表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【 BL×心理ミステリ×サスペンス】アンフィビアスの天秤  作者: 猫谷式蛇ノ目


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/7

4話 焼きつく足枷

 情けなかった。みじめだと思った。

 最前線で事件現場を鑑定し分析するプロとして、ぜったいにあってはならない失態(しったい)を犯した。


 灰色の天井を眺めながら、光洋(こうよう)は冷や汗の浮かぶ(ひたい)をぬぐい、細く長いため息をついた。外では未だ雨がつづき、天井を(たた)くそれが閉じた空間を包み込んでいる。


 先刻、ヤタガラスの〝足跡〟を目にした光洋は過呼吸を起こし、待機を命じられた……というよりも、今野(こんの)主任によってなかば強引に近場のパトカーに押し込められ、静養するよう厳しく言いつけられた。


 思い返すと、今野に肩を支えられ、裏路地の前に停められたパトカーに至るまでに見ていた光景の記憶は、かなりあいまいである。


 足をもつれさせ、すぐとなりで「ゆっくり深呼吸しろ」と叫ぶ声を聞いたような気はする。しかし、ちかちかと明滅(めいめつ)する視界に──その合間に割り入ってくるあの赤いシンボルが、サブリミナルのように脳裏に焼きついて。


 座席に倒れ込み、呼吸と手の震えが落ち着くまで、光洋の心臓は早鐘(はやがね)を打ちつづけていた。


 戻らないと。

 ……戻りたくない。

 今この状態であそこに戻って、自分になにができる?


「足手まとい……」


 だれもいない車内にこぼした独り言は、思いのほかすぐ近くにとどまり、耳から離れなかった。


 後部座席のヘッドレストに頭を(あず)けたとき、すぐうしろに別のパトカーが停まったのがミラー越しに確認できた。視線だけで反射を追うと、扉を開けて二つの影が降りてくる。一人はおそらく検視官(けんしかん)で、もう一人は──


「……怜士(れいし)


 滝山(たきやま)班長に要請され、検視官を連れてきたらしかった。怜士はなにがしかを話しながら、四十代ぐらいと思しきその人を現場へと誘導している。


 そういえば、父が亡くなるまでの事件現場では、こういった光景をよく見かけていた。


 ときに地に()いつくばり、目を()らし、精密で地道な作業を求められる鑑識と。

 周辺への聞き込みや、情報の裏取りのため、現場で足を使って捜査をする刑事と。


 それぞれがちがう分野のプロフェッショナルであるというのに、同一の事件を発端(ほったん)にしたことでけっして他言できない──そして、()められたものでもない──関係に至った。


 怜士の言葉を借りるならばそれは『ヤタガラスが運んできた(えん)』であることにちがいはないのだが、今日の不測(ふそく)の事態を前にするとやはり、光洋はその発端に対し形容しがたい不快感と負い目を禁じ得なかった。


 目を閉じて大きく息を吸い込むと、じっとりとした空気が肺を満たす。それをひと息に吐き出そうとしたとき、コンコン、と硬質な音が響いた。


 はたとその発生源を見やれば、今まさに思い描いていたその人──怜士がすぐそこに立っていた。検視官を現場に送り届け、戻ってきたようだ。


 扉のウィンドウを開けると、びしょ()れの雨衣(あまぎぬ)と車の屋根を叩く雨音が、車内へと侵入してくる。


「お前、うちの車で何してんの」


 その音に負けじと声を張り上げて話す怜士が、間近にまで顔を近づけてきたことで、光洋はとっさに身を引いていた。


 無意識の行動ではあったものの、(いぶか)しげな表情を浮かべた怜士に「我ながらなにをしているのか」と奇妙な心持ちで、離した距離をそっと戻す。

 こんな場所で、こんな関係で、そんなことはあり得ない。


「あー、えっと……ちょっと、体調が……」


 きっと怜士も、あの現場を目にしているはず。その上でなにを言われるだろうかと考えたが、普段ならシニカルな言動の目立つ彼がひと言も発することなく、ただこちらを見下ろしてくるのがいっそ不気味なほど奇妙だった。


