2話
時々ここに人物紹介を貼ります。
田之倉光洋・主人公(受け)
27歳 / 174cm / 66kg
県警本部 鑑識課・巡査長
趣味・ランニング
西原怜士(攻め)
31歳 / 180cm / 78kg
刑事部 刑事課 強行犯係・巡査部長
趣味・読書
うずたかく雑多にため込まれていたカップ麺や、コンビニ弁当の空容器を片付けた小さなキッチンは、来訪時よりもいささかマシな様相を取り戻していた。
ようやく底の見えたシンクでカトラリー類を洗いながら、光洋はF署の吉川刑事課長の言葉を思い出していた。
『親父さんの死を〝尊い犠牲〟とか〝名誉〟なんて思わなくていい。ただ、逃げないでくれ。向き合ってくれ』
同じ刑事部と言えども、刑事課の父・孝幸と鑑識課の光洋とでは、見えているものも立ち位置も大きく異なっていたはずだ。まして父は強行犯係で、常に危険ととなり合わせの日々を生きてきた。
それが息子である自身にとって、誇らしかったのは事実だ。けれども、すべてに向き合い受け容れることは、すなわち父の〝家族には見せない顔〟をも垣間見ることになりそうで──それを思うと、意識の奥に蓋をせずにはいられなかった。
かたわらの水切りかごに洗ったカトラリーを入れ、さてもう少しゴミをまとめてやろうかとかがむと、吊り戸棚にしたたか額を打ちつけた。年代物と思われるキッチンのしつらえは、成人男性が立つにはどうにも狭苦しい。
鈍い痛みを訴える額をさすっていると、いくらか離れた廊下の先、ドアが開く音が響いた。
「お、すげーきれいになってる」
左手に持ったタオルで、濡れた頭を大雑把に拭きながら歩み寄ってきた怜士に、光洋は露骨に顔をしかめた。
「パンツぐらい履いてくれよ」
「ここは俺の家だ。お前の指図は受けねぇ」
口の端を歪ませながら、怜士は冷蔵庫から取り出した炭酸水を「ん」とだけ発してこちらに向かって突き出してきた。無言で待つ怜士に、唇を尖らせた光洋はペットボトルを奪い取る。
プシュ、と軽快な音がはじけて、蓋の開いたボトルは再び家主の手に戻っていった。
「巡査長どのは大人しく世話係に徹しておけばいいんだよ」
「……あぁ、そうですか」
直視に耐えがたく、光洋はふいと怜士から目をそらした。
多少なりとこらえていたようだが、シャワーの水音に混じり痛みにうめくような声が聞こえたのは、気のせいではないはずだ。
怜士の肌は右腕を中心に色が変わり、はっきりと火傷の痕が主張している。
幸か不幸か、防刃ベストを着込んでいた胴体部分は軽微だが、顔をかばった右腕はⅡ度の熱傷でひどい水ぶくれだったようだ。
ようだ、というのも、退院してきた今現在は水ぶくれは落ち着き、赤くなった皮膚に普段は包帯を巻いているからだ。
聞いたところによると、その状態でも肌に擦れるのは相当な痛みがあるはずだ、と。にも関わらず通報があれば我先にと飛び出そうとするので、吉川課長は頭を抱えていた。
◇
「わざわざ俺みたいな〝問題児〟を表立ってお前に押しつけるなんて、一体あのハゲ親父は何を考えてんだか」
スチールパイプの簡素なベッドに腰を下ろした怜士は、吉川課長をそう称して鼻で笑ってみせた。彼が座った衝撃で、ベッドの端に山積みになっていた本が傾ぐ。
「……捜査本部で話してるのを、見てたんだろ」
F署に捜査本部が立ち、休みなく署内を駆けずり回っていた課長が、二人のことをそこまで気にしている様子はなかったように見えた。怜士からは〝ハゲ親父〟などとひどい言いようだが、やはり課長ともなれば観察眼は相応に持ちあわせているのだろうと、光洋は舌を巻いたものだった。
「皮肉だなぁ、〝ヤタガラス〟が運んできた縁か」
笑んだ声色を含ませて降ってきたその言葉に、知らず肩がこわばる。
世間を震撼させた、風俗嬢連続殺人事件──通称『ヤタガラス事件』。
メディアがおもしろおかしく報じたその名は、犯人がみずから名乗っていたそれに由来する。
風俗嬢ばかりを狙ったその事件は毎日のようにセンセーショナルに取り上げられ、だれもがことの顛末に興味津々だった。
