11話 塗り替えられる
事後描写アリ。
今までならその顔、いで立ちを目にするだけでも嫌気が差していたというのに。
データベースをのぞき見てから数日後の夜、自宅へと帰ってきた光洋は、マンションの前に座ってこちらを待ち構えていたのであろう宮島を見つけるやいなや、足早に駆け寄ってしまっていた。
「光洋くん、あんまりポストにチラシを溜め込むもんじゃないよ? 留守にしてると言ってるようなもんだからね」
光洋の姿に気づくなり、開口いちばん心底どうでもいいとしか思えない話題を振ってきた宮島に、反論する気も起きない。
ただ「聞きたいことがあります」とその顔に向かってはっきりと言い切ったのを見て、宮島はほう、と微笑んだ。
「めずらしく熱烈な歓迎だね。どうしたんだい急に……あぁ、半井智美について調べてみたのかな?」
「調べましたよ。あの女性がなんだというんですか? あなたは僕になにを教えようとしているんです?」
食ってかかるこちらに対して臆することもなく、宮島はにこにこと笑みを崩さずにいる。
情報においてはるかに優位であることを、そして与えられる断片的なエサにもがきながらしがみつく光洋を、高みから嘲笑っているのではないか。
つかみどころがなくどこまでも真意を見せようとしない宮島の振る舞いは、そのように思えてならなかった。
「いったいキミはなにを読んだのかねえ……ちゃんとぜんぶ、一言一句逃さずに目をとおしたのかい?」
煙草に火を点けながらそう話す宮島は、こちらの様子にあきれているようだった。ため息混じりの白煙がふっと吐きかけられ、顔をしかめつつそれを手で振り払う。
「……だいたいは、読んだはずですよ。家族は他殺であると主張していて、最終的には事故死と判断されたこととか。彼女は精神的に衰弱していたと、職場の人も証言したとか……」
「うーん、それもまあ大事ではあるんだけどさ」
もったいぶった言い方をする宮島に、苛立ちがつのっていくのを感じる。
唇に煙草を挟んだまま立ち上がった男は、
「キミはいちばん大事なところを見落としてるか、見ないふりをしているみたいだ」とひとりごとのように小さくこぼし、こちらに背を向けてさらに言葉をつづける。
「智美ちゃんはね、当時の恋人に暴力を受けていた。スナックの従業員も常連客も、なんとなく知ってたんだよ……でも、だれも助け舟を出さなかった。それであの結末さ」
「……じゃあ、やっぱり殺されたってことですか」
「さあ? それはボクにも分からない。警察だって証拠、証言が十分に取れなくて事故死ってことにしたんだろ? 素人が口を挟むことじゃあないよ」
夜の闇の中、振り向かずに話しつづける宮島の表情は読み取れなかった。ただ、その声色にはふざけたような様子も感じられない……そんな気がしていた。
「……あなたは、なぜ僕に近づいてきたんですか。なにが目的なんですか!」
たまらず叫んだ問いが、住宅街に響きわたる。
うしろ姿だけで、宮島が再びため息をついたのがわかった。
「……一種の罪滅ぼし、かなあ」
耳に届いたその言葉に、光洋は無意識に「は……?」と漏らしていた。
罪滅ぼし。……なにを? だれに? 半井智美にか?
宮島の発言をなぞるなら、この男もまた半井が受けていた暴力について、そ知らぬ顔をしていたということだろうか。
であるならば、父も……?
