6話 牙に隠したもの
事後描写あります。
実家から県警本部へと通うのにも、いくぶんか慣れたころであった。
「じゃあ、あの被害者の女性も風俗……水商売をしてたってこと?」
「そうみたいですよー。熟女クラブ? みたいなお店で。だれだったか、F署の人が鑑取りのときに聴取してたとかって」
鑑識課の分析室で、光洋はパソコンに目を向けたまま佐伯の言葉を聞いていた。
〝鑑取り〟とは、事件の被害者や被疑者に関係する人物を捜査し、聞き込みを行うことを指す。どうやら今回の被害者となった一ノ瀬亮子は、以前にその対象として任意聴取を受けた記録が残っていたらしい。
過呼吸を起こし恥をさらしてしまった一件から、あのときの事件の概要については深く考えないようにしていた。
しかし、内勤限定とは言えやはりいっさい触れないわけにもいかず、むしろ近ごろは以前よりも情報を得るよう努めていた。すこしでも早く、現場に戻るためにも。
「しかもびっくりなのが、あの一ノ瀬っていう女性、普段は学校の先生やってたんですって」
「えっ、先生? 教師ってこと?」
夜の仕事のイメージとはあまりにかけ離れたその職業に、思わず佐伯を振り向く。彼女もまたパソコンに向かい、データ化された証拠の数々を整理しているところだった。
捜査によると、例の〝ヤタガラスの模倣犯〟によるこたびの事件は、今までのものとはあきらかな違いがあった。それは被害者である一ノ瀬自身にではなく、犯人像や殺害方法に、である。
司法解剖によれば犯人は恐らく左利きで、身長175センチから185センチの上背のある人物。凶器はナイフ様の鋭利な刃物で、被害者は首の側面を数回にわたり刺されている。
ヤタガラスこと安斉道典は、身長165センチほどの小柄な男だった。その殺害方法も、すべて絞殺であることが判明している。
また、模倣犯の事件において最も奇妙なのが、一ノ瀬には防御創が見られなかったこと。つまり、無抵抗のまま殺害された可能性がある。
被害者が夜の仕事に従事していたこと、そして現場付近にあのシンボルが残されていたということ以外は、一致しない点が多かった。
「すごいですよねぇ、まさに二面性! って感じで。私たちが昼間は警察官、夜は水商売、ってやってるようなもんですよ」
伸びをしながらそう言ってのけた佐伯に、「失礼だよ」と注意を飛ばす。
被害者への敬意なくしてこの仕事はつとまらないのだ。亡くなった被害者にだって、昼の仕事だけではどうにもならないような、のっぴきならない事情があったのかもしれない。
佐伯は剣呑な空気を感じ取ったのか、「すみません」と肩をすくめてみせた。
◇
太陽が姿を消し、住宅街が静まり返る。
見た目だけは塗り替えられて清潔感のある古い団地の一棟で、ひと気のない静かな廊下に立った光洋は、安っぽい音を鳴らすインターフォンに指をかけた。
しばしの後に扉が開けられ、
「……こっちはお前とちがって捜査本部にカンヅメなんだよな。ようやく久しぶりに帰宅できたってのにジャマしに来たってわけか?」
「あ、いや……悪い……」
不機嫌きわまりない、といった仏頂面で出迎えた怜士。
互いの連絡先こそひかえてはいるものの、二人が示し合ってどうこう、という約束をすることはめったにない。
まして怜士は捜査で忙しくほとんどの時間を所轄で過ごすのに対し、内勤を命じられた自身は自宅と本部を往復できるだけの余裕があるのだ。
母との気の進まない夕食を済ませたあと、なんとなく今までどおりの道を走っていたら、彼の住む古い団地の一室から明かりが漏れているのが見えたから。
……ただそれだけだったのだが、よもや帰宅して間もないとはつゆ知らず、こうして悪口を浴びることとなってしまった。