 パトカーのルーフに掛けられた彼の右袖からは、変色し引きつれた肌がのぞいている。包帯はすっかり外されて日常生活にもさしたる支障は無くなったようだが、こんな雨の日にはじくじくとうずくような痛みがあるのだと、すこし前に聞かされていた。


 その腕の下から、こちらをのぞき込む瞳。(かげ)りが差すそれと、時間としては一瞬であるはずの沈黙の意味は、光洋には推察しかねた。


 見つめ合うことの気まずさと、視線を外すことへの不安感とに板挟みにされ、つづく言葉を模索する。そんな顔を見て、怜士はふっと鼻を鳴らし、


「優しいよなぁ、みんなそろいもそろって。お前、ただの役立たずじゃねーか」と唇の左端を(ゆが)ませた。


 知らず、つられるようにして笑みが浮かぶ。不自然に、ひくりと。

 ……否、今この場においては、むしろ自然な身体反応のようにも感じられた。


 ざあざあと()り止まないノイズが思考を遮断(しゃだん)して、ただ『役立たず』のひと言が、出口を探して頭蓋(ずがい)の中をめぐっている。


「……そうだな。そのとおりだ」と得心のいった内なる声は、現実に口から漏れ出ていた。


 そのつぶやきが、怜士の耳に届いたかどうかはあきらかではない。

 光洋を見下ろす彼の温度を持たない瞳は、依然(いぜん)としてなにものも語りはしなかった。

 


  ◇


 

 翌日、普段は滅多に入室することのない、堀尾(ほりお)課長のオフィス。


 先だって挨拶に訪れたときとは異なり、堀尾が「少し掛けて待ちなさい」と小さなソファを示し、それに従った光洋はスラックスの膝の上で拳を握り締めていた。


 堀尾の背後に広がる四角い空では、白っぽくうすい雲が、青海(せいかい)に小さな波を立てている。


 安斉(あんざい)の裁判に向けた各種捜査、鑑定品の精査は、遅々としつつもどうにか前進していたはずだった。


 そんな折に降って湧いた──()(てい)に言うなれば、〝模倣犯〟と思しき存在の犯行。ひとりの警察官の犠牲をもってして終わった事件が、不届きな行いによって蒸し返されたとあっては、県警全体に激震が走るのは明々白々であった。


