10話 不幸の裏側
よそに呼び出された怜士の背を見送り、光洋は一人、捜査情報の経過報告を映し出す画面をスクロールしていた。
【現場および状況分析】
被害者は帰宅途中に襲撃されたものと推認。現場は周辺住民が近道として利用するアンダーパス。
犯行時は降雨。流入した雨水により現場保存は困難を極め、採取できた足跡は断片的。
検出された足跡は約28センチ。市販のラバーブーツと推定される。一般流通品のため、履物からの個体特定は難航が予想される。
【物証および鑑定結果】
現場に残された『赤いシンボル』の成分は、安斉道典事件で使用された口紅と同ブランド、同品番と特定。
本件情報は既報(マスコミリーク済み)の内容と一致。安斉事件の特異性を模倣した『模倣犯』による犯行の蓋然性が極めて高い。
被害者の着衣から微細な放電痕を検出。被疑者はスタンガン等の高電圧器具を携行していると判断し、凶器準備の観点から販売ルートを精査中。
……模倣事件が二件立てつづけに防御創が見られなかったのは、スタンガンによる制圧が理由だろうか。
頬杖をつき、捜査情報を頭の中で組み立てていく。
雨靴を履いた、背の高い男……人に向けてスタンガンを使用し、制圧後には何度も首を刺している。強い殺意と、計画性を感じる犯行だ。常人にはえてして理解しがたいものだが、この被疑者は自分なりの〝秩序〟にもとづいて殺人を犯している可能性がある。
すくなくとも衝動的な犯行でないことは捜査情報からもあきらかで、こうした計画性、秩序性をもった被疑者を割り出し、逮捕することは容易ではないだろう。
また安斉が使用していた、被害者女性から奪ったとされる口紅については、その詳細がマスコミに取り上げられたことで〝呪いの口紅〟として一躍有名になってしまっていた。
若い女性には人気のある商品だったらしいが、こんな事件に使用されたとあって手に取る人が激減したと聞く。
──この事件の犯人は、なにかに対して激しい憎悪を抱いている……光洋の脳内には、そんなイメージが浮かんだ。
だがなんの根拠もない、ただの想像だ。たとえその憎悪と仮定するものに正当な理由があったとしても、殺人を肯定するだけの大義になりえるはずがない。
◇
光洋に遅れて真白がF署に到着したのは、正午を迎えようかというころだった。
「お久しぶりです! 姫路真白、ただいまもどりました!」と朗々と声を張り上げた彼に、刑事課の面々はほとんどが耳をふさいで苦笑、あるいは辟易といった顔で出迎えた。
怜士のデスクを借りたままノートパソコンに向き合っていた光洋もまた、その声を聞いて思わず笑みを漏らしていた。
それから署員たちが散り散りに昼食へと向かう中、「田之倉先輩、良かったら昼食ご一緒にいかがですか!」と声をかけてきた真白に承諾し、F署の小さな食堂へと移動した。
県警本部の食堂と比べると規模はそれなりだが、署員でにぎわう雰囲気は本部よりもアットホームかもしれないと、持参した弁当をテーブルに置きながら周囲を見回す。
刑事課のフロアが埃っぽく、どことなく煙たいような印象を受けるのに対し、食堂は田舎の定食屋のような温かい匂いを感じる。
ウォーターサーバーから二人分の水を持ってきた真白は光洋の向かいに腰かけると、スマートフォンを取り出して画面を確認したあと小さく「お、やった」と漏らした。
「〝やった〟って?」
「あ、これです! この前塗装が終わったプラモをSNSにアップしたら、過去最高の〝いいね〟もらって」
ほら、とこちらに向けられた画面には、戦車らしきプラモデルが映し出されている。まったく門外漢の趣味ではあるが、グラデーションの機微や背景の小物などへのこだわりは、素人目に見ても「すごい」と言えるものだ。
「へぇ、これ戦車? プラモってロボットとかそういうのかと」
「ガンプラもやりますよ! おれはジャンルにはこだわらないので!」
スマートフォンを操作しながら「ちなみに素組みにだけはこだわってます」と言われても意味がわからず、「そ、そっか」と判然としない光洋に、真白はカメラロールをスワイプしながらあれやこれやと専門用語を並べ立てている。