特別捜査本部が立ち上げられたことで、所轄と県警本部は血眼になって〝ヤタガラス〟を追い続けた。
数ヶ月におよぶ捜査と、その間にも増え続ける被害者。夜の街には常に捜査員が目を光らせ、「どうにかして確保を」と躍起になっていた中、偶然にも被疑者の隠れ家に踏み込んだのが、当時警部補の父であった。
父はヤタガラス──のちに、安斉道典という四十歳の男だと身元が判明──に刺され、致命傷を負った末に発砲。安斉もまた銃弾により致命傷を受け、死の間際に隠れ家である廃ガレージに火を放った。
あらかじめガレージ内にはガソリンが撒かれており、放たれた炎は一気に広がったのだという。その場に同行していた怜士は、炎の中から父を助け出そうとするもあえなくその手はとどかなかった、と。
光洋は身元確認として焼けただれた父の顔を見なければならず、その惨状に警察官でありながら自然と目をそむけたのは、記憶にあたらしかった。
「ヤタガラスって、〝導きの象徴〟なんだろ? ふざけた名前だよな」
吐き捨てるよう、怜士がそう言い放った。
被疑者死亡とあっては、安斉がなぜ神聖な存在の名を借り、あれだけの罪を犯したのか……だれにも真相は分からない。ただ光洋の歩む先には、もはや追うこともかなわない父の背中と、父を救い出そうとした男の姿があるのみだった。
「よし、終わり」
怜士の右腕に包帯を巻いた光洋は、塗り薬の容器に指をすべらせながら後片付けを始めた。
どういうわけか任された怜士の処置への疑問を頭に残しつつ、事件のことを思うと断りきれない己も自覚している。こういう世話を焼きがちな面をも吉川課長は見抜いていたのだろうか、とも感じられた。
実際、毎日は到底無理だが、なるべくなら手伝ってやりたいと思ってしまう。そうでなければ彼は自分でどうにかして処置をしているようだが、思うようにはいかないようで──細かいところに頓着しない性分なのもあるだろうが──けっしてきれいとは言えない状態で包帯を巻いて署に出向くようだ。
無論、このありさまでは未だ通院はつづける必要があるらしく、「感染症予防がどうとかってうるせーのなんの」と光洋の前で不満を漏らしたこともある。
ベッドから立ち上がった怜士は「いてて」と言いながら右肩を軽く回し、しげしげと右腕を眺めたあと「下手くそだな」と笑った。
「だったら自分でやればいいじゃないか」と眉根を寄せた光洋はビニール袋に処置道具を突っ込み、同じく立ち上がろうとして。
右肩を押さえ込まれたことで、ハッと顔を上げた。
目の前には、細められた眼差し。シトラスの石鹸の香りが、鼻先をかすめていく。
いっそうしかめられた光洋の顔を見下ろした怜士は、さも当然とばかりにその肩をぐいと押しやった。
「なんだよ。セックスしたそうな顔に見えたのに」
「セッ……! 馬鹿かお前、その火傷でそんなことできるか!」
片腕だというのに光洋を押しとどめようとする力は容易に振りほどけるものではなく、怜士が術科訓練で好成績をおさめていたらしいことが思い出された。反して術科関連の教養がことに不得手であった光洋は、彼の鍛え上げられた体を押し返すにはあまりに非力だった。
「つまんねーやつ」
怜士が身をかがめ、頬に硬い質感の髪が、首筋にふっと吐息が触れる。
しばしば「鬱陶しいから切れ」と吉川課長が目くじらを立てていた怜士の髪は、火災で焼けたのをきっかけにずいぶんと短く切られていた。つまりは彼の身体のありとあらゆる部位が、父を亡くしたあの事件を想起させうるのだ。
おそるおそる怜士の襟足に手を伸ばした光洋は、それに届くより前に皮膚に触れた唇の感触に慄き、目的を見失った指先を引っ込めた。
……怜士とは、恋人同士ではない。
警察というせまい階級社会の中で、互いの欲を埋めるという利益のため、なんとなくうすぼんやりとした関係を結んでいる──ただそれだけだった。
「じゃあ代わりに、処理の手伝いとか」
一、二人の関係は内密に。
「いやだ。僕はそんなことのために来たんじゃない」
二、互いのプライベートは詮索しない。
「セックスはするのに?」
三、キスはしない。
