12話 焦がれたのは
翌朝、F署への出勤から間もなく、通信司令課からの入電が署内全体に緊張をもたらした。
変死体発見の通報。
昨晩の土砂降りの余韻をどっしりと落とす、分厚い雲。
だれもが胸に抱き始めていた。
雨の夜には、なにかが起きる──そんな確信にも近い予感を。
要請を受けて現場へと臨場した光洋、真白、津留崎、そして今野主任を、機鑑隊の滝山班長が待ち構えていた。
滝山はこちらの姿を見つけると一瞬眉根を寄せたものの、だれよりも早く「お疲れさまです」と声を発した光洋になにを思ったか、存在を咎められることはなかった。
「被害者は、中年の男性。検視官の臨場待ちだが、手口は〝模倣犯〟と共通してる。例のシンボルもばっちりだ」
現場へと案内する滝山から、概要が語られる。それを聞いた光洋たちは「やはり」と、喜べない納得に口をつぐんでいた。
「昨晩も雨だったでしょう。やっぱり痕跡はだめでしたか」
歩きながら両腕にビニールカバーを着ける今野が、滝山に並び尋ねた。
「さっぱりだな。さらに被疑者は土や砂のたぐいにも注意を払ってると見た。今までの犯行でも、よその地域の痕跡ひとつ採れやしない」
二人の背後を追従する光洋にも、声だけで滝山が苦々しげな表情を浮かべているであろうことは推し量れた。
通常、靴底にはその人物の歩いた場所の土や砂、植物などの特色ある痕跡が残されていることが多い。雨という鑑識泣かせの気象条件があるとは言え、これまでの捜査でそれらが採取されていないとなると──
「……鑑識がなにを調べるのかを、わかって動いてる……?」
ぼそりとつぶやいた光洋に、滝山が振り向く。その目は推察したとおり苦い色を浮かべており、彼もまた低く「それも考えうる可能性だ」と返した。
連れて行かれたのは、開発途中で放棄されたと思しき建築現場の跡地。錆だらけのフェンスの向こうには、不法投棄物が山積みになっていた。規制線の前には数人の機動捜査隊員が立ち、鑑識作業が終わるのを待っている。
「通報した人、よくこんな所で気づきましたね」と、感心したように今野がこぼす。
「朝早くから粗大ゴミを捨てに来たらしいな。そいつもそいつでしょうもない人間だ」
ふん、と鼻を鳴らす滝山が規制線テープを持ち上げると、積み上げられた投棄物の中に倒れ伏す血塗れの人影と、その横の冷蔵庫に描かれた赤いシンボルが姿を現した。
ゴミの匂いに混じり、果たしてそれが朽ちた電化製品によるものか血液によるものなのか、錆臭さが鼻をつく。厚い雲の向こうから、地響きにも似た遠雷が鳴っている。
「あぁ、こりゃあ……粗大ゴミに血液が流れてる。あとが大変なやつだ……」
遺体のそばへと近づいた今野が、顔をしかめた。光洋からは遺体の背中だけが見えていたが、その下に電化製品や家具らしき影があるのは分かる。今野の言うとおり、後処理には時間がかかるだろうことがうかがえる。
「見立てでは、おそらく死後10時間は経ってる。どうにか採れた範囲での推測になるが、察するにすぐそこの路上で制圧されて、このゴミの上に倒れ込んだところをグサリ……というところだろうな」
滝山の言葉に、死後硬直と死斑を確認しようとしたのだろう。おのおのが遺体に両手を合わせたあと、今野が津留崎に「ちょっと手伝え」と指示を飛ばす。二人がかりで男性の体を表へと向け──その顔を見た光洋は、思わずあっと声を上げていた。
見間違えるはずがない。
わずか半日前、言葉を交わしたその人物……宮島克也の顔を。
◇
納体袋にすっかりその身をおさめられてしまった宮島を見送り、光洋は昨晩男が発した「ボクは多分、もう長くない」という台詞を思い出していた。
それを聞いたとき、重い病でも抱えているのだろうかと思った。
だが、違う。宮島はきっと、自分もいずれ殺されることを予見していたのだ。
F署の取調室に案内された光洋は、よもや自分が参考人として聴取される側に回ろうとはと、白い壁に囲まれた室内をしげしげと眺めた。