怜士の家は以前のような惨状を呈することはなくなったが、たまに訪れるとやはり食器類や、栄養機能食品の空き袋が積まれているのを目にすることがある。身体作りには余念がないタイプなのは知っているものの、どうやらそんなことに注意を払っていられるような状況でもないようだ。
そう察した光洋は「ありものでなにか作ろうか」と提案したのだが、風呂上がりと思しき姿で出迎えた怜士は「面倒だからいい」とシェイカーでプロテインドリンクを作り、今に至る。
彼はしかめっ面のまま、その体格には小ぢんまりして見えるソファに座り、ぼそぼそとしたブロック状の食品をドリンクで流し込んでいた。
所在なくキッチンのダイニングチェアに座っていた光洋は、たしかに言われてみればなにをしに来たのだろうか、と自分でも分からずにいた。これでは、疲れて数日ぶりに帰ってこれた同僚を邪魔しに来たと言われても無理はない。
来たからにはなにか話題を、と焦燥感をおぼえ始めたとき、ふと宮島のことが思い浮かんだ。
「あのさ……宮島っていう記者、知ってるか?」
その言葉に、怜士の眉はひときわ深くひそめられた。
あれだけ周囲を嗅ぎ回っていて、なおかつ父とのつながりがあったのならば、その部下であった彼もなにかを知っているだろう。
そんな大雑把な推測のもとに尋ねてみたのだが、思っていた以上に露骨な不快感を示すその様子に、光洋は少々意外な印象を抱いた。
「知ってるさ。お前の親父の知り合いだろ」
吐き捨てるよう低く言い放った彼は、残りのドリンクを飲み干すとその容器を乱雑にローテーブルに置いた。打ち付けられた底ががつん、と悲鳴を上げる。
「そいつがなに? お前のとこにでも来たってのか?」
「まぁ、そんなとこだけど……」
「あのオッサンなら来るだろうな。お前が寮を出るのを待ってたわけだ」
ふん、と鼻を鳴らした怜士が、空の容器を片手にこちらに向かってくる。シンクに投げられたプラ製のシェイカーが、再び悲痛な物音と共に転がっていった。
「ずいぶんと嫌ってるんだな」
「当たり前だ。あいつはこっちが必死でかき集めた捜査情報を、横からかっさらうチャンスを常にうかがってる。好きになる要素がどこにある?」
苛立たしさを隠しもせず、ひと息にそうこき下ろした怜士はダイニングに置かれた煙草を手に取る。口に咥えたそれに着火しようとして、火傷の後遺症だろうか──引きつれの残る右手では上手くいかず、舌打ちをしつつ何度目かの試行のすえ、ようやく炎が灯った。
揺らめくその淡い橙色に、つい火災を思い連ねてしまう。
……たかが小さな炎だというのに。
それでもあからさまに避けようとは思わないのは、ほんの少しでも前進しているということだろうか。
ふと、シンクに寄りかかって紫煙を燻らせている彼は、自身が巻き込まれた炎への忌避感はないのだろうか、とよぎる。
問うまでもなく、目の前で見せるその姿こそが答えではあるのだが、つくづく自分とは違って強い男だなと、吸い寄せられるように手の動きを目で追ってしまっていた。
「……で、やるの? やんねぇの? どっち」
「え? どっちって、」
そんな視線がこの横柄な男にとってどんな意味に捉えられたのかは、知りようもなく。
身をかがめ、目線の高さを合わせた彼はうすく笑んだ唇から煙を吐き、
「セックス以外になにがあんだよ」と決まりきったかのように言い切るものだから。
意表をつかれた光洋は泡を食ったよう目を丸くしつつも、
「……準備、してくる……」と蚊の鳴くような声で答えるほかなかった。
◇
しばらくぶりの情事のあと、先にシャワーを済ませた怜士は、光洋が風呂場から戻ってきた時にはすでにベッドの上で泥のように眠っていた。
