いた。


「……勘違いしないでよ」

「えっ?」

「弟子が作るプレゼントがショボかったら、師匠わたしの名がすたるでしょ」


 そう言ってニッと笑った彼女の横顔は、少しだけ寂しそうで。

 でも、たまらなく優しくて、カッコよかった。


 「声が大きいよ。クロードが起きるでしょ」


 シッ、と人差し指を口に当てて笑うジルに、私も慌てて口を両手で塞ぎ、小さく頷き返した。


 クロードの静かな寝息が聞こえる、暗い谷底の朝。

 私の手の中で、ただの真鍮から生まれ変わった小さな筒が、チリン、とかすかに希望の音を鳴らした。


 まだ、彼は知らない。

 私が、彼のために音を作っていることを――。


 ジルが足音を消して奥へ戻っていくのを見送り、私は早速、もらったばかりのヤスリを真鍮の筒に当ててみた。


――シュリッ、シュリッ。


 先ほどまでの硬い石とは比べ物にならないほど、滑らかに、そして確実に金属が削れていく。

 表面が綺麗に整えられ、思い描く形に近づいていくのが嬉しくて、私は息を詰めるようにして作業に没頭した。


(もっと薄く。もっと綺麗な音が出るように……!)


 ひたすらに想いを込めてヤスリを動かしていると、不意に指先が滑り、筒の縁を軽く弾いてしまった。


 チン……。


 先ほどよりも、ほんの少しだけ高く澄んだ音が、静かな空気を震わせる。

 息を呑み、その美しすぎる余韻に浸ろうとした、その時だった。


「……リン? そんな端っこで、どうしたの?」


「っ!?」


 背後から急に声をかけられ、ビクッと肩が大きく跳ねた。

 振り返ると、毛布から這い出してきたクロードが、寝癖を少し跳ねさせたまま目をこすっている。


「く、クロード! お、おはようっ」


 慌てて背中に筒を隠す。ヤスリと真鍮の筒をぎゅっと握りしめると、ひんやりした金属の感触が手のひらに食い込んだ。


「起こしちゃった?」

「ううん……なんか、音がした気がして」


 クロードはまだ少し眠そうな目で辺りを見回し、彼の布団のはじにちょこんと座った。


「すごく……綺麗な音だった」

「っ!」


 私の心臓がどくんと大きく跳ねる。


「気のせいかもしれないけど……なんだか、懐かしい夢みたいな音だったな」


 クロードは少し照れくさそうに笑い、頭をかいた。


「夢?」

「うん。……風鈴の夢」


 私の指先に力が入る。

 背中に隠した筒が、かすかに触れて小さく鳴った。


 ――チン。


 クロードには聞こえないほどの、ほんの微かな響き。それでも私の胸は、まるで見つかったかのようにドキドキしていた。


「俺さ、風鈴の音がすごく好きなんだ」


 クロードは少しだけ遠くを見るような目で静かに言った。


「昔……まだ小さい頃、家に風鈴があってさ。母さんと一緒にいた頃。風が吹くと『チリーン』って鳴って……」


 ふっと、柔らかく笑う。


「その音が鳴ると、母さんが笑ってくれて。俺、あの音が鳴るたびに “ああ、今日も大丈夫だ” って思えたんだ」


 私の胸の奥がきゅっと締め付けられた。


「五歳のとき、父さんに連れられて帝都まで来たんだけどさ。どこに行くのかも知らなくて。母さんもいなくて。……すごく遠くて、寒い道だった」


 彼は少しだけ言葉を探すように視線を落とし、そしてまた空を見上げた。


「でもね、その時も風鈴の音を思い出してたんだ」

「……」

「風鈴の音って、俺にとって “安心の証” なんだよ」


 心臓が、どくんと強く跳ねた。


 (……バレちゃ、ダメだ)


 背中に回した両手に力を込め、真鍮の筒をぎゅっと握りしめた。ヤスリの角が手のひらに食い込んで少し痛い。けれど、今はその痛みが、暴れそうな鼓動をかろうじて繋ぎ止めてくれる気がした。


 この不格好な金属が、彼にとっての「安心」に変わるまでは。完成するまでは、秘密。

 でも……。


 『安心の証』


 クロードの言葉が胸の奥に落ちて、じわじわと熱を広げる。


 (……風鈴は、私)


 とっさに風鈴から取った名前。

 彼が安心できる音。


 ……それに。

 ほんの少しだけ、本名――『セレスティア・カテ()()・フォン・ガレリア』の名残も……。


(クロードが求めていた音に……私が、なる)


 背中に隠した小さな筒を、ぎゅっと握る。ひんやりしていたはずの金属が、今はなぜか少し温かく感じた。

 心臓がうるさい。自分でも分かるくらい顔が熱くなっている。


「ほんとに大丈夫?」


 私が黙り込んでいると、クロードが不思議そうに首を傾げた。


「だ、大丈夫ですっ」


 慌てて頷くも、彼はまだ心配そうだった。


「でも、顔がすごく赤いよ」


 そう言いながら、彼は立ち上がり、ゆっくりと近づいてくる。


(ち、近い……!)


 そして。

 彼の手が、そっと伸びた。


 ――ぴと。


「……?」


 クロードの手のひらが、私の額に触れていた。

 彼の手は、少しひんやりしていたけれど、触れられた場所だけが、火が出そうなほど熱かった。


「熱ある?」

「ひゃっ!?」


 私の声が見事に裏返る。


「ご、ごめん!びっくりさせた?」


 クロードは慌てて手を引っ込めた。


「だって、顔赤いから……無理してない?」

「だ、大丈夫ですからぁっ!」


 私は両手で顔を覆った。


(む、無理……)


 心臓が暴れている。顔が燃えるように熱い。


(これ以上近くにいたら……。絶対バレる……!)


 それでも。背中に隠した小さな筒を握る手だけは、決して緩めなかった。


 (絶対に――世界で一番綺麗な音にしてみせる)


 あなたが、安心して笑えるように。

 そっと筒を胸に抱く。大事な秘密を守るみたいに。


 ヒカリゴケの淡い光の中、私だけが知っている小さな風鈴の音が、胸の奥でいつまでも揺れていた。

 そのすぐ隣で、クロードは何も知らずに、穏やかな朝の欠伸をしている――。


『白翼の日』はこの世界での祝日になります。もう少しですね。


次回は4/29(水)、ジル主観になります。

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