取調官は、F署の刑事課・強行犯係の巡査長である江波。同席する立会人は怜士だった。
「じゃあ田之倉さんは、昨日の夜に宮島克也と会ってるんですね」
「そのとおりです。たしか、19時半から20時ぐらいに」
取調室のガラスの向こうには、監察官らしき壮年の女性が目を光らせている。うしろ暗い事実など一切ないと言い切れる立場であっても、聴取されるとなればこの雰囲気の中で刑事に囲まれるのだから、あまり良い心地ではない。
同じ警察官である自分でもそう感じるのだ、一般人などとても……と余計な想像をしたのもお見通しらしく、怜士に「取調べ中は集中しろよ」と笑いながら注意を飛ばされた。
「検視官の見立てでは……宮島の死亡推定時刻は、昨晩21時ごろ。田之倉さんと別れた直後ということですね」
江波はノートパソコンと手帳を眺めながら、確認を進めていく。向かい合う彼の眼鏡のレンズにバックライトが反射して、光洋は目を細めた。
「なにを話されてたんですか?」
「あぁ、宮島……さんは、父と仲が良かったみたいで。思い出話をしに」
「なるほど。自分たちも、あの人の顔はたびたび見かけてましたよ」
思い出話でも間違いではない、はずだ。
けっして嘘はついていないと、己に言い聞かせる。
「宮島と別れたあと、どこでなにをしていました?」
「えっと、家に帰って……夕飯とか、風呂とか……」
帰宅後の記憶をなぞりながら、はたと思い至る。
自身が家にいた事実を、きっと確認される。それを証言するのは、だれだ?
「お母さまは入院中でしたっけ……在宅の証明は……防犯カメラしか無いかな」
喉の奥が乾く。飲み込もうとした唾が引っかかって、ちらと江波の斜めうしろに座る男へと、視線を投げる。彼の冷ややかな目もとは常と変わらず、光洋の意図することに気づいているのかいないのか、
「こいつのアリバイなら俺が証言する。一緒にいたからな」と、怜士は顔色ひとつ変えず、腕組みをして口を開いた。
「えっ? それは、どういう……」
喫驚した様子でうしろを振り向く江波に、こちらの胸の内は見透かされてはいないらしい。だが、心音は確実に焦りを刻んでいる。
なにを言うつもりだ?
口を引き結びつづく言葉を待つ光洋を見やった怜士が、うすく微笑む。
「ちょっと酒飲んで、夜遅くまでぐだぐだ話してたんだよ。雨がひどくて帰るのも面倒になったから、そいつの家に泊まった。それだけだ」
当たりさわりのない証言に、ふうと妙な息が漏れた。気づかぬうちに、呼吸を止めていたらしい。
江波は怜士へと体ごと向き直り、手帳にペンを走らせている。
「西原巡査部長が田之倉さんの家に訪問したのは、何時ごろです?」
「正確には覚えてないが、多分23時ぐらいだろ」
「その前は?」
「署から自宅へ直行。一杯飲んで寝るつもりだったが、急に人恋しくなって田之倉の家にアポなしで押しかけた」
にやりと、人が悪い笑みですらすらと述べ立てる男にあきれ果てる。しかしながらその発言はすべてが嘘ではないし、今ここで二人の関係を明かす必要もない。おおよそが真実であることに相違はないのだからと、胸を撫で下ろした。
「署から帰宅後のアリバイを証明する人や物は?」
「ないな。田之倉の家に行く前に、近所のドラッグストアに寄ったぐらいか。必要なら地取りでもなんでもやってくれ」
怜士の瞳が、意味ありげにこちらへと向けられる。同時に彼が昨晩持ち込んだ品々──それも、だれが見てもひと目に二人の関係を証明しかねないもの──が思い出されて、こめかみのあたりが熱くなるのを感じた。
つづけざま、江波が「商品購入時のレシートとか残ってます?」と尋ねたのを聞き目を見開いた光洋は、
「あぁ、どっか適当なゴミ箱に捨ててきたからわかんねーな」と含み笑いを浮かべた男を、色をなして睨め付けた。
◇