次から次に流れていく写真を口を開けたまま見送っていたが、ふと小さな違和感を抱いた。
「なんか……たまに独特な色使いしてるね、このあたりとか」
背景に配置された植物らしき物体を指差すと、真白はさっとスマートフォンをしまい込み、
「そういうとこを売りにしてます!」と親指を立てて、ランチバッグに手を伸ばした。
その様子を見た光洋が自身の弁当を広げると、真白は二段になった弁当箱──それも光洋のものよりひと回り以上大きい──をテーブルに置き、蓋に手をかけてなにやらもじもじしていた。
「食べないのか?」
「いやぁ、いざとなったら恥ずかしくて……」
恥ずかしいとは? と首を傾げていると、そっと開けられた蓋の中身がちらとのぞく。なにか黒い影のようなものが確認できたように思えたが、勘違いではなくたしかにそこには黒く変色した〝肉らしきもの〟が詰め込まれていた。
「……それ、なに?」
「……し、生姜焼きを……作ろうと……」
大きな背を丸めて小さな声でそう説明されたものは、なるほどよくよく見ればそのように見えないこともない。
聞けば「田之倉先輩みたいに自作の弁当持参に憧れて」寮のキッチンを朝早くから借りたものの、あとからそれをのぞきに来た同僚に「お前それ、生焼けじゃねーか。腹壊すぞ」と指摘され、「じゃあもっとしっかり火を通さないと」とじっくり炒めた結果がこれである、と。
根本的に料理のセンスがない人間というのが存在すると耳にすることはあっても、改めてそれを目の前にすると「食材が可哀想だ」という感想を抱かざるをえなかった。
「生焼けよりはいいと思うんです。先輩の美味しそうな卵焼きを見て脳みそをごまかします」と黒焦げの肉をあまりうまくなさそうに口に運ぶ真白を見て、
「良かったらこれ、やるよ……」と卵焼きをひと切れ差し出す。
目の前のそれを「いいんですか?」と瞳を輝かせて見つめた真白は、なんのためらいもなくひと口に食らいついて腹の中におさめてしまった。
「まずくはないだろ?」
「……これをまずいなんて言ったらおれの弁当はどうなるんですか! めちゃくちゃ美味いです!」
噛み締めるよう叫んだ真白に、ほかの署員たちが振り返る。
気恥ずかしさをおぼえて「そっか、それは良かった」とはにかむと、はたと真白の視線が上がったのに気付いた。それを追って背後を振り向いた右肩に、
「よお、楽しそうだな」と仏頂面をさげた怜士の手が置かれた。
「お疲れ様です、西原巡査部長!」
快活に挨拶を飛ばす真白に反し、怜士は「おう」と低くひと言を返すのみで、その様子からして疲労かストレスか、なんにせよあまりご機嫌とは言いがたい状態であることはあきらかだった。
もう昼食は済ませたのかと尋ねたが彼は「食おうと思ったけど無理。入らねえ」と小さくこぼし、光洋の弁当箱から卵焼きをひと切れ奪って去って行った。
「……なんだ、あいつ」
◇
日が落ちて影が色濃くなるにつれ、署員の姿は徐々に減っていく。
建物全体に明かりがつき、赤色灯が窓を突き抜けるほど鮮烈に輝くようなころにもなると、その中に残る人員は相当にすくなくなっていた。
節電のためにと署内のライトは必要最低限にまでしぼられ、光洋が座るデスクの周りもまた同様である。うすぼんやりとした明かりの中で、ノートパソコンのバックライトだけが煌々と灯っている。
「田之倉、ウチの署に泊まるんだっけ? 仮眠室の場所覚えてるか?」
デスクに広げていた資料を片付け、F署の吉川刑事課長がそう尋ねてきた。
気がつけば、刑事課のオフィス内に残るのは課長と光洋のみとなっている。時計を確認すると、すでに時刻は22時を回ろうとしていた。
「いえ、もうすこしで帰ります」
「そうか。電気だけは消して帰ってくれな」
「わかりました。お疲れさまです」
軽く会釈をし、捜査本部の仮眠室へと向かう吉川の背を見送る。疲労の色が浮かぶうしろ姿が完全に消えたのを確認し、警察のデータベースへとアクセスした。
スマートフォンのメモとパソコンとを見比べながら、記録を探す。
