8話 再始動
【人物像】
姫路真白
24歳 / 188cm / 76kg
刑事部 刑事課 鑑識係・巡査
趣味・プラモデル作り
宮島と顔を合わせてから数日後の鑑識課では、常よりも賑やかな──言いようによっては騒がしい──光景が繰り広げられていた。
「だからこれはこのフィルターじゃないって! 血痕見るときはこっちの色! きみ若いのにおぼえ悪いなぁ」
「すみません!」
光洋が証拠品を保管室に置いて分析室にもどってくると、真白が津留崎にしぼられているところだった。真白の手には一眼レフが、津留崎の手にはALSライトがそれぞれ握られている。
ALS(Alternative Light Sources)ライトとは、数種類からなる波長の異なる光を照射し、目に見えない証拠──血液や指紋、足痕などを可視化する、科学捜査には欠かせないアイテムだ。特に現代の捜査においては、証拠を採取するための非常に強力な手段として重宝されている。ぱっと見では、〝多様な色を照射する派手なライト〟ではあるのだが。
真白はカメラからフィルターを取り外し、その長細い身体を縮めて津留崎に頭を下げていた。
身長だけで言えばバレーかバスケットボールの選手かという男が上司の叱責で小さくなっているのは、本人には悪いが少々おかしく見えてしまい、光洋はふっと笑みを浮かべた。
「まあまあ、ライトとかフィルターとか、実地で覚えるのが一番ですよ。現に私もしょっちゅう間違えて、津留崎巡査部長に何度も怒られてるし!」
そばで真白たちの様子を見ていた佐伯がそうフォローするも、それを聞いた津留崎は目を吊り上げて「お前はもう間違えたらだめな経歴だろうが。一体鑑識何年目だ」と矛先を変える。それを察知した佐伯は、さっと光洋の背後に隠れた。
「でも田之倉先輩もそう思いません? とくに若い子なんて現場でバリバリ動きたいでしょ」
「え? あーまぁ、そうだね……」
そう言う佐伯もまだ若いだろうと思いつつ、同時に「現場で」という言葉が頭のすみに引っかかった。
すこし前に彼女は真白を指して「メロい」などと発していたので、おおよそ可愛い後輩への好意から来るフォローだったのだろうとは理解していた。
それゆえこちらへのあきらかな他意はないのかもしれないが──まして彼女はそんな底意地の悪い人柄ではなかったし──針のむしろに座らされているような気分になっているのは、自身の中にわだかまるうしろめたさが原因なのだろう。
「指紋の採取とか、細かい作業は俺よりも上手いのになぁ」
あきれたようにこぼした津留崎の言うとおり、真白は体格に似合わず手先を使った作業となると、新人とは思えないほどのパフォーマンスを発揮した。その理由を尋ねてみれば、
「へへ、趣味のプラモ作りが効いてるんですかね」
先ほどまで縮こまっていたのはどこへやら、照れくさそうな真白の話に佐伯は「ギャップ萌えってやつ?」と顔を出した。
「褒められたからってあんまり調子に乗るなよ。ここにいるあいだに、なんとか身につけて帰ってもらわないと──」
「もちろんです! 絶対、絶対におぼえますから! どうか見放さないでください!」
「わ、わかったから……」
部屋じゅうにとおる声でそう宣言した真白にすがり付かれた津留崎が、ややたじろぎながら一歩あとずさる。真白のその姿をして光洋と佐伯はぼそりと「大型犬?」と耳打ち、ひっそりと笑い声を漏らした。
◇
鑑識課からやや離れた、同フロア内の休憩スペース。簡素なテーブルや椅子が並び、窓からは暗い雨雲がのぞいている。
その一角に、20代の若い警察官たち──真白と佐伯、そして光洋が肩を並べて、早めの昼食をとっていた。
「あーあ、やんなっちゃいますよねこれからの季節。朝あんなにがんばってセットしてきたのに、もうこんなにぐっちゃぐちゃ」
椅子に座るなり、昼食よりも先に手鏡を取り出した佐伯は手もとをのぞき込みながら、大げさなため息をついてみせた。その視線はちらと窓の外へと向けられ、再び鏡へともどっていく。
「佐伯さんって癖毛だったっけ? たいへんだね、毎日」
髪のことなどたいして気にしたこともないなと、取り出した弁当箱を開けようと手を掛けた光洋に、
「なに言ってるんですか! 田之倉先輩だってりっぱな癖毛ですよね? 気になるでしょこの季節!」と責め立てるよう食い気味に反論してきた佐伯に、向かいに座る真白がくすくすと声を漏らした。
「本部は人が多いし、みなさん仲良しでいいですね」
「そお? ごみごみしてて鬱陶しいときもあるけどなぁ」
自分の席へと向き直った佐伯は、真白の感想に肩をすくめて困ったような笑みを浮かべる。話題がそれたことを確認し、光洋も真白を見やった。