「それとこれとは別だろ」
どちらともなくさだめた暗黙の了解のもと、二人は微妙な距離感の生ぬるさにひたっていた。
◇
「そういえば、うちに新人が来るんだと」
「新人? 刑事課に?」
未だ残っていた雑多なゴミをかき集めながら、光洋は怜士の言葉をなぞった。
もとより家事を好まない怜士は、火傷のせいでなおさらに不摂生な食事へとかたよるようになっていた。あの手では料理も洗い物もまともに出来はしないだろうことは明白で、光洋はたまの暇な時間を見つけると、片付けを手伝いに来ている。
言い換えれば〝体の良い雑用係〟にも思えないことはなかったが、光洋なりの怜士への詫びのようなものだった。
「強行犯? それとも別の?」
「さあな、俺も詳しくは知らねえけど。ずいぶんと可愛らしい名前だったのはおぼえてる」
「ふぅん、女の子か。珍しいな」
割り箸をたばねてまとめた光洋は、剛毅な男ばかりが集まる──当然、女性もいないわけではないが──刑事課の風景を思い出した。そこに若い女性が混ざるとなれば、それ相応の覚悟が要りそうだ。
ひととおりの掃除や片付けを終えて帰宅の準備をし始めた光洋に、ラフなスウェット姿の怜士がうすい笑みを浮かべて近づいてくる。
「お前ってさ、ヤキモチとか焼くの?」
「……頭でも打ったのか?」
どうせ、女性に対しては無関心なくせに。
喉まで出かかったその言葉を飲み込んだ光洋は、代わりに頭の中で幾度も反芻した。これで良かったのだろうかと、自身の判断を疑いながら。
怜士には、性的な指向について直截に尋ねたことはない。
件の捜査本部で出会ったとき、周囲からうわさ程度に聞いていた怜士を見てすぐに「同じだ」と直感していた。それは向こうも同様であったらしく、それとなく近づいていく距離がゼロになるまで、そう時間はかからなかった。
そうしてあいまいな関係をつづけて、はや数ヶ月。二人の間に横たわるすべてに、霞がかかっていた。
「かわいくねーの」
額が触れそうな距離にまで迫りきた怜士に、壁際に追い込まれた光洋はついと横を向く。
背丈はそこまで大きく変わらないはずなのだが、彼に見下ろされると自分が被捕食者になったような気がして、真正面から向かい合うのを避けようとするきらいがあった。身長以上に、彼のその体格が強健なのも理由のひとつかもしれない。
「かわいくないって、お前……僕をなんだと思ってるんだ」
売り言葉に買い言葉というつもりで反射的に返したのだが、ちらと怜士を盗み見ると、思いがけず渋い表情で黙り込んでいる姿を見とめてしまい、こちらも口をつぐむ。
安っぽくありきたりな表現をするならば、自分たちのこの関係は〝セックスフレンド〟に近いのだろう。ただそれを互いに肯定したこともなければ、否定したこともない。……これより先に踏み込むつもりがあるのかどうかも、分からない。
出会ったばかりのころ、彼は終始鋭い目つきでこちらを睨むように見下ろしてくるのが、印象的だった。ともに過ごす時間が増えるほどに、その瞳に宿るものがゆっくりとではあるが変容していくように感じるのは、ただの勘違いなのだろうか──と。
見ようによっては苦しげにも思える面差しで唇を引き結ぶ怜士は、なにを思っているのだろう。
沈黙に気まずさを感じ始めたころ、ポケットの中でスマートフォンのアラームが小さく鳴った。
視線を下げて腕時計を確認すると、すでに夜は深くなりつつある。
「まずい、そろそろ戻らないと」
視線を振り払って玄関に向かう背後から、「とっとと寮なんか出ちまえよ」と野卑な物言いが追いかけてくる。
だが今はそれに構うひまはないと、ランニングシューズに足をすべり込ませた。
「走って帰るからいいんだ。それぐらいしないと、身体がなまる」
「熱心だなぁ、陸上部は」
「〝元〟な」
皮肉に訂正を投げ返した光洋は、開いた扉の向こう、皮膚を刺す夜気に足を踏み出した。
お読み頂きありがとうございました!
怜士×光洋は雰囲気だけで見るとけっこうただれた関係です。
いつかムーンライトに成人向けver.を持ってきたいです。