取調室にて、生前の宮島が自身の死を予期していたようだと話したことで、捜査本部は以前よりもざわめきを増していた。
F署の刑事課の大半が、警部補であった父・孝幸をとおして宮島のことを知っている。そこにはきっと情報のやり取りという、あまり表立っては口にできない利害関係があったのだろう。
宮島を取り巻く関係者を洗う過程で署員たちがつぎつぎと聴取を受け、そのだれもが口を重くしていたのが印象的だったと、怜士はあまり面白くなさそうに話した。
聴取から解放され、捜査本部の捜査員たちがおのおのの仕事に従事する記録室へと戻ってくると、
「なんだかみなさん、お疲れのようですけど……」
数人の署員がそろって目もとを揉んでいる姿に、所在なげな真白がぼそりと耳打ちをしてきた。証拠品の保存袋も、彼が持っていると妙に小さく見える。その中には、集塵機でかろうじて採取できた小さな繊維片がおさめられていた。
「映像のチェックで目を酷使してるんだよ。よく言うだろ、〝目を皿のようにして〟って」
「はあ、なるほど……」
刑事課および捜査本部の面々は、皆それぞれが鑑取り、地取りへと分かれて捜査をおこなっている。
〝地取り捜査〟とは、事件現場の近隣住民の目撃証言や、防犯カメラの映像を集めることを指す。
真白が心配そうに見つめていた刑事たちは、集められたカメラの映像をこと細かにチェックしている真っ最中なのだろう。その中には、光洋の自宅マンションの映像も含まれているはずだ。
つまりは怜士が訪ねてきた際の映像もあるわけで、どうにもむずがゆい思いが胃のあたりに滞っている。
「これ、今までの証拠品ですか?」
真白が光洋の手もと、ノートパソコンの中の資料をのぞき込んできた。
模倣犯に関連する証拠品を主として、安斉にまつわる品や捜査資料、そして共通する点が、写真と文字とで羅列されている。そこにはもちろん、あの赤い四本線も。
「ヤタガラスのシンボル……」
「あぁ、これは販売元に提供してもらったサンプルで再現してみたやつ。こっちが安斉の残していたシンボルで、こっちが模倣犯」
「……よく似てますね」
多少の描き方の癖に違いはあれど、真白の言うとおりよく似せているように見える。だがこれもマスコミによって〝なにが、どう描かれていたのか〟をリークされてしまっていたから、どこのだれが知っていたとしてもおかしくはなかった。
「これって、鑑識用カメラで撮影したものですか?」
「うん? たしかそうだったと思うけど」
「ふーん……じゃあ、超高精度ですよね……」
真白はいったいなにが気になるのか、見る角度を変えたり、パソコンの画面から顔を離したり近づけたりと、大きな体で珍妙な動きを繰り返している。
別の画面に変えたいのに、これでは気になって進められない。
どうしたのかと尋ねようとした時、真白は頬と頬が触れるのではという距離にまで身をかがめてきて、ぎょっとしながらも光洋は身動きが取れなかった。
「うーん……なんか、これって……」
「おい。なにしてんの、お前」
なにかを言いたげにしつつも言いよどむ真白の横顔を間近に見ていると、不意に真上から聞き覚えのある声が降ってきた。
「れ、……西原。戻って来たのか」
「あっ、お疲れです! 痛いです西原巡査部長!」
真白は怜士の左腕に首根をつかまれ、挨拶だけは快活ながらも痛そうに顔をしかめている。
なにごとかと怜士を見上げれば、常ならば余裕に満ちあふれている涼しげな目もとは険しく、うすい唇は歪められていた。
どうしてそんな、と浮かんだ矢先、首にひやりと当てられた感触に「ひっ」と情けない声が漏れた。彼の右手には、缶コーヒーが握られている。
視線だけで訝しむこちらに、怜士はそれ以上なにかを発することはなく。無言で真白を捕えていた腕を離すと、光洋の目の前にカツン、と缶を置き、またどこかへと去って行った。
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