次ぐべき言葉が見つからず立ちすくんでいると、宮島はゆっくりと顔だけでこちらを振り向いた。
「キミはさあ、田之倉と同じなんだ。キミも他人の死から……黒崎洋一の死から、目をそらしている。手遅れになる前に、真実を知るべきだ」
ひっ……と、息を呑む音。それが自身の発したものであると気づいたとき、夜風に包まれた背中が、いやに冷たく感じられた。
光洋のそんな様子を知ってか知らずか──宮島ならば知っていてなお、とも考えられるが──いつもの人の良い笑みではなく、どこか寂しそうなそれを浮かべて。
「ボクは多分、もう長くないからさ……せめてキミは、ボクや田之倉みたいにならないよう願ってるよ」
◇
宮島の残した言葉に翻弄され、あれ以来数日ほどろくに寝付けない日々が続いていた。睡眠不足を押して出勤した光洋はよほどひどい顔をしていたのか、会う人会う人に「大丈夫か」と気を遣わせてしまう始末だった。
そんな折、県警本部への証拠品の逓送を自ら請け負い、久方ぶりの鑑識課へと顔を出したあと。
再びF署へと戻った光洋は車を降りるなり怜士に捕まり、駐車場のすみにある喫煙所へと連れて行かれた。普段はほぼ常にだれかしらが居るはずのそこには、めずらしく人の姿はなかった。
怜士は特段に変わったそぶりを見せず、「なんだよ、ママのお守りで寝不足か?」と揶揄してくるのがかえって気楽なようにも思えた。
……彼は、光洋が母親に対して抱いている嫌悪感を知っているから。
「俺には理解できないな。母親のこと嫌いなんだろ? なんでそうも世話を焼こうとするんだよ」
「……嫌いだから、かな……」
母への本心を吐露したのは、怜士にだけだった。
鑑識課である以上多少は時間に融通がきき、刑事課の面々から比べれば帰宅する余裕はある。それでも特に父の殉職以来、母のためにと帰路につく光洋を怜士は不思議に思っていたようで。
本心と矛盾するように見えるのだろう、という憶測はあった。
世間一般で考えうる〝夫を亡くした母のために献身的に尽くす息子〟を表面的に演じている──そんな自身への忌避感もまた同時に存在しており、だからこそ母を憎みこそすれ見捨てることなどできなかったのだ。
光洋の漏らした「嫌いだから」という言葉に、怜士はどこか遠い目をして沈黙のままに紫煙を燻らせている。いったいどこを、なにを見ているのかは察せるはずもないが、
「とっとと見限っちまえばいいのに」
そう吐き捨てながら、引きつる指先でライターを扱うのにもずいぶん慣れたのか、怜士はごく自然に二本目の煙草に火を点けた。
「お前にだって家族がいるなら分かるだろ」と反論したのは一度や二度ではないのだが、彼は家族のこととなると急に口数を減らす。
「……家族がいるからって、それが幸せとは限らねぇだろ」
それは以前に聞いたことがある〝大嫌いな姉〟が理由なのだろうとは推測していたが、多くを語りたがらない人間に口を割らせようなどと思うほど野放図ではないと、光洋は自覚していた。
「お前のだーいすきなパパを裏切った女だろ。股のゆるい女に振り回されて人生狂わされて……親子そろってバカなんじゃねえの」
憎々しげに、そしていつものごとく口の端を吊り上げてせせら笑う怜士に、たしかに微細な怒りに近い感情が湧き起こった。そのはずだったのだが、反論したい胸の内に反してそれを声にすることができなかった。
口汚い罵倒だと、侮辱だと思いながら、心のどこかで「そのとおりだ」と肯定する自分がいる。
……父ではない男とソファの上、一糸まとわぬ姿で抱き合う母の姿が、脳裏に浮かぶ。
とおいあの日からずっと、光洋を呪い続ける忌まわしい記憶──。
◇
数日後の夜。どうにかねじ込んだ非番に、日ごろ世話になっている病院へと母を送り届けた光洋は、二度の往復を終えて自宅へと戻ってきた。
梅雨入りからちょうど三週間が経ち、母が体調を崩したのだ。もはや何度目か数えるのも億劫になっていたが、どうしても母はこの時期になると精神が揺らいでしまう。
彼女もまた、他人の死に縛られている。
いっそのこと、一生その亡霊に取り憑かれて病院から出られなくなってしまえばいい。……そんなことを考えはしても、口にしたことはない。
母が生涯苦しめられることを「良い気味だ」と思ってしまううしろ暗い一面があるのに相違はないが、そう至らしめる原因を作ったのは自分なのかもしれない、と……奇妙な罪悪感をかたわらに置いて、母を支えている。
いびつに縛られているのは、光洋自身も同じだった。
父も母もいない、一人だけの家。