平成21年……2009年。1月29日。死亡事故。
数件がヒットした中で宮島の言っていた人物の名前を探すと、たしかにそのうちの一件に〝半井智美〟の事故に関する記述があった。
【事件概要】
発生日時:平成21年1月29日十17時10分頃。
場所:B市□□町■■■■団地B棟504号室ベランダ。
【内容】
通報時刻十17時13分。第一発見者および通報者は被害者の長男(当時15歳)。
被害者は自宅ベランダから地上へ転落し、搬送先の病院にて死亡確認。死因は転落による全身打撲および内臓破裂。
【捜査事項】
現場への臨場および実況見分の結果、室内から他者の侵入痕跡および争闘の跡は認められず。 被害者の血液、胃内容物からアルコールを検出。室内に開封済みのビール缶を確認。
当時の気象条件は激しい降雨。ベランダ床面は著しく滑りやすい状態にあり、泥酔による失足転落の可能性が高い。
【補足】
長男は「母親は何者かに突き落とされた」旨の供述を行うも、当時周囲は日没後かつ降雨による視界不良であり、錯乱状態によるものと判断。
勤務先従業員の供述によれば、被害者は当時精神的に不安定な状態にあり、自死の可能性についても検討したが、遺書等の物証はなく特定には至らず。
【処理】
事件性なし(事故死)として処理。
冒頭に記載された住所に、そして報告書の内容に光洋はしばし考え込んでいた。
B棟の504号室……怜士の住む家と住所は似ているが、団地の名称と部屋番号が違う。
あのあたりは昭和から平成にかけて団地が乱立した区画だ。大半が幽霊団地と化したのちにほとんどが取り壊されており、今もなお残る何棟かは現代向けにリノベーションされ、すっかりさま変わりしたのだと聞いたことがある。
……第一発見者の長男は、母親の死は他殺であると主張している。しかし、それを決定づける証拠も証言も得られていない。
半井の勤務先は『スナック・しぐれ』とある。スマホで検索するもすでに閉店して久しいらしく、その名前は見つけられなかった。記載された住所をたどっても、現在そこには無関係と思しき多国籍料理店があるのみだ。
当時の店の関係者を探すなら──まったくもって気は進まないが、宮島を突くのが一番なのだろう。けれども、それであの男が素直に口を割るとは到底思えなかったし、情報を得るにはこちらもなにかを提示するよう求められるのが目に見えている。
考えてみれば、宮島の連絡先も知らない。あの男は光洋の勤務時間やランニングのルートを把握しているようだが、こちらは相手についてなにも知らずに振り回されているのだ。
……父ならば、宮島と知人であったということを周りも知っていたのだし、電話番号のひとつも控えていたかもしれない。だが父のスマートフォンも、火災によって失われてしまっていた。
なにより、宮島がこの半井智美という女性について調べるよう促してきた理由が分からないのだ。
あの男はおそらく、母の過去についても知っている。その上で、父も……。
はっきりとしない不快感を腹の奥にかかえたまま、事件報告のページを下へ下へとスクロールしていくと、半井の家族関係がその下端にちらと表示される。
彼女には夫はおらず未婚の母であること、同居家族は第一発見者となった長男のみであること、そしてその長男の名前──
「なんだ、まだ残ってたのかよ」
突如投げかけられた声に、はっと視線を上げた。廊下から、眠たそうに目蓋を擦る怜士がのぞいている。データベースは、反射的に閉じてしまっていた。
「あぁ、ちょっとまだ調べたいことがあったから。もう帰ろうと思ってた」
「……ふーん」
きっと怜士はこのまま署に泊まるのだろう。シャワーを浴びてきたのか、欠伸を噛み殺すその手にはタオルが握られている。
まるでごまかすかのようにノートパソコンを片付ける光洋を、彼はひとことも発することなくただ見つめていた。
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全20話、ここで折り返しです。




