いつもの日常に戻ってきて
学生だからということに配慮して学校には行かせてもらえるらしい。
よかった。これで四六時中ずっと殺人犯と一緒だったらもう絶望しかなかった。学校にいる間はあの大量殺人犯のことを考えずに済むのだ。
「はぁ……」
自分は昨日あんな非日常に襲われたというのに学校は日常そのもの。いつもと変わらない呑気な光景に思わずトウカは溜息を吐いた。
極端に広くも狭くもない教室では他愛もない雑談が行き交っている。やれ洛鹿里の梅ソーダの味だとか、やれ10人以上殺した大量殺人犯が捕まった話だとか。
その大量殺人犯と同居してますとは言えず、聞こえてくる噂話に聞き耳を立てる。エンジュという名前などは伏せられてはいるものの、大量殺人については報道されているらしい。
確かに、普段聞き流しているニュースにそんな内容があった気がする。大量殺人など、そんな物騒な世界とは縁がないだろうと思っていたから記憶のはるか彼方だったが。
意外と知られてるんだなぁと思いつつ、頬杖をついていた手を組みかえる。
「ねぇねぇトウカ、昨日どうしたの? 先生に呼ばれたきり戻って来なかったけど……」
「寮にも帰ってこなかったって? いったいどうしたの?」
気だるげにしていたら、ちょうど登校してきた友人たちが話しかけてきた。トウカの失恋を慰める会と称して梅ソーダを飲みに行くつもりだったのに、との友人の言葉に思わず頬を掻く。
「あはは……えーと……」
杜守庁の職員に囲まれて大量殺人犯の監視を指示されました、などとは言えず。
そういうことを聞かれたらこう返せと打ち合わせたことを反芻する。えーと確か。
「し、親戚の従兄弟がね、仕事の都合で一緒に住もうって」
「へぇ~。急だね」
「うん。私もよくわからないけど……その人ね、守り人なの。だから私の勉強にも役立つだろうって」
家の都合で婚約予定の男と一緒に住むことになりました、というのがエンジュとの口裏合わせの内容だが、乙女心が抵抗して微妙に内容を変えてしまった。急に降ってわいた婚約予定の男よりは親戚の従兄弟のほうがまだ言い訳として通りやすいだろうと判断して。
トウカの予想通り、友人たちはそれで納得したようだった。守り人だというのが功を奏したらしい。守り人ならば一般人には言えない機密事項のひとつやふたつはあるし、話の矛盾や説明しがたいところはそのせいにすれば強引に誤魔化せる。
「ま、変な事件に巻き込まれてないならいいけど」
「あはは……」
変な事件の真っ最中ですとは言えず。曖昧に笑う。
ちょうどそのタイミングで始業のベルが鳴る。授業の時間だ。皆それぞれ席に戻っていく。トウカもまた教科書とノートを取り出して机に並べた。
一時間目は歴史の授業。この大熊杜の成り立ちから現在までを習うというのが授業の内容だ。基礎教育で習う範囲よりは詳しいことをやるので、基礎教育の復習のような昨日の授業よりは断然眠くならない。
「我らの始まりは3000年前……」
正確には3631年前。野生動物もいない、木も草も生えていない荒れ果てた山があった。そこに現れたのが1匹の大熊だ。通常の熊よりもはるかに大きく、巨大という言葉ですら小さく思えるほどの体躯を持つ熊だった。
どこかから放浪してきたらしい大熊はこの命の気配のない荒れ山を自らの巣と定め、そこに住み始めた。大熊には霊力だとか魔力だとか、そういった不可思議な力を持っており、大熊はそれを荒れ山の土に吹き込んで大地を再生した。命の気配のない荒れ果てた山はあっという間に新緑に満ち、そして、外界から切り離された神域と化した。本来ならば荒れて枯れるのが自然の摂理であった地に力でもって干渉したせいで、自然の摂理から切断されてしまった。逆に言えば、神域にしたことで緑が復活したといえる。
そうして息を吹き返した大地を自らの縄張りとし、大熊はそこで生活し始めた。蘇らせた草木を土台とした生態系を作り、自らはその頂点捕食者として。
それが大熊杜というこの土地の始まり。そして、大熊杜に人間たちが現れ始める。追放された貴族や戦で焼け出された平民、行き場のない浮浪者、その他諸々。そういった人々が新天地を求めて集まりだした。
大熊は彼らを迎え入れ、大熊杜に住まわせた。人々は自分たちを受け入れてくれた大熊に感謝し、この大熊を熊神と崇め、守ることを使命とした。大熊は熊であるがゆえに冬眠が必要だったので、その眠りと目覚めを守るとして。それが大熊守という名前の由来だ。
大熊杜に住む大熊守たち。大人から子供に至るまで、全員が熊神を守る使命を負っていた。
やがて人々の生活の規模が拡大し、社会的な営みが発展するにつれ、役割は細分化していく。食料を作る者、それを加工する者、衣服を作る者、建物を建てる者、始めは衣食住の役割分担から。そこから集団の秩序を調停する指導者が現れ、それを補佐する役割の人間が生まれる。大熊杜の人間全員が全員、熊神を守ることだけに専念できなくなっていく。
だから熊神を守ることを専門とする役割として守り人が生まれた。熊神の眠りを見守り、目覚めを見送る近侍ともいえる。彼らはその役割ゆえ、熊神から特別に異能の力をもらっている。よって、熊神の眷属とも言われる。
そして、その守り人になるべく、こうして自分たちは候補生として日々勉強に励んでいるのだ。
「はぁふ……」
眠い。つらつらと話だけ聞くのはどうしても眠くなってくる。あくびを噛み殺しながら、トウカは眠気覚ましに手を動かそうと板書を始めた。




