表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【 BL×心理ミステリ×サスペンス】アンフィビアスの天秤  作者: 猫谷式蛇ノ目


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/13

9話 仄暗い一滴

【人物像】

宮島克也(みやじまかつや)

52歳 / 172cm

週刊誌の記者、バツイチ

 現場に残された、被害者の血液が混じった足痕(そくこん)をジョイスにおぼえさせ、被疑者の向かった先を追わせてみたのだが──アンダーパスの中ほどでは迷いなく進んでいたはずの彼女は、立哨(りっしょう)する制服警察官と怜士(れいし)の前までやって来ると小さく鼻を鳴らして立ち止まり、困ったように佐伯(さえき)を振り返るのみだった。


 結局、警察犬の鼻をもってしても〝アンダーパスのどちら側から来て、どちらに去って行ったのか〟しか分からない。当然、それも捜査においては重要な情報ではあるのだが、やはり雨によってありとあらゆる痕跡(こんせき)遮断(しゃだん)、消滅しているのが致命的(ちめいてき)だった。


 そんなジョイスをして怜士は「役立たずでも可愛さが上回(うわまわ)るのは得だな」と、日ごろあまり見せることのない優しげな笑みでその頭を撫でさすっていた。


「役立たず、役立たずって! あの人、顔面(がんめん)しか取り()はないんですか!」


 県警本部へと戻ったあと。ジョイスを犬舎(けんしゃ)へと送り届けてひととおりの世話を終えてきた佐伯は、鑑識課の執務室(しつむしつ)へ入るやいなや、怜士への苛立(いらだ)ちからか顔を真っ赤にしてそう叫んだ。


「顔だけはいいのがまたむかつく!」と地団駄(じだんだ)を踏む佐伯に、

西原(にしばら)巡査部長ですか? ちょっと怖いですけど優しいですよ」と真白(ましろ)が困ったように微笑(ほほえ)む。


 鑑識課がこんなに(にぎ)やかなのは珍しいなと、光洋(こうよう)もまたつられて口もとを(ほころ)ばせていた。


 ほんの一時(いっとき)の平穏に、張り詰めていた空気がやわらいだ(おり)。廊下から顔だけを出した今野(こんの)主任が、こちらへ向かって手招きをしていた。


田之倉(たのくら)、ちょっと」

「はい!」


 呼びかけに応じて廊下へ出ると、今野は「大丈夫だったか。無理してないだろうな」と眉をひそめて()いてきた。


 無理をしているか否かで言えば、きっと大なり小なりの無理はしている。だが、それ以上にあの模倣犯を止めなければならないという、ある種の使命感にも似た底知れぬ怒りが自身を突き動かそうとしていた。


「ご心配をおかけしました。大丈夫です、もう倒れたりなんかしませんから」


 よどみなくそう言い切った光洋に、今野はやや渋そうにしながらも、「そうか」と笑みを返してくる。


「では、姫路(ひめじ)の研修が終わりしだい、捜査本部(チョウバ)に復帰だ。堀尾(ほりお)課長からも承諾(しょうだく)は得ている。良いな?」

「承知しました」


 これで、堂々と胸を張って事件に向き合える。

 不安がないと言えば嘘になるが、今このときは後ろを向いてなどいられない。

 


  ◇


 

 事件の犯人が未だ特定できていないことを思えば、安易(あんい)に現状をポジティブに(とら)えることができないのはもっともだ。しかし、この数ヶ月間沈みっぱなしだったのがじわじわと浮上してきたのを実感すると、喜びに近い感情が足取りを軽くするのをおさえられなかった。


 その感情が、(わざわ)いしたのか──早めの帰宅が(かな)い、母に安定剤を飲ませて寝室へと送り届けたあと。はやる足を落ち着かせるために夜のランニングへと出たのが、(あだ)となった。


「やあやあ、こんばんは」


 軽く近所を回ってマンションに戻ってくると、エントランスの前に二度と合わせたくない顔が待っていた。


 ──宮島(みやじま)

 (ひたい)に浮かぶ汗をぬぐい、ヤニ臭さをまとう痩躯(そうく)の横を通り抜けようとするも、男は意外にも身軽に目の前へと回り込み、道をふさいできた。


「どいてください。これ以上母に干渉するなら──」

「あぁちがうちがう。この前のキミの反応で、キミが黒崎洋一(くろさきよういち)について知ってるってことはよぉーく分かったからさ。今日は田之倉……お父さんについて、ちょっと話したくて」


