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その晩、一方

一方。56分の31を消したところでエンジュはそっと息をついた。


リストに連なる名前に線を引いて31本目。紙の上ではこんなに楽なのに現実は意外としぶとい。又木は守り人のように特殊な力もない只人だが、だからといってただの人間ひとり殺すのだってそれなりに労力が要る。それが31回だ。多少疲れはする。


穢らわしい又木どもめ。辟易して溜息を吐く。この目で視る又木どものなんと疎ましいこと。ここまで大規模な掃討作戦の中で身を隠しているのだ、奴らも相当こじれている。ここで捕まるわけにはいかないと、それだけ又木思想に傾倒している。だからこそこの目には汚物に映る。

想像してほしい、と切り出して他人にもこの苦しみを共有させたいが、この目に映るものを例える的確な言葉がないせいで他人に想像すらさせられない。


困りましたね、と横に付き従うエンに呼びかけた。トウカのもとに置いてある個体とはまた別の使い魔だ。わかりやすく言えばエン2号。

呼びかけられたエンは低く唸り、噛んでいた途中の肉を引きちぎった。頭だったものと胴だったものが分離する。びちゃびちゃと音がした。

これがこの使い魔の本領。エンはただの愛嬌のある犬ではない。こちらこそ本性だ。愛嬌があるのもトウカの前だけ。

というか、逆だ。殺伐とした獰猛な獣がただの愛嬌のある馬鹿犬に成り下がるほど、トウカという魂はそれほど魅力的で上等なのだ。それこそ、想像してほしいと切り出して誰かに共有しようとしても、的確な言葉がないせいで他人に想像させられないほど。


血一滴で気が狂うほどに美味い。そんな天国を想えども、目の前に広がるのは言葉にしがたい汚物ばかり。56分の32から44を見下ろして溜息を吐いた。早く帰りたい。さっさと終わらせよう。幸いにもこいつらは生かして捕縛ではなくその場で即刻処刑の命令が下っている。


「2班、配置につきました」


早く始めましょうよと作戦開始の合図を待つ。その足元に点滅する何かがぶつかった。小さく点滅するランプがついた手のひらほどの箱。ランプの点滅は次第に早くなり、やがて常時点灯と変わらないほどになる。ランプの横の数字がカウントダウンを刻む。


ぴ、ぴ、ぴ、ぴぴぴぴぴぴぴぴ。


3、2、1、0。


***


不意に、エンが顔を上げた。


「どうしたの?」


ついさっきまで寝返りを繰り返していたトウカもつられて体を起こした。

しばらく落ち着かなさげにしていたエンはトウカの視線に気付き、元通りにベッド脇に伏せる。落ち着きを取り戻したというよりは、平静を保つよう装っているかのように見えた。


「まさか……エンジュに何かあったの?」


離れた場所にいる主人の異常を感じ取るペットという話は世の中にありふれているし。まさかその類のことが起きたのだろうか。

まさかと思ってトウカが聞くも、エンはもうすでに答える気はないようだった。まぁお気にせず、早く寝てくださいよと言いたげな視線が向けられる。

それで、はいそうですかと眠れるわけもない。気のせいだとか思い過ごしだとかで片付けられるほど、トウカの神経は図太くない。


「ちょっと、ねぇ、そんなんで納得できるわけ……」


寝られるわけがない。一度起き上がってしまった不安はもう簡単なことでは消せない。ちょっと、エンジュは無事なんでしょうね、とエンを問い詰めたくなる。

術者に何かあったら使役されるものも影響を受けるのが定番だ。だとするならエンジュに何かあればここにいるエンにも何か起きるはず。ここにいるエンに何も異常がないならエンジュにも異常はないのだろうか。

こんなことならもう少し守り人と使い魔の関係についてエンジュに聞いておくべきだった。どうせ守り人になる気はないからと掘り下げないでいたせいで仇になった。

どうなんだ、えぇい、寝たふりをするな。ほら私は寝ますから貴女も寝てくださいよとばかりの態度はなんだ。そんなもので寝られるわけがない。


「ねぇ、エンったら。ちょっと、ねぇってば……本当に大丈夫なんでしょうね?」


エンジュに何かあったら。そう言いかけて、自分がひどく涙声になっていることに気がついた。


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