1話
人生初・長編、初・三人称作品ですので色々と拙いです。
BLとミステリをしっかり絡めて警察小説としての側面もあるという、無謀でしかない挑戦作です。
何故こんなに難しい題材を選んだのか、書きながら自分を恨んでいました!
執筆に取り掛かったのは投稿時から2ヶ月以上前で、現在とは筆力がかなり異なります。
書き上げた当時の自分の実力として受け止め、恥を偲んで公開させて頂きます。
全20話、10万字強で完結させてあります。
それをたとえるならば、真っ赤な花火。
あるいは、弾けとぶ花弁。
激しい雨に呑まれた鈍い音は、遠い世界の出来事のようで……。
そうとでも思わなければ、到底耐えられなかった。
しばらくの間、存在すら忘れていた酸素をどうにか思い出し、わずかに吸い込む。
しずくを抱えた睫毛の向こう、川のように流れる雨水が赤黒いのに気づいて、声も出せずに後ずさった。
手のひらに食い込むアスファルトは、これが現実だと理解するに十分な冷たさを突きつけてくる。
初めて、人の〝死〟を間近に感じた瞬間だった。
◇
──2025年2月某日。
「おかえりなさい、田之倉巡査長」
凛とした声が、よく磨かれた硬質なデスクの向こうから響く。
〝鑑識課長〟と書かれたネームプレートの後ろに立つ、ぴしりと伸ばされた小さな影。
上司に向かい慇懃な敬礼を成した田之倉光洋は、胸の内に深く沈み込む澱によって、表情筋が引きつっているのを確かに感じていた。
「このたびは大変ご迷惑をおかけしました、堀尾課長」
「迷惑なもんですか。田之倉警部補──いえ、警視を亡くされたのだから」
まっすぐに肩で切りそろえられた黒髪を揺らしながら、堀尾の手が厚い書類の束をひろい上げた。そこには無機質な書体で『風俗嬢連続殺人事件』とタイトルが打たれている。
光洋はその文字列をちらと視線で追ったあと、掲げていた右腕を下ろしながら目蓋を伏せた。
「仲間を亡くしたことへの痛み、哀しみは、我々警察官にとっては身を切られたにもひとしいわ。ましてやそれが、部下のお父さまともなれば……」
光洋の父・孝幸の殉職に際して大々的な葬儀がとり行われ、肩が壊れるのではないかというほど敬礼を繰り返したのは、今からおよそ2週間前の出来事。
そうして子供のころから憧れを抱いてきた父が、やはり自分の思っていたとおりの人物であったと知るにつれ、胸の奥にぽっかりと開いた穴を重苦しい風が通り抜けていくのだった。
「……皆さまには格別のご厚情をたまわり、心より感謝申し上げます」
年齢に見合わない格式ばった挨拶なども、父の死がなければ口にすることもなかっただろう。自身に降りかかるなにもかもが非現実的に思えて、久しぶりに戻ってきた県警本部の景色がなんら変わらないことも、それを後押しするに足る要因だった。
「ところで、あの事件……被疑者死亡で書類送検になったのは、当然知ってるわね?」
「はい、存じております」
「捜査は我々本部で引き継ぎ。しばらくは、後始末に追われることになるでしょうね」
それを聞いて、ほんの一瞬、言葉が詰まる。
鑑識係として行う、〝終わってしまった〟事件の後始末……被疑者が存命のままに行うそれよりもずっと煩雑であることを思うと、この事件が一応の解決に至ったことを安易に喜べない気持ちがあるのは確かであった。
その事件の──父の最期の現場を実際に見たのは、ただの一度きり。
以後は葬儀や諸手続きのために奔走し、しばらくの休みを与えられていたため、証拠写真の一枚にも触れることはなかった。
果たしてそれが堀尾を始めとする周囲の気遣いなのかは、知る由もない。
〝父の死〟という重い現実に押し潰されそうだった光洋は、感謝と罪悪感との板挟みで萎縮するばかりだった。
「本職も、皆さまのご厚意に応えられますよう尽力し──」
「いいえ。あなたにはまだ、F署での仕事が残っています」
B県F署。父が長年勤めていた所轄署である。
言葉をさえぎられ、思わず伸ばしていた背筋にひやり、と流れるものを感じる。
……その理由は、父の死に向き合うことへの怖気か、それとも別のものなのかは、自分でも分からなかった。
「お父さまの遺されたものの整理、まだ終わってないでしょう? F署からそれとなく貴方をよこすように、と催促されているのよ」
腕を組んだ堀尾が、ため息混じりにそうこぼす。
おそらくは警部補としてF署に骨をうずめる腹づもりであったはずの父が、どれだけの私物を溜め込んでいるのかは想像もつかない。
