お姉さんの機械化度
その一 雨の日に拾われた話
僕の名前は、ジーミー。
よろずやの、いちばん下っ端で、いちばん年下で、たぶん、いちばん普通の人間だ。
僕は、捨て子だった。
六歳のとき、僕は雨の中にいた。
どこにいたのかは、もう覚えていない。
ただ、冷たかったことと、腹が減っていたことと。
誰も、迎えに来なかったこと。
それだけは、はっきり覚えている。
そこへ、姉さんが来た。
傘も持たずに、びしょ濡れの上着で、僕の前にしゃがみ込んで、顔をのぞき込んだ。
「おや、君。迷子かい? それとも、捨てられたかい?」
僕は、答えられなかった。
「ふうん。どっちでもいいや。――腹は、減ってる?」
うなずいた。
声が出なかったから、うなずくしかなかった。
「よし。じゃあ、うちにおいで。飯は出るよ。雑用は、あるけどね」
それが、僕が家族を持った、最初の瞬間だった。
それから、九年。
今、僕は十五歳。
家事をして、店番をして、姉さんの工作の手伝いをして、たまに、姉さんが持ち帰ってくる変な廃材を運んで。
そばを茹でて、卵を落として、姉さんに「そばは上手いねえ」と言われて。
それだけで、一日が終わる。
そんな毎日だ。
感謝している。
本当に。
拾われなければ、僕は、あの雨の中で終わっていた。
だから、姉さんのためなら、何だってする。
……はずだった。
これは、僕が、その「はずだった」を、ほんの少しだけ、揺らした日の話だ。
その二 機械化度って、なんだろう
うちの町には、年に一度、機械化度を測る検診がある。
市の保健所がやっているやつで、体のどこが機械で、どこが生身かを調べて、「機械化度」って数字を出す。
全身が生身なら、ゼロ。
全身が機械なら、百。
生身と機械が半分ずつなら、だいたい五十。
そういう数字になる。
生身と機械が混ざっている人を、町ではハイブリッドって呼ぶ。
姉さんも、周りには、ハイブリッドだと言っている。
でも、姉さんは、その検診に一度も行ったことがない。
「なんで行かないの?」
「だって、あの検診、行列するんだよ。趣味人に行列は無理さ」
「……趣味人、関係ある?」
「あるね。えらい混むんだよ、あそこ。それにほら、私みたいな美人が受けると、保健所がざわつく」
「ざわつかないよ」
「ざわつくのさ」
そんな言い訳を、もう九年、聞いている。
嘘が下手すぎる。
言い訳のレベルだ。
姉さんは、嘘をつくとき、すごく饒舌になる。
僕は、ずっと、気になっていた。
姉さんは、片手で、人の背丈ほどもあるアームを持ち上げる。
素手で、コンクリートの壁を、何もないかのように砕く。
バイクで、警官隊が見過ごすような細い路地を、地図も見ずに、すり抜けていく。
それでいて、いびきをかいて寝て、そばを二杯おかわりして、「おかわり」と言うときだけ、なぜか上目遣いになる。
姉さんの「ハイブリッド」は、僕の知っているハイブリッドとは、ぜんぜん違う。
で、ある日。
廃材屋の兄さんが、こんなものを置いていった。
「これ、要らなくなったから、置いてくね」
携帯型・機械化度計。
医療用の中古だという。
手のひらに乗るくらいの、黒いスキャナ。
手首に当てて、ボタンを押すと、機械化度が出る。
保健所にある大きなやつの、簡易版だそうだ。
僕は、それを、こっそり僕のベッドの下に隠した。
その三 偵察
まず、僕は、三日かけて作戦を立てた。
調べる順番だ。
いきなり姉さんを測るのは、危ない。
もし計器が壊れていて、変な数字が出ても、それが計器のせいなのか、姉さんのせいなのか、分からなくなる。
だから、先に、計器が正しいことを確かめる。
僕は、廃材屋の兄さんに頼み込んだ。
「兄さん、その機械化度計、試させてくれない?」
「お? いいよ。なんでまた」
「……なんでもないけど」
「ふうん。まあ、使って」
兄さんは、左腕が機械だ。
見れば、分かる。
鉄の関節で、動くたびに、カチ、と鳴る。
「じゃあ、測るね」
手首に当てて、ボタン。
ピッ。
機械化度 27%
兄さんは、うなずいた。
「だいたい、そんなもんだろ。三十七年、この腕で生きてるからな」
……計器は、正しい。
僕は、その数字を、頭に叩き込んだ。
その四 計測
タイミングを待った。
姉さんの工作の日は、朝まで起きている。
だから、朝、工作が終わって、コクピットの調整をして、そばを食って、寝る。