「所轄は鑑識係なんて数えるほどしかいないですし、なんとなく肩身がせまいなって……」と、思わず本音らしきものを漏らした真白は、慌てて「ほかの人には内緒にしてくださいね」と人さし指を口の前で立てた。
「真白くんって、なんで鑑識に異動願い出したの?」
コンビニで購入してきたらしいパック入りのサラダを開封しながら、佐伯がそう尋ねた。その問いの向けられた先、テーブルの大きさが合っていない印象を受ける真白の前には、同じくコンビニで買ったと思しきパンの袋が山積みになっている。
「それはもちろん、ドラマで観て憧れたからですよ! 今ってサブスクで海外ドラマたくさん観れるじゃないですか。あれがもう格好良くて……!」
すでに3つか4つほどのパンを腹におさめたにも関わらず、真白は一切ペースを落とさずに菓子パンを飲み込んだあと、笑顔で佐伯に答えた。
次々と吸い込まれていくパンたちと、自身の目の前に置かれた弁当箱とを見比べた光洋は、「なるほどこれだけ成長するわけだ」と奇妙な納得をしていた。
「先輩がたは、どうして鑑識を目指したんですか?」
気がついた時にはすべての袋を空にしていた真白が、目を輝かせながら訊いてきた。
「私はけっこう適当な理由かもー。女性で鑑識でーって、あんまりいない気がしてカッコいいかな? って」と佐伯は照れ臭そうに語ったが、同時に
「でも堀尾課長みたいな人がいるって考えたら、ちょっと夢があるよね」と、彼女もまたその瞳を輝かせている。
高卒ノンキャリアで警視にまでのぼりつめ、周囲から〝女傑〟と称される堀尾が、佐伯のあこがれの人であることは周知の事実であった。
「田之倉先輩は?」
そうして振られた話題に、すぐには答えられなかった。
「あ……えっと」と言葉を詰まらせた光洋に、二人の視線が集まる。
固く決意をして、この道に進んだ。警察学校での厳しくつらい日々も、それがあるから乗り越えられた。交番での地道な職務も、ひとたびなにかあれば駆けずり回らなくてはならない忙しさも、全部ひとえに──
「……父への、あこがれで」
となりで、佐伯が息を呑む気配がした。
真白は二人を見てなにかを察したのか「あっ」と小さく漏らし、その口を大きな手のひらで覆った。
廊下の向こうから、内線が響く。床を叩く革靴の音が、交差していく。
ざあ、と窓を撫でる雨が沈黙を際立たせたあと、光洋は目蓋を伏せながら口を開いた。
「父は……長年刑事として、最前線を走ってきたから……縁の下で、それを支えられる人になりたいって。そう思ったんだ」
できるだけ笑って話すよう、つとめたつもりだった。それはそのとおりに叶えられたようではあったが、真白たちの反応を見るに、きっと上手くできてはいないのだろうと。
凛々しい眉を八の字にした後輩に気づいて、「本当に犬みたいだ」と思わず声に出してしまっていた。
「僕はもう、大丈夫だから。気を遣わせてごめんね」
光洋の漏らした言葉に目を丸くしていた真白は、先ほどよりもふわりとした笑みを浮かべた光洋につられて、同じように顔を綻ばせる。佐伯もまた、胸を撫で下ろして二人の様子に微笑んでいた。
そんなおだやかな空気がただよう三人に小さく影が差したのは、昼食を終えて鑑識課へ戻ろうかというときだった。
真白だけがハッと顔を上げ、光洋の背後へと視線を送ったかと思うと、ざっと勢いよく立ち上がり敬礼をした。視線の先をたどると、そこには普段どおり小さな背をまっすぐに伸ばした堀尾課長が立っている。
「掛けてちょうだい、姫路巡査」
左手で真白へ座るよう指し示し、堀尾はテーブルの横へとやってきた。表情はやわらかく、切れ長のその目は光洋へと注がれている。
「ごめんなさいね、ちょっとだけ盗み聞きしちゃって」
「……はい? なにを……」
その意図が分からず、首を傾げつつ堀尾を見上げる。彼女の手には、メモと思しき紙片。
「あなた〝大丈夫〟って言ったわね。それが本当かどうか、たしかめてみる気はある?」
光洋に向けて差し出されたそのメモには、『模倣犯。F区△△町◯◯トンネル』と、堀尾によって書かれた文字が走っていた。
◇
堀尾に伝えられた現場へと到着したころにも、空気は依然として鬱々としていた。
現場鑑識用作業服。慣れ親しんだそれに袖をとおして現場へと臨場したのは、実に2ヶ月ぶりだった。
先に捜査本部へ派遣され、ほとんど県警本部に顔を見せない今野主任が光洋の姿に驚いたのも、予想どおりの反応だった。
しかし、彼は部下の顔になにを思ったのか。「出て来たんなら、照射用のライトを持ってこい」と言い放つと光洋の肩を叩き、踵を返して現場へともどって行った。
今日もまた、悪天候だ。
昨晩から降りつづく雨はその勢いを多少弱めてはいるが、未だ止む気配は見られない。