心のどこかには、父の歩んできた歴史に触れるのをためらう思いもある。
捜査本部の一員としてF署に滞在していたあいだも、刑事課に足を向けることはあっても、父のデスクだけはどうにも近寄りがたかった。
「あぁ、あとね。F署の跳ねっ返りが退院してきたんですって」
堀尾はあきれたような声色で、苦笑いを浮かべてみせた。
跳ねっ返り。その意味するところをいやでも即座に理解してしまった光洋は、「はぁ……」と間の抜けた返事をしながら、自信に満ちあふれた強気な、それでいてどこか冷たさをも感じる眼差しを思い出していた。
「あなた、あの聞かん坊と仲良しだったでしょう? 大人しくするよう、あなたからも釘を刺してやってちょうだい」
◇
県警本部から、車でおよそ10分。
覆面車に同乗していた堀尾は「私は署長と話してくるから」とF署の入り口で光洋と別れた。
数ヶ月にわたって足を運んでいたF署を数週間ぶりに訪れた光洋は、まわりから向けられる視線になにも感じずにはいられなかった。
憐憫、と言えば良いのだろうか。
中には彼の姿を目にしただけで目もとを押さえる人までいる始末で、毛羽立った毛布にでもチクチクと巻かれているようだった。
F署の廊下は、本部とはまた違った雰囲気がただよっている。築年数の古さで言えばどちらも大差はないはずだ。
しかし、本部が洗練され研ぎ澄まされた空気を持つのに対し、F署は──ことに、刑事部刑事課のあるフロアは、窓から差し込む明かりさえもがザラついて見えるような気がした。埃と煙草が混ざったような匂いも、その一因だろう。
捜査本部の設置中、F署に常駐していたときには、ほとんどの時間を現場鑑識作業服で過ごしていた。着替える暇もなかった、とも言える。
それが今はジャケットにスラックスという私服姿で、事件の余韻が残る署内を歩いている。刑事部所属である以上なんらおかしくはないことなのだが、どうしても〝お客さま感〟を禁じ得なかった。
きっと、そんなことをこぼしでもすれば、父は「気が緩んでる」と光洋を叱責するのだろう。
署員の行き交う灰色の廊下を進み角を曲がれば、すぐそこに〝刑事課〟のプレートが掲げられていた。
開け放されたドアの向こうの執務室では、誰もがせわしなく動き回っている。右からも左からも、捜査員たちの声が通り抜けていく。
光洋は視線だけをその奥へと移し、主のいなくなったデスクを遠巻きに見た。
行かなければ。そう思うのに、革靴の底はフロアタイルにずっしりとおもりを下ろして、意思を阻んでいる。
喉の奥に引っかかった唾を飲み込もうとして失敗した、そのとき。
「待て!」
不意に騒々しさと緊張感に満ちた空気を感じ取り、えっ、と思った視界を影がさえぎった。
「邪魔だ! どけっ!」
「うわっ」
叫び声とともに飛び出してきた大男が、真正面から衝突してきた。ろくに受け身もとれぬまま突き飛ばされた光洋は尻餅をつき、背中を壁に打ちつける。
ぶつかった衝撃でもんどり打って倒れた被疑者と思しき男に、片腕だけ手錠がつけられているのに気づいたと同時に、刑事課の扉から躍り出てくる影。
よく見知った顔にあっと思ったときには、被疑者はその影によってなす術もなく腕をひねり上げられ、みっともなく悲鳴をあげていた。
「離せ! クソが!」
「おいおい暴れんなよ、優しくしてやんねーぞ」
暴言を吐きながら抵抗する被疑者をものともせず、男は涼しい顔で「はい、確保」と改めて手錠を掛ける。そうしてこちらに気づいていたのかいないのか、切れ長の眼差しを向けながら。
「よぉ、巡査長どの。そんなとこでボケっとしてたら邪魔だろ」
そんな軽口を叩けるような状況でもないだろうにと、唖然として返事もできずにいると、執務室からバタバタと音を立てながら捜査員たちがやってきた。
「おい西原! お前まだ火傷治ってないだろうが!」
「あーそういやそうだった。思い出したら痛ぇわ」
上司からの叱責を食らい、男は立ち上がりながら右腕をさすった。まくり上げられたワイシャツの袖からは、包帯がのぞいている。
腰を上げた光洋は、手錠を掛けられた被疑者が捜査員に引っ張られていくのを見守りながら、すぐ真横に立つ男の右腕からは目をそらしていた。なにか言うべきだろうかと逡巡するこちらに、それよりも早く彼は振り向き。
「お前、うちに用があったんじゃねーの? とっとと入って来いよ」
「あ、あぁ……」
光洋の肩を、包帯の巻かれていない左腕がばしん、と叩いた。