寝たら、昼過ぎまで起きない。
その日は、ちょうど、そんな日だった。
姉さんは、機体の点検を終えて、シャワーを浴びて、寝巻き姿でソファに倒れるように寝ていた。
「……姉さん」
呼んでみる。
返事はない。
「姉さん、起きてる?」
いびきを、かいている。
……姉さんは、いびきをかく。
これ、けっこう大事な情報だ。
それだけは、
絶対に、機械じゃない。
そもそも、機械は飯を食うのか、という根本的な話があるけど。
もう一度、呼ぶ。
動かない。
髪が、少し顔にかかっている。
僕は、少しだけ、それを見ていた。
僕は、ベッドの下から計器を出した。
まず、自分で試す。
手首に当てて、ボタン。
ピッ。
機械化度 0%
そりゃそうだ。
僕は、どこからどう見ても、生身の人間だ。
雨の中に捨てられて、拾われて、ここでご飯を食べて、大きくなった、普通の十五歳だ。
次に、姉さんだ。
僕は、寝ている姉さんの手首に、そっとスキャナを当てた。
冷たい金属が、肌に触れる。
手首は、細い。
血管が、透けて見える。
……綺麗な肌だな、なんて思ってしまって、僕はちょっと馬鹿だ。
ボタンを押す。
ピッ。
数字が、出る。
機械化度 38%
……あ。
三十八。
ハイブリッドの、三十八。
姉さんの言っていたとおりだ。
生身と機械が、混ざっている。
手か、腕か、目のあたりが、機械なんだろう。
僕は、なんだか、ほっとした。
安心した。
姉さんは、やっぱり姉さんだった。
周りに言っていることは、本当だった。
僕は、余計なことを心配しすぎていたんだ。
その安心が消えるまで、二秒かかった。
数字が、動いていた。
38 → 41 → 57
→ 69 → 80
→ 91 → 97
→ 99
→ 100
……?
画面の数字が、止まらない。
表示の上限には、一〇〇としか書いていない。
全身が機械なら、一〇〇。
それ以上は、ない。
定義上、ない。
この世界に、存在しない。
なのに、数字は、まだ動いている。
100 → 100 → 100
繰り返す。
同じ数を、何度も。
何かを数えきれなくなったかのように。
数え直して、また数え直して、それでも足りないかのように。
そして、画面が赤くなった。
ピピピピピッ。
――― 計測値過大 ―――
測定不能/再測定を要する
…………
計測値、過大。
僕は、その五文字を何度も読んだ。
読んでも、意味が変わらなかった。
計測値過大。
測るための尺度に、収まらないという意味だ。
計器が、自分の測れる範囲を超えた、という意味だ。
機械化度は、ゼロから百までの値だ。
百を超える機械化度なんて、存在しない。
切り捨てることもできないし、足すこともできない。
そんな数字は、ない。
……あるいは、逆か。
百に収まらない何かが、姉さんの中にある、ということか。
僕の背中を、汗が伝った。
冷たい汗だ。
冬の朝みたいに、冷たい。
手が、震える。
スキャナが、姉さんの手首から、ずれそうになる。
ずれたら、姉さんが起きる。
起きたら、この赤い画面を見られる。
僕は、ぎゅっと握った。
その五 あり得ない
頭の中で、僕は必死に可能性を数え上げた。
一。
計器が壊れている。
あり得る。
中古だ。
廃材屋の兄さんが「要らないから」と置いていくような代物だ。
おかしくて、当然だ。
……でも。
おかしいのは、姉さんを測ったときだけだ。
兄さんを測ったときは、二十七って、ちゃんと出た。
自分を測ったときは、ゼロって出た。
……壊れているなら、なんで、姉さんだけ?
二。
姉さんが、機械化度九十五以上の全身機械化兵だから。
あり得る。
そういう人間は、いる。
戦場にしかいないけど、いる。
……そして、機械化度、九十五。
それが、人の切れ目だ。
九十五を超えた人間は、もう人間じゃない。
法の上でも、人権も、名前も消える。
脳だって、ほとんど残らない。
そんな体が、そばを二杯食うわけがない。
……いや、食うか。
姉さんだし。
……でも、九十五以上でも、百以下だ。
百を超えない。
それに、全身機械化兵っていうのは、体のほとんどを機械に置き換えて、脳と脊髄だけを残したようなものだ。
だいたい、全身機械化兵でも八十程度だ。
そんな人間が、いびきをかいて、そばを二杯食って、おかわりで上目遣いをするか?