小さなバンに同乗してきた佐伯は、車両の後部に積まれたクレートからジャーマンシェパードを連れ出し、犬用の雨衣を着せている。佐伯は警察犬係を兼任しており、今回本部へと要請が入ったのはこれが理由だった。
「ジョイス、こんな雨の中で追えるんですかね……」
「ぜったいに無理とは言い切れないよ。時間が経てば匂いも消えてしまうけど……やってみないことには分からないし」
不安そうな佐伯に並び、ジョイスと呼ばれた雌のシェパードは毛を濡らす雨を厭うように、大柄な体躯をゆらした。
バンから持ち出したライトを担ぎ、先に現場へと向かった一人と一頭を追う。足取りは決して重くはなかったが、拍動だけは彼の本心をたしかに暴いていた。ポリエステルの雨衣を叩く水の音よりも、耳の奥で強く脈打つ心音の方が、ずっとずっと近い。
雨で濡れた路面に足をすべらせないようブーツの足先を慎重に進めていくと、黄色い規制線テープが目に入った。その先は、〝◯◯トンネル〟と古い看板がかけられたアンダーパスだ。そして規制線の前には、立哨する制服警察官となにやら話している、よく見知った横顔。
「お、よく来たな役立たず。また過呼吸起こしてぶっ倒れる気か?」
こちらに気づいた怜士は、はた目にも意地悪く映るのだろう。先に規制線の前まで来ていた佐伯は、隠すこともなくムッとして男を見上げていた。
そんな彼女とは裏腹に、ジョイスは尻尾をふって怜士に近づき、頭を撫でられてご機嫌な様子が見て取れる。
「もう、ジョイスってばほんと、西原さんのこと大好きなんだから……」
これまでにも何度か顔を合わせては、ジョイスはその都度にっこりと笑むようにして怜士に擦り寄っていく姿を見かけていた。ハンドラーである佐伯は、彼女にするよりも嬉しそうに頭を差し出す姿に、少なからず嫉妬しているらしい。
「動物は裏切らないのが良い。素直だしな」
「無駄口はいいから。状況を教えてくれ」
しゃがみ込んでいた怜士はジョイスを豪快に撫でさすったあと、渋々といった顔で立ち上がると規制線を上げ、その奥を顎で示した。向こう側には小さな暗がりが広がっている。
光洋自身、口で平静を装っているだけなのだという自覚はあった。それでも、いつまでも臆病なままで居続けるなんてできない。そんな思いが同時に存在している。
苦いような、酸っぱいようななにかが一瞬込み上げたのを無理矢理飲み下し、うす闇の中へと足を踏み出した。
「ご覧のとおり。いつものあのシンボルだ」
「……そう、だな」
苔むしたコンクリートの壁には、細く赤い四本線で鳥の足あとと思しき形が描かれている。被害者の遺体はすでに所轄へと運ばれたあとらしく、地面には鑑識標識だけが残されていた。
ちょうど、その赤い塗料を観察しようとしていたのだろう。壁際でしゃがみ込んでいた今野が不意に振り向き、目線だけで「大丈夫か」と問うているのがうかがえる。
光洋は言われたとおり持ってきた照射用ライトを地面に設置し、赤いシンボルへと明かりを向けた。
「被害者は40代男性。コロシの手口は以前と同様だろうと検視官は見立てた。今回は、現場がアンダーパスだったこともあって足痕が残されてる。ただし、一歩外に出たところで雨に流されてて、それ以降の足取りまでは不明だな」
怜士の説明を聞きながら、光洋は以前とは違う身体の反応を感じていた。
また倒れるのか? 取り乱してしまうのか?
……違う。これは──怒りだ。
父がその身をもって終わらせたはずの、凄惨な連続殺人事件。それを何者かが踏みにじり、無神経にも安斉の手口をなぞって、罪もない人々を手にかけている。
その事実への言いようのない怒りが、光洋の拳を震わせていたのだ。
「検視官が言うには、死後10時間以上は経過していた。日中でも人通りのすくない場所だから発見が遅れたらしいな。第一発見者は、朝がた犬の散歩をしに来た近所の爺さんだ」
「10時間も? よっぽど人が来ないんですね……でもたしかにちょっと怖いかも」
ジョイスを連れた佐伯が暗がりをのぞき込み、小さく肩をすくめた。せまく小さなアンダーパスには湿っぽい苔の匂いが充満し、時折頭上を通過する電車の轟音もあってか、うら寂しいよりもそれ以上に、どこかおどろおどろしい雰囲気を醸している。
だが、ふつふつと奥底から湧き上がる熱に唇を噛み締めた光洋には、肌にまとわり付くじっとりとした空気など知ったことではなかった。
そんな彼の表情を一瞥したあと、怜士はやはり冷たい笑みを浮かべて。
「ま、大丈夫ってことならせいぜい仕事してくれ」
「……言われなくても」
お読み頂きありがとうございました!
ALSライトの説明は簡潔にするためかなり端折っています。
興味を持たれたらぜひ調べてみて欲しいです!
鑑識の秘密道具です。