無遠慮なそれに、深い意味はないのかもしれない。ただ胸の内では、言葉にしがたいなにかが、痛み以上にじわりと広がっていく。
「西原! 調書のつづき!」
「うーっす」
なにごともなかったかのよう平然とした顔で、彼は光洋に背を向けて行ってしまった。
西原怜士。父の部下であり、父の最期に居合わせた──刑事部刑事課・強行犯係の巡査部長である。
◇
「わたしらの方でも、書類なんかは軽くまとめておいたんだが……プライバシーもあるし、あんまりあれこれ引っくり返すのも係長に悪いと思ってな」
こめかみの辺りを指で掻きながらそう話した吉川課長は、「あ、警視だった」とばつが悪そうな顔をしてみせた。
父のデスクを片付けながら、光洋は「お心遣い痛み入ります」と笑みを返す。自然に笑えていたかは、分からない。
言われたとおり、書類関係は段ボール箱にまとめられ、床に積まれていた。
課長が言った〝プライバシー〟というのは、鍵のかかった引き出しや、フォトフレームのことを指すのだろう。シルバーのフレームの中では、幼い光洋と母・香穂里が花畑を背景に微笑んでいる。
吉川課長に渡された鍵を引き出しの鍵穴に差し込んだ光洋は、すぐにはそれを回すことができなかった。
なにが入っているんだろう。
厳格で、ともすれば亭主関白だとか昔気質とも言われかねない、四角四面な父。
そんな人のプライバシーなど、いくら肉親と言えども本人のいないところで触れるのは憚られる気がして、小さな鍵をことさらにゆっくりと回した。
──ガチャリ。
開いた。
知らず汗ばんでいた指先を、引き出しの取手にかける。
ぎい、と金属がきしんで、つづけざまにガラリと耳障りな音が響く。
あっと思ったと同時に目に飛び込んできたそれが、奥底にしまい込まれていた記憶を呼び覚ました。
「……ずっと、持ってたのか……」
母が作ったドライフラワーのポプリと、幼少期の光洋が書いた手紙。そこにはクレヨンで書かれた「おとうさんおしごとがんばってね」という拙い文字が踊っている。
となりに添えられたポプリはおそらくすでに香りを失っているはずだが、脳裏には確かにあの日の華やかさがよみがえっていた。
けっして表立っては見せることのなかった、〝父親の顔〟。
震えそうになる唇を噛み締め、ブラインド越しの陽光に照らされた手紙に視線を落とす。
周囲を飛び交う騒々しさも忘れ、視界がぼやけ始めたのを感じたとき。突如肩にのし掛かってきた重みによって、光洋の意識は現実に引き戻された。
「なんだこれ、手紙? お前、昔から達筆なのは変わんねえな」
右側を振り向くと、怜士の顔がすぐそこにあった。
一瞬、心臓の深いところでなにかがぎゅう、と苦しげな音を立てる。
だがそれも、画用紙にのたうつ文字を見てせせら笑う男の様子に、ふっとかき消えていった。
ムッとして折り目の通りに手紙をたたみ、右肩を回して怜士を振り払う。
「勝手に見ないでいただけますか。巡査部長どの」
「お前の親父さんは〝超〟がつく達筆だったのになぁ。正しい意味で」
悪びれもせず、怜士は口もとに笑みを残したまま「あー痛い痛い」と包帯で隠れた腕を胸に抱えている。そのさまを見た光洋は、ぐっと奥歯を噛んだ。
口ぶりこそ普段と変わらずひょうひょうとしているが、怜士はかなりの広範囲に火傷を負っていた。近ごろは水ぶくれも落ち着いてきたものの、未だ日常生活には支障をきたしている……らしい。
「そんなに痛い痛いわめいてるんなら、もう少し大人しくしといてくれよ西原」
少し離れたところから、吉川課長がしかめっ面でそう言った。〝曲者〟と称される怜士に、もっとも手を焼いている張本人だろう。
「プライドだかなんだか知らんが、自分勝手な行動で受傷事故なんか起こしても尻ぬぐいなんてしてやらんぞ」
「俺には俺なりの考えがあるんだから放っといてくれ」
上司である吉川にも臆することなく、怜士は〝お小言〟に背を向けて吐き捨てた。
一瞬、その冷涼な眼差しが頬の上をすべっていったような気がしたが、すぐさま背けられた彼の横顔からは真相はうかがえない。背後からは、「頼むからだれかこいつを縛りつけといてくれ!」と吉川の悲痛な叫びが聞こえてくる。
目の前には、ひとまとめにされた父の思い出の品々。
となりには、父の死に立ち会った男。
逃れようのない現実がたしかにそこにあることに、光洋は小さく息をついた。
お読み頂きありがとうございました!
毎話5,000字前後で長いです。
どうかお時間のある時にでも読んで頂けると嬉しいです。