……いや。
姉さんなら、やりかねないけど。
三。
姉さんが、アンドロイドだから。
あり得る。
アンドロイドは、生身を持たない。
だから、「混ざり具合」を測る機械化度の尺度では、そもそも測れない。
測ろうとすれば、計器は変なことを言うかもしれない。
……でも。
アンドロイドっていうのは、工場で作るものだ。
感情はプログラムされたもので、不自然さが残る。
姉さんは、自然だ。
……少し、オーバーすぎる気はするけど。
姉さんは、僕を拾った。
雨の中で、傘も持たずに走ってきて、しゃがんで、僕の顔をのぞき込んだ。
「腹は減ってる?」
って、聞いた。
あれが、製造番号に沿った動作なら。
……僕は、なんなんだ。
四。
僕の知らない、何か。
……………………。
僕は、そこで考えるのをやめた。
だって、その先には、常識が立ちはだかっていたから。
機械化度、百を超える存在。
人間でもない。
機械化兵でもない。
アンドロイドでもない。
そのどれでもない、何か。
そんなものは、この世界に、ない。
教科書にも。
検診のしおりにも。
姉さんが読み散らかしている技術教本にも。
そんなものは、一行も載っていない。
姉さんが、ときどき、こう言うんだ。
「機械化度ってのはね、ジーミー。生身の人間が、機械に近づいていくための尺度さ。基準は、いつだって、人間なんだよ」
その言葉を、僕はずっと、いい言葉だと思っていた。
今、思う。
……あれは、説明じゃなかった。
あれは、境界線の話だった。
人間の側から、機械の側を眺めるための。
姉さんは、その、どちらでもない場所に立っている。
載っていないものが、今、僕の目の前で、いびきをかいて寝ている。
僕は、しばらく動けなかった。
……あの雨の日、姉さんは傘を持っていなかった。
今、思えば、あの日、姉さんは、雨に濡れても平気そうだった。
服は、びしょ濡れで。
髪から、水が滴っていて。
それなのに、走ってくる足が速くて。
寒くて震えているはずなのに、僕を抱き上げた腕が、
あたたかかった。
あれが、九年前。
姉さんは、あれから、少しも変わっていない。
髪の長さも。
目の色も。
僕をのぞき込むときの、あの、ふざけた笑い方も。
その六 おはよう、姉さん
「……ん」
ソファの上で、姉さんが、もぞりと動いた。
「……ジーミー? なにしてんの、そんなところで」
僕は、とっさにスキャナを背中に隠した。
「な、なんでもない。そば、茹でようと思って」
「お、いいねえ。じゃあ、卵、落として」
「……姉さん」
「ん?」
「……なんでもない」
姉さんは、目をこすりながら起き上がって、大きく伸びをした。
背骨が、ポキ、と鳴った。
その音を聞いて、僕は、なんだかほっとした。
機械は、背骨を鳴らさない。
……いや。
姉さんなら、鳴らすくらい、やりかねないか。
僕は、そばを茹でた。
卵を落とした。
姉さんは、うまそうに食って、
「ジーミーは、そばが上手いねえ」
と言った。
誇らしかった。
それだけは、昔から変わらない。
夜。
僕は、スキャナを箱に戻して、ベッドの下の、いちばん奥にしまった。
測らなければ、よかった。
何も、知らなければ、よかった。
でも、僕は、知ってしまった。
姉さんが、僕の知っている「何か」じゃないってことを。
その夜、僕は寝る前に天井を見て、考えた。
姉さんの正体を、訊くべきか。
訊いたら、姉さんは、たぶん笑って、はぐらかすだろう。
「レディの秘密さ」
って。
それで、終わりだ。
僕は、それ以上訊けない。
訊けば、あの、ふざけた笑顔が、本気の顔に変わるのが怖いから。
知らないまま、姉さんの隣で、そばを茹でて、店番をして、生きていく。
それの、何が悪い。
――それでも。
それでも、姉さんは、姉さんだ。
僕を、雨の中から拾ってくれた。
飯を食わせてくれた。
名前をくれた。
僕が十五になるまで、ずっと隣にいてくれた。
それは、ゼロでも、百でも、計測不能でもない。
それだけは、確かだ。
だから、僕は何も言わない。
訊かない。
僕は、姉さんの、いちばん下っ端で、いちばん年下で、たぶん、いちばん普通の人間だ。
それで、いい。
それで、いいのだ。
……おあとがよろしいようで。
って、姉さんなら、言うんだろうな。
僕は、少し笑って、目を閉じた。