思えば、躊躇に躊躇を重ねた決断のすえに寮を出てから、身体を重ねたのは初めてだったかもしれない。それどころか、あの忌まわしい事件が一旦の終幕を迎えて以来になるのではないか。
それはつまりおよそ一ヶ月ほど彼との深い接触がなかったことを意味するわけで、そう考えると身体への負担が想像以上に大きかったのも、けっして不思議ではない。
「お前が変な時間に来るから」と最中に愚痴をこぼした彼が思っていたよりも疲労困憊だったのは確からしく、悪いことをしたと反省しつつも「だったらしなければ良かったのに」とあきれてしまう自分もいる。火傷が治ったらと、口約束のような不確かな言葉を交わしたのが、その理由だったとしても。
音を立てぬようベッドの端にそっと腰を下ろし、寝息を立てている怜士を盗み見る。
つい先ほどまで、互いに悪態をつきながら肌を合わせていたとは信じがたい。そう思わざるを得ない、おだやかな寝顔がそこにある。寮暮らしで門限に縛られていたころには、まず目にすることのない姿だった。
どうにも落ち着かない心持ちで勝手に借りたタオルで頭を拭こうとして、自身の家のそれとは違う香りにやはり、妙なざわつきが胸の内にさざなみを立てる。
これではまるで初心な少女のようではないかと我ながらにあきれ返り、さらにその似つかわしくない想像を自覚してしまったことで、気恥ずかしさまで覚える始末だった。
ことさらに乱暴に、髪からしたたる水気をふき取る。先ほどまで皺だらけだったシーツを見やれば、無防備に伸ばされた右腕。その変色し引きつれた肌を目にするだけで、胸が締め付けられるようだった。
わけもわからず、一人でこんなにも浮き足立って、目の前の男はそ知らぬ顔で。
なんとなしに、いびつに再生された痛々しい皮膚に触れようとして、首のうしろがちくりと痛みを訴えた。すぐそこに横たわる男が、執拗に牙を突き立てた場所。噛む、というほどではないにせよ、何度もその歯でなぞられたせいか小さな疼きだけが残されていた。
その言動が粗野で、無遠慮で、場合によってはこちらの神経を逆撫でするようなことも言うくせに、情事の際にはその限りでないのが、この男の厄介きわまりない性質だった。
……勘違いしそうになる。
互いに互いを嫌ってはいないはずだ。けれども、熱っぽく甘ったるい言葉に表されるような、そんな関係でもない。職種が同じで、ときにその職務を共にすることがあって……欲の向く先がたまたま同じだった、ただそれだけ。
再び、焼けた皮膚に手を伸ばす。触れた肌の表面は少しだけかさついていて、それが錯覚だと分かっていながらもどことなく熱く──燃え盛る炎をまとっているようにすら思える。そのまま手の甲へと指先を滑らせようとして、その持ち主がわずかに身じろいだのに気づき、光洋はさっと身を引いた。
「……まだ起きてんのかよ……マジで明日、遅刻するぞ……」
重たそうに目蓋を持ち上げた怜士の瞳が、こちらをぼんやりと捉える。かすれた声が聞こえて、返事を待たずにそれは再び閉じられた。
「……わかってるよ。……おやすみ」
もう聞こえはしないだろうと──むしろ聞こえないでいてくれと願いながら、つぶやく。
二人の間に、そんな優しい言葉は似つかわしくない。ましてや、安寧を願う言葉など。
寝息をあとに、ベッドから立ち上がる。スプリングのきしむ音にも、彼が目を覚ますことはなかった。
小ぶりなソファに横たわり、申し訳程度に置かれたブランケットをかぶる。スマートフォンに表示された母からの「今日は帰らないの? どこにいるの?」というメッセージを無視して、光洋はクッションに顔をうずめた。
お読み頂きありがとうございました!
この話はレーティング版だとエッ……なシーンが入るんですが、まだどこにも公開しておりません……