時間の許すかぎりは自炊を心がけていたが、今日ばかりはそんな気力も起きず、コンビニ弁当の空容器がテーブルに置きっぱなしになっていた。
外からは激しい雨が窓を叩き、夜の底をさらなる漆黒に染め上げている。
窓際に立ち、街の明かりもかすむようなそれを眺めていた光洋は、なにかが聞こえたような気がして玄関を振り返った。だがそれも、雨音が惑わした幻聴だろうか、と。再度ガラスの向こうへと視線を戻しカーテンを閉めた背後で、ダイニングテーブルに置いたスマートフォンが鳴動した。
通知画面には『西原怜士』の名前と『玄関前にいる』という淡白な一文。
「なんなんだ、急に……」
慌てて玄関に向かい扉を開けると、雨音にかき消されてインターホンを聞きのがしたことに対して怜士は「お前、耳聞こえてねぇのかよ」と悪態をつき、苦々しい顔をしてみせた。
この雨が原因だろう、彼の頭から肩からしずくが滴り落ちて、コンクリートの床に痕跡を残している。手にしていたビニール袋も、すっかりびしょ濡れになっていた。
見かねてタオルを渡そうとしたのだが、「風呂貸せ」と有無を言わせず踏み入ってくる怜士に気圧されて、思わずそれを許してしまった。その意図するところを、彼の持参したビニール袋の中身をのぞいてしまったことで理解したときには、すでに遅く。
風呂から出てくるなり光洋を壁へと押しやった怜士は、常よりも熱を孕んでぎらついた眼差しで、
「お前も準備しろ。しなかったら、そのまま抱く」と脅しにも近い宣言をしてのけた。
◇
起床時刻を知らせるアラームがけたたましく鳴り響いたとき、伸ばした手のひらにシーツの表面が触れた。うっすらと目を開ければ、そこにあったはずの体温はすでに消えてしまっている。
蒸し暑さから汗がにじむ額をぬぐう。気づかぬうちにタイマーを設定していたのか、怜士と並び就寝したころには稼働していたはずのエアコンは、完全に沈黙していた。
ベッドから立ち上がり、窓の外をのぞく。
昨晩の底の抜けたような土砂降りはすっかり鳴りをひそめて、はるか向こうまで終わりのない墨色の空が、夜明けの気配を覆い隠していた。
情事の余韻残る空気を入れ換えようにも、この空模様ではかえってじっとりとした空気が増すばかりだろう。ならばいっそ、エアコンと扇風機でも同時に回してやるかとリモコンを探して、それらが千々に痕跡を残すシーツの片隅に追いやられているのを見つけてしまった。
……ひどいありさまだ。
よくこんな場所で、けっして小さくもない男ふたり肩を並べて寝ていたものだ。ぞっとするやら、羞恥が込み上げるやらで頭をかかえた光洋は、長く深いため息をついた。
けれども、と。汚れたシーツを剥がし取りながらふと思う。
どう見繕っても、大人ふたり以上がその上に寝そべるようには設計されていないベッドの上。「狭い」とか「暑苦しい」とか文句を言い合いながら次第に眠りに落ちていく感覚を、いやだとは思わなかった。
むしろ、肌の触れる距離で。窓を打つ雨と時計の秒針に混じり、自分以外の寝息がすぐ真横から聞こえることで。
ひとりで闇の中に落ちるはずだった夜を、彼と──怜士と深い欲におぼれるまま過ごした事実によって、ある種の救いを与えられたようにも感じられた。
突然の訪問に面食らい、鬼気迫る様子で求められたときには「なんて自分勝手な」と嘆息したはずだったが、振り返ればこれ幸いとすがりついたような形になっている。
そんな弱さをも把握した上で、彼は光洋を手玉に取っているのでは。そうとすら思えるのに、不思議と怜士を拒絶するという選択肢が浮かばないのだ。
「うわ……」
リビングへと足を向けると、こちらにも掃除を待つ痕跡の数々。
準備を終えてくるなりソファに引きずり倒され、かつて自身が〝母の不貞現場〟を目撃したそこで抱かれたという事実がありありと思い出され、途端に自己嫌悪が襲ってきた。
視界の端に映り込んだ壁時計は、家を出るまでに残された時間は限られているのだと知らせてくる。
最低限の掃除と後片付けだけ済ませて、洗濯は帰ってからにしよう……できれば、出勤の前に軽くシャワーも浴びたい。
せめて鏡で自分の様子を確認してからでないと、どこになにを残されているかも分からない。とりわけ執拗に食いつかれ、ヒリつきを訴える鎖骨の辺りがどうしても気になる。
次に顔を合わせたら、多少の苦情ぐらいはぶつけてもいいだろう。
あきれのような不満のような思いをめぐらせながら、唇は無意識にうすく弧を描いていた。
お読み頂きありがとうございます!
レーティング版だとこの11話もがっつり……です。