 三度(みたび)にわたって触れられたその名に渋面(じゅうめん)を浮かべたことなど構いもせず、宮島はへらへらと光洋の顔をのぞき込んでくる。


 いま一度口を開こうとしたが、背後から「すみません、とおります」とマンションの住人がやって来たことで、それは(のど)の奥へと引っ込んでいった。


 ……宮島を振り切ろうにも、どうせこの男はタイミングを変えて何度も現れるのが目に見えていた。ならばいっそ、短時間でも適度(てきど)に相手をした方が良いのだろうかと。気乗りはしなかったが、近くの公園へと場所を移して話を聞くことにしたのだった。


 木製のベンチに腰かける光洋に、その向かいに立つ宮島はしばらく前にも見せた写真を差し出した。


「こっちのきれいな女の子。このスナックでチーママやってた半井智美(なからいともみ)っていうんだけどさ、知らないかな?」

「……知りませんよ」


 わざわざ注視(ちゅうし)するまでもなく、()(しめ)されたその智美という女性のことはまったく知らなかった。(すず)しげな目もとが印象的で、ともすれば(さち)うすいとも言えそうな……。


「この子さぁ、田之倉のお気に入りだったんだ。ずいぶんと入れ込んでたみたいでね、彼女のために(かよ)ってたって言っても過言(かごん)じゃないんだよ」


 (なつ)かしむよう写真を眺めた宮島が煙草(たばこ)を口に(くわ)えたのに気づき、公園で喫煙(きつえん)とはいかがなものかとひと言たしなめようとしたが、その手に灰皿が握られているのを見てとどまった。夜風に乗って、白い煙が霧散(むさん)していく。


「その女性が、何なんですか」


 宮島がもったいぶった言い方をしているのは気づいていた。こうして毎回腹の(さぐ)り合いをしに来る理由こそ見えはしないが、光洋に対してなにかをほのめかしている。それだけはたしかだ。


 しばし無言で煙を吸っては吐いてを繰り返していた宮島は──これもきっとわざとだろう──聞こえるか聞こえないかという音で、声を発した。


「智美ちゃん、亡くなってるんだよね。もう15、6年前になるかな……当時彼女はまだ36歳だった。美人薄命(はくめい)ってやつかね」


 見知らぬ女性とは言え、まだ相当に若い時分(じぶん)に命を落としたという事実に、光洋は少し気の毒な思いを抱いた。


 けれども同時に、自らの父がよその女性になにがしかの想いを(いだ)いていたと聞かされるのは、あまり良い気分ではない。決して夫婦仲が冷え切っていたとは思わないが、しかし母があれでは……という考えもかすめていく。


 だめだ、どちらに対してもこの態度は良くない。()しき疑念だ。


 かぶりを振り、首にかけていたタオルで汗をぬぐう振りをして顔を(おお)った。となりに、宮島が座る気配。煙草の煙が、こちらに流れてくる。


「ボクがなんでこんな話をするのか、分かるかい」

「知りません。そんなこと……知りたくもない」

「つれないねぇ」


 タオル越しに、視線を感じた。見えなくても分かる。こちらの反応を、一挙手一投足いっきょしゅいっとうそくのがさず観察してやろうというのだ。


 この男はいったい、なにが目的なのか──視界を包むタオルにため息を押し込んで、ゆっくりと顔を上げる。となりへと意識を向けると、再び宮島が口を開いた。


「キミはよく知ってるはずだろ? 人間、だれしも人に言えない秘密の一つや二つ、隠し持っているものだと。……キミがあの巡査部長と深い仲であるように。ね?」

「……っ!」


 はじかれたよう、男を振り向く。

 また、この目だ。深い(しわ)()もれ、たしかに()を描いているはずなのに、するどく相手の内側へ切り込もうという、狩猟者(しゅりょうしゃ)の目。


 不意を突かれて言葉も出ずに硬直(こうちょく)する光洋に、宮島は「あは、図星かあ」と、手にした煙草を口もとに運ぶ。


「時代も時代だし、べつにキミたちがどうなろうとボクが口出しすることじゃあないんだけどさ……キミはあまりにも、性善説(せいぜんせつ)で生きているような気がしてね」

「……何が言いたいんですか」

「平成21年の、1月29日。半井智美が死亡した日だ。警察のデータベースにも残ってるんじゃないかな? 調べてみるといい」

 


  ◇


 

 宮島の不穏(ふおん)な言動の数々に翻弄(ほんろう)され、最悪な気分をかかえたまま真白(ましろ)の研修を終えた光洋は、あれから数日ののちにF署へと向かった。


 そう、最悪だった。それなのに、なぜかあの男が口にした『半井智美の死亡した日』が頭から離れず、自分でも気味が悪いと思いながらもメモに書き残してしまっている。


 スマートフォンのメモに一文だけ表示されたその数字を眺めて画面を暗転させると、背後に気配を感じた。振り向けばそこには怜士の姿があり、ギョッとしたのと同時に小さく心臓が()ねる。