 そうすると必然、あの事件現場の痕跡を目にして不調をきたした光洋の一件が、周囲に知られないはずはなかった。


 あと数分もすれば、己に降りかかるであろう事態や言葉をあれやこれやと想像しながら、ノートパソコンをのぞき込む上司の挙動に意識を払う。


 こちらからうかがい知ることはできないが、彼女が右に左にと視線を走らせているその画面には、先日の模倣犯に関する報告の数々が列挙されているのだろう。


 そしてそのデスクの片隅(かたすみ)には、光洋が過呼吸を起こし現場を離脱した経緯を伝える、一枚のコピー用紙も。


 ちらちらと横目でせわしなく上司の様子を探っていた光洋は、堀尾の深いため息と、ぎしり、と椅子がきしむ音に背筋を正した。


 席を立った堀尾が、つかつかとこちらへ向かってくる。向かいに腰を下ろした彼女は再び小さく息をつき、まっすぐに部下の目を見つめた。


田之倉(たのくら)巡査長。あなたもう、この事件には関わらない方がいいんじゃないかしら」


 けっして、厳しい物言いではない。それどころか、優しさゆえの言葉であることは、光洋にも痛いほど理解できていた。


「……申し訳ありません。本職ひとりが迷惑をかけたばかりに」

「ちがうのよ。そんなふうに思ってないわ」


 すすんで卑下(ひげ)しようなどと、思っていたわけではなかった。ただ感情のままにこぼれ出た謝罪は、堀尾にはそう(とら)えられたようだった。


「私は、あなたの上司なの。そしてあなたは、お父さまが亡くなったことへのショックから立ち直りきれていない。部下の心身のケアも、私の仕事なのよ」


 その身を乗り出しながら語る堀尾の真剣な眼差しに、いても立ってもいられず目をそらした。上司に対面しているというのに、あってはならない行いだと自覚しながら。


「……どうしても(たずさわ)わりたいというのなら、強くは言わないわ。でも、臨場することは許可できません」

「……それは、」

「しばしの間、内勤(ないきん)を命じます。そして、どうしても避けられない場合を除き、この事件に関係するものに触れないこと」


 明瞭(めいりょう)に、厳格にそう放たれた声に、すっと血の気が引いていくような気がした。


 警察という階級社会において、上司の命令は絶対である。たとえそれがどんなに納得のいかないものであろうと、下命(かめい)を受けた部下には拒否権などない。


 ましてや、光洋の体調を(おもんぱか)っての命令である。仮に拒否権があったとして、それを行使(こうし)できるほど彼は愚かではなかった。


 けれども、みずからすすんで鑑識という道を選んだ以上、(ゆず)れないものがあるのもたしかで。


「本職が……正面から、向き合うことができると判断したときには、再びの臨場を許可して頂けますか」


 まっすぐに、堀尾の顔を見据(みす)えた。

 整えられた眉根(まゆね)はわずかに寄せられているが、その目がけっして非難や疑念を語っていないことは読み取れる。むしろ、道に惑う我が子をただ思いやる母親のような、そんな温かさがあった。


「……いいでしょう。でもまずはその前に、あなた自身の心を休めなさい」

「ありがとうございます」


 礼を告げて頭を下げると、固く握り締めた拳はすっかり白くなっていた。

 


  ◇


 

 その日の夜、本部からはやや離れた場所に位置する独身寮に戻った光洋は、いつになく真剣な顔でデスクに向かっていた。目の前には、白い紙。


 何度も何度も手に取ってはしまい込んでを繰り返した退寮届は、ようやくデスクの上にその白い背を預けたときには、不恰好な(しわ)が寄っていた。


 ペンを宙で右往左往させながらも、どうにか氏名だけは書ききっている。──警察官を拝命したとき、その記念にと父がプレゼントしてくれた、名入りのペンで。


 黒檀色(こくたんしょく)のそれに、金色の刻印。しばしそのまばゆい色をじっと眺めたあと、光洋はくしゃくしゃの紙へと視線を移した。


 母が今は一人で住む実家には、父が亡くなったときにほんのすこしだけ足を踏み入れていた。


 彼女が好んでいた鉢植えもドライフラワーもすっかり見るに()えない様相(ようそう)で、それなのに昔と変わらずどこからか(ただよ)ってくる花々の香りが、なんとも言えず不気味だった。


 同時に、ほんの一時(いっとき)立ち止まってのぞき見てしまった父の部屋は、すくなくとも光洋が警察学校に入校する以前からほとんど変化がなかった。それもまた、異様さを後押しした理由でもある。


 きっと、精神が揺らいでいる母は、未だに父の部屋を片付けられずにいるはずだ。つまりあの家に戻ることは、父の永遠の不在に対峙(たいじ)することと同義なのだ。そして、空間ごと停滞(ていたい)した時間を進められるのは、光洋ただひとりだけだった。


 寮を出る。母と暮らす。

 そして、父の(のこ)したものを認め、向き合い……前へと進む。


 母のためではない。自分自身のため、現場に出てみずからが望んだ職をまっとうするためだ。

 父への(あこが)れを、父が成してきたものを、己の失態でこれ以上汚してはならない。


 光洋は重くなる手を(しか)りつけながら書面の空欄を埋め、氏名の隣に判を押した。

お読み頂きありがとうございます!


実際には呼称として「巡査長」とはまず言わないそうです。階級ではないので。

ただフィクションということで、分かりやすさ優先で「巡査長」と呼ばせています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