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浮世から、ふわっふわ

まったく。梅ソーダじゃ釣り合わない。

そう重々しく溜息を吐いたタイミングで、店主らしい老人がパンケーキの皿を持ってきた。


「えぇ。まったく。わしがここでやっていけるのも、ユウヒ様のおかげですわい」


10年前に仕事として洛鹿里からの移住者を監視していたという先程の話が聞こえていたらしい。それもそうか。この店内に客はトウカとエンジュしかおらず、静まり返っているのだから声もよく通ってしまう。

気分を害したふうもなく、店主の老爺はほけほけと笑う。ユウヒというのは熊神の名だ。


「ユウヒ様がわしを受け入れてくださったからこそ……わしはここで暮らしていけるのじゃよ」


感慨深く老爺は頷いた。10年ほど前、隣町の洛鹿里から移住してきた時、熊神は拒否することなく存在を受け入れてくれた。この土地で生き、血を繋いで根ざしていいという許可を与えてくれたのだ。なんと深い懐か。

洛鹿里にも熊神のような『おおきなもの』はいる。町の名の通り、大きな鹿だ。そしてそこで生まれ育った老爺は大鹿の加護を受けていた。大鹿の視点で言うなら『これはわたしの身内』ということだ。

そんなものが大熊杜に移住してきたのだ。大鹿の手先が縄張りを侵しに来たと解釈されてもおかしくない。よそ者への排斥は当然。

しかし熊神はそうしなかった。最初警戒こそしたものの、最終的にはその存在をよしとした。そして、他の者たち同様に大熊守の一員として加護を与えてくれた。

ただ居住を許可するだけではない。老爺を『自分の身内』として庇護してくれたのだ。その懐の深さたるや。


「10年も変わらずこの店をやっていけてますしのぉ」


熊神が与えてくれた加護のおかげだ。熊神の加護により、大熊守たちは丈夫な体と長寿を得る。只人ならば100年程度しかない寿命を引き伸ばし、120年以上は生きられる。怪我をしてもすぐに治り、病とは無縁だ。

守り人ならばその加護はいっそう強い。守り人が半不老不死なのはそのおかげである。


だからこそ、老いぼれの身でありながらも10年変わらず経営できている。

加護のない只人であればとっくに寿命を迎えているし、店も閉店していただろう。こうして梅ソーダとパンケーキを味わえるのもユウヒ様のおかげだ、と店主の老爺は締めくくった。


「さて……話に割り込んですみませんですじゃ。どうぞ、ごゆっくり」


厨房に引っ込んでいるので気兼ねなくゆっくり話すといい。そう微笑む店主の目は初々しいカップルを眺めるもの。

それに気がついたトウカが何かを言おうとする前に、店主はささっと厨房へと入っていってしまった。しゃっきりした足取りもまた加護がもたらす健康のおかげだ。


「くぅ……」


ぐぬぬとトウカが拳を握る。よぼよぼ歩いてくれたら捕まえて抗議できたものを。この時ばかりは熊神の加護がもたらす健康を恨んだ。

はぁ。どうこう言っても仕方ない。実態はともかく表向きはそういう設定なのだし、むしろ違和感なくそう見られたことを喜ぶべきだ。婚約者という表向きの設定は通用すると確かめられたと。


気を取り直してパンケーキに向かい合う。それは自分も食べられるものなのかとテーブルの下からエンの期待の眼差しが向けられてきた。


「どうぞ。見た目は犬ですが犬ではないので、何でも食べられますよ」


与えていいのか問われる前にエンジュが答えた。自分もよく口に合わなかった食べ物を代わりに食べてもらっている、と。

そんな食べ残し処理担当みたいな。内心で突っ込みを入れつつ、それならば、とパンケーキを一口切ってテーブルの下へ。ぺしぺしと音がするのは、ちぎれんばかりに振っている尻尾がエンジュの足を叩いている音だろう。

わぅわぅ、と鳴いてパンケーキを頬張ったエンは嬉しそうに一声鳴いた。美味しい、とまるで厨房にいる店主にも届くような大声で。

可愛いなぁと思いつつ、トウカもパンケーキを口に運ぶ。その様子を、じっとエンジュが見つめていた。


「……何?」

「いえ。少し疑問があって。……近頃のホットケーキは随分分厚いのですね」

「え?」


いやこれホットケーキじゃなくてパンケーキ。率直な感想が口をついた。

まさかこの男、ホットケーキとパンケーキの区別がつかないのか。浮世離れにもほどがある。

思わずトウカがそう言えば、エンジュの眉間が寄った。


「守り人になってから世俗からは離れていましたから。すみませんね、物知らずで」


最後の一言は皮肉げに。まずい。怒らせたかもしれない。ごめんお父さんお母さん、私ここで死ぬかも。

あれだけ死ぬ殺されると想像を膨らませていたのに、こんなところで踏むなんて。想像が現実になってしまうかもしれない。

思わずカトラリーケースのフォークの位置を確認した。次の瞬間、あれが飛んでくるに違いない。


青ざめるトウカの予想を裏切り、しかしエンジュは憮然と腕を組むだけだった。

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