第2話「最低の初試合」
翌朝。
午前五時四十分。
目覚まし時計が鳴る前に翔太は目を覚ました。
窓の外はまだ薄暗い。
眠い。
正直かなり眠い。
だが起きる。
昨日の約束があったからだ。
ベッドから飛び起き、急いで着替える。
母親が驚いた顔でリビングから顔を出した。
「どうしたの? 熱でもある?」
「なんでだよ」
「翔太が自分から早起きするなんて珍しいから」
ひどい言われようだった。
だが否定できない。
普段の自分なら休日にこんな時間に起きることはまずない。
朝食を急いで食べ、自転車で学校へ向かった。
グラウンドに着くと、すでに人影があった。
山田蓮だった。
ボールを蹴りながら待っている。
「お、来たな」
「早いな」
「五時半からいた」
「何でだよ」
「楽しみだったから」
そう言って笑う。
本当に変なやつだ。
でも。
その笑顔を見ていると不思議と元気になる。
「まずはトラップな」
蓮がボールを投げる。
翔太が受ける。
弾く。
転がる。
失敗。
「もう一回」
投げる。
受ける。
失敗。
また失敗。
また失敗。
何度やっても上手くいかない。
だが蓮は怒らなかった。
呆れもしない。
そのたびに言う。
「今のは足が固い」
「今度は目線」
「焦りすぎ」
「もっと力抜け」
一つ一つ丁寧だった。
一時間後。
翔太は汗だくだった。
足も重い。
息も上がる。
それでも少しだけ変化を感じていた。
昨日より。
ほんの少しだけ。
ボールが言うことを聞く。
そんな気がした。
「よし」
蓮が頷く。
「昨日よりマシ」
「その言い方ひどくない?」
「事実だからな」
二人で笑った。
それから毎朝の練習が始まった。
学校がある日も。
休みの日も。
朝六時。
グラウンド集合。
最初は辛かった。
眠いし。
疲れるし。
友達はまだ寝ている時間だ。
だが不思議なことに続いた。
サッカーが好きだったから。
そして。
蓮といるのが楽しかったから。
数週間後。
一年生だけの練習試合が組まれた。
相手は隣町の中学。
前回の失敗が頭をよぎる。
試合前。
翔太の手は汗で濡れていた。
心臓もうるさい。
また失敗したらどうしよう。
またみんなに迷惑をかけたらどうしよう。
不安ばかり浮かぶ。
「神谷」
蓮が声をかける。
「大丈夫か」
「いや全然」
正直だった。
蓮は笑う。
「まあそうだろうな」
「笑うなよ」
「でも前より上手くなってる」
翔太は黙った。
そんな実感はない。
だが。
蓮は続ける。
「少なくとも最初の日よりは全然な」
その言葉だけで少し気持ちが軽くなった。
試合開始。
前半。
翔太はベンチだった。
外から試合を見る。
みんな上手い。
同じ一年生とは思えない。
ボールを受ける。
判断する。
動く。
そのスピードについていけない。
本当に自分は試合に出ていいのだろうか。
そんなことを考えてしまう。
前半終了間際。
蓮が見事なドリブル突破からゴールを決めた。
歓声が上がる。
チームメイトが集まる。
蓮は笑っていた。
眩しかった。
同級生なのに。
別世界の選手みたいだった。
ハーフタイム。
顧問が言う。
「後半、神谷入れ」
胸が跳ねた。
まただ。
出番が来た。
後半開始。
翔太はピッチに立つ。
前回よりも少しだけ落ち着いていた。
朝練をやった。
努力した。
だから大丈夫。
そう自分に言い聞かせる。
しかし。
現実は甘くなかった。
開始十分。
味方からパスが来る。
トラップ。
成功。
そこまでは良かった。
だが次の瞬間。
相手が寄せてくる。
焦る。
慌てる。
適当に蹴る。
ボールは誰もいない場所へ飛んでいった。
観客席からため息が聞こえる。
顔が熱くなる。
その後もミスは続いた。
パスミス。
判断ミス。
ポジションミス。
自分だけが置いていかれる。
そんな感覚だった。
そして試合終了直前。
最悪の場面が訪れる。
同点。
残り一分。
味方がボールを奪う。
カウンター。
前線には翔太。
パスが出る。
完璧だった。
相手キーパーと一対一。
決めれば勝ち。
誰もがそう思った。
「打て!」
ベンチから声が飛ぶ。
翔太も打つつもりだった。
だが。
足が震えた。
緊張。
プレッシャー。
恐怖。
全部が一気に襲ってくる。
そして。
シュートは大きくゴールの上へ飛んでいった。
静寂。
数秒後。
試合終了の笛。
引き分けだった。
翔太はその場に立ち尽くした。
決められた。
絶対に決めなければいけない場面だった。
それなのに。
外した。
試合後。
チームメイトは誰も責めなかった。
「ドンマイ」
「次だ次」
そう言ってくれた。
でも。
それが逆に苦しかった。
夕方。
誰もいなくなったグラウンド。
翔太はゴール前に立っていた。
同じ場所。
同じ角度。
何度もシュートを打つ。
一本。
二本。
三本。
決まる。
でも。
試合の時とは違う。
こんなの意味がない。
そう思ってしまう。
「帰らないのか」
振り向く。
蓮だった。
翔太は俯いた。
「俺さ」
声が震える。
「向いてないのかな」
初めて口にした弱音だった。
蓮はしばらく黙っていた。
そして。
ゆっくり言った。
「じゃあ聞くけど」
「?」
「今日外したから辞めるのか?」
翔太は首を振る。
「辞めない」
「じゃあ明日も来るか」
「行く」
「朝練は?」
「やる」
蓮は笑った。
そして言った。
「だったらまだ終わってないだろ」
夕日が沈む。
オレンジ色の空が広がる。
翔太はゴールを見つめた。
遠い。
とても遠い。
でも。
少しだけ近づいた気もする。
そんな気がした。