「お前、連絡以外にスマホ使うことあるんだな」

「……それ、馬鹿にしてるのか?」

「いいや? 感心してるんだよ。お前がスマホ音痴(おんち)なのはよく知ってるからな」


 怜士はいつもの皮肉な笑みを貼り付けて、脇にかかえていたノートパソコンをデスクに置いた。


 これまでの捜査資料はひととおり把握(はあく)していたが、今回の二件目の模倣事件については特に安斉(あんざい)との相違点(そういてん)顕著(けんちょ)であった。


 そのため、捜査本部に戻ってきた光洋が改めて資料、情報の確認をせねばとファイルをひっくり返していたところ、「今なら手が()いてるから説明してやれ」と吉川(よしかわ)課長に指名されたのが怜士であった。


 F署の刑事部・刑事課長の吉川が、なにをどう思ってその判断をしたのか。こちらから訊けるような立場でもないであろうことは承知しつつも、その役目に彼を抜擢(ばってき)したことへの妙なとまどいを(おさ)えきれなかった。


「じゃ、おさらいといきますか」

「あ、あぁ。頼む」


 怜士に割り当てられているらしいデスクの椅子に座るよう(うなが)され、その持ち主は近くから拝借(はいしゃく)した椅子を持ってきて、すぐとなりに腰かけた。


 署内でこれだけ近く、肩を並べているというのがどうにも落ち着かない。だが今このときは眼前のモニターに集中しなければと、片側に触れる体温から意識をそらした。


「二件目の被害者(マルガイ)南城宏隆(なんじょうひろたか)、55歳。大手不動産会社所有のマンション管理を任されてた、下請(したう)けの社員だな。家族は妻と、子供が二人。死因は一件目と同じく、ナイフと(おぼ)しき鋭利(えいり)な刃物で首側面を複数回刺されたことによる、失血死。防御創(ぼうぎょそう)はなし」

「今回、安斉のときから数えても初の男性被害者だったよな」

「そのとおり」


 よどみなく概要(がいよう)()べた怜士は、モニターに近づけていた顔をとおざけ、椅子の背もたれに寄りかかった。


 マウスを操作し、びっしりと並ぶ文字の列と何枚もの写真に目をとおす。


 これまで風俗店に(つと)める女性ばかりがターゲットにされてきた中で、ごくふつうの会社員である男性が選ばれたのはあきらかに異質であった。


「ただ、関連性はある。安斉の事件の捜査時、この南城にも聴取を行った記録が残っていた」

「この人に? どうしてそんな……」


 一見すると南城は、まるで無関係な被害者にしか思えない。

 つぶやくように疑問を漏らすと、怜士の手が光洋のそれからマウスを奪い取った。一瞬の動揺が浮かびそうになるのをおさえ、彼が操作する画面を注視する。


 カチリとボタンが押され、液晶にケバケバしい様相(ようそう)の看板や外壁、そして幾人(いくにん)もの顔写真が映し出された。


「安斉が利用していた風俗店のひとつだ。南城は、ここの利用客の一人として聴取を受けてたってことだな」

「え……ここ、って……」


 羅列(られつ)された扇情的(せんじょうてき)とも言える言葉の数々と、妖艶(ようえん)な笑みを浮かべる女性たちの写真。ボディラインを強調するかのようなポーズで映るそれに身を引きそうになった光洋に、怜士は目を細めて。


「ソープランドだな。いわゆる〝本番アリ〟の」

「つまり、南城さんは……」

妻子(さいし)がありながらそういう店に足しげく通っていた、と。店側の話ではけっこうな常連だったらしい」


 淡々(たんたん)とそう話す怜士の言葉に、胃の奥がずしり、と重くなる。


 この人が殺されたことで、家族は初めてその行いを知ることとなったのかもしれない。どちらに対しても同情はするが、形容(けいよう)しがたい嫌悪感が無意識に表情を(くも)らせる。


 すぐ真隣(まとなり)でそんな横顔を見つめていた怜士は、押しだまる光洋の耳もとに顔を寄せて。


「だれにだって、人に言えない秘密がある。……そうだろ?」


 ささやくような、低い声。

 そこに(ふく)まれるものが揶揄(やゆ)なのか、それともなにか違うものなのか。


 液晶画面に視線を()い留められ、ただ呆然(ぼうぜん)とするばかりの光洋には、それを()(はか)ることもできなかった。


「……つまんねーの」

お読み頂きありがとうございます!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