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敵の影に威嚇をして

そんな顛末から数日。いつものように居間で学校の課題をこなし、エンジュに『間違い方』を直してもらっている最中のこと。


「……ん?」


鞄から取り出したノートから、ひらりと一枚の紙が落ちた。ぺらりとした紙は床に落ち、エンがふんふんと鼻を鳴らしてそれを嗅ぐ。

なんだろう。まったく心当たりがないトウカが首を傾げている間に、エンジュがひょいとそれを拾い上げる。派手な色の文字で、自己啓発セミナーの開催と銘打ってあった。


「貴女、こんなことに興味が?」

「まさか」


いつの間にか誰かが机に入れていたらしい。まったく、チラシのポスティングじゃないんだから。

まじまじとチラシを眺めるエンジュの横顔はどこか真剣だ。世間離れしたエンジュのことだ、自己啓発セミナーなんてものが物珍しいのだろう。

特に気にせず、欲しいならどうぞ、と一言言っておく。どうせ捨てるものだし、エンジュの好奇心が満たされるなら好きなように。

そんなことより課題の続きだ。今日は教師の虫の居所が悪かったせいで、やたら課題を出されてしまった。提出は3日後だが、早く終わらせるに越したことはない。チラシを眺めているエンジュを放っておいて、トウカはノートを開いた。えーと、教科書の35ページから59ページまで。全部。


「大変そうですね」


その様子をエンジュが見つめてくる。チラシはというと、エンが咥えてどこかに持っていってしまった。おそらく捨てに行ったのだろう。居間のゴミ箱ではなく、台所の大きな家庭用ゴミ袋のほうへ。熊神から遣わされた使い魔をそんな雑用に使っていいのだろうか。自分で捨てに行け。

今度、ずぼらさを指摘された時に言い返してやろうか。エンジュだってエンに任せたことあるじゃん、と。そんなことを考えつつ、適当に課題をこなしていく。かりかりとペンを走らせながら、ふと思い出したことを呟く。


「自己啓発セミナーねぇ……」

「何か?」

「あぁいや、ユキシロが毎週行っていたな、って」


毎週決まって、週末に自己啓発セミナーに行っていた。おかげでお泊りデートもままならない。トウカもセミナーに来るかと誘われたことがあるが、そうではない。

それで喧嘩になったこともしばしば。彼女とセミナーとどっちが大事なんだと責めれば謝ってくれるものの、結局週末にセミナーに出かけてしまう。謝った時は週末にお泊りデートをしようと言い出してくるのに、いざ日程を決めようと予定を訊ねれば、その日はセミナーが、と断られる。


ユキシロのそこだけが不満だった。あとは自慢とまではいかないものの、それなりに良い彼氏だと思っていたのだが。

はぁ。ユキシロのことを思い出したらつられて色々な不満も思い出してしまった。あの野郎、なんでいきなり急に別れようなんて言うんだ。

きっと今だってセミナーに行っているのだろうなと思うと殴りたくなってくる。こっちは人生めちゃくちゃだっていうのに。


「……恋人、ですか……いえ。『元』ですね」


エンジュが一段と低い声で呟いた。『元』を強調しつつ。

男の嫉妬はみっともないですよぅ、とエンが尻尾で床を叩いた。みっともなくて結構、と返すように憮然とした手が黒い毛をもみくちゃにする。

あっ、あっ、そんな、正論言われたからって。ひーん助けて。エンがぴすぴす鼻を鳴らし、助けを求めるようにトウカを見る。


「何やってんの」


エンが可哀想だ。飼い主の手から救助してやると、エンはぱっと離れてトウカの背後に回った。


「好いた女の元恋人の話など聞いて快いわけがないでしょう」


ぶすっと不機嫌そうにエンジュが返す。

別れの経緯に不審な点があるとはいえ、つい先日まで円満に付き合っていた男など。敵も敵だ。敵のことは知っておくべきだから話は聞くが、気分は良くない。おのれ。

守り人の権力諸々を用いてトウカを自分のものにしたが、それでもやっぱり独占欲は疼く。『これ(トウカ)』は私のものだと威嚇してやまない。


「はぁ……?」


大真面目に言い切るエンジュに思わず胡乱な声が出る。半不老不死の守り人がそんな俗っぽい嫉妬なんて。


「しますよ。……立場で貴女を縛りはしましたが、心までは縛っていませんから」


強引に自分のものにすれど、その心まではものにしていない。トウカから愛を向けられているわけではない。むしろ、豊かな妄想力により怯えられてのスタートだ。近頃は誤解も解けて打ち解けはしたものの、それでも恋愛や男女の仲には程遠い。

つまり、想いあって恋人になったユキシロが羨ましくて仕方ない、と。自分だってお泊りデートしてみたい。それを無下にするなんてあの男は馬鹿なのか。馬鹿に違いない。


やーいやーい、ヤキモチ男。トウカの背後からエンが煽ってきたので、首根っこを押さえて引きずり出してもみくちゃにしてやった。

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